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2018-02-14

[]『磯崎新藤森照信の「にわ」建築談義』を読む



 『磯崎新藤森照信の「にわ」建築談義』(六耀社)を読む。二人の建築家が毎年対談を行っていて、『〜の茶室建築談義』『〜のモダニズム建築談義』に続く3冊目。藤森は建築史が専門なので、前2冊については、藤森が歴史を語ることが多かったが、本書では磯崎の出番が目立つ。磯崎の博識が建築に限らず歴史、哲学に及んでいることがうかがわれる。しかも対談なので、著書における磯崎の難解さがやわらげられ、わかりやすく面白い内容になっている。

 春日若宮おん祭から始まって伊勢神宮沖縄の御嶽が語られる。ついで称名寺浄土庭園と瑞泉寺の石庭が比較される。瑞泉寺の石庭は夢窓礎石が臨済の庭として作った。浄土庭園では州浜が重要だと藤森が言う。州浜は日本独特なのだと。瑞泉寺の石庭は岩窟で、雪舟の描いた達磨の『慧可断臂図』と同じような場所ではないか。

 龍安寺の石庭を盆石や盆景だと言っているのもおもしろい。「昔の絵巻の坊さんたちが勉強している付書院の庭側に、盆景がちょこっと台に載せてある」。その「つくりもの」で大自然をやる。平安時代の公家がそれを見て歌を詠んだという。藤森がそう言ったのに、磯崎が「盆石として龍安寺の石は置かれている。これは正しい視点です」と答えている。藤森が「巨大盆石ですよね」と応じる。あの四角のプロポーションも盆石的プロポーションです、と。

藤森  いちばん大事な石は立てる。盆石もいちばん大切な石を立てる。石を立てるという意味は、以前にもお話したんですけれど、立つ前の「寝ている石」とは何かということです。自然の中では重力に従って、石は寝ますから、人には存在として見えていない。それが石を立てた瞬間にはじめて人の意志が加わり、不自然な状態になってはじめて石の存在が意識され、石として見えてくる。これが、人間が構築的な造形を最初にやった例ではないかと考えているんです。

磯崎  夢窓がつくったといわれる庭は、見立てられた風景を取り込んで、ミニマムの手が加えられただけでしょう。後は龍安寺以降、庭はまるごと虚構としてつくられ始める。観想の対象ですね。次にありえるのは、もう一度浄土庭園のときのように、庭の中に入っていく、寝殿造の前の庭の「遊び」につないでいくしかなかったんじゃないかなと思います。

 利休の頃の露地庭はちょっとまたタイプが違いますが、やはり通り抜けだから中を歩く。遠州の金地院の庭は中には入れないんですよ。白砂を敷いて海を表現していて、縁側の下でなんとなく直線なんだけれども。白いところでエッジがゆらゆらしているのは岸辺みたいなものですね。そして海を隔てた向こう側に島が二つある。ということは、一つの平面の構図としてでき上がっているんですね。大刈り込みをバックにして、金地院の庭は立体化している。龍安寺の場合は、まだ平面ですが、レリーフですね。ということは、空海曼陀羅はパターンとして上から見る。龍安寺もその段階。そしてそれを立体化させてきたのが、金地院の庭じゃないかと思います。

藤森  なるほど、金地院のほうが龍安寺より力を感じられるのはそのせいなんですね。

 藤森は庭の本質を塚本邦雄から教わったという。

藤森  私に庭の本質を教えてくれたのは歌人塚本邦雄さんです。昔、塚本さんと庭の話をしているときに、「庭は末期の眼で見るべし」という言葉が江戸時代にはあって、それが庭の本質だと言われた。庭は元気に活躍している人が見てわかるものじゃない。そういう人には必要ない。庭が本当にわかったり必要になるのは、死の直前。末期の眼で見ないとわからない。今から思うと、浄土庭園は末期の眼で見た景色ですよ。

 庭に関する対談がこんなに面白いとは! 二人がお互いを尊敬しているから優れた対談になっているのが分かる。以前読んだ淀川長治蓮實重彦の映画に関する対談もうすばらしかったが、あれも二人が互いを尊敬しあっているからだろう。茶室建築モダニズム建築、にわ建築と続いてきたが、今年もこの続きを読ませてくれるだろうか。



