mmpoloの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-10-08

[]難解な文章のこと



 朝日新聞書評欄に宮崎章夫が「ひもとく/1968年のナックルボール」というエッセイを寄せている(10月6日)。60年代の難解な文章について書いている。

 黒テント佐藤信による『演劇論集眼球しゃぶり』(晶文社絶版)について、かつて「難解」だと発言したところ、難解だと考えること自体、第三者に否定された。しかし60年代の小劇場演劇、つまり一般的に書けばアングラと呼ばれた一群の創作者は、「わかる」ことをあえて拒否した。なぜなら60年代に登場した彼らにとってそれ以前の演劇の「わかること」が退屈だったのだ。唐十郎の「特権的肉体論」もまた、難解である。なにが書いてあるのかよくわからない。それはあえてそうしているからだ。いったい誰が次の言葉を正しく理解できるだろう。中原中也についてこう書いている。

 「この病者を思う度に、私はこう考える――痛みとは肉体のことだと」

 解釈しようとすればきっと可能だろう。だが解釈など唐十郎にとってむしろ不本意だった。以前、別の場所にも書いたが、歯科医で治療に耐えられず医師に痛みを訴える。すると歯科医師が「痛みとは肉体のことだ」と言えばきわめて難解だ。では東洋医学の治療者、たとえば鍼灸師だったらどうか。「特権的肉体論」とはこうして西洋から安易に輸入された「近代」への鋭い挑発だった。それが60年代の演劇を代表していた。そうした思想が60年代的であり、「特権的肉体論」が68年に発表されたのはまさに時代を象徴している。

 難解といえば、磯崎新の文章も難解だ。対談ではあんなにも分かりやすく発言しているのに。難解に書かないと文章じゃないと考えているのではないかと邪推したくなる。難解な文章で有名なのは西田幾多郎廣松渉にとどめを刺すだろう。誰かが二人の共通点として地方出身者の特質だと書いていた。いや大抵の学者が地方出身者ではなかったか。

 花田清輝の『復興期の精神』(講談社学術文庫)も難解だ。しかしこれは戦時中に書かれたもので、官憲の眼を欺くために韜晦しているのだとの説がある。

 佐藤信の『演劇論集眼球しゃぶり』は持っていたが、事情があって読む前に手放してしまった。『復興期の精神』は13年前に購入したがまだ読んでいない。西田幾多郎の『善の研究』は宮川透の講義を聴きながら1年かけて読んだが難しかった。廣松渉は45年ほど前から一人でぽつぽつ読んでいる。難しいけれどとても魅力的でもある。


演劇論集眼球しゃぶり (1979年)

演劇論集眼球しゃぶり (1979年)

復興期の精神 (講談社文芸文庫)

復興期の精神 (講談社文芸文庫)

善の研究 (岩波文庫)

善の研究 (岩波文庫)

2018-09-14

[]鴻巣友季子『翻訳ってなんだろう?』を読む



 鴻巣友季子『翻訳ってなんだろう?』(ちくまプリマ―新書)を読む。副題が「あの名作を訳してみる」とあり、10冊の英語の小説の一部を実際に訳している。その10冊は、

モンゴメリ赤毛のアン

ルイス・キャロル不思議の国のアリス

エミリー・ブロンテ嵐が丘

エドガー・アラン・ポーアッシャー家の崩壊』

サリンジャーライ麦畑でつかまえて

バーナード・ショーピグマリオン

ヴァージニア・ウルフ灯台へ

ジェイン・オースティン高慢と偏見

グレアム・グリーン情事の終り』

マーガレット・ミッチェル風と共に去りぬ

 これらの英文の一部を例文として取り上げ、全体の簡単なあらすじを紹介し、鴻巣が教えている翻訳講座での生徒たちの訳例をいくつか示す。どうしてこのような手続きを取っているのか、鴻巣が「あとがき」で描いている。

 全10章のなかで、いろいろな「注意点」を挙げてきました。翻訳家はそんなに細かいことを熟考しながら訳しているのか! と驚かれるのですが、ふだん英語を訳すときに、こういったことをじいっと考えているわけではありません。「考えている」という意識もなく、一瞬で判断と選択を行っているのだと思います。だから、わたしひとりでは、とてもこんな本は書けません。

