mmpoloの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2019-01-13

[]小山鉄郎『文学はおいしい。』を読む



 小山鉄郎/ハルノ宵子・画『文学はおいしい。』(作品社)を読む。共同通信配信で全国の新聞に週1回連載したもの。小説やエッセイなどに表れた食べ物を紹介している。見開き2ページで完結し、半ページをハルノ宵子のカラーイラストが飾っている。だから小山の文章は1ページ半。新聞の連載には手ごろな内容だが、単行本にまとめると少々物足りない。100回の連載をまとめているが、よくもこんなに食べものの話題を探し出したものだ、と感心する。

 吉本隆明の食エッセイ集『開店休業』から焼き蓮根を紹介している。吉本は「少年の頃、ごはんのおかずとして3本の指に数えるほどの好物が『焼き蓮根』だった」という。

 角田光代の食エッセイ集『今日もごちそうさまでした』にも焼き蓮根が紹介され、作り方も載っているという。

 角田が友人宅に行ったら「れんこんをただ焼いて塩したものが登場した」「なんにも思わずこれを口に入れて、のけぞった。うまかったのだ。つい、言っていた。『れんこんなのに、うまい!』」

 角田が感動した焼き蓮根は、少し厚めに切った蓮根の両側に軽く片栗粉をまぶして、オリーブオイルで、ゆっくり焼いていくというもので、吉本家とはちょっと異なるが「かんたんで、はっと目を見開いてしまうほど、うまい」と、角田も証言している。

 これは今度作って見よう。

 四方田犬彦の『月島物語』にも当然吉本が登場する。吉本は月島で育ったのだ。四方田のエッセイには「もんじゃ焼と肉フライ」という章がある。月島はもんじゃ焼だが、肉フライも名物だ。「牛の肝臓にパン粉を塗(まぶ)して、トンカツ風に揚げたもの」。すなわちレバカツ。

……吉本が90年の暮れ、ぶらり四方田の家にきた。昔の月島の話を聞き、吉本が育った2軒の家のあたりへ行くが、いずれも消滅。その後、2人は商店街で1枚百円のレバカツを食べる。「子供の頃、1枚2銭だったんですよといいながら、吉本さんはなんと6枚をぺろりと平らげてしまった」という。

 レバカツもうまそう、月島へ行って食べてみたい。カミさんの得意料理の一つがレバーステーキだった。これももう長いこと食べていない。どこに行ったら食べられるだろう。


文学はおいしい。

文学はおいしい。

2018-12-27

[]堀江敏幸『傍らにいた人』を読む



 堀江敏幸『傍らにいた人』(日本経済新聞出版社)を読む。版元から分かる通り、日本経済新聞に毎週連載していたもの。現在表参道ギャラリー412で野見山暁治「カット展」が開かれているが、それは堀江日経の連載に挿絵として描かれたものを展示している(12月28日まで)。展示の一部を次に紹介する。

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 本書では野見山の挿絵は表紙に1点使われているだけだった。ちょっと残念。堀江のエッセイは4ページ前後の短いものながら、国木田独歩の「忘れ得ぬ人々」から最後の庄野潤三の「プールサイド小景」まで46篇の小説について、その一部を取り出して印象的に書き綴っている。エッセイはほとんど長篇の一部のように前回のエピソードに重ねて書かれている。それは次のように続く。梅崎春生「小さな町にて」、小山清「小さな町」、シャルル=ルイ・フィリップ「小さき町にて」、野呂邦暢「小さな町にて」等々。短篇のあるエピソードであったり、核心であったりするものを手品のようにつないでいく。ああ、これが作家の読み方なのかと深く印象に残った。そればかりでなく、そのつなぎ方、連想の仕方が巧いのだ。思わず「芸だね」という言葉が浮かんだ。これは司馬遼太郎が紹介している東京経営者の言葉で、大阪商人の上方商法について、「商売というより、芸だね」と言ったという。私が感じたのは、単なるエッセイというより芸だねというものだった。

 見事な職人芸を見せられた思いだった。


傍らにいた人

傍らにいた人

2018-12-22

[]『ありがさき 第2号』より



 いつもはあまり見ない居間の本棚に『ありがさき 第2号』という歌集が挟まれていた。編集発行 松本市蟻ケ崎北町短歌会となっている。会員9人の短歌が集められている。義母曽根原嘉代子の作品もあった。そこからいくつか拾ってみる。

