mmpoloの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-03-18

[][]川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』を読む



 川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』(講談社)を読んだ。14篇の連作短篇で綴るSF仕立ての物語。川上は昔読んだ『センセイの鞄』がとても良かった。さて、本書の時代はいつとは記されていない。最初の短篇の「私」は現在までに2回結婚している。夫は4回だ。「私」が育ててきた子供は50人ほどか。名前をはっきり覚えている子供は15人いる。夫に今まで結婚していた妻たちの形見を見せてもらうと、みな骨の一片で、最初の妻は鼠由来、次は馬由来、3番目はカンガルー由来だという。夫が亡くなったあと骨を調べるとイルカ由来だった。

 変な話で始まるが、最終話でほとんどの謎が解ける。最初の短篇を読みながら、会田綱雄の詩「伝説」の文体に似ていると思った。またカズオ・イシグロの『私を離さないで』の影響が強いこともわかった。

 連作を通じて「見守り」が子どもたちを育てているように見える。見守りはあるいは「母たち」とも呼ばれ、さらにその上に「大きな母」という存在もある。見守りは多く固有名がないが、ヤコブという名前の見守りもいる。

 読み進むと人間たちが絶滅し、母たちが新しい世界を作り、その集団を育てているらしいことが分かってくる。

 「純」文学でありながらSFという作品は、安部公房の諸作や大江健三郎の『治療塔』と『治療塔惑星』、三島由紀夫の『美しい星』などを思い出す。いずれもSFという構造を使って文学的な表現を目指している。それに対して純粋?SFは、未来世界のことなど、もっと技術的なことに関心が向いている。純粋SFから見たら、純文学作家のSFは物足りなく思えるだろう。ただ純粋SFでありながら、突出して別次元に入っていると評価できるのがスタニスワフ・レムだ。

 川上の本作はSF仕立てでありながら、究極にはSFの枠組みを利用しているだけだろう。その意味でSF作品として評価することは的外れになると思う。では文学作品としてはどうか? かなり高い評価を与えられて良いのかもしれない。構想している世界は独特で大きいものだ。ただ連作という形式であり、毎回主人公とされる人物たちが変わり、それらを通して全体像をつかむのが私には少々難しかった。私の読解力の問題かもしれない。最後の短篇作品で、最初の作品と繋がって、ウロボロスのように尾を呑みこんで円形に完成するのは見事だった。2〜3年経って、文庫化したらもう一度読み直してみたい。


大きな鳥にさらわれないよう

大きな鳥にさらわれないよう

2017-02-18

[]カルヴィーノレ・コスミコミケ』を読む



 イタロ・カルヴィーノレ・コスミコミケ』(ハヤカワSF文庫)を読む。カルヴィーノSFも書くが、むしろ純文学作家だ。イタリア純文学という言い方もおかしいが、前衛的な奇妙な小説を書いている。その『冬の夜ひとりの旅人が』は以前このブログでも紹介した。

 本書には12の短篇が載っている。SFではあるが、ほら話の要素も強い。どの短篇にもQfwfqという名前の人物が出てくる。「月の距離」は、むかし月と地球距離が大変近く、近づいたときには海に浮かべた舟から月に飛び移れたと書いている。月の引力で地球から吸い寄せられたものを月から持ち帰って収穫した。

 「ただ一点に」は、現在拡散を続けている宇宙が拡散を始める前の1点に集中していたときの話だ。QfwfqもPベルt・Pベルdのようないやな奴も、Ph(i)Nko夫人とその彼氏のデ・XuアエアuX、移民のZ'zuとかいう一家なども1点にひしめき合っていた。そしてPh(i)Nko夫人だけは誰からも好意を持たれていた。しかし、皆が1点に雑居していたのだった。Ph(i)Nko夫人が言った。「ねえ、みなさん、ほんのちょっとの空間(スペース)があれば、わたし、みなさんにとてもおいしいスペゲッティをこしらえてあげたいのにって思っているのよ!」。そのとき誰しもがそのスペース――空間なるものを思い浮かべてみた。彼女の腕が前へ後へと動いて麺棒を転がし、粉だらけの腕がまめまめしく働き続けている、その空間を。そして粉をつくるための小麦を、小麦を育てるための畑を、またミートソースに変る仔牛の群れのための牧場を、それらが占める空間をみなが思い浮かべたものだった。しかもそれを思うと同時にこの空間は瞬時に拡散していった。何百光年、何万光年、何十億光年といった距離で拡がっていった。

 「光と年月」は、わしが天体観測を続けていたとき、1億光年距離にある星雲から1本のプラカードが突き出ているのに気がついた。それには、《見タゾ!》と書いてあった。

……わしは急いで計算をした。その星雲の光は1億年かかってわしの目に届いたのであり、またむこうではここで起きたことを1億年も遅れて見たわけなのだから、彼らがわしを見たというその瞬間は2億年以前のことでなければならないわけだ。

 わしは早速プラカードを突き出して返答しようとしたが、《ワシノ言イ分モ聞イテクレ》か、《オ前ダッテアアスル他ナカッタロウサ》か、《スッカリ見タノカ、チョットダケカ?》か、《本当カ? ナラ、ワシハ何ヲシテイタ?》のどれにするか迷い、結局、《ソレデ?》というプラカードを突き出した。それらのことに関するほとんどナンセンスなわしの考察がるる述べられている。

 ほら話SFとして、スタニスワフ・レムの『泰平ヨン』シリーズに似ているが、レムのほうがより哲学的で興味深い。本書の前編として『柔かい月』があるというから、いずれそちらも読んでみたい。



