mmpoloの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2015-04-22

[]『現代ヨーロッパの言語』を読む



 田中克彦・H. ハールマン『現代ヨーロッパの言語』(岩波新書)を読む。田中とハールマンの名前が並んでいるが、二人の共著で、田中はモンゴル学と言語学が専攻の優れた言語学者、ハールマンは12歳年下のドイツ言語学者である。

 前半半ば近くが第1部「言語からみたヨーローッパ」となっていて、その中に4つの章が立てられており、「自然の言語から社会の言語へ」「近代ヨーローッパ諸語の起源」「言語の状況、およびイデオロギー」「統合から造成へ」等が語られる。

 本書に取り上げられた現代ヨーローッパ言語は67となっている。それらの起源や類縁関係が示されている。各言語の起源が意外に新しいものが多いのも予想外だった。また政治的な理由によって方言に近かった言語が独立の言語とされていくなど、言語が固定的なものではなく、動いているものであることも教えられた。

 スイスの多言語状況が詳しく語られる。ドイツ語人口が415万人で全人口の65%、フランス語人口が117万人で18%、イタリア語人口が62万人で10%、レト・ロマン語人口が5万人で1%未満となっている。この少数が話すレト・ロマン語が4つめの国語になっているのは、第2次大戦中ファシストイタリアイタリア語との同族関係から統合をほのめかしたことへの対抗によるものだった。そのようなエピソードの数々が紹介されている。

 第2部は「現代ヨーロッパ諸語概観」となっていて、67の言語が話し手の多い順に1言語3ページから半ページで解説されている。1位がロシア語で話し手1億人。2位がドイツ語、以下英語、イタリア語フランス語、話し手4千万人のウクライナ語等々と続く。スペイン語は世界では2億人だが、ヨーロッパではスペイン本国の2380万人で8位。おごそかにひびく言葉で、「イタリア語は女性と話すのに、フランス語は男と話すのにはいいが、神とはスペイン語で話すのがふさわしい」と言われるという。

 フランスの南西部からスペインビスケー湾に沿った地域で話されるバスク語は話し手60万人、第38位。48位のマルタ語はマルタ共和国の33万人によって話されている。ほとんどのマルタ人はイタリア語とのバイリンガルで、教養層には英語を話す者も多い。

 最後の67位はマンクス・ゲーリング語。オートバイレースで有名なマン島で話された言語。1969年に話し手1人だった。その後絶滅したが、マンクス語蘇生運動志願者の努力で数百人にまで増えているようだ。

 なかなかおもしろい内容だった。出版されたのが1985年だったのでもう30年前になる。ソ連が崩壊したこともあり、ヨーロッパの言語状況も多少の変更はあっただろう。田中克彦は好きな言語学者だ。どれを読んでも外れたためしがない。



現代ヨーロッパの言語 (岩波新書 黄版 292)

現代ヨーロッパの言語 (岩波新書 黄版 292)

2014-04-21

[][]再び、日本語のピジンイングリッシュ化を危惧する



 白井恭弘『ことばの力学』(岩波新書)に、渋谷の街で英語の広告を見かけた話が紹介されている。

先日、渋谷の街を歩いていたら、目の前に巨大な広告塔があり、すべて英語でコンサートを宣伝していました。外国のアーティストかなと思って近づいて行ったら、藤井フミヤさんでした。なぜ広告会社がこのようなことをするかというと、「内容がわかる」ということよりも、英語という言語が与える「かっこいい」イメージを重視しているのでしょう。

 広告では正確なメッセージよりもかっこいいイメージを重視するというのも分からないではない。というか、むしろかっこいいイメージが重要なメッセージなのだ。

 最近また普通の日本語の中に英語をまじえて語るのが多くなった。あるネットの中での発言を取り上げる。

もちろんアートフィールドはコマーシャルギャラリーと貸画廊だけではありません。ノンプロフィットのオルタナティブスペースの存在も無視できません。むしろこれからは、コマーシャルギャラリーと共に、その重要性が増すことになるでしょう。

