mmpoloの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-11-01

[]三好十郎作『トミイのスカートからミシンがとびだした話』を見る



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 10月末に新国立劇場小ホールで同劇場演劇研修所第12期生試演会があった。演目は三好十郎作の『トミイのスカートからミシンがとびだした話』で、1951年に発表されてその年に初演した以来の舞台化らしい。演出が田中麻衣子。パンフレットにあらすじが紹介されている。

 戦後、東京周辺の都市、明け方に近い時分。身体を売って生計を立てていた富子と、その仲間たちが酒を飲みながら歌を唄っている。貯めた金でミシンを手に入れ、洋裁で生活していこうとする富子の送別会である。

 東京郊外の伯父の家に戻った富子は、伯父夫婦の助けを借り、弟・妹と暮らしながら洋裁店を開く準備を進めている。そこへ、新聞記者がインタビューに訪れ、世の中に明るい希望を与えるために富子のことを記事にしたいという。

 記事から富子の過去がばれて苦境に陥る。なんだか糞リアリズムっぽくていやだなあと思って見ていたが、古い芝居なのに意外に省略も多く歯切れよく進んでいく。三好十郎の娘の三好まりがコメントを寄せていて、「長い戯曲なので演出家によってテキスト・レジがなされた」とある。ネットの「演劇用語」にテキスト・レジとは「脚本家が書いた本を、実際に上演できるように訂正や手直しすること」とある。あるいは大きく演出家の田中の手が入っているのかもしれない。大衆演劇に見られるような説明過多の芝居ではなかった。もともと三好十郎の芝居がそのように洗練されたものなのだろうか。

 研修生の最初の試演会に取り上げる作品としては、適当なのかもしれないと思った。初めから前衛劇や不条理劇、難しい芝居ではなく、ちょっと古い芝居を取り上げたのは役者のことを考えた選択なのだろう。

 富子を演じた林真菜美は好演だった。さすが主役に選ばれるだけのことはある。途中、富子のストリップのシーンだけは違和感が残った。あんなパフォーマンスだったのだろうか。まあ、私だって1950年ごろのストリップなんて演出家同様知らないのだから偉そうなことは言えないが。

 三好十郎は57編の戯曲と多数のラジオドラマを書いているというが、どれも見たことがない。代表作『斬られの仙太』だけは、清水邦夫の『楽屋』にそのシーンが引用されていた。ぜひ見てみたいと思っているが、まだその機会がない。

 研修生の試演会とはいうが、面白く十分楽しめた。

2018-09-18

[]横内謙介戯曲集『愚者には見えないラ・マンチャの王様の裸』を読む



 横内謙介戯曲集『愚者には見えないラ・マンチャの王様の裸』(テアトロ)を読む。先月、信濃町文学座アトリエ文学座附属演劇研究所研修科発表会でこの芝居を見た。演出小林勝也だった。

 芝居はアンデルセンの『はだかの王様』やセルバンテスの『ドン・キホーテ』、さらにセルバンテスを翻案したミュージカル『ラ・マンチャの男』を換骨奪胎し、現代の荒れた学校をも取り込んだ複雑な構成になっている。この戯曲は1992年に岸田國士戯曲賞を受賞している。

