mmpoloの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-05-26

[]内藤啓子『赤毛のなっちゅん』を読む



 内藤啓子『赤毛のなっちゅん』(中央公論新社)を読む。副題が「宝塚を愛し、舞台に生きた妹・大浦みずきに」とあり、宝塚のトップ俳優だった大浦みずきについて、その一生を姉の内藤が書いた伝記だ。大浦みずきは2009年に53歳で肺がんのため亡くなった。

 私は宝塚にも大浦みずきにも特に興味があるわけではなかったが、先日読んだ内藤啓子の作家であるお父さんの伝記『枕詞はサッちゃん』が良かったので、妹の伝記も読んでみようと思ったのだ。お父さん阪田寛夫は「サッちゃん」の作詞家として有名だが、芥川賞も受賞した作家だった。阪田は宝塚が好きで娘を宝塚に入団させることになる。大浦みずき花組男役トップスターを務めた。

 大浦は宝塚を退団したあと、ミュージカルや芝居、踊りで活躍するが50歳を過ぎてから体調不良を訴え、しかし西洋医学が嫌いで鍼灸などに頼っているうちに、肺がんが発見されたときはすでに手術ができないステージまで進んでしまっていた。

 本書は子ども時代から、宝塚入団、花組の華やかな時代、退団して独立してからの活躍を舞台を中心にていねいに記述していく。どんな演目に出演して誰と共演し、演出が誰であったか、舞台の評判はどうであったかと。私は宝塚を見たことがないし、個々の団員についても全く知らないのに、著者の妹に対する情熱からか読んでいて退屈は感じなかった。

 最後の4分の1くらいが闘病記になる。本書の冒頭に葬儀の模様が書かれている。そこに喪主を務めた内藤の挨拶が掲載されている。その一部を引く。

 憎むべきは癌という病気ですけれども、ただ一つ感謝していることがございます。私と妹は4歳違いで二人きりの姉妹ですが、幼いころは喧嘩三昧、少し大きくなってからは妹はバレエの稽古で帰宅の遅くなる毎日。中学を卒業して、やっとこれから少しまともな話ができるかなと思えば、宝塚に入り家から出ていってしまいました。それからは宝塚の皆さん、ファンの皆さんと過ごした時間のほうがはるかに長かったと思います。なんだか宝塚に妹を取られてしまったような寂しい思いをしたものでした。この1年は妹と向き合い、色々な話をすることができました。痛みに苦しむさまを見るのはつらかったですし、治療法を巡り大喧嘩もいたしました。それでも穏やかな日々もあり、初めてお互いの思いがわかり、たくさん話をすることができた時間は貴重でした。病気が与えてくれた唯一の恵みだと思っております。

 最後の4分の1がその妹との充実した日々(という言い方もおかしいが)を描いていて、読んでいて引き込まれた。徐々に悪化していく妹の病状とそれに向き合って励ましている姉の姿。しかし姉は妹の癌が不治であることを知っているのに。

 文中に大浦みずきが出演した『ナイン』の演出家T.P.Tのデヴィッド・ルヴォーの弔文も載っている。ルヴォーの弔文も大浦みずきへの愛情のこもった良い文章だ。

 肺がんは確実に進行し、ついに亡くなってしまう。「おかずに昆布と海苔の佃煮が欲しいな」「じゃあ明日買ってくるね、バイバイ」それが姉妹の最後の会話になった。読みながらほとんど涙ぐんでしまった。

 姉が亡くなった妹について書いている。とても良い伝記だ。ただ、姉は妹のことを悪くは書けない。舞台生活や私生活の葛藤、俳優としての評価は姉が書けることではないだろう。とはいえ、それがちょっと不満だったのも確かだ。私の好きな伝記で言えば、立原正秋の伝記は親友だった高井有一が書いているが、立原が生前自称していた日韓混血だったということを否定して両親とも朝鮮籍だったことを明記しているし、瀬戸内寂聴は『孤高の人』で大先輩の湯浅芳子についてその欠点も容赦なく書いている。しかし高井の伝記も瀬戸内の伝記も取り上げた先輩への愛情が強く感じられて気持ちの良いものだった。


