mmpoloの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-11-15

[][]からももヤマモモ



 『古今和歌集』の「物名」に、ふかくさの和歌が載っている。ふかくさは清原深養父で、覚醒剤番長の先祖に当たる(らしい)。

  からもゝの花

あふからもものはなほこそ悲しけれ 別れんことをかねて思へば

 「物名−モノノナ」は題の語を歌の中に隠して詠んだもの。この歌も脚注で、

からもゝ―あんずの古名。1〜3会っている時からもやっぱり悲しいことだ。初句の終りと第2句の初めに題の語がある。

 からもも(唐桃)は杏(アンズ)の古名とある。桃は古代の中国から渡ってきた。それまで日本でモモと呼ばれてきた植物はヤマモモ(山桃)だった。渡来した立派な実の植物を桃と呼ぶことで、従来のモモをヤマモモと呼び変えた。おそらく渡来した中国の桃が日本に定着した後で杏が渡ってきたので、最初それをカラモモと呼んだのだろう。

 中国渡来の桃は霊力を持つとされた。桃の霊力は、イザナギが訪ねていった黄泉の国でイザナミに会い、その醜悪さに逃げ出すとイザナミが鬼に追いかけさせ、捕まりそうになったイザナギが桃の実を投げると鬼どもが逃げ出したという古事記神話にも反映されている。イザナギが投げた桃の実は霊力を持っているので、古事記神話中国から桃が渡来したあとに作られたものだろう。

 そういえば、長野県喬木村には韓国神社(からくにじんじゃ)という古い神社があるが、あれはどういういわれがあるのだろう。

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 写真はヤマモモの実




古今和歌集 (岩波文庫)

古今和歌集 (岩波文庫)

2018-09-06

[]高知県人は話を盛るか?



 東京大学出版会のPR誌『UP』9月号に須藤靖の「注文の多い雑文 その43」が載っている。今回のテーマは「アインシュタインは本当に『人生最大の失敗』と言ったのか」となっている。

 一般相対論にしたがえば、この宇宙は時間変化することが予言される。つまり、無限の過去から無限の未来まで、ずっと同じ状態のままであり続ける安心感を与えてくれる宇宙は、一般相対論の方程式からは導かれない。これに悩んだアインシュタインは、時間変化しない宇宙が得られるように、自ら一般相対論の基礎方程式(現在、アインシュタイン方程式と呼ばれている)を改竄し、余分な項を一つ付け加える決心をした。

 付け加えられた項は宇宙項、そこに登場する定数λは宇宙定数と呼ばれている。しかし、のちにアインシュタインは宇宙項がもはや必要ないことを認め、「宇宙定数の導入は自分の人生最大の失敗だった」と述べたとされる。須藤はこれが本当にアインシュタインが言った言葉なのか追求していく。まずその根拠ジョージ・ガモフの本だけが唯一の記録であると知る。ところが最近マリオ・リヴィオの著書によって、ガモフが語っていたアインシュタインとの会話は全くの捏造だと、リヴィオが推理していることに驚く。ガモフの数多い(捏造の)前科から、アインシュタインとの会話も勝手に「盛った」だけなのではないか、と。

 須藤はこの「盛った」に(8)と注番号を付している。そして、「注文の多い雑文」のタイトルどおり、わずか7ページ弱の本文に14もの注が付せられているその8番目の注がつぎのようなものだ。

(8) 高知県人は話を盛るか?:私を含めて高知県人はしばしば「話を盛っている」疑惑をかけられることがある。かつて、高知県の中学校の同級生のお姉さん(といってもすでに還暦を超えた年齢である)のお家にお呼ばれしたことがある。参加者の中に女子高校時代からの親友という同じく還暦を迎えた女性(当たり前か)もいらっしゃった。何故か血液型の話題になり、二人ともAB型であることがわかった。私が「数少ないAB型同士で半世紀親友とはすごいですね」と感想を述べたところ、「そんなことはない。当時の自分たちのクラスは半数以上がAB型だった」と譲らない。こんなくだらないことですら、頑なに事実を捻じ曲げて自説を主張する大人げない高知県人がいるおかげで、正直者の私までもが話を盛っている疑惑をかけられてしまうのだ。ところで初校の段階で、数学科出身であるため物理屋の直感を信じないT嬢から、「本当に嘘なのでしょうか?」という素朴な疑問を投げかけられた。仕方ないので、彼女を満足させるべく愚直に計算してみた。

(以下、複雑な数式が掲げられているが割愛する=mmpolo)

 仮に日本人のうち、若者2千万人をむりやり40人のクラスに分けたとしても、クラスの総数は50万でしかない。1年に1度クラス替えをしたとすれば、200年に1度だけ広い日本のどこかで半数以上がAB型というクラスが登場する可能性はある。高知県出身の件のおばさん、もとい、女性二人がたまたまその稀なクラスだった可能性は否定できないものの、彼女らが話を盛っていたと解釈するほうがはるかに説得力がある。

 文中言及されている東京大学出版会の編集者T嬢は、須藤の原稿にしばしば登場するばかりか、ほかにも二人の執筆者が言及していた。私のブログ内で「T嬢」で検索されればそれが読めるだろう。

2018-06-16

[][]“食べられる垣根”ウコギ



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 読売新聞に「“食べられる垣根”ウコギ」という見出しで女性がおにぎりを差しだしている写真が大きく載っていた(6月10日)。女性の後ろに垣根にしている緑の葉が茂ったウコギが写っている。

 新緑の季節、山形県米沢市では、生け垣の低木を剪定する人をよく見かける。ガーデニングが流行しているのかと思いきや……。

 「新芽をサッと湯がいて食べるんです」。えっ、食べるんですか? 垣根を!?