 いっしょに翻訳の課題に取り組む生徒のみなさんがいて、訳文をディスカッションして初めて、さまざまな問題点があぶり出されてきます。自分のAという訳文と他者のBという訳文を比較すると、「どうしてわたしはここをAのように訳したんだろう?」という疑問がわいてきます。逆に言えば、「どうしてBのようには訳さなかったんだろう?」と問うことになります。そうして自分のなかで、いわば「翻訳問答」を繰り返すことで、多くの新たな発見をすることができました。

 鴻巣は「一瞬で判断と選択を行っている」のか! 確かに日本語だったらそうだよね。

 また、翻訳で大事なことは、

じつは翻訳とは、「原文を読む」部分の重要性が8割か、9割ぐらいではないかと、私は思っています。一語一句を訳すには、一語一句を精読し、的確に解釈しなくてはなりません。

という。「つまり、翻訳というのは大部分が「読むこと」であり、精密な読書、あるいは深い読書のこと」だという。

 そして例文の分析が鋭いことに驚いた。取り上げられた10冊のうち、グレアム・グリーンの『情事の終り』は特に好きな小説だが、たった1ページの例文をこんなに深く精密に読んでいてただただ驚いた。恐れ入りました。

 翻訳の奥深さをじっくり教えてもらいました。とても良い本です。



2018-07-05

[] 徳川夢声『話術』を読んで



 徳川夢声『話術』(新潮文庫)を読む。裏表紙の惹句に「人生のあらゆる場面で役に立つ、“話術の神様”が書き残した(話し方)の教科書」とある。しかしながら、私にはほとんど役に立たなかった。気になった個所がある。

 小学校の先生方よ、次の時代の国民を、強く、明るく、正しき文化人にする教育の基礎は、あなた方に委せられているんです。子供は例外なくオハナシが好きなものであります。どうか、どの時間も面白くハナシて、教えて頂きたい。ついては、皆さんのコトバですが、どうか標準語でお願いいたします。

 大学や中学・高校の先生が、ナマリだらけでも、生徒が標準語を心得ていれば、差支えありませんが、小学校の先生がズーズーや、オマヘンや、バッテン言葉では、生徒がたちまち影響されるから、恐ろしいのであります。

 ――標準語なくして文化国民なし。

 本書は昭和22年に発行されている。戦後すぐの頃だ。そういう時代の制約からこんな標準語絶対の主張がなされたのだろう。

 「話術」に関して、私も付け加えたいことがある。それは「コンテキスト」を意識するということだ。コンテキストについては、Wikipediaを引く。

コンテクスト(英: Context)あるいはコンテキストとは、文脈や背景となる分野によってさまざまな用例がある言葉であるが、一般的に文脈(ぶんみゃく)と訳されることが多い。文脈により「脈絡」、「状況」、「前後関係」、「背景」などとも訳される。

〔概要〕

言語学におけるコンテクストとは、メッセージ(例えば1つの文)の意味、メッセージとメッセージの関係、言語が発せられた場所や時代の社会環境、言語伝達に関連するあらゆる知覚を意味し、コミュニケーションの場で使用される言葉や表現を定義付ける背景や状況そのものを指す。例えば日本語で会話をする2者が「ママ」について話をしている時に、その2者の立場、関係性、前後の会話によって「ママ」の意味は異なる。2人が兄弟なのであれば自分達の母親についての話であろうし、クラブホステス同士の会話であれば店の女主人のことを指すであろう。このように相対的に定義が異なる言葉の場合は、コミュニケーションをとる2者の間でその関係性、背景や状況に対する認識が共有・同意されていなければ会話が成立しない。このような、コミュニケーションを成立させる共有情報をコンテクストという。

 この「コミュニケーションを成立させる共有情報」が会話においてとても大事なのだ。何かを話題にする場合、相手(単数でも複数でも)と話者である自分との間にどこまでその話題について情報を共有しているか。それを正確に把握していないと会話が順調に進まない。

 現代美術に詳しい相手と話すならば、キーファーって最近1冊10トンもある鉛の本を200冊作ったんだって、と言っても通じるだろうが、現代美術に関心のない相手にもし同じことを話そうと思えば、世界の現代美術の規模がすごいことを初めに話し、ドイツの売れっ子の美術家でキーファーという作家は絵と彫刻を作ってるんだけれども、キーファーが最近作った彫刻は鉛で作った本で、1冊10トンもするその本を200冊も作ったんだって、あっちは規模が違うね、みたいに話すことになるだろう。まあ、現代美術に関心のない相手にキーファーのことを話すことが場違いかもしれないが。

