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2016-04-28

[]藤田一照・伊藤比呂美『禅の教室』を読む



 藤田一照・伊藤比呂美『禅の教室』(中公新書)を読む。副題が「坐禅でつかむ仏教の真髄」とあり、曹洞宗の僧侶である藤田が詩人の伊藤と禅について対談したもの。藤田は大学院を中退して禅の修行道場に入門し、6年後の1987年に師の命を受けて渡米、アメリカ坐禅堂で17年半暮らした。その後日本に戻っている。現在、曹洞宗国際センター所長。伊藤は青山学院在学中から過激な詩を発表して来た詩人だが、最近は仏教経典や仏教説話の現代語訳に取り組んでいる。2人とも60歳ちょっとで1歳違い。

 対談は伊藤が藤田に質問すると言う形で進められる。章のタイトルが「そもそも禅てなんですか?」、「私の坐禅は正しい坐禅?」、「正しく坐るのも一苦労?」、「坐禅効用って?」、「日本の禅、海外の禅」、「今夜、坐禅をする前に」となっている。まあ、これでだいたいの内容が推測できるだろう。読んでいて実に面白い。伊藤は坐禅に通ったことがあったが、長続きしないでかやめてしまった。「40分も足を組んで何もしないのは苦痛だった」と言う。前田が、苦行でなくすためには自発性が大事だという。自発的にやっていれば苦しくても楽しい。伊藤が坐禅についてとことん質問する。その間に禅の歴史や哲学が語られる。しかし中心は坐禅のことで、その方法や意義、他宗派との違いなども指摘される。したがって坐禅についてはよく分かる。面白く読むことができる。しかも対談だから難しいことはあまり言わない。入門書としてとても良いと思う。

 ただ、坐禅を知りたい、実践したいとういう伊藤の興味に対して行われた対談なので、「禅の教室」と言いながら「坐禅」に重心が置かれている。禅そのもののことをもっと詳しく知りたいと思ったとき、多少なりと不満が残るのも事実だ。禅の歴史や哲学曹洞宗臨済宗黄檗宗の違いなどを詳しく語ってくれたらと過剰な要求をしてしまう。それは無理なのだ。質問者が伊藤比呂美なのだから。だからこそやさしく語ってくれて入門者に入りやすい形になったのだ。いつか藤田一照と西洋哲学を学んだ研究者との対談が企画されれば面白いのではないか。


2014-03-22

[]『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』を読んで



 島田裕巳『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』(幻冬舎新書)を読む。タイトルが幻冬舎らしいケレン味たっぷりなものだが、著者の島田は真面目な宗教学者だ。神社本庁が行った「全国神社祭祀祭礼綜合調査」の結果、全国の神社を多い順に並べると、1位 八幡信仰、2位 伊勢信仰、3位 天神信仰、4位 稲荷信仰、5位 熊野信仰、6位 諏訪信仰、7位 祇園信仰、8位 白山信仰、9位 日吉信仰、10位 山神信仰だった。この後、春日信仰三島大山信仰鹿島信仰金比羅信仰と続くという。

 いちばん多い八幡信仰にかかわる神社は全国で7,817社だった。これは2番目に多い伊勢信仰の4,425社を抜いて断トツだ。ところが八幡神は『古事記』や『日本書紀』といった日本神話のなかにまったく登場しない。八幡神は外来の韓国の神だった。

 3番目に多い天神信仰菅原道真を祀っている。道真は官僚として3番目の地位の右大臣にまでなっている。そして従二位にまで進んだ直後に太宰権師に左遷されてしまう。左遷から3年目道真は太宰府で病気で亡くなる。その後、皇太子が亡くなり、京では疫病が流行し、さらに天然痘が流行し、次の皇太子が5歳で亡くなる。宮中清涼殿に雷が落ち大納言など3人が亡くなる。それに衝撃を受けた醍醐天皇が病気で亡くなり、さらに藤原純友や平将門の乱が起きる。それらが道真の怨霊の祟りだとされて、太宰府天満宮が創建された。

