mmpoloの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-03-28

[]上村佳孝『昆虫の交尾は、味わい深い…。』を読む



 上村佳孝『昆虫の交尾は、味わい深い…。』(岩波科学ライブラリー)を読む。昆虫の交尾器を中心に研究を行っている昆虫学者が、ある意味専門的な内容を面白く書いている。交尾をしている昆虫液体窒素で瞬間凍結し、解剖して調べている。昆虫の交尾といっても多彩で驚くようなことが行われている。

 交尾の体位も昆虫によってオスが上だったりメスが上だったり種によって決まっている。オスの交尾器にはトゲがあって先に交尾した他のオスの精子を掻き出す機能があったり、交尾したあと、他のオスと交尾できないようにメスの交尾口に「交尾栓」をしてしまうチョウがいる。さらにそれを外すワインの栓抜きのような交尾器をそなえたオスもいる。

 カブトムシクワガタムシの仲間は、幼虫期の餌によって成虫の体格が大きく変わるが、交尾器のサイズの違いは小さく抑えられている。

 「大きな体のオスは、体の割には小さめな交尾器を持つ」。このルールは「負のアロメトリー(相対成長)」と呼ばれ、多くの昆虫で確かめられている。

 このルールは多くの昆虫のみならず相撲取りにも妥当するだろうと私も思う。

 コバネハサミムシのオスの交尾器は体長よりも長いが、メスの受精嚢は体長の2倍以上に及ぶ。その謎も著者の研究で明らかにされる。さらにオオハサミムシのペニスに右利きが多いことも紹介された。

 「岩波科学ライブラリー」には傑作が少なくない。『歌うカタツムリ』ほどではないが、本書もヒット作と言えるだろう。優れた編集者がいるのに違いない。


昆虫の交尾は、味わい深い…。 (岩波科学ライブラリー)

昆虫の交尾は、味わい深い…。 (岩波科学ライブラリー)

2018-01-30

[]前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』を読む



 前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社新書)を読む。アフリカ北西部のモーリタニアへバッタの研究に行った昆虫学者の記録だ。アフリカアジアにはlocustという恐ろしいバッタが生息する。サバクトビバッタと言うが、時にものすごく大量に発生して植物を食い尽くしてしまう。農作物もひとたまりもない。読んでいないがパール・バックの『大地』にもイナゴとして登場するらしい。

 バッタについて、前野が解説している。

 バッタは漢字で「飛蝗」と書き、虫の皇帝と称される。世界各地の穀倉地帯には必ず固有種のバッタが生息している。私が研究しているサバクトビバッタは、アフリカの半砂漠地帯に生息し、しばしば大発生して農業に甚大な被害を及ぼす。その被害は聖書コーランにも記され、ひとたび大発生すると、数百億匹が群れ、大地を覆いつくし、東京都くらいの広さの土地がすっぽりとバッタに覆い尽くされる。農作物のみならず緑という緑を食い尽くし、成虫は風に乗ると1日に100km以上移動するため、被害は一気に拡大する。地球上の陸地面積の20%がこのバッタの被害に遭い、年間の被害額は西アフリカだけで400億円以上にも及び、アフリカの貧困に拍車をかける一因となっている。

 イナゴは群生しないがバッタは条件によって群生する。日本でも20年ほど前に、突然鹿児島県馬毛島トノサマバッタが大発生してニュースになった。バッタが群生すると体が黒っぽくなり、羽が長くなって遠くまで飛翔するようになる。これを群生相という。普通にみられる群生しないバッタを孤独相という。

 前野はバッタが専門の昆虫学者だ。ポスドクという不安定な身分で単身モーリタニアに渡りバッタの生態を研究する。しかし本来ならきわめて専門的な内容になるはずだが、前野は研究内容は学会で発表してからあらためて本を書くという。本書はアフリカでひとり苦労をしながら周りの人たちに助けられて研究を続ける若い昆虫学者の奮戦記なのだ。

 そんなわけで研究内容が報告されている訳でもないのにベストセラーになっているようだ。読んでみればおもしろい。前野のキャラクターと文章の力だろう。

 あちこちで雑談が披露されている。アフリカでは太った女性が好まれるというエピソード

 日本では、太っていると自己管理がなっていないととられがちだが、こちらでは「太っている=金持ち」となる。自分の妻が痩せていると旦那は甲斐性なしと思われるので、妻を太らせるために気を遣うそうだ。このような文化的背景が異性に対する好みに働きかけ、いつしか男性は太っている女性に美を感じるようになっていったのだろう。

 娘を太らせるために、大量に食べさせる。6歳の女の子の基本的な1日の食事のメニューは、ミルク8リットルと2kgのクスクス(粒状のスパゲティの一種)、それにオイルだそうだ。

