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2018-11-18

[]橋爪大三郎による熊野純彦『本居宣長』の書評



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 今日の毎日新聞橋爪大三郎による熊野純彦『本居宣長』(作品社)の書評が載っている。橋爪は社会学者、熊野は西洋哲学者で、レヴィナスカントヘーゲルなどを専門にしている。また熊野廣松渉の弟子でもある。橋爪も熊野も尊敬する学者たちだ。

 西欧哲学が専門の熊野純彦氏が、本居宣長をテーマにする大著を完成させた。2部からなる。前半の「外篇 近代の宣長像」では、明治以来の学者や思想家宣長をどう論じてきたかを概観。後半の「内篇 宣長全体像」では、宣長著作のなかみに立ち入った考察を加える。900頁もの圧倒的な仕事である。

 外篇では村岡典嗣、津田左右吉、和辻哲郎佐佐木信綱羽仁五郎時枝誠記山田孝雄久松潜一西郷信綱丸山眞男、松本三之助、吉川幸次郎小林秀雄、相良亨らの論を紹介し、内篇では宣長思索の歩みをたっぷり堪能できると言う。巻末の参考文献は450冊あまり。およそわが国で、宣長について語られた主な仕事が網羅的に掲げられている、という。

 さらに「本居宣長は、国学を太い流れに変え、幕末維新を流れ下って、皇国史観という異様な実を結んだ。(中略)宣長は、江戸の幕藩制を明治近代につくり変えた、ナショナリズムの運動の源でもある。この系譜をきっちり押さえないと、日本の近代を考えることはできない」と述べている。

 最後に、

 本書の価値は、西欧哲学を専門とする熊野氏が、その対極に位置する思想家である本居宣長に関心を向けていること。そして、宣長の仕事には、世界に向けて普遍言語で論ずるに足る内実がある、と示していることだ。西欧と出会う以前の日本思想(漢文和文で書かれている)を、西欧のポストモダンと肩を並べる水準で論じ切れば、この国の議論は新しいステージに飛躍できるだろう。

 橋爪もたまたま本居宣長を論ずる書物を用意しているところだという。

 読みたいと思ったが、900ページもあり、価格も8856円もする。図書館で借りてもこの大著を貸出期間内に読めるとは思えない。はてさて如何すべきか。


本居宣長

本居宣長

2018-10-31

[]橋爪大三郎丸山眞男の憂鬱』を読む



 橋爪大三郎丸山眞男の憂鬱』(講談社選書メチエ)を読む。これが刺激的でとても面白かった。題名としては『丸山眞男山本七平』の案も考えたという通り、山本七平の書と対比して丸山を批判している。丸山の主著『日本政治思想史研究』は戦後東京大学出版会から出版されたが、個々の論文は戦前雑誌に発表されたものだ。

 『日本政治思想史研究』で丸山は江戸時代の政治思想として荻生徂徠を重視する。朱子学四書(『論語』、『孟子』、『大学』、『中庸』)を、古義学を立てた伊藤仁斎は『論語』と『孟子』を重視する。徂徠は堯舜と三代(夏殷周の3つの王朝)の聖人に道の規範を見ている。朱子学の道は天からきているという考えを否定して、道は聖人が作ったとする。夏殷周の時代に聖人が立って、政治制度を制定した。統治者の意思的な行為、すなわち作為だとした。道を天=自然から聖人=人へ取り戻した。丸山は徂徠のこの思想が近代のはじめだとした。

 戦後、丸山の思想は日本の政治学を席巻した。丸山眞男と丸山学派の石田雄、藤田省三、神島二郎らが東大政治学の主流を占めた。丸山学派に学んだ者たちが官僚となり日本の政治を指導した、

橋爪は丸山が十分論じなかった山崎闇斎を重視する。山崎闇斎と闇斎学派=崎門(きもん)学派は特異な学派で、独自の主張を持っていた。丸山は闇斎を十分に理解しなかったが、山本七平が『現人神の創作者たち』(ちくま文庫)で闇斎を的確に評価している。闇斎は朱子学に立脚しているが、朱子学の基本テーゼである「湯武放伐論」を否定する。湯武放伐は、湯王と武王がそれぞれ暴君に対するクーデターを起こして武力で政権を奪った故事をいう。孟子朱子も湯武放伐肯定する。山崎闇斎とその弟子浅見絅斎はこれを否定する。日本の儒学の中で闇斎学派だけがこれを否定した。闇斎学派はまた神道朱子学化し、歴史化した。朱子学化した神道では身分制度が消える。すべての人々が「われわれ日本人」という自覚を持つことができるようになり、日本のナショナリズムを生み出した。

