mmpoloの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-07-05

[] 徳川夢声『話術』を読んで



 徳川夢声『話術』(新潮文庫)を読む。裏表紙惹句に「人生のあらゆる場面で役に立つ、“話術の神様”が書き残した(話し方)の教科書」とある。しかしながら、私にはほとんど役に立たなかった。気になった個所がある。

 小学校の先生方よ、次の時代の国民を、強く、明るく、正しき文化人にする教育の基礎は、あなた方に委せられているんです。子供は例外なくオハナシが好きなものであります。どうか、どの時間も面白くハナシて、教えて頂きたい。ついては、皆さんのコトバですが、どうか標準語でお願いいたします。

 大学や中学・高校の先生が、ナマリだらけでも、生徒が標準語を心得ていれば、差支えありませんが、小学校の先生がズーズーや、オマヘンや、バッテン言葉では、生徒がたちまち影響されるから、恐ろしいのであります。

 ――標準語なくして文化国民なし。

 本書は昭和22年に発行されている。戦後すぐの頃だ。そういう時代の制約からこんな標準語絶対の主張がなされたのだろう。

 「話術」に関して、私も付け加えたいことがある。それは「コンテキスト」を意識するということだ。コンテキストについては、Wikipediaを引く。

コンテクスト(英: Context)あるいはコンテキストとは、文脈や背景となる分野によってさまざまな用例がある言葉であるが、一般的に文脈(ぶんみゃく)と訳されることが多い。文脈により「脈絡」、「状況」、「前後関係」、「背景」などとも訳される。

〔概要〕

言語学におけるコンテクストとは、メッセージ(例えば1つの文)の意味、メッセージとメッセージの関係、言語が発せられた場所や時代の社会環境、言語伝達に関連するあらゆる知覚を意味し、コミュニケーションの場で使用される言葉や表現を定義付ける背景や状況そのものを指す。例えば日本語で会話をする2者が「ママ」について話をしている時に、その2者の立場、関係性、前後の会話によって「ママ」の意味は異なる。2人が兄弟なのであれば自分達の母親についての話であろうし、クラブホステス同士の会話であれば店の女主人のことを指すであろう。このように相対的に定義が異なる言葉の場合は、コミュニケーションをとる2者の間でその関係性、背景や状況に対する認識が共有・同意されていなければ会話が成立しない。このような、コミュニケーションを成立させる共有情報をコンテクストという。

 この「コミュニケーションを成立させる共有情報」が会話においてとても大事なのだ。何かを話題にする場合、相手(単数でも複数でも)と話者である自分との間にどこまでその話題について情報を共有しているか。それを正確に把握していないと会話が順調に進まない。

 現代美術に詳しい相手と話すならば、キーファーって最近1冊10トンもある鉛の本を200冊作ったんだって、と言っても通じるだろうが、現代美術に関心のない相手にもし同じことを話そうと思えば、世界の現代美術の規模がすごいことを初めに話し、ドイツの売れっ子の美術家でキーファーという作家は絵と彫刻を作ってるんだけれども、キーファーが最近作った彫刻は鉛で作った本で、1冊10トンもするその本を200冊も作ったんだって、あっちは規模が違うね、みたいに話すことになるだろう。まあ、現代美術に関心のない相手にキーファーのことを話すことが場違いかもしれないが。

 相手の知識と自分の知識の共通部分をまず認識すること。その知識がしばしば重なっていないことが多いのだから、どんなに遠回りでも共通項を探してそこから話を始めること。できれば大回りしても相手が強く興味を持っているところから始めて、徐々に目的のテーマに話を持っていったら会話がスムーズに進んでいくのではないだろうか。


話術 (新潮文庫)

話術 (新潮文庫)

2018-05-29

[]黒田龍之助『世界のことばアイウエオ』を読む



 黒田龍之助『世界のことばアイウエオ』(ちくま文庫)を読む。世界の100の言葉を見開き2ページでエッセイ風にまとめている。配列はアイウエオ順で、アイスランド語から始まってアイヌ語アイルランド語と続き、ルーマニア語、レト・ロマンス語、そしてロシア語で終わっている。見開き2ページのみなので簡単な紹介ではあるのだが、著者は面白く書いている。中にはリストに選んだが何も知らないことに気づいたなどと書いたのもある。しかし、世界の言語について知るとともに読み物としても楽しめる。