アートフィールド」「ノンプロフィット」「オルタナティブスペース」等々、短い文章の中にカタカナ表記が頻出している。

 これらは、日本語がピジンイングリッシュ化していることを表していないだろうか。ピジンイングリッシュなどのピジン言語について、Wikipediaによれば、

 ピジン言語(ピジンげんご、Pidgin languageまたは単にPidgin)とは、貿易商人など外部の人間と現地人との間に於いて異言語間の意思疎通のために自然に作られた混成語(言語学的に言えば接触言語)。これが根付き母語として話されるようになった言語がクレオール言語である。旧植民地の地域で現地に確立された言語がない場所に多く存在する。英語と現地の言語が融合した言語を「ピジン英語」といい、一般に英語の“business”が中国語的に発音されて“pidgin”の語源となったとされている。

 親の世代第二言語として話していたピジン言語が、母語として獲得されてクレオール言語として定着する過程をクレオール化と呼ぶ。社会的に認められて、名前に「ピジン」とあってもクレオール言語として定着しつつある言語も多い。なお、ある程度定着してまとまった数の母語話者がいる場合は、便宜上「ピジン言語」ではなく「クレオール言語」に分類される事が多いが、両者の間にはっきりとした境界があるわけでは無い。

 田中克彦クレオール語と日本語』(岩波書店)からの孫引きだが、ハンコクが1977年に世界全体でのピジンクレオール語の分布図を作っている。それによると日本では2カ所に印が付けられている。幕末横浜と戦後のアメリカ軍基地周辺だ。後者ではアメリカ兵と付き合っている日本の若い女性(パンパンと呼ばれた)が「ミーはね、ウォント・マニーなのよ」などと言っていたと紹介されている。ピジン語は「その場かぎりのコミュニケーションを何とかきりぬけるためのやりくり言葉」なのだ。

 どうやら現在、日本では3カ所めが記録されそうだ。主に東京大阪など都市部を中心とした地域で、使用している階層は新しいものが好きなインテリ層と無反省な若年層のようだ。



クレオール語と日本語 (岩波セミナーブックス (77))

クレオール語と日本語 (岩波セミナーブックス (77))

2014-02-25

[]『言語学の教室』を読む



 西村義樹・野矢茂樹『言語学の教室』(中公新書)を読む。副題が「哲学者と学ぶ認知言語学」というもの。認知言語学なんて本書で始めて知った。これはチョムスキーの生成文法に対する批判から80年代に生まれた新しい言語学とのこと。認知言語学者の西村に哲学者の野矢が学ぶという対談形式になっている。対談で語られる認知言語学は意外に面白かったが、そう書きながらやはりなかなか難しかった。本書を読もうと思ったのは、沼野充義が毎日新聞の書評で的確な紹介をしていたからだ(2013年9月1日)。本書の紹介は私の手に余るので、沼野の書評から抜粋することで紹介に代える。難しいけれど面白いことは保証する。

(……)認知言語学を専門とする西村義樹氏に、哲学者、野矢茂樹氏が生徒になって聞くという対話の形で進められるので、とても読みやすいが、同時に言語を使う人間の心の動きについて深く考えさせられる内容になっている。野矢氏は先人の学説を解釈するだけの研究者ではない。心と言語について独創的な論を切り拓きながら、それを平易な言葉で語れる本物の哲学者である。彼が鋭いつっこみを入れると、真面目な言語学者がすべてについて緻密に対応していく。わくわくするような学問的対話がたっぷり味わえる。

 具体的な例を挙げよう。日本語には、「雨に降られた」といった言い方がある。一種の受身の文だが、英語では同じような受身の文は作りにくい。「降る」が自動詞だからである。こういった「間接受身」は日本語の特徴の一つで、被害や迷惑をこうむったときに日本人の口から自然に出てくる構文だろう。ところが西村氏によれば、日本語を学ぶ外国人は、間違った類推をして「昨日財布に落ちられました」などと言うことがあるという。これは日本語としておかしいが、どうしてなのだろう?

