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2012-06-28

[]山口百恵『蒼い時』を再読する



 先日、中川右介の評伝『山口百恵』(朝日文庫)を読んだので、彼女自身の自伝『蒼い時』(集英社)を32年ぶりに読み返す。山口百恵が結婚・引退に際して執筆したもの。前半の自伝と、後半のエッセイからなる。自伝部分は、出生、性、裁判、結婚、引退、随想の6章からなっている。以前も読んだし、中川の評伝を読んだばかりだったので目新しいことはなく、強い興味を惹かれた部分はなかった。ただ初めて読んだときは大スター山口百恵のプライベートな部分が明かされていて興味深かっただろう。

 今回面白かったのは後半のエッセイだった。中学生のときにした新聞配達で「十分すぎるほどに叱られ慣れてしまったようだ」とか、何度か体験した予知能力とか、死に関するエッセイも良い。

 文章に関する訓練を受けたことのないだろう山口百恵がどうしてしっかりした文章を書くことができたのか。おそらく阿木燿子などの易しくはない歌詞を深く読み込むことが文章力を磨く訓練になったのだろう。

 末尾に400字詰め原稿用紙15枚ほどの自筆のエッセイ「今、蒼い時…」が付されている。この筆跡を見たら、筆跡鑑定をしていたヴァルター・ベンヤミンなら何と言うだろうか。上手な字ではないが、悪い性格ではないようだ。

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 なお、文庫版には自筆エッセイはないようだ。


蒼い時 文庫編集部 (集英社文庫)

蒼い時 文庫編集部 (集英社文庫)

2011-03-27

[]女優沖山秀子の訃報



 3月26日の朝日新聞に、女優沖山秀子の訃報が掲載された。21日不整脈で亡くなったという。65歳だった。死亡を伝える記事から、

映画「神々の深き欲望」でデビューし、「どですかでん」「赤目四十八瀧心中未遂」などに出演。歌手として「ダンチョネ節」を歌った。

 沖山秀子というと、先日読んだ竹中労鞍馬天狗のおじさんは」(ちくま文庫)を思い出す。鞍馬天狗嵐寛寿郎は「神々の深き欲望」で沖山秀子と共演した。監督は今村昌平だった。

 嵐寛寿郎が女性スキャンダルで週刊誌に追いかけられてウンザリしているときに、沖縄でロケをする映画「東シナ海」に出演する話がきた。

……で、沖縄へ出かせぎや。『東シナ海』撮っとるところへきよった、今村昌平オンタイ。巨体をゆすって、那覇の宿屋にやってきた。「ここまできている、たったの1時間で石垣島までいける、もう1本撮りましょうや」。これも(出演料が)80万円。たちまち欲が出た、うーん1時間やったら、ギャラかせいでもええなあ。これが間ちがいのもとや、何が1時間ですか、南大東島まで持っていかれた。

 誘拐ですわゆうたら、1時間のはずが3カ月、半年、1年ちかく撮影かかりました。もうむちゃくちゃダ、暑いの何のムシ風呂でおます南大東島サトウキビしかあらへん、海がシケよる、オカズない、乾麺食うとる、とうとうタバコまでのうなった。こら地獄や、えらいところへきてしもうた。

 おまけに今村昌平、自分ばかり女抱いとる。あの沖山秀子、これが頭おかしゅうなった、ビルから跳びましたやろ。7階も上から、ほてから生命たすかった、バケモノや。これですわなお相手が、大けな女なんダ、おまけに素裸で歩いとる、フリチンで。

 いやフリマン、おっぱいも下の毛もまる出し、何とズロースはいとらん。この世のこととも思えん、ワテも奇人やと自認してま、だがこれはタダゴトやない。

 男優かて三国連太郎破傷風にかかって、足1本なくすところでおましたんやで。それでも、まだこりずに、ゼニもらわんと、自費でやってきよりますのや。南大東島キチガイ部落、それで手紙が着きよる、これは冗談でおますけど、変なのばっかり。沖山秀子、監督と毎日オメコしとる、かくし立てしまへん。

 そら堂々たるものです。まあゆうたら天真らんまん、先天性の露出狂ダ。ほんまに目を疑った、フリマンであらわれた時は。奄美大島の出身やそうですな、日本人離れというよりも、人間離れがしている。そこがまた、この映画では取柄やった、ちょっと今村昌平の他に、あの女優は使いこなせんのとちがいますか?