 アルメニア語の項で、

……フランス言語学者アントワーヌ・メイエによる古典的名著『史的言語学における比較の方法』(みすず書房)でもっとも感動的なのは、なんといってもアルメニア語がインド・ヨーロッパ語族であることを証明するところである。思いもよらない音の対応と厳密な分析調査。日本語とインドの言語を無理やりこじつけるようなのとは、レベルが違うのである。

 と、大野晋の日本語の起源がインドタミル語にあるという説を揶揄している。さらにタミル語の項でも、堀井令以知の主張を紹介して大野晋批判している。

 ヒナルク語の項で、ヒナルク語はカフカスの言語でアゼルバイジャンの小さな村で話されているという。このことを『世界のことば小事典』(大修館書店)と『言語学辞典』(三省堂)のどちらも千野栄一が執筆している。

 記述の中に、マールという名前を見つけた。ヒナルク語はこのソビエト言語学者が関係しているようだ。千野先生の興味はここだろうか。

 マールは独特な言語論を展開し、スターリン時代に脚光を浴びた。なんでも世界のあらゆる言語が4つの基本要素であるsal, ber, jon, roshから独立したという。これだけで充分に胡散臭い。

 今ではマールの理論は間違ったものとして否定されている。ただ、マールはカフカスの言語についてもいろいろな論文を発表していて、それも間違っているかどうかは、専門外だからよくは分からない。

 マールというソビエト言語学者の名前が出てきた。この名前は田中克彦の著書ではマルと書かれていた。

 言語学者ニコライ・マルはソビエト言語学の中心人物で、言語を上部構造とした。それに対してスターリン1950年に『マルクス主義言語学の諸問題』を発表し、言語は上部構造でも下部構造でもないと批判した。これがソビエトイデオロギー批判の端緒になったと田中克彦が『スターリン言語学「精読」』(岩波現代文庫)で書いていた。佐藤優の『国家論』(NHKブックス)にも田中克彦のこの本が引用されていた。

 黒田龍之助のこの本は最初講談社の現代新書のメールマガジンで「世界のことばアイウエオ」と題して配信された。それを『世界の言語入門』として講談社現代新書にまとめ、今回題名をメルマガに戻してちくま文庫から再刊したという。私もメールマガジン当時からファンだった。


2018-05-16

[]円満字二郎『漢和辞典的に申しますと。』を読む



 円満字二郎『漢和辞典的に申しますと。』(文春文庫)を読む。円満字は出版社で国語教科書や漢和辞典の編集者として働いていた。本書では160の漢字を取り上げて、それぞれ見開き2ページでコラムのように解説している。これが意外におもしろかった。私も漢字に関してはそこそこ知っているつもりでいたが、円満字に比べれば実に文字通り児戯に類する程度だった。恥ずかしい。

 「盆」について、「覆水、盆に返らず」という諺があるが、盆といえばお皿やコップを載せて運ぶもの。あんな底の浅いものに水を入れたりしたらこぼれてしまうのも当たり前と著者はいう。この盆というのは、私たちが知っている盆ではない。盆とは本来洗面器のような「ある程度の深さがある、丸い容器を意味する漢字」だという。平たい「おぼん」のことを意味するようになったのは日本で変化して生まれた用法なのだと。

 こんな風にチョー専門的な話題がやさしく面白く語られている。見開き2ページで完結しているので、どこから読んでも構わない。電車の中とかトイレとかちょっとした時間で読めるので、おすすめです。


2018-02-20

[]今井信吾『宿題の絵日記』を読む



 今井信吾『宿題の絵日記』(リトルモア)を読む。今井は多摩美術大学名誉教授。二人目の娘が強度の難聴だった。住んでいるところに近い私立日本聾話学校に通わせた。ここは手話を使わずことばを話す教育をしていた。聾話学校ではそのころ補聴器の力を借りて、残存聴力を活かして、ひたすら聞く力を身につける指導に重点が置かれていた。娘=麗(うらら)は独特の読唇術を身につけていく。

 小学校のころ、テレビで野球をやっていた。長嶋監督が自分のチームのピッチャーの調子が悪いのを見て、「ヤバイヨ、ヤバイヨ!」とつぶやいていたのを、麗は読み取ったという。次の瞬間、ピッチャーはホームランを打たれた。

 学校では、授業で日々の出来事を子どもと先生が会話するための補助にと絵日記の提出を宿題に出された。本来は母親または子ども本人が描くはずだったが、父親今井が画家だったせいで、自然に父親が描くことになった。それが4年間続き、30年以上経って出版されることになった。今では主人公の麗は結婚して3児の母であり、新進画家となっているという。「もと妻は、いまパリで暮らしている。娘たちはときどき近況を知らせたりしているようだが、大げんかもよく発生しているらしい」とある。今井先生バツイチか。ちょっと親近感が・・・。