 丸山は近代とはなにかを分かっていなかった。橋爪が書いている。

 丸山眞男が、荻生徂徠に過剰に注目し、そこから「作為の契機」を取り出したこと、そして、それ以外の要素をプレ近代の世界から見つけなかったことは、そうした近代主義者のふるまいの一例である。丸山の試みは、半分正しい。明治になって近代と接触してからではなく、江戸時代の、近代と接触する以前の思想のなかから、近代の要素をみつけようとしているから。そして半分正しくない。明治になってから近代と理解されたものに類似する断片的な要素を、江戸時代の、近代と接触する以前の思想のなかからみつけようとしているだけだから。

 山本七平山崎闇斎の弟子浅見絅斎から幕末尊王論が生まれ、明治維新原動力になるのだと示唆している。さらに橋爪は続けて、「闇斎学派〜宣長国学水戸学〜尊皇思想、が明治近代化を導いた主軸となる思想であるのは、明らかだと思う」と書いている。

 とても刺激的な本だった。日本政治思想史の巨大な帝王に十分打ち勝っていると思う。初めて山本七平を読んでみようと思ったのだった。


丸山眞男の憂鬱 (講談社選書メチエ)

丸山眞男の憂鬱 (講談社選書メチエ)

現人神の創作者たち〈上〉 (ちくま文庫)

現人神の創作者たち〈上〉 (ちくま文庫)

現人神の創作者たち〈下〉 (ちくま文庫)

現人神の創作者たち〈下〉 (ちくま文庫)

日本政治思想史研究

日本政治思想史研究

2018-09-07

[]加藤周一対談集『歴史・科学・現代』を読む



 加藤周一対談集『歴史・科学・現代』(ちくま学芸文庫)を読む。加藤が丸山眞男、湯川秀樹、久野収、渡辺一夫、笠原芳光、サルトル、西嶋定生ら錚々たる学者たちと対談したものを集めている。初版の単行本を編集した鷲巣力が解説を書いていて、当時対談集というのは出版業界で評価が低かった、企画会議を通すためにも第一級の対談集にしないと通らないと考えたという。それである種一流学者の総花的な人選になっているのだろう。それが本書があまりおもしろくない原因ではないか。

 総じて高踏的、原理的、総論的な議論になっている。内容も難しい。

 湯川秀樹との対談で、江戸時代の思想家について語っている。湯川が本居宣長と新井白石、富永仲基を挙げたのに対して、

加藤  江戸時代から3人の思想家を選ぶとすれば、白石と宣長と(荻生)徂徠。その影響という点からいえば、白石の影響は、歴史ではもちろんございますね。これは文句なし。頼山陽さえも、亜流だったのでしょうから。ただ、理論家として、儒家の方法論の独創性という意味では、徂徠のほうが影響は強いと思うんです。

 西嶋定生との対談で東西文明が語られる。日本と中国との文化の違いについて、文明をひじょうに大きなシステムと考えれば、日本は中国文明の一部ですね、と加藤が言う。ただ日本文化というものがあり、それは極度に洗練されている。西嶋がそれはだいたいにおいて、情の世界だというと、加藤が情と感覚だという。

西嶋  ところが中国文化は、感覚と情だけじゃなくて、理の世界がある。里の世界を強く自覚し、それを意識して、それを押し出してくる。これは中国文明だけじゃなくて、ヨーロッパ文明もそうです。理の文化と情の文化は、衝突しっこないわけなんです。だから、理の文化と理の文化は、ぶつかれば、ほんとうに血みどろな、どちらが勝つか負けるかという問題にならざるを得ない。情と理とはもともと次元が違うので、理を借りるときは簡単に借りてきてしまう。情のほうからいえば、融通無碍に取り入れてしまう。しかし、理が取り入れられて、そこで理として定着するかというと、やはりそうはならない。理は情の世界の中ではやはり足場のない浮遊物のようなもので、なかなか定着しない。日本と中国との関係、あるいは日本の中国文明の取り入れ方は、そういう性格として理解できる面があるのでしょう。