磯崎新と藤森照信の「にわ」建築談議

磯崎新と藤森照信の「にわ」建築談議

2017-11-03

[]五十嵐太郎『日本建築入門』を読む



 五十嵐太郎『日本建築入門』(ちくま新書)を読む。副題が「近代と伝統」、全体を10の章に分け、「オリンピック」「万博」「屋根」「メタボリズム」「民衆」「岡本太郎」「原爆」「戦争」「皇居・宮殿」「国会議事堂」と、不思議な見出しでくくっている。

 「オリンピック」と言っても、丹下健三代々木国立屋内総合競技場ばかりでなく、戦前の1940年の日本でのオリンピック計画から取り上げている。

 「万博」では大阪万博丹下健三の大屋根と岡本太郎太陽の塔が語られるほか、やはり戦前からの世界各地の万博で建てられた日本館の建築について紹介されている。1873年ウィーン万博での日本館は鳥居、神社神楽殿日本庭園がつくられた。その後のフィラデルフィアやパリ、セントルイス万博では寄棟の屋根、法隆寺金堂に則る建物や、金閣という喫茶店、これらは屋根が目立つ日本建築だ。ようやく1937年のパリ万博で坂倉準三がモダニズムのデザインによる日本館をつくった。1992年のセビリア万博では安藤忠雄のみごとな日本館の写真が掲載されている。2000年のハノーバー万博坂茂の日本館も世界的な評価を獲得したとある。しかし、「その後の日本館は、環境性能を前面に押し出す一方、建築的なデザインとしてはあまり注目されなくなった」と書く。愛・地球博長久手日本館は「ばらばらのサンプルを並べたショーケースの建築で、デザインとしての統一性がない」と厳しい。瀬戸日本館も「言い訳建築のようだ」と。

 「屋根」の項目はおもしろい。戦前に登場した鉄筋コンクリート造の駆体の上に和風の屋根を即物的にのせた帝冠様式。五十嵐はこの様式から映画『ザ・フライ』を思い出すという。ハエ科学者の身体と合体するというアメリカ映画だ。帝冠様式としては東京国立博物館が紹介されている。

 「メタボリズム」では、黒川紀章埼玉県立近代美術館が挙げられている。ときどき行っているが埼玉県美がそうだったのか。槙文彦の代官山ヒルサイドテラスもここに分類される。

 「民衆」の章で、有楽町の駅前に建てられた村野藤吾読売会館そごう百貨店を、雑誌『新建築』で取り上げた川添登編集長と編集者全員が解雇されたそごう事件が載っている。誌面での取り上げ方を雑誌の社主が問題視したのだという。私も経験があるが、オーナーというのはしばしば無教養な人間が多いのだ。早川書房の初代社長を思い出す。ミステリを中心に発行部数を伸ばしていたとき、うちでもそろそろ世界文学全集が出せないかと宣ったという。

 岡本太郎に1章が与えられているのも興味深い。こんな調子で最後までおもしろく日本建築を語っている。いままで何冊か読んできたが、五十嵐太郎の著書はいつも当たりだった。


日本建築入門 (ちくま新書)

日本建築入門 (ちくま新書)

2017-08-31

[]加藤耕一『時がつくる建築』を読む



 加藤耕一『時がつくる建築』(東京大学出版会)を読む。副題が「リノベーションの西洋建築史」とある。本書について、松原隆一郎が毎日新聞の書評欄で紹介している(6月18日)。それを要約しつつ簡単に紹介する。

 著者は西洋建築史を古代までさかのぼり、再利用、再開発、修復・保存の3つがどのような順序と経緯で現れたのか検討を加える。まず、既存建物を改変しながら再利用・転用するリノベーションは、古代期末期(4〜8世紀)から19世紀まで当たり前のように繰り返されてきた。円形劇場が軍事施設へ、神殿がキリスト教の聖堂へ、フランス革命後の教会財産が監獄や兵舎に転用された。

 破壊を伴う再開発は、16世紀に起源をもつ。「古代を発見」した中世では、ゴシック様式が「野蛮」で「悪趣味」とされ、古典主義に建て替えられる。面白いのはダヴィッドによるナポレオン1世の戴冠式の絵を挙げて、そのあたりのことを解説しているところだ。ルーヴルに展示されているこの絵は高さ5メートル以上、幅も10メートル近くある。ナポレオンが皇妃ジョゼフィーヌに冠を授けている。ここはパリのノートル=ダム大聖堂だが、パリ大聖堂は初期ゴシック建築の傑作だという。ところがこの絵ではゴシック建築の特徴を示すものは何ひとつ描かれていない。ゴシックが野蛮な形式だとされて、王室主任建築家コットが、内陣を大理石パネルを使ってすっかり覆い隠し、ゴシック的な内陣をルネサンス的な内陣へと変貌させたのだ。