 内容はすばらしいとひと言で表せる。まさしく日々の出来事を素早くボールペンで写し取り、ほんの短い文章が付されている。もちろん将来出版されるなどということは微塵も考えていなくて、娘の成長のためだけに描かれている。日々のことに集中していて、総括めいたことはどこにも書かれていない。全編が通しになっていて、章立てもないし小見出しもない。おまけにノンブル(ページ数)もない。Amazonのデータで336ページと知った。

f:id:mmpolo:20180221013910j:image

6月14日

うららはこのところ絵をかくのがすきになりました。

きょうはパパとお姉ちゃまにぬりえのかたちをかいてもらって、うららが色をぬりました。

はじめチューリップの葉をオレンジ、花を青でぬってパパをびっくりさせました。

うららが自分で描くぎっしりうずめていくような図柄の絵をパパは気に入っています。

 雑誌『美術手帖』の付録に「ART NAVI」がある。いまその表紙を今井麗が描いている。あの小さな女の子がこんな立派な画家になったのだ! そういえば、私の娘の友だちも強度の難聴だったが、国府台にある筑波大学付属の聾学校に行って、その後薬学部を卒業していまでは薬剤師になっていると聞いた。本書を読んで娘が小さかったときのことを思い出した。子育てってみんな大変だったね。そしてみんなちゃんと育って行くんだね。

 下の画像は今井麗が描く「ART NAVI」の表紙。

f:id:mmpolo:20180221013907j:image



※銀座のうしお画廊でも取り扱っているみたい。

宿題の絵日記帳

宿題の絵日記帳

2018-01-22

[] 沼野允義の書評から



 毎日新聞に沼野允義が阿部公彦『史上最悪の英語政策』(ひつじ書房)と鳥飼玖美子『英語教育の危機』(ちくま新書)の書評を書いている(1月21日)。

 阿部の本は大学入試の改革に焦点を合わせた緊急提言だという。入試改革ではスピーキング(話す能力)もテストする。つまり「読む・書く・聞く・話す」の4技能をすべて測ることになった。しかし今提唱されている「4技能」主義はほとんど「カルト教団の教え」(!)のような意味不明さだとのこと。スピーキングは従来の試験では扱いにくいので、外部委託=民営化して、TOEICなど民間の試験を使うことになった。外部試験を導入したら、受験生は受験テクニック習得に走るだけで英語力の向上につながるという保証はない。またその対策のために予備校に通うなど受験生の親の負担が増え、裕福な家の子が有利になって社会的格差が拡大する。

 鳥飼の本では、文科省はこの30年ほど頻繁に改革を重ね、その結果、現在の中高の英語教育は文法・訳読偏重をやめ、英会話に向けて舵を切っている。近い将来は中学でも、英語の授業は日本人教師であっても「英語で行うことを基本とする」となっている。しかし、鳥飼は、これだけ会話や実用性を重視しながら、その成果が一向に上がっていないのはなぜかと問う。言語環境も教える人材も整っておらず、限られた授業時間数で無理に会話重視に踏み切ったため、肝心の基礎がおろそかになって、本当の意味での英語力が落ちつつあると言う。

 以上、2冊を紹介してきて、最後に沼野が「個人的な考えを付け加えておく」として書いている。これがとても興味深い。

「ペラペラ信仰」などそろそろ捨てるべきではないか。英語教育改革の議論で乱発される「コミュニケーション」という言葉もあまりに空疎。人間どうし、特に立場が異なる人の間や異文化間のコミュニケーションというのは、英語で「買い物ごっこ」ができる、といった次元のことではない。

 そもそも、どうしてスピーキングを大学入試でテストしなければならないのか? 高校までに学ぶべきもっと大事なことはないのだろうか?

 英語ばかりに力を注げば、当然、他の教科が手薄になるだろう。日本語できちんと他者と話し合い、理解し合う能力と、そのために必要な人間としての教養を身につけさせるのが先ではないか? いまの政治家たちを見ているとつくづくとそう思う。このままでは、英語がペラペラになる前に、日本語が滅びますよ! それに、どうして英語だけなのか? 中国語や韓国語やロシア語ができる人材の育成にも少しは力を入れないと、国益を損なうのではないか?

 全くおっしゃる通りだと思う。


英語教育の危機 (ちくま新書)

英語教育の危機 (ちくま新書)