 芝居を見終わって何か釈然としないものが残った。裸の王様が子供に、王様は裸だと笑われて精神的に大きなダメージを受け精神病院に引きこもってしまう。夜な夜な道化とともに無人の荒野をさまよって歩く。そこでドン・キホーテを探す従者のサンチョ・パンサに出会う。サンチョを連れて王様と道化と3人が宿で飲み食いしていて、宿に滞在している旅芸人一家と知り合う。旅芸人は裸の王様の事件以来人びとが芸に見向きもしなくなって落ちぶれ、子供たちが宿のパンをくすねて売ったりしている。それを宿の主人の奥さんから厳しく追及されて、滞納している宿賃とともに期日までに支払えなければ娘を女郎屋に売れと迫られる。王様はサンチョから旅芸人たちを救うことを示唆され、ドン・キホーテになって悪と戦おうとするが、旅芸人の娘が現れて王様に「キチガイ」と叫ぶ。娘がお金を取り出して淫売をやって稼いだという。娘は宿の主人はホモだと市場で噂していて、知らないのは主人の奥さんだけだとばらす。主人は娘にここで裸踊りをして稼げと迫ると、王様が自分は本当は裸の王様だった、自分が裸になると宣言しストリップショーを始める。その時中川恭子という女性が現れ、王様に「先生」と呼びかける。10年前、王様は実は中川の中学校の担任の先生だった。荒れた学校を先生は立ち直らせようとした。しかし生徒たちの暴力はやまず、先生は孤立する。その時秘かに中川恭子が先生の味方をして、二人の文通が始まった。恋の言葉さえ綴られた手紙があるとき廊下に貼りだされ、先生は生徒たちの物笑いにさらされる。笑う女生徒を払い除けようとしたとき、女生徒が倒れ込んでガラスの破片で顔を切る。しかし、女生徒中川恭子はもう傷は癒えたから先生を許すという。むしろ許してほしいのは先生の夢を裏切った自分たちだと。王様が許されたとおもったとき、道化がガラスの破片で切った傷は、実は先生が護身のためにいつも持ち歩いていたナイフで切ったのだったと暴く。その道化を追い払った王様に中川恭子が私たちからと言って箱を渡す。先生に似合うポロシャツとコットンパンツだと言って。王様にはそれが見えない。見えないながらも中川恭子に促されてシャツとパンツを着る。それを見て彼女を始め一同が王様は裸だと笑う。

 舞台が変わって王様と道化がベッドに寝ている。見舞客が訪ねてくるが、客は道化に向かって自分は昔先生の生徒だった者だと自己紹介し、中川恭子と2年前に結婚したという。彼女が最近妊娠し、先生の夢を見るというので訪ねてきたのだと。顔の傷はもうほとんど目立たないとも。客が帰ったあと、王様は道化に、影法師だったのはお前でなく、この俺のようだったなと驚く。そして二人してまた、見えなかったあの服を探しに行こうと提案する。

 真実だと思ったことが次々に覆されていく。いつまでも覆されていって、まるで覆すことが目的であるかのように、あたかもそれを楽しむことが芝居のテーマであるかのように思われる。しかしオチがないのではないか。真実が次々と覆されていく映画として、佐藤祐一の『キサラギ』という傑作があった。あれだったら納得がいくのに、本作は最後まで欲求不満が解消されなかった。

 読み終わって、芝居を見て釈然としなかったのは演出家の問題じゃないかと思ったことが違っていたと分かった。戯曲そのものが未整理で問題があるのだ。どうしてこんな戯曲岸田國士戯曲賞が与えられたのか、それが謎となって残った。


2018-08-03

[] 井上ひさし・作『少年口伝隊一九四五』が素晴らしい



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 井上ひさし・作『少年口伝隊一九四五』がとても良かった。演出が栗山民也、新国立劇場演劇研修所公演の朗読劇だ。私は初日の8月1日に見た。朗読劇なので、舞台の上に横1列で12人の役者が並んでいる。演劇研修所第12期生たちだ。音楽は後方にギターの宮下祥子が座っていて、一人で演奏を受け持っている。

 芝居が始まると、役者たちが次々と台本を持ったまま台詞を読み上げる。演技は最小限でしかない。ひたすら井上ひさしの言葉が語られる。広島に原爆が落ちたときの市内の様子が語られる。聞いているだけで苦しいほどの内容だ。

 生き残った3人の小学生が主人公だ。原爆で破壊された中国新聞社が、壊れた印刷機の代わりに少年たちを雇って、口頭で新聞に載せるニュースを読み上げて伝える口伝隊を組織したという設定になっている。

 少年たちが新聞社が作ったニュースを人々の前で大きな声で伝えて歩く。広島市は大きな被害を受けたが、戦争は続けていくと広島県知事が声明する。あくまで敵と戦うようにと。塩は海水から作れ、家がないから山の斜面に穴を掘って暮らせ、そのとき草花を活けて生活に潤いをもたせろと。少年たちは広島大学の哲学者じいちゃんから質問を受ける。海水から塩を作れと言っても海は遺体でいっぱいだ、穴を掘る道具がない、草花を飾ろうにも植物は見当たらない。