  皮の手袋


なんとまあ背丈伸びゆく女の孫が

    履くてふ靴の大きなること


母の掌に馴染みし皮の手袋の

    わが掌の型になりて久しき


対話なき日日の淋しさ叔母は言ひ

    声聞きたしと泣けり電話に


山椒の葉摘みては食すわたくしは

    いつか羽化して蝶になりなむ


潮を吹く浅蜊に耳がありそうで

    息ひそめつつバケツを覗く


キムチ教へてくれし隣人の

    李さん遠くアメリカに老ゆ


旅に出ず深く学ばず朝夕を

    あはれ厨房に絶望もせず


ていねいに週刊誌読み診察を

    待ちゐる無為もわたくしのもの


もの乞いの形に諸手さし出し

    センサー蛇口に水しばし待つ


木にすがり鳴きゐし蝉のはたと止み

    今朝は骸となるを掃きよす


うしろより声かけられつ自らの

    知らざる姿人は知りいて


あじさいの葉の面に光るひとすじの

    路をえがきて蝸牛ゆく


地に還るものはひそけし羽透きて

    木下にまろぶ落蝉ひとつ


階段の途中ではたと足を止む

    何しにここまで登って来たのか

 靴が大きくなった女の孫は身長も5尺5寸になった。アメリカへ行った李さんのキムチは絶品だった。ここには載っていないが、私が好きな義母の短歌は、


一片の骨(こつ)だにあらぬ兄の墓学徒の帽子深く埋もる


 その墓も、伯母が詠んだ


雲 の 峰 越 え て 移 す や 父 祖 の 墓   武澤林子


のように今は秩父に移された。

2018-12-09

[]高橋源一郎『今夜はひとりぼっちかい?』を読む



 高橋源一郎『今夜はひとりぼっちかい?』(講談社)を読む。副題が「日本文学盛衰史 戦後文学篇」というもの。日本文学史を扱ったものと思って読み始めたが違った。

 ゼミ生の前で先生が講義しているように見える。映像を流しているが、そこではイノウエさんが演歌を歌いながら襦袢姿で踊っているらしい。「停止」ボタンが押され、画面が暗くなった。ここまでの感想を聞かれ、

(ひとことでいうと「昭和」っすね)


 そういったのは、Yちゃんだ。ちなみにYちゃんは、イサカコウタオウとオンダリクのファンで、身長175センチ、合気道部に所属している。

 イノウエさんとは井上光晴ではないか。学生たちは作家の名前をほとんど知らない。先生が50人ほどの名前を挙げたが、誰も知らなかった。シイナリンゾウって知ってる? と聞いたときに「シイナリンゴと関係ありますか?」と答えた子がいた。

 高橋は明治学院大学でたぶん文学を教えている。これらは高橋の体験なのだろうか。次の章ではサルトルの『実存主義とは何か』をラップで歌っている。

 ホリエモンの文章が紹介され、武田泰淳の文章と比べられる。ホリエモンの文章にはおよそ「抵抗」というものがない。超電導物質のようなものだ。この文章は、スタートした瞬間に、目的地に到達している。武田泰淳の文章には「抵抗」がある。

 次の章はツイッター形式で語られる。様々な人物が短文で書き込んでいく。主人公(タカハシさん)であったり、奥泉光であったり、角田光代のつぶやきや、島田雅彦のつぶやきが唐突に挟まれる。かと思うと石川啄木がつぶやいている。小林秀雄と大岡昇平が会話を始めて、中原中也が加わる。

 また「たぬきちの『リストラなう』日記」というブログが紹介される。これは現実にあるブログで、光文社の編集者が書いている。

「私ことたぬきちは、都内のわりと大手と思われる出版社で働いています。/業界の売り上げ順位では現在のところ10位…くらいかな? もうちょい下になっているかな? /書籍も雑誌もやっている、一応『総合出版社』です。/たぬきちはバブル時代の入社組で、もう20年働いています。編集、宣伝、販売といったセクションを経験しました。

 そしてこのブログが引用される。本が売れなくなったことが語られる。また1960年代後半に刊行が開始された「現代詩文庫」が20年すこしで全100巻の第1次が完結した。当時多くの若者が現代詩を読んでいた。書店にも「現代詩文庫」が並んでいた。もう二度と詩がかつてのような熱狂的な読者を獲得することはないだろう、と。かつての「場」が失われたのだ。