赤毛のなっちゅん―宝塚を愛し、舞台に生きた妹・大浦みずきに

赤毛のなっちゅん―宝塚を愛し、舞台に生きた妹・大浦みずきに

2018-04-20

[]TBスタジオプロデュース公演『手紙』を見る



f:id:mmpolo:20180420230303j:image

 TBスタジオプロデュース公演『手紙』を見る。作・演出が得丸伸二で、出演が得丸と山上優の二人。リーディング・シアター=朗読劇。

 得丸の演出後記から、

 本作はA・R・ガー二―の『ラブレターズ』を上演しようとして上演権が取得できなかったため、日本版ラブレターズとして執筆することとなり書き始めた。男女二人の往復書簡から構成される点と、男が政治家になり、女が死ぬことを踏襲して後は創作した。執筆にあたり、現代の物語にしようとしたが、携帯電話やメールが普及した時代に手紙のやり取りはリアリティが無いなと思い、昭和25年、小学校6年生から物語を始めることにした。戦後の焼け跡から朝鮮戦争景気で立ち直り、高度経済成長、オイルショック、バブル、2度の大震災を乗り越えた昭夫の人生は、実に物語るに足ると感じた。(後略)

 男女2人が手紙をやり取りする芝居だから、朗読劇形式は十分だった。広島の小学校の同級生同士が先生から交換日記を書かせられる。しかい昭夫が大阪に転校して手紙のやり取りになる。昭夫は大阪釜ヶ崎あたりで肉体労働をし、やがて左翼の活動家になっていく。和江は宝塚に憧れるが試験に落ちてしまう。それで東京の劇団の研究生になり、やがて劇団の女優から映画俳優になる。二人は境遇が異なってしまうが、文通を続けている。和江の結婚と出産と離婚。昭夫はベトナム戦争の取材カメラマンからやがては代議士になる。

 とくに昭夫の手紙に当時の政治情勢が綴られる。戦後の昭和時代の政治状況や社会情勢が語られる。それがやや煩雑な印象を受けたが、脚本としては優れた出来に仕上がっている。演じた得丸も山上も好演だった。ラストで和江の娘が読み上げるついに出されなかった和江の手紙に涙を抑えられなかった。

 完成度が高く、二人だけの役者で演じる朗読劇形式の芝居ということで、今後多くの劇団が取り上げていくのではないだろうか。今回は7人の役者が交替で演じている。

     ・

『手紙――届かなかったラブレター』

2018年4月19日(木)〜4月22日(日)

TBスタジオ(志茂

     ・

TBスタジオ

東京都北区志茂1-1-9

電話03-3598-0998

info@tb-studio.net

チケット料金3,000円

東京メトロ南北線志茂駅徒歩3分

JR線赤羽駅南改札から徒歩15分

2018-02-25

[]新国立劇場の『美しい日々』を見た



f:id:mmpolo:20180225210340j:image

 松田正隆作の芝居『美しい日々』を新国立劇場で、同劇場演劇研修所第11期生修了公演として見た(2月6日)。演出は宮田慶子。忘れていたが、7年前にも第4期生の修了公演で見ていた。今回見ている間も見終わっても全く覚えていなかった。観劇記をこのブログに書いていたにも関わらずだ。ただ、見た印象は以前とあまり変わらなかった。その昔の記事から、

 松田正隆の「美しい日々」はストーリーがすべて宙ぶらりんで放り出されるのだ。男の高教教師永山健一が一間のアパートで熱を出して寝ている。そこへ去年までの教え子で現在一浪中の女の子が訪ねてくる。次に婚約者で同僚教師鈴木洋子がやってくる。女の子が帰ったあと同僚の男の教師井口時夫がやってきて、婚約者は帰っていく。永山は井口に婚約者がしばらく前からやはり同僚教師と浮気を重ねていると訴える。ただ彼女は自分を選んだから近いうちに結婚をするという。

 アパートの隣室には兄妹が住んでいて、兄は働かず妹の金をあてにしている。しかしようやく見つけた夜間道路工事の交通整理の仕事中にふらふらとアパートへ帰ってきてしまうと妹が若い男を連れ込んでいる。

 別の日に永山がアパートにいると婚約者がやってきて、彼女の浮気相手までやってくる。そして彼女を自分に渡してくれという。もつれた三角関係の結果、永山は婚約者と別れ、東京を引き払って九州に住む弟のところへ身を寄せる。そこへ同僚の教師だった井口が初めてできた彼女をつれてやってくる。その彼女は気分屋でわがままだ。

 井口が東京で永山が住んでいたアパートの隣室の男が死体で発見されたと話す。井口もそのアパートに出入りしていたので取り調べを受けた。永山のところにも警察が調べに来るだろうと軽く言う。

 井口が帰ったあと、永山は弟に置き手紙をしてどこかへ出て行く。名前も変えて隠れて暮らしていくという。

 ざっとこんな話だ。隣室の兄妹はどうなったのか。死体はその兄だったのか。同僚の教師の恋愛はどうなるのか。いったいなぜ永山は刑事を恐れて逃げ出さなければならないのか。犯人は永山だとは思えない進行だったのに。わからないことばかりなのだ。すべてが宙ぶらりんの状態に置かれている気がする。観客は感情の昇華を味わえず、芝居の半ばで投げ出されたような気分の中、幕が下ろされた。

