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2019-01-12

[]佐野眞一『唐牛伝』を読む



 佐野眞一『唐牛伝』(小学館文庫)を読む。副題が「敗者の戦後漂流」となっている。本書は唐牛(かろうじ)健太郎の伝記、唐牛は60年安保当時の全学連委員長だった。全学連安保改定に激しく反対して連日国会へデモをしかけ、唐牛は警察の装甲車に飛乗りアジ演説をして学生たちをけしかけた。自分も真っ先に装甲車から警官隊の中へ跳び込みそのまま逮捕された。60年安保当時の全学連委員長として半ば伝説の活動家だ。

 当時の全学連流派は反代々木で、共産党や社会党と対立して過激な路線を採っていた。過激なデモを組織し、女子学生樺美智子もデモの渦中で亡くなった。学生たちや大衆の連日のデモにも関わらず安保条約は自然承認された。安保闘争の敗北は反対運動をしていた学生や大衆に大きな挫折感を与えた。退陣した岸内閣に代わって池田勇人内閣が所得倍増政策をうたい、政治の季節から経済の季節に急速に移り変わっていった。

 唐牛が活躍したのはわずか4年間ほどだった。運動後、周囲の仲間たちはそれなりに社会に出て行った。共産党に反対して組織したブントの頭脳と言われた青木昌彦は京大スタンフォード大学の教授となり、ノーベル経済学賞に最も近い日本人と言われた。西部邁全学連の中央執行委員もつとめたが、のちに保守派論客として活躍した。柄谷行人はブントの活動家として活躍したのち文芸評論家として成功した。島成郎はブントの書記長時代、北海道大学全学連委員長だった唐牛を見いだし、全学連委員長に据えた。島は安保精神科医師として沖縄の地域医療に貢献した。吉本隆明もブントの支持者だった。

 唐牛が安保闘争に関わっていた期間はわずか2年あまりだった。仲間の活動家たちが大学や社会に転身したのち、ひとり唐牛が堀江謙一とヨット会社を設立したり、新橋で居酒屋を経営したり、北海道で漁師になったり、コンピューター会社のセールスマンや医療法人徳洲会徳田虎雄選挙参謀をしたりした。安保闘争では12カ月の実刑判決を受け、宇津宮刑務所に服役した。

 なぜ唐牛だけが優秀な人間にも関わらず仕事に恵まれることなく半端な仕事に明け暮れなければならなかったのか。著者の佐野は官憲の見せしめのため、就職を妨害し続けたのだという。事実どこへ行っても公安警察が付いて回った。

 だから、実は唐牛の政治や思想に対する影響は大きくはなかった。安保闘争における全学連委員長としての活躍(行動)以外見るべき業績はない。佐野は唐牛伝に文庫版で560ページを費やしている。そしてその内容は実に面白いのだ。唐牛は1984年にがんで47歳の生涯を閉じている。佐野は唐牛の交流関係を徹底して調べていく。芸者だった母の庶子として生まれた唐牛の生涯をどこまでも追っていく。関係者に会い、話を聞きまくる。すると、唐牛を中心にして当時の学生運動の内実や、周辺の動き、政治の裏側などが見えてくる。

 私が唐牛という男に惹かれるのは、誰からもカリスマと持てはやされた全学連委員長時代ではない。むしろ27歳で刑務所を出所したあと、47歳で鬼籍に入るまでの20年間どんな人間と交流し、どのような人生遍歴を歩んだかに関心が向かう。

 強いて言うなら、なぜ彼だけがその後の高度経済成長の波に乗らず、一人だけ60年安保闘争の功罪を背負い込むようにして、短い生涯の幕を閉じたのかに興味がわく。

 すべてのアイドルやスターと同様、唐牛が輝いたのはほんの一瞬だった。ただし、その一瞬はあまりにまばゆい。

 細部までよく調べて書いている。優れた唐牛健太郎伝だと思う。


唐牛伝 敗者の戦後漂流 (小学館文庫)