 ロベール・ド・コットは、赤色と白色の大理石の羽目板を用いて、ゴシックの円柱を覆って角柱とし、ゴシックの先頭アーチを内側から覆って半円アーチとした。このような強引な改変がなされたにもかかわらず、その柱とアーチのプロポーションはじつに美しく、その手腕は見事というほかない。

 しかしたたえるべきはコットばかりではない。コットが大理石の羽目板で覆ったのは、内陣の大アーケードと呼ばれる一層目だけであった。したがって、上部に目を向けるとゴシックのデザインが露見してしまう。(中略)

 しかしダヴィッドは、巧妙に空間をトリミングし、上部の不自然な部分を画面にいっさい登場させなかった。彼の絵のなかに、建築的な不自然さはまったく存在しない。

 その後ヴィクトル・ユゴーが『ノートル=ダム・ド・パリ』を書いて、「保護」の建築感が生まれる。文豪は、聖堂への干渉(破壊)こそが野蛮と呼ばれるべきと訴えたのだ。しかし、建築は連続する時間のなかで変化する。どの時点を理想として「修復」すれば「保護」したことになるのか不明だ。

 かくして再利用的建築感が再浮上、現在のリノベーション・ブームに繋がっていく。

 ユゴーがゴシック建築を再評価させたことにより、「ゴシック」は「古典主義」と同列の、高等芸術に高められることになった。古典主義様式とゴシック様式とは、このとき、西洋の二大建築様式になったのだと。

 地味な内容の本ではあるが、意外におもしろかった。再利用、再開発、修復・保存にこのような大きな意味があることを初めて気づかせてくれた。良い本を読んだと思う。

 さて、本書の内容に直接の関係はないが、2か所に「クライテリア」という言葉が使われている。

この「開発vs保存」から見えてくることは、成長時代(=近代)において、経済原理、経済的価値がいかに絶対的なクライテリア(基準)になっていたかという事実であろう。

 彼(ヴィオレ=ル=デュク)は「どの時代に戻すべきか」ではなく、「どの形態が美しいか」を、建築家としての立場を議論すればよかったのだ。そしてそれは、中世の教会堂の修復でも、ゴシック・リヴァイヴァルの新築でも、ひとしく応用可能なクライテリアだったのである。

 私はこの言葉にここ20年間のうち今回で3回接したことになる。最初は美術家の吉田暁子の発言で、2度目は長谷川祐子『破壊しに、と彼女たちは言う』(東京藝術大学出版会)の中で、そして今回である。本書で加藤は「クライテリア(基準)」と書いている。吉田は、批評の基準と言っていた。気になる概念だがあまり使われたのを見たことがないので記録しておく。



2017-08-28

[]五十嵐太郎『日本の建築家はなぜ世界で愛されるのか』を読んで



 五十嵐太郎『日本の建築家はなぜ世界で愛されるのか』(PHP新書)を読む。タイトルのやや胡散臭いのに反してとても面白かった。

 まず「アメリカで学んだモダニズム」として、槙文彦と谷口吉生を紹介し、「メタボリズムを世界に売り出した」黒川紀章、「建築マフィア」の磯崎新、「世界を駆ける野武士」の安藤忠雄、伊東豊雄、山本理顕、高松伸、「グローバリズムの波に乗ったスターアーキテクト」として、SANAA、坂茂、隈研吾、青木淳、「展覧会と教育から世界に進出する」アトリエ・ワン、阿部仁史、「海外に活路を見出すロストジェネレーション」の藤本壮介、石上純也、迫慶一郎、田根剛、のように括って要領よく紹介している。

 同じカテゴリーに属するとして2人から数人を取り上げ、その比較を通じて手際よく特徴を教えてくれる。ほとんど何の知識もなかった私が曲がりなりにも現代の建築家について粗いとは言え、おぼろながらも見取り図が見えたという印象をもった。

 五十嵐が序章で述べている。

 この企画を進めるなかで、改めて気づいたが、部分的には同じテーマで論じていても、全体を概観する類書は意外に存在しない。したがって、本書を読むことで、近代以降、どのように日本の建築が海外に進出したかをまとめて知ることができるだろう。

