2010年2月(その2)




 (2月28日)巣恋トーク

   《3月6日(土)18:30スタート》

 仲正昌樹(話し手)×藤原ちから(聞き手)



   




   《3月15日(月)18:30スタート》

 佐々木敦×桐野夏生



   



■ 会場:ジュンク堂書店新宿店(8F喫茶コーナー)


■ 申込受付: ジュンク堂書店新宿店7階レジカンターにて


        電話予約承ります。 TEL 03-5363-1300

(2月27日)観劇デー

  


《演劇》岡崎藝術座 本公演




タイトル: リズム三兄妹


作・演出: 神里雄大

 感想文:恋愛もリズムである?


(2月26日)


■ スタバがガラガラだった。みんな家でフィギュアを観ていたようだ。


■ オレ? あんなの怖くて生では観れない。


■ 『概説アメリカ史』を読了。

(2月25日)


多和田葉子論モードへ


■ 今日の読書


新版 概説アメリカ史―ニューワールドの夢と現実 (有斐閣選書)

新版 概説アメリカ史―ニューワールドの夢と現実 (有斐閣選書)

(2月24日)


■ きのう憧れの岡田利規さんに初めて挨拶をしました。「はー?だれ?」とか言われるかと思ったら、「ああ、ぼく柴崎友香フェア行きましたよ」って言ってくれてすごく気さくな人だったので拍子抜けしました。憧れて損した。ああ、もっと早く挨拶すればよかったと。もっともっと怖い人だと思ってました。もちろん稽古のときは本当に怖いのだろうけれど。。。


■ それで岡田さんが「観にきてくれたんだー」ってすごく喜んでくださったのだけど、えーと、実はほとんどストーカーみたいなことやってましてね。なんと言っても、僕がこうやって演劇を観るようになった全てのはじまりは、岡田さんの『ゴーストユース』なのです。



   《観劇記録》


岡田利規 作・演出『ゴーストユース』2007年11月20日(火曜日)


チェルフィッチュフリータイム』2008年3月7日(金曜日)


岡田利規演出『友達(安部公房)』2008年11月11日(火曜日)


岡田利規演出『タトゥー』2009年5月17日(日曜日)


チェルフィッチュ『わたしたちは無傷な別人であるのか?』2010年2月23日(火曜日)

それで過去ログをチェックしていたら『フリータイム』の感想文の近くに島袋さんがいたから、この詩すごくいいからアップしておきます。


 島袋道浩『鹿をさがして


(2月23日)観劇デー

  



チェルフィッチュ『わたしたちは無傷な別人であるのか?』@STスポット横浜を観劇。チェルフィッチュは2回目だったので学習してしまったからかもしれないけれど、すっごくいい観劇ができた。これをいったら作品を台無しにしてしまうから誰かはナイショだけど、とある人の画集を引っぱり出してきて眺めながら“しあわせ”な気分になっている。なう。






■ 2月の頭から多和田葉子論を書くと決めていて下読みをちびちびやってるのだけど、用事ができたらすぐにそっちをやっちゃうから全然先に進まないのだけど、たとえば試みとして日本人作家の小説を外国語で読むというのをやっている。これは多和田葉子さんが日本語とドイツ語で小説を書いているので、それを疑似体験しようというもので、でも小説は書けないから読むだけで、ドイツ語もできないから英語で、英語もろくにできないからラダーシリーズという簡易訳のRyunosuke Akutagawa『The Nose』を読んでいる。


ま、誰でも思いつくようなもんで下心丸出しで読んでいて、ほとんどあら探しのような読み方になっていて、もう疑似体験でもなんでもないのだけど、読んでいて「ああ、やっぱり違うわー」って言いたくて仕方がないのだけど、そんなことなくて全然OKで、文体にいちゃもんつけたいのだけどスルーしてしまって、やっとのことで見つけましたよ。ツッコミどころ。ふぅー。


「copying a sutra =写経」


ちがう!全然ちがう!ま、そうなるかもしれへんけどちゃう! コピーってボタン1つでって感じするやん! んっ? 英語ではコピーはゼロックスと言うだって? なんじゃそれ? もうとにかくあかんねん!!!