 次の章はセックスピストルズの歌詞が綴られ、ブントの島成郎の『ブント私史』が紹介される。

 「サイタマの『光る海』」の項は4回連続で語られる。ヒップホップから始まり、石坂洋次郎の『光る海』が評価されている。ついで『青い山脈』が。そしてジブリの宮崎駿との対談に続く。

 終盤でタカハシさんの長男の卒園式の日に東日本大震災と原発事故が起こったことが語られる。それを、「タカハシさん、「戦災」に遭う」と名づけて書いていく。山田風太郎の『戦中派不戦日記』が引用される。ヤマダさんという医学生となっているが。オザワノブオくんの戦災の記載は誰のことだろう。小沢信夫『東京骨灰紀行』はまだ読んでない。さらに和合亮一のツイッター詩「詩の礫」を何ページも引く。加藤典洋の「死神に突き飛ばされる――フクシマ・ダイイチと私」が引かれる。

 途中、これは評論ではないと断言している。「日本文学盛衰史」とあったから評論だと思って読んでいたのに。確かに評論としては変なのだ。じゃあ、フィクション=小説なのか? 小説という形にもなじまないだろう。不思議な変わった形式の本だった。あまり書評の対象にもなっていなかったようなのは、読んだ人だれもが戸惑っているためなのかもしれない。私も含めて。


2018-12-03

[]堀田百合子『ただの文士 父、堀田善衛のこと』を読む



 堀田百合子『ただの文士 父、堀田善衛のこと』(岩波書店)を読む。堀田善衛の娘が父のことを書いている。とても気持ちの良い読書だった。著者堀田百合子のことは長谷川康夫の『つかこうへい正伝1968−1982』(新潮社)で知った。つかは堀田百合子と慶応大学で同級生で、彼女のことが好きだった。百合子は長谷川につかのことを問われて、「ボーイフレンドの一人かな」と答えている。さらに、彼女はつかについて、「ほら、彼って利にさといでしょう」と言ってのける。

 堀田善衛は富山県の廻船問屋の息子だった。一族郎党は100人を数えたという。生涯学校も含めてほとんど会社勤めをしたことがなかった。文筆だけで食べていたようだが実家の資産も大きかったのだろう。百合子の文章は穏やかで上品だ。つかが惚れたのだから綺麗な女性で上品なお嬢様だったのだろう。つかが相手にされなかったのもよく分かる。

 百合子は作家である父のことを娘という視点から書いている。父の文学的評価には立ち入らないで、娘だから書けることに限定して堀田善衛の日常を教えてくれる。それはとても気持ちの良い記載だった。ゴヤ論が完成したときのことを紹介したところで、思わずもらい泣きしそうになった。

 晩年も妻と二人でスペインに10年ほど住んで『定家明月記私抄』などを書いた。娘は何度も日本とスペインを往復して父を助けている。理想的な家族関係が綴られる。

 気持ちよく読み終わって「おわりに」まできて驚いた。

 書きたかったことも、書けなかったこともありました。書かなかったこともあります。楽屋話の嫌いな父でした。楽屋裏のそのまた裏は、書かないことにいたしました。ご勘弁ください。

 これは納得した。しかし、次のくだりに驚いたのだった。

 この稿に登場しなかった家族、兄がいます。学生時代に父の仕事の手伝いに来て以来、わが家に寄宿し、その後父母と養子縁組をし、私の兄となった人です。勤めの傍ら、父の仕事を手伝い、ある意味父の黒子に徹した人でした。父の著作の中には、兄がいなければ出来上がらなかった作品もありました。亡き兄・佐久夫の存在があったからこそ、私は自由でした。

 夫・松尾俊之に感謝の意を表したいと思います。父の回想などという大仕事に七転八倒する私を、傍で黙って見守ってくれました。

 百合子には兄もいたし夫もいる。それらが本書からは全く消されている。養子に対して堀田善衛はどう考えていたのか。娘の結婚についてどんな気持ちでいたのか。嬉しかったのか、我慢したのか。すると書かれなかったことが数多くあるのだろう。最後になって少し不満が生じたのだった。


ただの文士――父,堀田善衞のこと

ただの文士――父,堀田善衞のこと