 米沢では家の垣根にウコギを用い、葉を食用に供してきた。起源は江戸初期に遡る。初代米沢藩主・上杉景勝に仕え、町の礎を築いた直江兼続は、武士たちにウコギの生け垣を作らせたとされる。さらに、米沢藩の中興の祖・上杉鷹山が奨励したこともあって、伝統食になったのだそうだ。

 そしてウコギを使った郷土料理として、ゆでた葉をみじん切りにしてまぶしたお握り、パリッと揚げた天ぷら、細かく切った新芽を焼きみそとあえた「きりあえ」、他の山菜と一緒にだし汁で味を調えた「冷や汁」などと紹介されている。

 私の出身地長野県飯田地方でも同じように垣根にしているウコギの新芽を春先摘んでおひたしにして食べている。ちょっと歯ごたえがあって苦みのある山菜だ。飯田地方ではこのウコギのことをオコゲと呼んでいる。松本に住んでいた義父に聞いたら松本でもオコゲと呼んでいたという。昔植物学者の浅野貞夫先生に訊ねるとヤマウコギだと教えてくれた。

 ウコギを東京では見たことがない。北陸出身だという飲み屋のママも田舎では食べたわよと言っていた。福島県でも食用にしていたと聞いたことがある。日本全国の食用分布を知りたいものだ。

2017-10-14

[]小林紀晴『ニッポンの奇祭』を読む



 小林紀晴『ニッポンの奇祭』(講談社現代新書)を読む。小林は長野県諏訪地方出身の写真家で、小さいころから諏訪大社の御柱祭に触れてきた。諏訪大社は上社と下社からなり、そのそれぞれに2つの社がある。つまり4つの社があって、その4隅に柱を立てる。その柱つまり御柱は6年に1度立て替えられる。柱は長さ16〜17メートル、重さは10トンもある。それを山から神社まで引き下ろす行事だ。危険な祭りとしても知られ、毎回けが人が出る。その祭りを小さな時から体験してきた小林が、全国の奇祭を取材して回った記録だ。ここで奇祭とは稲作以前、縄文の文化を残している祭りと定義される。

 本書は4部構成で、沖縄〜九州、関東、東北、長野県の16の祭りが取り上げられている。それが無味乾燥の記録的なものではなく、小林の主観的な見方を色濃く書き込んでいるまさに体験記なのだ。

 最後の16番目に取り上げられているのは「御射山祭/長野県富士見町」で、小林は東京から1歳半を過ぎた娘を特急あずさに乗せて連れ帰る。「娘はまだ乳離れができておらず、私と二人だけで遠出するのは初めてのことだった」。そのわけは小林が諏訪大社の氏子だからというものだった。妻の同意を得られないままなかば強引に連れて行った。娘を氏子にするために。あずさの車中で娘は2時間半のほぼすべて泣き続けていた。

 面白い読書だった。小林は写真家でありながら筆が立つのだ。以前読んだ『メモワール 写真家・古屋誠一との二〇年』(集英社)でそのことを知った。自殺した妻の遺体をすぐさま撮影し、それから何冊も妻の写真集を編集し続ける古屋誠一を追求している伝記に似たドキュメンタリーだった。


小林紀晴『メモワール』を読む(2013年4月20日)


ニッポンの奇祭 (講談社現代新書)

ニッポンの奇祭 (講談社現代新書)

2016-06-05

[]中沢新一『熊楠の星の時間』を読む



 中沢新一『熊楠の星の時間』(講談社選書メチエ)を読む。中沢が行った南方熊楠に関する5回の講演を記録したもの。熊楠に関するものとはいえ、講演録なので言葉はやさしく読みやすい。しかし、テーマが熊楠の特異な思想を取り上げているので内容はかなり難しい。

 ヨーロッパの学問は「ロゴス」に基づいた体系をなしている。中沢が学んだチベット仏教では『般若心経』を繰り返し読んでいく。そこには「不生不滅」という、生じるのでもなく滅するのでもない、存在するのではなく非存在するのでもない東洋独自の論理がある。それをギリシャ哲学では「レンマ」と呼ぶ。レンマは「物事を抽象的に理解するのではなく、具体的に直観的に理解することを意味する」が、ギリシャ哲学ではそれを展開することはなかった。

 レンマの学を実際に打ち立てたのは仏教だったという。仏教ではロゴスの中心になっている、同一律、矛盾律、排中律の3つの法則を否定した。そういう思考を徹底させたナーガールジュナ(龍樹)はそこで、生滅(存在と非存在)、断常(非連続と連続)、一異(一と多様)、来出、というロゴスの導き出した4つの世界現象のあり方を徹底的に否定し、不生不滅、不断不常、不一不異、不来不出こそが現象の真のあり方であると主張した。

 そして世界をレンマ的、直観的に把握するために、瞑想訓練が組み入れられ、具体的には言語の働きを停止させるヨガを行う。それによって世界の実相を見届けようとする。すると、ロゴスの知性作用によって「因果関係」を認められた現象の奥に、因果関係で結びつけられていない偶然性(蓋然性)の自由な運動として、この世界がつくられている様子が直観的に把握できるようになる。

 中沢は3年にわたるチベットの仏教僧院での体験から、熊楠の考えていたような「東洋の学問」は実在すると確信する。それはヨーロッパの「ロゴスの学」の体系でえはなく、「レンマ」による学の体系だという。熊楠は『華厳経』の体系を重視し、華厳の学がレンマの学の一つの頂点を示すと考えていた。

 雑駁な要約だが、熊楠の思想が単なる民俗学にとどまらずきわめて長い射程を持っていることを示している。難解で分からないながらも続けて読んでいこう。

熊楠の星の時間 (講談社選書メチエ)

熊楠の星の時間 (講談社選書メチエ)