 確かに19世紀までは、日本文化は中国文明の一つの領域として位置づけられるだけでした。しかし、なぜヨーロッパ文明へと価値転換することが可能であったかというと、やはり日本では理の文化が定着し得なかった、あるいは本来的に、日本文化は理の文化とは異質なものがあったからこそ、そういう転換を加納ならしめたのではないかと考えられないでしょうか。

加藤  それが私の相互補完的だという意味です。理という言葉ですが、理論的な理は定着しないが、実践的な理はある。いくら日本人といえども、まさか情だけでは、ほんとうは暮らせない。外国と比べれば、日本のは、情と感覚にすぐれた文化ですけれども、江戸時代の官僚制度とか、技術とか裁判とかの全体は、やはり実践的理性であった。その実践的理性とは、超越的なものじゃなくて、一種のプラグマチズム、経験的な合理主義です。超越的理性は、もともと日本にはない。中国には、本来それがあります。

 このあたりの対談がおもしろかったが、対談で難しいテーマを語り合うことは可能なのだろうか。それを読者が理解して面白がるような対談が。



歴史・科学・現代 加藤周一対談集 (ちくま学芸文庫)

歴史・科学・現代 加藤周一対談集 (ちくま学芸文庫)

2018-06-28

[]中沢新一・河合俊雄 編『思想家 河合隼雄』を読む



 中沢新一・河合俊雄 編『思想家 河合隼雄』(岩波現代文庫)を読む。河合隼雄はユング派の精神分析家。河合俊雄は河合隼雄の息子。中沢と河合俊雄の対談、河合隼雄の論文に、中沢、鷲田清一、赤様憲雄、河合俊雄、大澤真幸の諸論文、それに養老孟司と河合俊雄の対談が集められている。

 河合隼雄は13世紀の日本の仏僧である明恵上人とアッシジの聖フランチェスコを比べている。そしてその二人の精神的な生活や体験の類似性を指摘している。

 私には中でも大澤真幸の「河合隼雄の『昔話と日本人の心』を読む」と、河合俊雄が聞き手となった養老孟司との対談「河合隼雄と言葉」がおもしろかった。

 大澤真幸の論文では、日本の昔話で《見るなの座敷》という例が取り上げられる。男が村の外で見知らぬ大きな屋敷を発見する。そこに美しい女がいて、出かけるからと男に留守を依頼する。その時ある座敷について、男に決して見てはならないと約束させる。男は誘惑に負け禁を犯して部屋を覗いてしまう。帰った女がそれを知って悲しみながら去っていく。その時女はうぐいすやトビなどの鳥に姿を変える。それに対して西洋では、非情に長い話になっていて、《見るなの部屋》はその中のエピソードの一つに過ぎない。部屋を見てしまうくだりは女を窮地に落ち込ませるために作られた前段階で、悪い夫によって窮地に陥った女がヒーローに救われるというのがポイントになっている。

 日本の《見るなの部屋》に対応して、西洋には〈宮廷愛〉の話がある。〈宮廷愛〉では騎士が貴婦人を好きになるが、必ず騎士よりも貴婦人の方が身分が高い。貴婦人は身分の高い人と結婚していて騎士との関係は不倫である。そして絶対的な条件があって、「二人は結ばれてはいけない」。トリスタンとイゾルデを思い浮かべればよい。なぜ結ばれないか?