 他にも面白い例が満載だ。「がんが毎年、数十万人の人を殺している」といった、無生物主語による「使役構文」の翻訳が、どうして日本語では自然に響かないのか? 私からも例を一つ付け加えれば、アメリカで煙草を買うと「喫煙は殺す」(Smoking kills)と書かれていてびっくりする。その違和感の原因は警告があまりに単刀直入であるだけでなく、構文が日本語に馴染まないからでもあるのではないか。

(中略)

 本書はこういった問題に認知言語学の立場からアプローチし、文法と意味、カテゴリーとプロトタイプ、使役構文、メトニミー(換喩)とメタファー(隠喩)といった話題について議論していく。認知言語学といっても多くの読者にはまだあまり馴染みがないかもしれない。それもそのはず、言語学の中でも比較的最近、1980年代から急速に発展してきた新しい分野である。それ以前の学界の主流であった生成文法は、統語論を中心に、人間の持つ普遍的な言語能力を科学的に究明するための道を切り拓く革命的なものだったが、意味の分析は得意ではなく、言語能力を独立した心的器官であると見なしたため、人間の心の働き全般と言語を有機的に関係づけることに無頓着だった。

 それを批判して出てきたのが認知言語学であり、西村氏によれば、認知とはまさに「人間の心の仕組み」に他ならない。生きた人間の心に一歩近づいた言語学、それが認知言語学とも言えるだろう。(後略)

 カテゴリーとプロトタイプという対比も興味深い。「カテゴリー化」とは「分類する」とか「種類に分ける」ということで、カテゴリーの境界線は明確である。それに対して、「プロトタイプ」という考え方は、ある集合に対して、その集合の要素であるか要素でないかのどちらか一方しかないのではなくて、その間に連続した程度の違いを認めるような集合論です、と言っている。その源流はウィトゲンシュタインの「家族的類似性」だという。

 分類論にまで射程が届くようで、認知言語学、面白くて勉強して見たい気がする。巻末には詳しい「さらに学びたい人のための文献案内」が付されている。


2011-10-18

[]大野晋「日本語の源流を求めて」を読んで



 4年前、発行されたばかりの時に買っておいた大野晋「日本語の源流を求めて」(岩波新書)をやっと読んだ。日本語の源流に南インドのタミル語が深く影響しているという著者の主張が何だか信じられないような気がしていて、それでなかなか手に取る気になれなかったように思う。発行直後に丸谷才一が毎日新聞に書評を書いている。その冒頭にあたる全体の1/4を引く。

1.日本列島の西半分では、縄文時代、ポリネシア語族の一つが使われていた。その単語はすべて母音終り。

2.九州北部へ、南インドから、水田耕作、鉄、機織という文明と共にタミル語が到来、その影響下に一つの言語(ヤマトコトバと呼ぼう)が成立した。

3.ヤマトコトバは、タミルから渡来した高い文明と共に広まった。

4.そのころ、北海道、東北地方にはアイヌ語がゆき渡っていたが、やがてヤマトコトバに同化され、アイヌ語は北海道、樺太、千島へと退いた。

5.九州南部では隼人語がおこなわれていたが、それもやがてヤマトコトバ化した。12世紀には沖縄にヤマトコトバが広まった。

6.ヤマトコトバの成立後、朝鮮半島から高句麗語がはいってきて、数詞の一部分や他の単語、タミルと異なる文明をもたらした。

7.その後、朝鮮半島を経て漢字が伝来し、その字音を学んで漢語が語彙に加わった。

 大野晋は『日本語の源流を求めて』で、日本語史のはじめのほうをこうまとめている。現代の国語学者のうち最も優秀で最も勇敢な人の、生涯の探求の総括。このなかで一番問題なのはタミル語によるヤマトコトバの成立だろうが、わたしはそれを含めて大野の見とおしを丸ごと受入れる。この線でゆけばきれいに筋が通るからだ。