 巨乳嗜好もそうだったが、美=欲望は作られるのだ。

 前野の名前の「ウルド」は、現地のミドルネームで、研究所の所長から業績を評価されて命名された名誉ある名前だという。周囲の人たちに可愛がられているのがよく分かった。


2018-01-07

[]早坂暁『公園通りの猫たち』を読んで



 早坂暁『公園通りの猫たち』(ネスコ/講談社)を読む。先月脚本家の早坂暁が亡くなった。『夢千代日記』の脚本が代表作だったが、早坂の映画は見たことがなかったと思う。しかし早坂の猫に関するエッセイはとても優れたものだった。訃報を聞いて『公園通りの猫たち』を読み返した。10年ほど前にもこのブログに紹介したことがあったが、猫たちのことなのに本当に感動した。

 早坂は渋谷の公園通りに面した東武ホテルに住んでいた。近所の猫たちを観察して、個体識別し、名前を付けてエサを与えたりけがをした猫を動物病院に連れていったりしている。ホテルでは動物が飼えないので、自分が飼育することだけはしていないけど、目一杯の世話をしていることがよく分かる。

 近くの空き地で猫が出産した。声が出ない白黒の猫はサイレントと名付けられ、1歳未満で1匹の子猫を産んだ。子猫はオスでタビと名付けられた。サイレントの母親はマーチ。そのタビは道玄坂の和菓子屋さんにもらわれていった。訪ねてみると5センチもある座布団を与えられて座っていた。

 エッセイ執筆当時(1988年頃)、公園通り界隈には60匹余りの自由猫(早坂は野良猫と言わないでこう呼ぶ)がいた。その中で一番の高齢猫が牝猫のアマテラスで、13年前から住んでいるヘアデザイナーによると、13年前にアマテラスは子猫を連れて歩いていたという。ちなみに早坂は昨年亡くなるまで、結局そのホテルに40年ばかり住んでいたことになる。三味線のKおばあさんによればアマテラスは16歳とのこと。飼猫でなくて16歳は世界ランキングに入ってもいいんじゃないかと書く。早坂はこの辺り一帯の猫はほとんどアマテラスとボス猫の太郎の子孫だろうと書いている。しかし、それは正しくないだろう。牝猫は同時期に複数のオスと交尾して父親の異なる複数の子どもを出産するということを、動物学者の山根明弘が『ねこの秘密』(文春新書)で書いていた。モテる牝猫は出産経験の豊富な猫で、若い牝猫はモテないとも。

 太郎ボスが新しいオス猫と決闘してボスの座を追われる壮絶なエピソードも紹介されている。

 スペイン坂に住んでいるホセは気が弱い。大きなネズミと対決しても勝つことができない。近くに住むカルメンからも相手にされたのは1回だけだ。しかも子猫を連れた気の強いハァ子からもマイホームを奪われてしまう。早坂はホセを迷路のような空間に連れて行ってやる。ライブハウスが近いのでロックの音が少しうるさいが。

 鼻の下が黒くてひげが生えているみたいなので巡査と名付けられた牝猫がいて、その子猫が駐車してあった車の下にいて挽かれた。巡査が動かなくなった子猫を舐めていたが、

 巡査は、なめるのをやめて、じっと子猫を見つめた。ただじっと見つめているだけなのだ。その時、巡査の目に涙が浮かんだのである。

 ――巡査が泣いている。

 私の錯覚ではない。ちゃんと近づいて、私は見たのだから。

 猫も涙を流すのだ。

 その後、巡査の産んだ子猫の写真が紹介されている。「鼻にコアラのような斑点があるのでコアラ」「目が少しとび出て、宇宙生物のような顔をしたE.T.」「小さいくせに赤い口を精いっぱいあけて威嚇するハァ!」

 早坂のエッセイでアマテラスの最後を描いた名文がある。それが次のリンクだ。

村松友視「アブサン物語」を読む、その他早坂暁の名文(2008年2月27日)



公園通りの猫たち

公園通りの猫たち

公園通りの猫たち (講談社文庫)

公園通りの猫たち (講談社文庫)

公園通りの猫たち (早坂暁コレクション)

公園通りの猫たち (早坂暁コレクション)

ねこの秘密 (文春新書)

ねこの秘密 (文春新書)

2015-04-26

[]『ネコ学入門』を読む



 クレア・ベサント『ネコ学入門』(築地書館)を読む。副題が「猫言語・幼猫体験・尿スプレー」となっている。カバーの惹句が、

人や犬と違い、群れない動物である猫は、多様なコミュニケーション手段をもっている。

猫は人に飼われても野性を失わない生きものだ。

なでられたいのは匂いをつけるため。

開いた瞳孔は気分が高まっているから。

感情によってひげが動き、幼猫時の体験が性格を決める……。

猫の心理と行動の背後にある原理をていねいに解説。

 横尾忠則が朝日新聞の書評欄で本書を推薦していた(2014年11月23日)。

 つい最近わが家の猫が死んだが、もっと早く本書と出会っていれば後悔も反省もせずに猫に評価される人間になれたかも。猫にとって魅力的な存在になることは、人間社会においても好感のもてる価値ある存在になり得る可能性があると言うんです。(中略)