 何が禁止されているのか、この〈宮廷愛〉には答えが書いてない。それは女性の中に、人間になれない部分、いわば「非人間的な部分」があり、その「非人間」性そのものに、いわば人間としての男性はアクセスできない。

(……)西洋の物語では、おんなについて否定神学的にしか語っていません。日本の話では、おんなはクモだった、ツルだった、山姥だった、という話があっさり出てきます。すると、おんなのなかにある「非人間」性が、日本の昔話のなかでは、いわば素朴に、ストレートに、声高に暴露される。それを何であるとも否定的にしか語らないのが西洋の常道なのです。

 中沢と河合俊雄が対談ではっきりと河合隼雄は思想家だったと言っている。河合隼雄をしばらく読んでいきたい。



2018-04-13

[]鷲田清一『ひとはなぜ服を着るのか』を読む



 鷲田清一『ひとはなぜ服を着るのか』(ちくま文庫)を読む。ファッションやモード(流行)を哲学的に分析している。鷲田は現象学が専門の哲学者で大阪大学総長などをしてきている。

わたし自身が(……)哲学者でありながら、ファッションについて文章を書きだしたときには、相当な抵抗があった。抵抗といえばかっこいいが、要するに侮蔑され、冷笑されたのであった。わたしがはじめてファッション論を書いたとき、哀しい思い出だが、哲学の恩師のひとりに、ファッション雑誌の言語分析をしたロラン・バルトの『モードの体系』のことを言うふりをして「世も末だな」と言われた日のことはいまも忘れない。

 そのように鷲田には先覚者がいた。ロラン・バルトとボードリヤールだ。哲学者がモードを論じる場所はできていた。

 本書は2部に分かれている。「第1部 ひとはなぜ服を着るのか」と「第2部〈衣〉の現象学――服と顔と膚と」だが、第1部は1997年にNHK教育テレビで放送された人間大学のテクストを再録したもので、第2部はさまざまな雑誌に書いたエッセイを集めたものだ。そのため第1部にはまとまりがある。ただモードに関する20年前の論考なのでやや古さは感じてしまう。もっともモードと言ってもその原理論なのだが。

 モードを哲学的に論じるとどうなるかという例を、

 ネックレス、指輪、長手袋、腕を絞めつけるブレスレット、踝(くるぶし)に巻かれたアンクレット、そして素肌をちらちらさせる袖口、胸元、スカートの裾……。そう、衣服がぱっくり口を開けているところが、身体の「裂け目や断層や傷口や孔」にとって代わるのだ。あるいは身体を透かし見せるトランスパランの生地、身体表面をするどい線で区切る黒のブラジャーやガーターやストッキング、スリットを入れて身体をちらちら露出させるドレス……それらのすべては、タブー視されている身体の秘密の際にますます近づくことによって、身体を侵犯するようにみえてじつは逆にそれを回避する。記号が作用するその論理にますます深く組み込まれることによって、である。

 皮肉な物言いをすれば、モードは、もっとも危険なゲームを回避するためにくりひろげられる、記号の「ちょっとアブないゲーム」だということだ。

 あるいは、

 ファッションが編み上げる物語の一つに、隠蔽/露出の物語がある。ファッションが性的な誘惑の装置でありつづけてきたのは、そしてそのために、ちらちら見えるという出現/消滅の物語を身体表面のあちこちで演出してきたのは、見えているものの背後にある隠されたものを仮構するためであった。そして衣服を一つ一つめくっていけば、最終的にその人間の「真の姿」ともいうべきありのままの実体にたどりつくはずだという確信そのものを仮構するためであった。

 が、ファッションの興味深いところは、そういう自己の目的をたえず裏切るところにある。衣服があるスキャンダルを引き起こすことがあるとするならば、それは(ジャーナリズムが遊び気分でコラム的に紹介しているように)隠されたボディをひどく露出させるときではない。表面の背後には隠すべきものはなにも存在しないということを覆い隠す「物語」の隠蔽性の構造を、おなじ衣服をもちいて平然と剥きだしにするところに、ファッションのスキャンダルは発生する。「モードは、〈みずからせっかく豪奢につくり上げた意味を裏切ることを唯一の目的とする意味体系〉というぜいたくな逆説をたくらむ」とか、「モードは無秩序に変えられるためにある秩序である」といった、ロラン・バルトによるファッションのもっともアイロニカルな定義は、そこのところをするどくついている。

 本書は1998年11月にNHKライブラリーの一冊として刊行された。その頃読んでいるので20年ぶりの再読になったが、ほとんど覚えていなかったので楽しめた。鷲田のモード論は軽くて楽しいのだ。それで鷲田の現象学に関する本も読んでみたのだが、それはひどく難しかった。



ひとはなぜ服を着るのか (ちくま文庫)

ひとはなぜ服を着るのか (ちくま文庫)