 新書版なので仕方がないが、写真図版がもっと多ければと思ったことも事実だ。しかし十分に堪能した。表紙に著者として「五十嵐太郎 東北大学都市・建築理論研究室」とある。この「東北大学〜」は著者の肩書かと思っていたが、そうではなかった。巻末に五十嵐のほかに5人の名前が並んでいて、執筆担当が列挙されている。主として菊地尊也が4つの章を担当し、他の4人がそれぞれ別の章を担当している。彼らは東北大学の五十嵐研のメンバーで、ゼミで五十嵐が文章をチェックし、文体や内容の調整を行ったとある。そのこと自体は普通に行われることで何の問題もないが、それだったら、表紙の著者名は「五十嵐太郎 編著」とすべきだろう。同じような体裁の中公新書の『近代哲学の名著』は、「熊野純彦編」となっている。やっぱ、「PHP新書」だからなあ、などと見下したくなってしまう。「父さん、えっらそうだね」と娘に言われるだろうけど。


2017-08-26

[]光嶋裕介『建築という対話』を読む

   

 光嶋裕介『建築という対話』(ちくまプリマ―新書)を読む。副題が「僕はこうして家をつくる」とあり、今年37歳の若い建築家の自叙伝だ。父の転勤に伴って、アメリカで生まれて育ち、いったん日本に帰り、また父の転勤で中学からカナダへ行く。高校は早稲田大学付属に入り、一度は画家を目指すが、3カ月ほどで挫折する。担任の先生から建築家はどうだとアドバイスされ、早稲田の建築科へ入る。バイトで35万円貯めて、5週間の建築を見て回る旅に出る。

 早稲田では建築家石山修武に学び、大学院では2年間、烏山の石山の自邸兼設計事務所に通う。卒業後ドイツの設計事務所に勤めることができ、4年間勤めたあとで日本に戻り、桑沢デザイン研究所で教えたりしながら自分の事務所を持つ。最初の仕事は内田樹の合気道道場の設計だった。

 光嶋が子どものころから何を考えて何をして建築家になったかよく分かる。文章もとても読みやすい。副題にあるように建築家になった光嶋の早すぎる自叙伝となっている。ただ、いかにして建築家になり、建築家とはどういう職業かという観点で書かれていることを期待すると少し違っている。このちくまプリマ―新書は、中高生向けのシリーズで、まさに中高生に向けて進路選択はどう考えたらよいのかという、光嶋の体験をもとにした進路指導書という位置づけだと思う。そういう点でよくできている。

 むかし見たフランス映画のクロード・ルルーシュ監督『男と女』を思い出した。日本での公開にあたり、日本の配給会社は最初自動車レースの映画で売ろうと考えた。しかし方針を変更して恋愛映画で売り出して、これが大当たりした。本書『建築という対話』も建築を素材にしているが、むしろ青年の進路選択の手引書とした方が良いのではないか。題名もそれに沿ったものを採用すれば売り上げも違ったろうに、などと余計なことを考えてしまった。

 外国語の学び方について光嶋が書いている。

……綺麗な発音で、正しい英語を話すことがコミュニケーションにとって最も大切であるかのように、わたしたちは学校で教わりました。しかし、世界中を旅しながらいろんな人と話してみると、僕の実感として最も大事なことは、英単語の量や文法の正確さなどではありませんでした。ましてや、発音の良し悪しでもありません。

 むしろ建築について語りたい、あなたのことが知りたい、この街のおすすめスポットを教えてもらいたい、旅先の文化に全身でダイブしたい、という本気で切実な思いが対話の醍醐味だったように思います。旅を通して僕は対話の作法を教えられました。それは、共感の種をたくさん持っておくことです。

 会話する能力そのものよりも、伝えたい何かがあることの方が、よほど重要なのです。ジェスチャーも含めて、人は言語を超えてコミュニケーションを成立させていることを、遠い外国で存分に味わいました。

 本書の読みやすさは、この本の成立方法から来ていた。漠然としたテーマだけを用意して、編集者と3時間ほど4回語り合った。それを文字に起こしてもらって、光嶋がほぼまるっきり書き直す。読みやすく分かりやすいのは、基本が語りでできているからだろう。私が読んでも面白かったが、進路に悩んでいる若い人に勧めたい。