唐牛伝 敗者の戦後漂流 (小学館文庫)

2019-01-10

[]池澤夏樹の提言



 朝日新聞池澤夏樹が連載している「終わりと始まり」というコラムがある。1月9日は「三つの統計から見える日本」と題されていた。「日本が少しずつ衰退してゆくという印象はどこから来るのか」という一節で始まっている。

 平成が終わると聞いて振り返れば、この30年はずっと微量の出血が続いてきたような気がする。フクシマ汚染水に似ている。

 経済について言えば、最初にあぶく景気があったがそれはすぐにはじけた。余禄に与ってはしゃいだ人は国民の何割ぐらいいたのだろう。

 それ以来、政治は明かに劣化、格差の拡大を止められなかった。倫理の面でも、現政権ほど虚言と暴言を放出する閣僚たちは記憶にない。これが今も一定の支持を得ているところがすなわち劣化である。

 日本は育児支援の後進国だ。

 「公的教育費の対GDP比率」という統計がある。これによると日本は3.47%で、154カ国・地域中の114位!

 はじめ嘘かと思った。

 最上位の北欧諸国は軒並み7%台。

37位のフランスが5.46%。

59位のアメリカが4.99%。

いつから、どうして、日本はこれほど子供たちへの出費をけちるようになったのだろう?

 女性の社会進出でも日本は後進国だ。

 この教育費と似たような順位表を見た覚えがある。

 女性の社会進出を測る「ジェンダーギャップ指数」で日本は149カ国の中の110位。

(どなたか、この2つの統計の間の相関係数を算出していただけないか。)

 更に、「債務残高の対GDP比」という統計を見ると、先進国中で日本は236%と断トツの1位。アメリカの108%の倍を超える。

 そして結論が、

 以上3つの統計から見えるこの国のかたち――

 出産や育児、教育の現場から遠いところに地歩を占めた男どもが既得権益にしがみついて未来を食い物にしている。彼らは日銀短観四半期より先は見ないようにしている。原発のような重厚長大産業に未来がないことを敢えて無視し、女性を押さえつけ、子供の資産を奪い、貧民層を増やしている。

 政治は明かに劣化している。

2018-11-21

[]アラン・ワイズマン『人類が消えた世界』を読む



 アラン・ワイズマン『人類が消えた世界』(ハヤカワ文庫)を読む。SFのようなタイトルだが、ノンフィクションだ。増え続けた人類のために、また増大するプラスチックや化学物質などのために、地球は莫大な負荷を受けている。動植物が絶滅の危機にあり、すでに絶滅したものも数多くある。

 本書は現在の時点でもし人類が地球から消えたなら、地球上の動植物はどのくらい回復することができるかという問いかけで書かれている。もう本当に嫌になる。アメリカ大陸に多数いたナマケモノなどの大型哺乳類は、アメリカ大陸に人間が侵入してから一挙に絶滅してしまった。太平洋で渦を巻くプラスチック片が浮遊する海のゴミ捨て場はアフリカ大陸並みの面積に達している。世界に点在する原子力発電所は441カ所もあり、それらの安全性を将来にわたって確保することはできないと主張する。

 本当にいやになってしまう。ワイズマンは産児制限を言う。今後、出産可能な女性が子供を1人しか生まなかったら現在65億の人口は今世紀半ばまでに10億人減る。一方現状のままだと90億人に達すると推定されている。出産数を1人にすれば人口は2075年までに現在の半数近くにまで減少し、2100年までに人類は16億人になるという。

 しかし人類は増え続け、環境は汚染され、地球は人類も動植物過酷な末路へと進んでいくのだろう。トランプ大統領の存在がそれを証明している。

 多くの人に読んでほしい。



人類が消えた世界 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

人類が消えた世界 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

2018-11-02

[]「非々」という珍しい名字



 朝日新聞の朝日歌壇に珍しい名字の女性の短歌が紹介された(10月28日)。


秋海棠と秋明菊が好きだった父は画帖にあまた残せり

                 (島根県 非々玲子)