 戦争が終わり、アメリカ兵が駐屯してくる。県知事は米兵のために性的慰安所を用意するよう指示を出す。性的慰安所とはなにかと少年たちが問う。米兵をもてなすためだと説明を受けて、この間まで戦えと言っていた相手をもてなすというのはなぜか。

 そのころ広島を巨大な台風が襲う。広島は泥の海になる。少年の一人が溺れる。間もなくもう一人が原爆症で亡くなる。

 舞台には小さな広島市の模型があるばかりなのに、役者たちの台詞によって、ヒロシマの悲劇がまざまざと立ち上がってくる。すばらしい舞台だ。何度見ても感動する。研修生たちの演技もよかったし、栗山の演出も優れていたと思う。ギター演奏もよかった。だが、最大の功労者は作者たる井上ひさしだろう。

 2008年の初演ではたしか『リトル・ボーイ、ビッグ・タイフーン』という題だった。その時2回見て、2009年と2010年を見逃し、2011年からは毎年見ている。2016年と2017年は別の芝居を上演した。やはり毎年見たい舞台だ。

2018-05-26

[]内藤啓子『赤毛のなっちゅん』を読む



 内藤啓子『赤毛のなっちゅん』(中央公論新社)を読む。副題が「宝塚を愛し、舞台に生きた妹・大浦みずきに」とあり、宝塚のトップ俳優だった大浦みずきについて、その一生を姉の内藤が書いた伝記だ。大浦みずきは2009年に53歳で肺がんのため亡くなった。

 私は宝塚にも大浦みずきにも特に興味があるわけではなかったが、先日読んだ内藤啓子の作家であるお父さんの伝記『枕詞はサッちゃん』が良かったので、妹の伝記も読んでみようと思ったのだ。お父さん阪田寛夫は「サッちゃん」の作詞家として有名だが、芥川賞も受賞した作家だった。阪田は宝塚が好きで娘を宝塚に入団させることになる。大浦みずきは花組男役トップスターを務めた。

 大浦は宝塚を退団したあと、ミュージカルや芝居、踊りで活躍するが50歳を過ぎてから体調不良を訴え、しかし西洋医学が嫌いで鍼灸などに頼っているうちに、肺がんが発見されたときはすでに手術ができないステージまで進んでしまっていた。

 本書は子ども時代から、宝塚入団、花組の華やかな時代、退団して独立してからの活躍を舞台を中心にていねいに記述していく。どんな演目に出演して誰と共演し、演出が誰であったか、舞台の評判はどうであったかと。私は宝塚を見たことがないし、個々の団員についても全く知らないのに、著者の妹に対する情熱からか読んでいて退屈は感じなかった。

 最後の4分の1くらいが闘病記になる。本書の冒頭に葬儀の模様が書かれている。そこに喪主を務めた内藤の挨拶が掲載されている。その一部を引く。

 憎むべきは癌という病気ですけれども、ただ一つ感謝していることがございます。私と妹は4歳違いで二人きりの姉妹ですが、幼いころは喧嘩三昧、少し大きくなってからは妹はバレエの稽古で帰宅の遅くなる毎日。中学を卒業して、やっとこれから少しまともな話ができるかなと思えば、宝塚に入り家から出ていってしまいました。それからは宝塚の皆さん、ファンの皆さんと過ごした時間のほうがはるかに長かったと思います。なんだか宝塚に妹を取られてしまったような寂しい思いをしたものでした。この1年は妹と向き合い、色々な話をすることができました。痛みに苦しむさまを見るのはつらかったですし、治療法を巡り大喧嘩もいたしました。それでも穏やかな日々もあり、初めてお互いの思いがわかり、たくさん話をすることができた時間は貴重でした。病気が与えてくれた唯一の恵みだと思っております。