(中略)

『神々の深き欲望』、映画俳優生活50年の中で、これほど印象深い作品はおまへんな。ブルーリボンの助演男優賞とった。本番18回のおかげや。ゆうたらまあ芸術映画ダ、キネマ旬報のベストワン。

 せやけど、娯楽作品としても立派な出来やった。あの三国連太郎がラストで、松井康子をつれて赤い船で逃げていくシーンなどほろりとさせられた。

 沖山秀子のエピソードもすごいが、アラカン嵐寛寿郎の語りが絶品ダ。

『神々の深き欲望』では面白い話も聞いた。ロケに参加していたカメラマンから直接聞いたのだが、撮影済みのフィルムをなくして大騒ぎになったことがあった。主演俳優が東京へ帰ってしまって、フィルムが見つからないとまた俳優を呼びもどして撮影し直さなければならない。天気待ちが続いたりして撮影は大変だったのに。しかし、そのフィルムがカメラ班の部屋から出て来た。カメラマンたちが相談して、フィルムは捨てようということになった。一番大事なフィルムをなくしたのがカメラ班だったなんて映画関係者の風上にもおけない大恥だからというのだ。結局一人のカメラマンが提出すべきだと主張して、フィルムは捨てられずに済んだという。映画人たちの不思議な常識に触れて面白かった。

鞍馬天狗のおじさんは (ちくま文庫)

鞍馬天狗のおじさんは (ちくま文庫)

NIKKATSU COLLECTION 神々の深き欲望 [DVD]

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2009-11-08

[]岡田茉莉子の自伝「女優 岡田茉莉子」を読んで



 先月末に発行された岡田茉莉子著「女優 岡田茉莉子」(文藝春秋)を読んだ。カバー(英語でjacket)のデザインがいい。背表紙の標題の文字は大きすぎて品がない。表紙(英語でcover)のデザインは良くない。女優の伝記なのに口絵写真がない。

女優 岡田茉莉子

女優 岡田茉莉子

 600ページ近い大作だがゴーストライターを使わず一人で書いたという。読み始めて意外に文章が上手で驚いた。父親を1歳の時に亡くして母子家庭で育っている。母親が何も教えてくれなかったので、父親が戦前の有名な二枚目俳優だった岡田時彦だったことは高校を卒業する頃初めて知った。叔父が東宝のプロデューサーだった関係で東宝の演技研究所に入れられてしまう。最初はいやだった女優に、やがてこの道を進むしかないと決意する。

 最初の部分が面白い。新潟に疎開して6年間過ごし、土地にとけ込もうと新潟の訛りを身につけようとしたり、デパートや喫茶店でアルバイトをしたり。

 映画女優になってその美貌でたちまちスターになっていく。東宝からフリーになり松竹に入り、映画産業の衰退から舞台女優に移ってゆき、彼女の人生に大きな挫折はないかのようだ。映画出演100本記念に自分で企画した藤原審爾の「秋津温泉」を選び、その監督を依頼した吉田喜重と結婚する。

 伝記の大きな部分をフィルモロジーというのか、彼女が出演した映画についての記載が占める。出演した映画は156作品、舞台の公演は68回、テレビドラマは147作品というから、ページが厚くなるのは無理もない。

 しかし本当に彼女の人生には大きな葛藤はなかったのだろうか。愛憎も語られない。それは女優の自伝の宿命だろう。立原正秋が本人が主張するような日韓混血ではなく、両親とも朝鮮人だったことを書いたのは優れた伝記作家である高井有一であり、駒井哲郎が酒乱でどんなにひどい醜態をさらしたかを書いたのは、これまた優れた伝記作家である中村稔だった。どちらも自伝ではない。