 相手の知識と自分の知識の共通部分をまず認識すること。その知識がしばしば重なっていないことが多いのだから、どんなに遠回りでも共通項を探してそこから話を始めること。できれば大回りしても相手が強く興味を持っているところから始めて、徐々に目的のテーマに話を持っていったら会話がスムーズに進んでいくのではないだろうか。


話術 (新潮文庫)

話術 (新潮文庫)

2018-05-29

[]黒田龍之助『世界のことばアイウエオ』を読む



 黒田龍之助『世界のことばアイウエオ』(ちくま文庫)を読む。世界の100の言葉を見開き2ページでエッセイ風にまとめている。配列はアイウエオ順で、アイスランド語から始まってアイヌ語、アイルランド語と続き、ルーマニア語、レト・ロマンス語、そしてロシア語で終わっている。見開き2ページのみなので簡単な紹介ではあるのだが、著者は面白く書いている。中にはリストに選んだが何も知らないことに気づいたなどと書いたのもある。しかし、世界の言語について知るとともに読み物としても楽しめる。

 アルメニア語の項で、

……フランスの言語学者アントワーヌ・メイエによる古典的名著『史的言語学における比較の方法』(みすず書房)でもっとも感動的なのは、なんといってもアルメニア語がインド・ヨーロッパ語族であることを証明するところである。思いもよらない音の対応と厳密な分析調査。日本語とインドの言語を無理やりこじつけるようなのとは、レベルが違うのである。

 と、大野晋の日本語の起源がインドのタミル語にあるという説を揶揄している。さらにタミル語の項でも、堀井令以知の主張を紹介して大野晋を批判している。

 ヒナルク語の項で、ヒナルク語はカフカスの言語でアゼルバイジャンの小さな村で話されているという。このことを『世界のことば小事典』(大修館書店)と『言語学大辞典』(三省堂)のどちらも千野栄一が執筆している。

 記述の中に、マールという名前を見つけた。ヒナルク語はこのソビエトの言語学者が関係しているようだ。千野先生の興味はここだろうか。

 マールは独特な言語論を展開し、スターリン時代に脚光を浴びた。なんでも世界のあらゆる言語が4つの基本要素であるsal, ber, jon, roshから独立したという。これだけで充分に胡散臭い。

 今ではマールの理論は間違ったものとして否定されている。ただ、マールはカフカスの言語についてもいろいろな論文を発表していて、それも間違っているかどうかは、専門外だからよくは分からない。

 マールというソビエトの言語学者の名前が出てきた。この名前は田中克彦の著書ではマルと書かれていた。

 言語学者ニコライ・マルはソビエト言語学の中心人物で、言語を上部構造とした。それに対してスターリンが1950年に『マルクス主義と言語学の諸問題』を発表し、言語は上部構造でも下部構造でもないと批判した。これがソビエト・イデオロギー批判の端緒になったと田中克彦が『スターリン言語学「精読」』(岩波現代文庫)で書いていた。佐藤優の『国家論』(NHKブックス)にも田中克彦のこの本が引用されていた。

 黒田龍之助のこの本は最初講談社の現代新書のメールマガジンで「世界のことばアイウエオ」と題して配信された。それを『世界の言語入門』として講談社現代新書にまとめ、今回題名をメルマガに戻してちくま文庫から再刊したという。私もメールマガジン当時からファンだった。


2018-05-16

[]円満字二郎『漢和辞典的に申しますと。』を読む



 円満字二郎『漢和辞典的に申しますと。』(文春文庫)を読む。円満字は出版社で国語教科書や漢和辞典の編集者として働いていた。本書では160の漢字を取り上げて、それぞれ見開き2ページでコラムのように解説している。これが意外におもしろかった。私も漢字に関してはそこそこ知っているつもりでいたが、円満字に比べれば実に文字通り児戯に類する程度だった。恥ずかしい。

 「盆」について、「覆水、盆に返らず」という諺があるが、盆といえばお皿やコップを載せて運ぶもの。あんな底の浅いものに水を入れたりしたらこぼれてしまうのも当たり前と著者はいう。この盆というのは、私たちが知っている盆ではない。盆とは本来洗面器のような「ある程度の深さがある、丸い容器を意味する漢字」だという。平たい「おぼん」のことを意味するようになったのは日本で変化して生まれた用法なのだと。

 こんな風にチョー専門的な話題がやさしく面白く語られている。見開き2ページで完結しているので、どこから読んでも構わない。電車の中とかトイレとかちょっとした時間で読めるので、おすすめです。