 最後の4分の1がその妹との充実した日々(という言い方もおかしいが)を描いていて、読んでいて引き込まれた。徐々に悪化していく妹の病状とそれに向き合って励ましている姉の姿。しかし姉は妹の癌が不治であることを知っているのに。

 文中に大浦みずきが出演した『ナイン』の演出家T.P.Tのデヴィッド・ルヴォーの弔文も載っている。ルヴォーの弔文も大浦みずきへの愛情のこもった良い文章だ。

 肺がんは確実に進行し、ついに亡くなってしまう。「おかずに昆布と海苔の佃煮が欲しいな」「じゃあ明日買ってくるね、バイバイ」それが姉妹の最後の会話になった。読みながらほとんど涙ぐんでしまった。

 姉が亡くなった妹について書いている。とても良い伝記だ。ただ、姉は妹のことを悪くは書けない。舞台生活や私生活の葛藤、俳優としての評価は姉が書けることではないだろう。とはいえ、それがちょっと不満だったのも確かだ。私の好きな伝記で言えば、立原正秋の伝記は親友だった高井有一が書いているが、立原が生前自称していた日韓混血だったということを否定して両親とも朝鮮籍だったことを明記しているし、瀬戸内寂聴は『孤高の人』で大先輩の湯浅芳子についてその欠点も容赦なく書いている。しかし高井の伝記も瀬戸内の伝記も取り上げた先輩への愛情が強く感じられて気持ちの良いものだった。


赤毛のなっちゅん―宝塚を愛し、舞台に生きた妹・大浦みずきに

赤毛のなっちゅん―宝塚を愛し、舞台に生きた妹・大浦みずきに

2018-04-20

[]TBスタジオプロデュース公演『手紙』を見る



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 TBスタジオプロデュース公演『手紙』を見る。作・演出が得丸伸二で、出演が得丸と山上優の二人。リーディング・シアター=朗読劇。

 得丸の演出後記から、

 本作はA・R・ガー二―の『ラブレターズ』を上演しようとして上演権が取得できなかったため、日本版ラブレターズとして執筆することとなり書き始めた。男女二人の往復書簡から構成される点と、男が政治家になり、女が死ぬことを踏襲して後は創作した。執筆にあたり、現代の物語にしようとしたが、携帯電話やメールが普及した時代に手紙のやり取りはリアリティが無いなと思い、昭和25年、小学校6年生から物語を始めることにした。戦後の焼け跡から朝鮮戦争景気で立ち直り、高度経済成長、オイルショック、バブル、2度の大震災を乗り越えた昭夫の人生は、実に物語るに足ると感じた。(後略)

 男女2人が手紙をやり取りする芝居だから、朗読劇形式は十分だった。広島の小学校の同級生同士が先生から交換日記を書かせられる。しかい昭夫が大阪に転校して手紙のやり取りになる。昭夫は大阪の釜ヶ崎あたりで肉体労働をし、やがて左翼の活動家になっていく。和江は宝塚に憧れるが試験に落ちてしまう。それで東京の劇団の研究生になり、やがて劇団の女優から映画俳優になる。二人は境遇が異なってしまうが、文通を続けている。和江の結婚と出産と離婚。昭夫はベトナム戦争の取材カメラマンからやがては代議士になる。

 とくに昭夫の手紙に当時の政治情勢が綴られる。戦後の昭和時代の政治状況や社会情勢が語られる。それがやや煩雑な印象を受けたが、脚本としては優れた出来に仕上がっている。演じた得丸も山上も好演だった。ラストで和江の娘が読み上げるついに出されなかった和江の手紙に涙を抑えられなかった。

 完成度が高く、二人だけの役者で演じる朗読劇形式の芝居ということで、今後多くの劇団が取り上げていくのではないだろうか。今回は7人の役者が交替で演じている。

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『手紙――届かなかったラブレター』

2018年4月19日(木)〜4月22日(日)

TBスタジオ(志茂)

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TBスタジオ

東京都北区志茂1-1-9

電話03-3598-0998

info@tb-studio.net

チケット料金3,000円

東京メトロ南北線志茂駅徒歩3分

JR線赤羽駅南改札から徒歩15分