 さすがに理解はもう少し深まった。三角関係にもつれた婚約者と別れ、勤めていた高校も退職して九州の弟のところへ身を寄せている。永山は隣室の男が殺されていて、やがて警察が調べに来るだろうと聞いて、弟に置手紙を残して海に入って自殺するのだ。殺したのは彼だったから。優しそうな兄でもあり教え子にも慕われ、同僚教師にも信頼されていた永山健一がなぜ隣人の見知らぬ男を殺したのか? あまりにも唐突ではないか。永山は一度婚約者につかみかかったことがあった。そのとき、昔も喧嘩した相手を徹底して攻撃した、自分は興奮すると訳が分からなくなるからさっさと出て行けと怒鳴る。これが殺人の伏線だったのだろう。隣人の男が騒いだか何かして、逆上した永山が殺してしまったのに違いない。だとしたら、伏線として弱いし、その後の永山の描き方が良い人すぎると思う。台本に決定的な弱みがあって、それが演出でもフォローできていなかったのではないか。

 

2018-02-09

[]さすらい日乗さんによる長谷川康夫『つかこうへい正伝1968−1982』評



 さすらい日乗(指田文夫)さんが、長谷川康夫『つかこうへい正伝1968−1982』(新潮社)について、大変興味深い書評を寄せてくれた。それを掲載する。

長谷川康夫の『つかこうへい正伝』を読んだ。

非常に面白いが、彼の作劇術は、実は小津安二郎が、野田高梧と書いた戦後の黄金期の小津作品の作り方によく似ているのではないかと思った。

つかの作劇術は、いうまでもなく「口立て芝居」だが、本当はエチュード・システムの変形というべきものである。

エチュードというのは、スタニスラフスキー・システムの一つで、劇を作るとき、戯曲を細かい部分に分ける。

そしてその場面に類似した、個々の役者が実際に遭遇した体験、あるいは想像でもよいから戯曲の場面に近い設定を考えさせて、そこから演技をさせる。

その展開は、戯曲の通りなら理想だが、必ずしもそうでなくとも良く、ともかくその状況の感情の変化等を体験させる。

そうやって役者に劇の設定や展開を体験させ、そこから戯曲に入って行くものである。稽古中に、私は役者たちがよく言っていたのを憶えている。

「エチュードは楽しいのだが、これが戯曲になると詰まらなくなる」

 つかこうへいは、これを早稲田小劇場の鈴木忠志の演出を見て、劇作法そのものに転換させたのだと思う。

この本に書かれているが、つかこうへいの慶応大学時代の仮面舞台の演出は、このようものではなく普通のものだったようだ。

それを、つかは鈴木忠志の演出法を見、さらに早稲田の学内劇団の一つ「暫」に参加することで、「口立て」に変わってゆく。

 鈴木が、既成の戯曲のつぎはぎ・「コラージュ」で演出するようになった原因は二つある。

一つは、座付き作家の別役実が、早稲田小劇場を離れ、彼らに劇作家がいなくなったためである。

もう一つは、別役との決別を、「役者の中に、別役の台詞を生理的に受け付けない、言えない者がいるため」であったと鈴木は言っている。

これは台詞が、本来役者の体を通過しないと成立しないことを意味している。

これを作劇にまで応用したのが、つかこうへいであると私は思う。

彼は、当初ほとんど2,3の台詞しかない彼自身のモチーフを役者たちに言わせ、それを展開し発展させていくやり方で劇へと増幅させていった。

この作劇法の中心は、個々の役者の体に合うだけの台詞のみが発せられることである。それは次第に役者の体の内部にある感情や心情を掘り下げて発掘するものになっていく。

つまり、ここにきて、作劇は、つかこうへいと役者との共同作業になる。

長谷川は、何度も書いているが、この過程で常につかは、役者を罵倒し、貶し、役者はそれをじっと耐えていくだけだったとしている。その結果、時には配役がつかの一存で急きょ交代されることもあった。

だが、それでも平田満、長谷川、岩間多佳子、向島三四郎らは、無条件でつかの指示に従った。

それは、つかこうへいの能力の高さを誰もが認めていたからだが、同時にこの「口立て芝居が、役者たちの内部を自ら発見する喜びがあったからだと思う。また、これは学生劇団の延長線上にあった劇団暫だから可能だったことでもある。こんな時間のかかるやり方に付き合えたのは、彼らが学生で、時間が十分にあり、「暇」だったからである。まさに大学生時代というのは、実に贅沢な時代であったわけだが、今の大学生さんたちはお勉強でそれどころではないのだろう。本当に大変だなと思う。