レ・コスミコミケ (ハヤカワepi文庫)

レ・コスミコミケ (ハヤカワepi文庫)

2017-02-05

[][]ブルガーコフ『犬の心臓・運命の卵』を読む

 ブルガーコフ『犬の心臓・運命の卵』(新潮文庫)を読む。「Star Classics―名作新訳コレクション―」の1冊。このシリーズではグレアム・グリーン『情事の終り』も良かった。

 ブルガーコフはソ連の作家だが長くソ連内では発禁だったという。ソ連の民主化ペレストロイカによってようやく発行され、『巨匠とマルガリータ』はベストセラーになり、ガルシア=マルケスはブルガーコフを師とあおいで20世紀最大の作家とみなしたという。

 「犬の心臓」は、死んだ男の睾丸と脳下垂体を移植された野良犬が人間になって、様々な不行跡を行うというもの。人間になった犬は下品で好色でずるくてどうしようもない。これは革命によって権利を得たプロレタリアートへの風刺以外に読めそうもない。

 「運命の卵」は、偶然発見された赤い光線を浴びた卵から孵化した両生類や爬虫類が、異常に大きく成長し繁殖力も旺盛になって暴れるという、これまたロシア革命を風刺したような物語。ブルガーコフがよくスターリンの逆鱗に触れずに処刑されなかったと思う。

 どちらも1920年代の作品で、ブルガーコフは1940年に亡くなっている。

2016-08-27

[]H.G.ウェルズ『宇宙戦争』を初めて読む



 H.G.ウェルズ『宇宙戦争』(ハヤカワ文庫)を読む。SFの古典中の古典作品だが、今回初めて読んだ。オーソン・ウェルズがラジオ・ドラマ化して、アメリカ社会をパニックに陥れた「火星人襲来」の原作でもある。宇宙人が地球に攻め込んで来るという侵略もののはしり。

 発表されたのが1898年、もう120年近く前になる。そのことがほとんど信じられないくらいの完成度の高さだ。蛸みたいな火星人のイメージはウェルズのこの作品から始まったらしい。宇宙人の侵略ものというSFのひとつのジャンルを確立した作品だ。ウェルズの才能驚くべし!

 ウェルズといえば、大昔読んだ『タイムマシン』の衝撃はまだ忘れない。この『タイムマシン』では、イギリスの階級社会を未来に押し進めて、地上に暮らす上流階級と地下に住む労働者階級に別々に進化した人間の未来を描いていた。想像する社会とは違い、上流階級は地下からの物資に頼るだけの何もしない生活。たしか精神的にずいぶん退化しちゃってるんではなかったか。地下の住民はそれに対して充実した生活を送っている印象がある。とはいえ、もう50年は前の読書の記憶だ。

 『宇宙戦争』に戻ると、さすがに宇宙ものとしてはいかにも古びてしまっている。火星人に襲われるシーンはよく書きこんであって悪くはないけれど、その火星人が自滅していくところは書き急いでいるのか、簡単に済ませてしまっている感が強い。

 古典的SFとして一度は読んでおいた方がよいかもしれないが、そのような留保をつけないと読むのがつらいかもしれない。


宇宙戦争 (ハヤカワ文庫SF)

宇宙戦争 (ハヤカワ文庫SF)

2016-07-23

[]グレッグ・イーガン『TAP』を読む



 グレッグ・イーガン『TAP』(河出文庫)を読む。編訳者の山岸真があとがきで書いている。

……〈SFマガジン〉創刊700号記念のオールタイム・ベスト投票(2014年7月号発表)では、海外作家部門で第1位、海外短篇部門で「しあわせの理由」が第2位になったのをはじめ、長篇・短篇あわせて多くのイーガン作品が上位に名をつらねた。1990年代以降に頭角をあらわした作家としては、テッド・チャンとともに突出した高評価であり、このふたりを現役最高のSF作家とする声もある。ことにハードSFと呼ばれるタイプの作品に関しては、いまやイーガンが英語圏での第1人者といっていい。

 本書は10の中短篇からなっている。しかし、上記引用に続いて山岸が書くように、「本書の収録作に、”ガチガチのハードSF”はない」。世にも奇妙な物語とかホラーとかに分類されるような作品が並べられている。イーガン得意のハードSFではないので、これで云々するのは酷な気もするが、表題作の「TAP」では、脳内に埋め込まれたチップによって完全ともいえる表現が可能になる。そのチップ=トータル・アフェクト・プロトコル(TIP)をインプラントした詩人が亡くなり、娘が死因を疑って殺人者を追求しようとする。

 TIPをインプラントするということが何を意味するか、それがどのような社会的影響を及ぼすか、イーガンは詳しく語っている。佐野洋子も言うように「細部のリアリティーを持たねばホラ話は死ぬ」。だから読者としてはうっとうしいが、これを省くことができない。しかも殺人はそのTIPの操作によって起こっていた。

 普通のミステリなら、TIPのような未来社会の小道具(大道具?)なしで話が進められる。なんだか余分な手数がかかっている印象が強い。しかし、SFにとって、このことこそがツボなのだから、我慢して読まねばならない。ということで、私はグレッグ・イーガンをあまり評価できないのだった。そんな大口を叩けるのも、ついスタニスワフ・レムを対照してしまうからだ。大森望も『21世紀SF1000』(ハヤカワ文庫)で言っている。「レム的思考を現在に受け継ぐのがイーガンだけど、さすがに貫禄ではレムにかなわないかも」って。レムは難解な設定を面白く楽しく書いてしまう。レムの泰平ヨンシリーズなんかは、ドタバタ劇でありながら、深遠な哲学が語られているのだから。