 人間は猫をしつけていると思っているが実は猫にちゃっかりとしつけられている。人間は猫を飼育しているつもりでいるが猫は飼い主を下僕扱いしているのである。猫は常に縄張り内で行動し、人間のように他人の縄張りを侵略したりしない。自分の縄張り内が全世界でそれ以上のテリトリーは不要。与えられた環境で人間と共存しながら、過不足なく受け入れることのできるキャパシティーには悟性すら感じないか? 人間が猫から学ぶことは「好きなことはするが嫌なことはしない」という思想である。

 ていねいな本である。猫の生態を詳しく語り、猫と暮らす生活を具体的に示してくれる。横尾の書くとおり、猫のことがよく分かった気がする。猫を飼っている人、これから飼おうと考えている人にはとても役立つ本だろう。そのようなテキストに徹しているので、無い物ねだりかもしれないが、これで記述などにもう少し遊びがあれば読んでいて楽しいのに。何と言っても猫は魅力的な存在なのだから。


2013-07-28

[]ロイヤル島のヘラジカ



 竹内久美子が朝日新聞に「生物界なら1強ありえぬ」というエッセイを書いている(2013年7月24日)。参院選で圧勝した自民党に対し、メディアが「大きすぎる与党」への懸念を表明しているのを読んで、自然界のこんなエピソードを思い出したとて、ロイヤル島のヘラジカを紹介している。

 アメリカとカナダ国境、5大湖の一つ、スペリオル湖にロイヤル島という長径70キロほどの島が浮かんでいます。冬になると、湖面が凍り、湖岸と地続きになることがあります。20世紀の初め、20頭ほどのヘラジカが、凍った湖面を島へと渡っていきました。

 島にはヘラジカにとってのライバルとなる大型の草食獣もいない。ヘラジカはあっという間に増え、20頭が12年間に3千頭にまで増えたといわれます。

 ところが、今度は増えすぎた弊害が表れました。エサが不足し、その後の10年間で800頭にまで減ってしまった。20世紀の半ばごろには、凍った湖面を渡って、今度はオオカミがやってきたのです。肉食のオオカミはヘラジカを襲います。島のヘラジカは絶滅、オオカミの天下に−−。

 いいえ。そうはなりませんでした。ヘラジカはオオカミによって個体数が減り、エサ不足が解消して逆に増えたのです。その後はヘラジカ千頭、オオカミ30頭程度で安定しているそうです。(後略)

 これを読んで、23年前の長谷川真理子のエッセイ「セントキルダ島と羊たち」を思い出した。東京大学出版会のPR誌『UP』1990年6月号に載ったもの。

 イギリスを旅する人たちの数は数え切れないほどあるが、スコットランドへ行く人の数は、まだずっと少ない。さらにスコットランド本土を離れて、西岸を取り巻くアウター・ヘブリディーズ諸島を訪れる人は滅多にいないだろう。その中でさらにぽつんと西に離れて位置するのがセントキルダ(島)である。私自身、そこに生息する野生ヒツジの調査に参加することになると聞いたとき、そこがどこにあるのか知らなかった。(中略)研究対象であるヒツジたちは人を恐れる様子もなく、私たちを横目に草を食んでいた。この年は島全体で約900頭のヒツジがいた。島は閉鎖系であるため、ヒツジの数がどんどん増えると環境収容力が一杯になり、やがて一気に大半のヒツジが死んでしまう。ここのヒツジは、このような増加と減少のサイクルを長年(約5年周期で)、繰り返しているのである。島を歩くと足元に、草の間にも海岸の割れ目にも、気が付けばほとんど島中が隙間もないほどに、かつて死んでいったヒツジたちの白骨で覆われていることがわかる。今いるヒツジたちは、吹き荒れる風に頭を低くし、死んでいった同胞たちの骨を踏みつつ、骨と骨の間で草を食んで生を営んでいた。(中略)この年、島の環境収容力は飽和に達し、10月頃からヒツジが死に始め、私がこの手に抱いて体重を計った子ヒツジたちは、2頭を除いて全員が死んでしまった。彼らもまた、草の間に横たわる白い骨の仲間入りをしたのだろう。(後略)

 私たちにとって、これらはとても教訓的なものだ。すでに地球には人口が多すぎる。早晩、食糧がなくなって「やがて一気に大半の・・・」、あるいは「凍った湖面を渡って、今度はオオカミがやって」来るのを待つことになるのか。「オオカミ」の代わりの言葉は、「病原菌」か「放射能」か「隕石」か・・・。