 島田はそう書きながら、「祇園信仰」の項で別の説も紹介している。

 天神と言えば、今ではもっぱら菅原道真を祀る天満宮のことをさすようになっているが、天神地祇(天地すべての神々)ということばがあるし、天の神や天空神一般をさす名称としての性格ももっている。そもそも神は天にある高天原から降ってくるものとも考えられているわけで、天神は神と同義であるとも言える。そして、その性格から雷神とも習合しやすい。

と言っている。私は「古田武彦と古代史を考える会」の会員なので、古田説を紹介したい。古田は、菅原道真を祀る前に天神社はあっただろう、それは九州王朝神社天神を祀っていただろう。それと道真信仰習合したのだと。

 4番目の稲荷信仰について、島田は書く。

 稲荷と言えば、「正一位稲荷大明神」という額や幟を掲げているのをよく見かける。正一位というのは、朝廷臣下に対して与えた位階のうち、もっとも位の高いものである。それを神にも応用したのが、「神階」と呼ばれるもので、各地で祀られた神々にそれが授けられた。

 やはり、この件に関して古田武彦は言う。『古事記』や『日本書紀』等々にも稲荷大明神正一位を授与したとの記事は書かれていない。そんな高い位を自分勝手に名乗ることはないだろう。では誰がそれを稲荷大明神に授与したのか。記録を消された九州王朝がそれをしたと考えれば辻褄が合うだろうと。

 出雲信仰の項では、神無月が語られる。

 さらに、旧暦10月は「神無月」と呼ばれ、日本全国の神々が出雲に集まるという俗信も生まれた。出雲の側からすれば、それは「神在月」ということになる。

 神々が集まるのは、縁結びをするためとされ、そこから、出雲大社は縁結びの神として信仰を集めるようになる。

 古田武彦九州王朝の前は出雲王朝があったと説く。旧暦10月は全国の王たちが支配者たる出雲王朝のもとへ集合した。当時九州王朝の前身だった隠岐首長出雲王朝のNo. 2だったので、出雲へは最後に出かけていった。いまでも隠岐には、その言い伝えが残っているという。

 島田は祇園信仰を扱った章の最後で氷川神社について少し触れている。氷川神社については、原武史出雲という思想』(講談社学術文庫)がおもしろい。一読をお勧めする。

 6番目の諏訪信仰では諏訪大社の古い信仰形態が語られる。狩猟で得た野生動物神前に捧げられる。これは別のところで聞いた話だが、近年まで祭りのとき子供を犠牲にして捧げたという。

 神社に関する本などほとんど読んだことがなかったので、教えられることが多かった。神社に祀られている祭神の分かりにくさが、神々が時代とともに習合したり合祀したり、それとともに主祭神摂社に降格されたりしてごちゃごちゃになり、記録もあいまいなためであることが納得できた。また神社に何という神が祀られているのか、ほとんどの人が関心を示さないことも、分かりにくい原因だという。神社の歴史を語るのは難しいようだ。


2011-01-02

[]元日の吾嬬神社



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 東京墨田区立花一丁目にある吾嬬神社へ初詣に行った。元旦の朝8時頃行ったのだが他に参拝客は一人もいなかった。小さな神社で周囲はアパートが建ち並び神社には専任の宮司もいないし常駐もしていない。

 しかし私見ではここは関東でも最も古い神社に違いない。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の妃、弟橘媛(オトタチバナヒメ)を祭っているので吾嬬神社というが、元々日本武尊とは何の関係もなかっただろう。もっと古い神社なのだ。そのことは以前ここに書いたことがある。

吾嬬神社(2006年12月24日)

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 寄付をした氏子たちの寄付金額一覧が掲示されていたが、やはり小さな神社だけあって、最高額で1万円、多くは3千円だった。関東最古の神社だという認識すらもう氏子にもないのだろう。

 神社の参道入口から東京スカイツリーが間近に見える。元旦現在高さが539mだ。神社から直線距離で1kmくらいだろう。

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 神社からの帰途、白菊やラッパ水仙が咲いているのが見られた。

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 例年参拝している亀戸天神や江東区の香取神宮、墨田区の香取神宮には今年は行かなかった。