 だから岡田茉莉子自伝についてはこれで良いのだろう。口絵写真がないのが大いに不満だが。1967年のNHKの日曜夜の大河ドラマは「三姉妹」だった。岡田茉莉子が長女を、藤村志保が次女、栗原小巻が三女を演じたこのドラマを見てから、私は岡田茉莉子のディープなファンになったのだった。もう42年になる。

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2009-02-08

[][]トルーマン・カポーティの「カメレオンのための音楽」



カメレオンのための音楽 (ハヤカワepi文庫)

カメレオンのための音楽 (ハヤカワepi文庫)

 トルーマン・カポーティの「カメレオンのための音楽」(ハヤカワ文庫)を読んだ。翻訳は野坂昭如。カポーティはカンザス州の小さな村で起きた殺人事件を克明に追って書いた「冷血」で大成功を収めた。これはノンフィクション・ノベルと呼ばれた。

 私は初期の短篇集「ティファニーで朝食を」の頃が好きだった。特におばあちゃん好きにとって、この中の「クリスマスの思い出」はたまらない。私も何度も読んでいる。

 だが「冷血」の成功の後カポーティは壁にぶつかってしまう。ようやく14年後に発表したのが「カメレオンの〜」だった。ノンフィクションの形式を採っている。読んでみてあまり感心しなかった。が、興味深いエピソードもいくつかあった。つぎは「そしてすべてが廻りきたった」という短篇から。RBはシャロン・テート事件で逮捕された殺人犯のロバート・ボーソレーユ、TCはトルーマン・カポーティ。

RB  毒ガスでやられているのを見たことはあるのか?

TC  一度あります。でも、その人は浮かれ騒いでるみたいにしてましたよ。死ねることが愉しく、すっきりやってもらいたがったんです。歯医者で歯をきれいにしてもらうみたいに、あの椅子に腰かけたんです。カンザスでは絞首刑を2回見ましたけどね。

RB  ペリー・スミスのこと? それにもう一人、名前なんてったっけーーディック・ヒコックだったっけ? そうね、ロープの端にあたったとたんに、やつら意識がなくなっちまったと思うね。

TC  というふうには聞かされてますね。ところが彼らは落とされてからも生きてましたよーー15分間か20分間かは。もがいてね。息をしようと喘ぎながら生きようと頑張ってましたよ。我慢できなくって私は吐いてしまいましたけどね。

RB  きっと、あんたはあんまり冷淡な人じゃないんだね、えっ? 冷たそうに見えるけどさ。

(中略)

TC  入れ墨のことなんだけど、奇妙なんですよね。殺人ーーたいていは連続殺人だけどーーを犯した数百人の男といままでに面接しているんですが、この人達に共通していることってのは、入れ墨しか見当たりませんでした。彼らの優に80%は、いろいろ入れ墨をしてましたよ。

「うつくしい子供」はマリリン・モンローとの思い出を書いている。

 1880年生まれのミス・コリアーは、演芸場(ミュージック・ホール)ゲイエティ劇場のコーラス・ガールを皮切りに芸能生活を始めたのだが、そこを卒えると、英国の主だったシェイクスピア劇の女優となった。(中略)晩年の数十年はニューヨークに居を構え、とびきり優秀な演劇コーチとして指導にあたったが、教え子は現役の俳優のみであり、通常はすでに”スター”となっている俳優に限っていた。キャサリン・ヘップバーンは終生の教え子であったし、いまひとりのヘップバーン、オードリーもコリアーの弟子であり、ヴィヴィアン・リーもそうだった。彼女の死に先立つこと数カ月間は、コリアー女史が”わたしのとくべつな厄介の種”と呼んでいた新参者、マリリン・モンローが弟子だった。