                 

 『つかこうへい正伝』を読んで、もう一つ気が付いたのは、長谷川康夫が否定的に書いている、彼の生活態度、金銭感覚である。長谷川は、ほとんど他人の懐を当てにして生きていたような、つかの金銭感覚をあきれたように記述している。

だが、学生をはじめ、その家族の懐すら当てにして生きていくという男は、1970年代まで大学に結構いたものである。それは、つかこうへいが嫌悪し、敵のように見なしていた左翼系の学生運動の指導者たちが皆そうだったのである。当時、いろんな党派の連中がいたが、その指導者格になると、下部の学生からのカンパという名の「恐喝」のごとき寄金によって生きていたものである。彼らは、自分を職業的革命家、「職革」と称し(私は食客だと思っていたが)、「革命のために命を掛けている俺に、お前たちは寄金するのは当然である」と思っていた。

つかこうへいは、

「俺はいずれ偉い劇作家、演出家になるのだから、俺を信じてついて来い」と思っていて、多分、平田満などは信じていたと思う。

いずれにしても、自分に対して信じられることは、一つの素晴らしい能力であることは言うまでもない。

 さすらい日乗 http://sasurai.biz/


『つかこうへい正伝1968−1982』を読む(2015年12月22日)



つかこうへい正伝 1968-1982

つかこうへい正伝 1968-1982

2018-01-31

[]『美しきものの伝説』を見る



f:id:mmpolo:20180131111009j:image

 宮本研『美しきものの伝説』を文学座アトリエで見る。文学座のホームページから、そのあらすじ。

物語は大正元年、伊藤野枝が社会主義活動家・堺俊彦の売文社を訪ね、 大杉栄や平塚らいてうに出会う場面から始まる。 〈売文社〉〈芸術座〉をめぐって、人々がいかに生き、ハイカラでモダン、 モボ・モガが闊歩する美しき時代"ベル・エポック"と呼ばれた大正期は、 実は明治史に一大汚点を残したと言われる明治43年の"大逆事件"以来、 大いなる挫折のあとの「冬の時代」であった。 しかし、そのような弾圧の中でなおすべてに対して挑戦的に、ひたむきに生き抜いた人々がいた。 売文社を中心とする堺俊彦、その売文社にあきたらず新たに近代思想社をつくった大杉栄、 荒畑寒村、また芸術座を中心に活躍する島村抱月、松井須磨子、沢田正二郎、 青鞜社を中心とする平塚らいてう、神近市子、伊藤野枝等がモデルとなっている登場人物たち。 花を咲かそうとして死んでいったのか・・・・・。 史実と虚構が入り交じった人物たちの物語が楽しくも哀しく展開していく・・・・・。

 有名な戯曲で、一度は見たいと思っていた。今回文学座附属演劇研究所研修科卒業公演で取り上げられたので見ることができた。3時間超の長丁場。さすが名作と言われる芝居だった。伊藤野枝は夫辻潤に子供を預けて大杉栄と一緒になる。神近市子が三角関係の大杉栄を刺した日陰茶屋事件は以前吉田喜重が映画『エロス+虐殺』で取り上げていた。

 ただ、登場人物が少なくなく、舞台の役者が誰を演じているのか、しばしば配られたパンフレットを見なければ分かりにくかった。それは、登場人物たちがあだ名で呼ばれていることにも関係があるだろう。大杉栄はクロポトキン、堺利彦は四分六、荒畑寒村は暖村、平塚らいてうはモナリザ、神近市子はサロメ、島村抱月は先生、沢田正二郎は早稲田、中山晋平は音楽学校、小山内薫はルパシカ、久保栄は学生と呼ばれている。伊藤野枝はそのまま野枝だったが。

 思うに、1968年に初演されたとき、やっと戦後23年だったので、戦前の記憶がまだ新しく、少ない情報でもこれらの登場人物が観客たちに分かったのかもしれない。

 演出が西本由香、卒業公演ということで入場料がたったの1,000円だった。

 舞台は大杉栄と伊藤野枝が着飾って出かけるところで終わる。この後二人は憲兵隊に捕らえられ、無残に虐殺される。殺したのは甘粕正彦とされているが、佐野眞一は『甘粕正彦 乱心の荒野』(新潮文庫)で、真犯人は甘粕ではなかったと書いていた。


甘粕正彦 乱心の曠野 (新潮文庫)

甘粕正彦 乱心の曠野 (新潮文庫)