 この「非々」という名字は初めて知った。それで「名字由来net」というサイトで調べてみた。非々は愛知県に約19名存在して、名字のランキングでは84,711位とある。短歌を寄せた非々さん島根県だけど。

 私の姓である曽根原は全国で2,300人、長野県に1,600人、東京には120人いるとある。

 私の母の実家の姓である昼神は全国で90人、私の旧姓は全国で30人とあった。

 アブラムシの研究者で皇学館大学の宗林正人先生は、この姓は自分の一族だけで少数だよよ言われていたが、全国で120人もいるらしい。


・名字由来net

https://myoji-yurai.net/

2018-09-30

[]香原志勢『動作』を読む



 香原志勢『動作』(講談社現代新書)を読む。副題が「都市空間の行動学」で、著者の専攻は人類行動学。内容を目次から見ると、

「車内にて――閉鎖移動空間の過ごし方」

「盛り場にて――分身・変身を求めて」

「会議室にて――無為のしぐさを読む能力」

「歌舞伎座にて――虚構の真実に生きる人々」

「国技館にて――実力主義の美学的発展」

「球場にて――ボール主役の人生劇」

「競馬場にて――見知らぬ国への入場券」

「店頭にて――物か値打ちか、はたやりとりか」

「レストランにて――共食性の光と影」

「病院にて――求めざる友、病との交際法」

「動物園にて――動物は人間の水鏡」

「路上にて――自由・非自由の選択」

 以上なかなか面白そうだが、実はほとんどつまらなかった。「あとがき」によると、編集部から人間の諸動作を叙述するよう求められた。「さまざまな状態下の人間のしぐさ、身ぶり、癖など、いわば動作の総点検と解析を期待する」というものだった。著者は自分はその任にはそぐわないと再三再四辞退したが結局筆をとる羽目に陥ったとある。似た世界の本としては、 E. T. ホールの『かくれた次元』(みすず書房)がある。これは人間や動物が他者との距離をどうとるかというもので極めて面白かった。まあ、ホールと比較するのは酷というものだが。

 本書のなかでは「レストランにて」の「席選びの行動学」が面白かった。

 レストラン、酒場、喫茶店に入ったさいどこの席を選ぶかで、その人の性格や人となりがある程度推測できる。同一条件の場合、一般に日本のインテリは左右どちらかの壁際の席を選ぶ。そこは人目につかない割に、店の様子を見るには都合のよい場所であり、批評家の席でもある。しかし、店の者から無視されることをいやがり、殊に註文品が届くのがおくれると、しばしば立腹する。

 自己顕示的な人は中央の席を占める。他人には無関心、他人から見られても平気な人の席である。この席で数人が大声で談笑すれば、店の雰囲気が一変する。註文品がおくれるなどとは考えてもみない。いわゆる米国人好みの席である。

 奥の席には決断力の鈍い人が集まる。どこに坐るか決められないうちに最奥に到達した結果である。奥の院なればこそ目立つ席だが、ご本尊は案外精彩がない。註文品がおくれても、じっと耐え忍ぶ。

 入り口近くの席には場なれしない人が坐る。店に入って、早く落ち着こうとして、ごく手近な席に腰をおろしてしまうのである。そこは出入りが激しくて落ち着かず、外科医の影響を受けやすい。

 じっさいは、混雑のため、好みではない席にいたし方なく坐ることが多い。そういう席は居心地が悪い。一方、見はらしのよい席、人気(ひとけ)の少ないあたりの席が好まれ、トイレの脇や、団体客のそばの席は嫌われる。したがって、店に入ってまもなく、他によい席があくと、ただちに移動がはじまる。

 1986年発行の少々古い本。



かくれた次元

かくれた次元