 本書を読んで全く説得された。ただ1カ所、次の点を除いて。本書から、

7.その後、朝鮮半島を経て漢字が伝来した。その字音を学んで、次のように言語が変遷していった。

 そして、推古音、呉音、漢音、唐音等と具体的な解説が続くが、その推古音について大野はこう書く。

推古音。例えば奇(ガ)、宜(ガ)、臺(ト)などがもたらされた。今は邪馬臺国をヤマタイコクというが、ヤマトノクニだったわけである。

 古田武彦の草履取りに連なる者としては、この部分だけは肯んじることができない。古田先生は言われる。「三国志」の魏志倭人伝のどこにも「邪馬臺国」とは書かれていない。あるのは「邪馬壹国」であり、これは「ヤマイチコク」と読むべきだと。

 それ以外は何ら大野に異議を申し立てる箇所はない。画期的で独創的な日本語論だ。


日本語の源流を求めて (岩波新書)

日本語の源流を求めて (岩波新書)

2010-02-06

[]千野栄一の「外国語上達法」がすばらしい



 千野栄一「外国語上達法」(岩波新書)がすばらしい。名著と言っていいのではないか。1986年に初版が出て昨年暮れまでの23年間に38刷りを発行している。著者は外国語にコンプレックスを持っていたと書きながら、語学が不得意だと言いながら、

 考えてみると、英・独・ロシア・チェコ・スロバキアの五つの言語には翻訳されて活字になったものがあるし、外交官の外務研修所で教えたことがある言語も、ロシア・チェコ・セルビア・ブルガリアの四つがあり、このほか大学では古代スラブ語を教えている。

 苦手な外国語を次々にマスターしていく具体的な方法を語ってくれる。しかも面白いエピソードも数多く紹介されている。

 外国語を学ぶためにはまず目標をはっきりさせる。何語を何の目的で学ぶのか。次にどの程度習得するつもりか。語学が上達するのに必要なものは、お金と時間。そして毎日繰り返すこと。覚えるのは語彙と文法。外国語を学ぶために望ましいのは、いい教科書と、いい教師、そしていい辞書の三つ。それらをていねいに紹介してくれる。

 ある外国語を習得したいという欲望が生まれてきたとき、まずその欲望がどうしてもそうしたいという衝動に変わるまで待つのが第一の作戦である。そして、その衝動により、まず何はともあれ、やみくもに千の単語を覚えることが必要である。この千語はその言語を学ぶための入門許可証のようなものであり、これを手にすれば助走成功で、離陸が無事に済んだとみなしていい。

 その時どのような単語を覚えるべきかが語られる。次いで、文法と学習書が紹介され、良い教師の条件が示される。良い教師とは、1.語学教師は自身、その語学がよくできなければならない。2.教え方が上手であること。3.教えることに対する熱意と先生の個人的魅力が必要。次いで辞書が紹介されるが、その辞書がどういう目的で作られているか、編集主幹の「はしがき」「編集の方針」「使い方への指示」は絶対に読まなければいけない。そして「辞書は多ければ多いほどいい」というのが公理であるとされる。

 発音については、始めが肝腎という。以下、会話、文化・歴史と続く。

 もう外国語を学ぼうとする意欲のない私だが、本書はとことん面白かった。外国語を学ぶつもりもないのに、なぜ読んだのか。著者の千野栄一が好きだからだ。チェコ語の専門家千野栄一とモンゴル語の専門家田中克彦は、私の尊敬する二人の言語学者だ。どちらの言語も世界の中心ではなく周辺の言語だ。周辺からは世界が見えるのだ。


周辺からは世界が見える(2006年11月12日)

外国語上達法 (岩波新書 黄版 329)

外国語上達法 (岩波新書 黄版 329)