(中略)コリアー女史は次のように知らせてくれた。「ええ、そうよ。なんかこうあるのよね。あの娘(こ)って、うつくしい子供なのよ。と言っても、わたしはわかりやすく言っているつもりはないのよ。あの娘は女優なんかじゃないと思うのよ、どんな伝統的な意味でもよ。あの娘の持っているものーーあの存在感、あの聡明さ、あの才気煥発ーーはけっして舞台では表に出ないわ。とっても脆くて微妙だから、映像でしか捉えられない。飛んでるハチドリみたいなもので、カメラしかその趣を固定できないってわけね。でも、単純にあの娘はハーローの二代目だとか、売女(ハーロット)と思っている人は、頭がおかしいのよ。おかしいと言えば、一緒にやったのよ、”オフェリア”をね。皆が知ったら笑うと思うけど、あの娘こそがほんと見事なオフェリアだわ。グレタ(ガルボ)と先週話してたんだけど、マリリンのオフェリアのこと言ったの。そしたら、グレタは、『うん、わかるわ。あの娘の映画2本観たことがあって、まあろくな映画じゃなかったけど、でも、可能性のある娘よ』と言ったわ。」

「夜の曲り角、あるいはいかにしてシャム双生児はセックスをするか」はカポーティの自問自答だ。

Q  性的な空想は、よくしますか?

A  性的な空想をするときには、たいてい実行に移しちゃうのさーーうまくいくこともたまにある。でも、いつの間にか肉欲的夢想に耽っていたりすることもよくあるけどね。夢想は、ただ夢想なんだが。

 ぼくの考えでは今世紀最高のイギリス作家、故E. M. フォースターと、かつてこのことで話し合ったことがある。彼の言うには、学生時代は性的な思いで心がいっぱいだったそうだ。「成長するにつれてこの熱はさめるどころか、なくなってしまうだろうと思っていた。ところが実際にはそうならず、20代を通じてますますこの思いは募るばかりなので、そうか、40になるまではこの苦痛、つまり完璧な愛の対象をひたすら追い続けることから逃れられるだろうと思ったわけです。しかしそうはならず、40代を通じて性欲は頭の中に潜在し続けていたんですね。そして50になり、60になっても事態は変化せず、回転木馬に乗った人物のごとくに性的思いが頭の中を駆けめぐり続けていた。で、70代の年齢となったいまでも、性の妄想からは抜けきれずにいるんですよ。まだとりつかれているんです。実際の方はもう何もできないというのに」と彼は言ったね。

 さて、このことは無関係だが、E. M. フォースターもトルーマン・カポーティもホモだった。いや、本当に関係ないのだろうか? 分からない。「実際の方はもう何もできないというのに、まだとりつかれている」のか、ああ!

2008-06-24

[]岡田茉莉子、わが憧れの女優



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 シネマヴェーラ渋谷で「吉田喜重レトロスペクティブ-熱狂ポンピドゥセンターよりの帰還-」が始まった。吉田喜重監督作品19本が6月21日から7月11日までの3週間で上映されるのだ。その2日目の「秋津温泉」を見て、主演の岡田茉莉子の46年前の美しさに圧倒されていた。すぐに吉田監督と岡田茉莉子のトークショーがあり、退屈するのではとの心配は杞憂に終わり瞬く間に40分が過ぎてサイン会になった。監督と憧れの女優にサインをいただきさらに握手まで。中学生のとき、NHKの大河ドラマ「三姉妹」で主演の岡田茉莉子を見て憧れた日から、まさか45年後にその人と握手できる日が来るなんて、想像もできなかった。小さな手だった。監督の手は印象に残っていない。

 岡田茉莉子は1933年生まれだから現在75歳、きれいな人なのだ。なぜその年齢でいまだにきれいなのか? それは私が過去の岡田茉莉子を投影して見ているからではないか。そんなのは幻想ではないかと言われるかも知れない。そうではない、美は客観としてあるのではない。すべての美は幻想と切り離せない。むしろ美は幻想とともにあるのだ。だから私にとって、岡田茉莉子はいまでも美しい女優なのだ。

 シネマヴェーラ渋谷では何年後かに岡田茉莉子特集をやる予定だという。岡田茉莉子も自伝を書く準備をしているようだ。何という楽しみだろう。自伝には口絵に写真をいっぱい載せてくださいとお願いをしてきた。

 ピアニストの中村紘子が少女だった時、ソ連のピアニスト、エミール・ギレリスが来日し、握手をしてもらった中村は10日間手を洗わなかったという。私は還暦近い落ちついた紳士だから、帰宅するとすぐうがい手洗いを実行した。