2011-01-01

[]東京江東区亀戸の貧乏神神社



 飯田市に貧乏神神社がある。そのホームページから、

貧乏神神社は長野県飯田市に1998年に建立致しました。訪れる方の心を癒し、元気を与えて早11年です。ユニークな神社としてテレビ取材は47回を超えました。『貧乏とはお金のことではない!こころの問題です。』という貧乏神神社の説法と、私の『気』を入れると多くの方が元気になって帰られます。ちょっと元気がない時、不安な時、悩んだ時、当神社にいらしてください。必ず元気になります。

http://www9.plala.or.jp/binbougami/

 その貧乏神神社は東京にも勧請されている。江東区亀戸のシッピングモール「サンストリート」の一角に祭られている。

信州飯田 貧乏神神社 亀戸分社について

http://www.sunstreet.co.jp/shop_guide/otanoshimi/

東京都江東区亀戸6-31-1

サンストリート亀戸1階 サンガーデン(トイザらス下)

電話03-3681-0313

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 入口に「信州飯田 貧乏神神社亀戸分社」と木の看板が立てられている。

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 そして分社之栞にご利益が書かれている。

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災禍転福貧乏神神社亀戸分社之栞


ここは、自分自身の弱いこころに栖む「貧乏神」と縁を切る神社です。

信州飯田の有名な「災禍転福貧乏神神社」から皆様に幸せを差し上げるためこの地へ分社いたしました。

ここへ参詣して「良いことある、ある、ある」と念じてください。

強く念ずれば、必ず良い事に恵まれます。信州飯田の本宮に詣でれば、皆様方に更なるご利益を、お持ち帰りいただける事と信じております。

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 奥には小さな祠が鎮座している。私もここに詣でて2011年の幸せを祈願してきた。願ったことは宝くじが1等でなくてよいので、せめて2等が当たることとか、もう新しい奥さんはいらないので、きれいで優しい女友達ができることなんていう大それた願いではなく、晩酌の量を娘がもう少し増やしてくれること、というささやかなものだった。

2009-03-19

[]日本仏教の特異性を知った



 日本人は今でも戦没者の遺骨収集を行っている。遺骨や墓にこだわるのは日本人に特有のようだ。そのことを私は今枝由郎「ブータン仏教から見た日本仏教」(NHKブックス)で知った。チベット〜ブータンは現在最も原始的な仏教が残っている地域だ。

 葬式のあと、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌といった法事は、日本仏教ではごく普通のことであり、さらには五十回忌、百回忌とかも営まれることがある。(中略)

 葬儀がもっとも盛大で費用がかかる法要であることは、全仏教圏共通であり、ブータン仏教でも、故人のためにできるだけの追善はする。しかし回忌法要があるのは、日本だけである。それは、仏教の輪廻思想からすれば、当然である。つまり、一般の場合、死後最長四十九日間で次の生まれかわりが決まるわけで、その間にできるだけ追善行為をすれば、故人によりよい生まれかわりが期待できる。しかし、すでに生まれかわった人(もっとも、人として生まれかわっているかどうかはわからない。ひょっとしたら犬か猫かもわからない)に、数年後に改めて追加の追善法要を営む根拠はない。

...たしかに、仏教圏広しと言えども、仏教としての墓があるのは日本だけである。先祖崇拝と関連した日本的な背景があるとは言え、墓は本来の仏教には存在しない異質なものであることは間違いない。

 まず第一に、お墓があるのは、仏教国では日本だけである、ということを認識する必要がある。日本人は、仏教と言えば、お墓を連想するほど、お墓は仏教にとって不可欠のもの、仏教の一部だと、思い込んで、お墓のない仏教など夢想だにもしない。しかし、現在仏教が信奉されているアジアの各地を訪れれば明らかなように、お墓はどこにもない。たとえばチベット仏教では、土葬、水葬、火葬、そしてよく話題にされる「鳥葬」あるいは「天葬」と、さまざまな遺体の処理方法があるが、いずれの場合にも、お墓はない。きれいさっぱり、人間は自然に回帰する。火葬の場合、遺骨、遺灰が出るが、多くの場合、これは近くの川に流すだけである。

 本来の仏教では墓にも遺骨にもこだわる必要はないらしい。そのことを知ってずいぶん気持が楽になった。このことに限らず、本書は目から鱗が落ちることが多々書かれている。読んで面白いことは保証する。

ブータン仏教から見た日本仏教    NHKブックス

ブータン仏教から見た日本仏教 NHKブックス