そういえば、この前中央線だったと思うけど、最新型の電車って扉の上にテレビついてるやん。それで○×英会話学校のCMが流れてて


「彼はパーティで浮いていた。」を英語で言うと何?


みたいな問題が出て、まず


×「He was floating at the party.」


という誤答例がでてきてブー!って。それでパックンが出てきて説明するの。これだと彼が空中に浮いていたになっちゃう。この場合の浮いているは空中に浮くのではなく周りに溶け込めていないという事で、


○「He was isolated at the party.」


正解!!


っていう感じだったかな。


でもさ、イラストで描かれていた「浮いた彼」は派手に振る舞っていて「空気が読めてない感じ」だったんだよね。けっして「集団に馴染めずに孤立している感じ」ではなかったんだよね。だから「He was isolated at the party.」もダメじゃないかって思ったの。


だから意味だけ通ってニュアンスが伝わらない英語を使うぐらいだったら、意味は通らないけど感覚的に思いついた英語を使ったってよくねーって思ってさ、「He was floating at the party.」って言って「えっ彼空中に浮いてたの?」なんて返答してくるアメリカ人がいたら「字義通り解釈するバカがおるか!」って一喝してやればいいと思うんですよ。英語わかんないから通じないけど。


なんの話だったっけ?


多和田葉子論?


もはや何の話だか分からなくなってしまったけど、こんなことをチェルフィッチュを観たあとに、チェルフィッシュ んっ? 言いにくな、チェルフィッチュ論でもないけど、思ったのでした。チェルフィッチュを横浜で観て、帰りの横浜線町田駅に着く前に、いやこうやって書いているうちに電車はすでに減速していて、もうそろそろホームに入る、いや入ったぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。止まった。町田駅に着いた電車のなかでノートに書いた。そして家でワープロで書いている、いや書いたのでした。


観劇をオススメします。


チェルフィッチュ『わたしたちは無傷な別人であるのか?』


日時:2月14日〜26日@STスポット横浜(当日券のみ)


   3月1日〜10日@横浜美術館


チケット: こちら

それから、あと俳優の山縣太一さんが、僕がノートを取りながら観劇していたのに気付いたようで、退場するときにチラッと覗いていって気になっているかもしれないのでアップしておきます。いぜん岡田利規さんがお客さんがスケッチしたのを見せに来たのを怒っていて、僕もどうかと思ったのだけど、なんか手が動いちゃうんですね。最近ぼくはあまりメモを取らなくなったのだけど、なんか動いちゃうんですね。手が。今日は9枚も書いてました。良くも悪くも。









  岡田利規さんの新刊》



エンジョイ・アワー・フリータイム

エンジョイ・アワー・フリータイム

(2月22日)


■ 店:常備入替えラッシュ


古谷利裕×磯崎憲一郎トークを単独レポートにしました。


イキウメふたり会感想文も単独レポートにしました。

(2月21日)観劇デー

■ きょう観た演劇で「アイスキャンディー!」と絶叫するシーンがあって、それがおかしかったので、家に帰って自分でも鏡のまえでやってみたら、こっちは全然ダメだった。






■ イキウメ俳優部演出公演『二人の高利貸しの21世紀』を観劇。





[Aチーム] 浜田信也 × 盛 隆二


[Bチーム] 岩本幸子 × 伊勢佳世


[Cチーム] 森下 創 × 窪田道聡


[Dチーム] 緒方健児 × 加茂杏子

「役者をみたい!」という欲望は演劇ファンには必ずあるはずで、その望みをかなえてくれる貴重な公演。


今回はチェルフィッチュ岡田利規さんが10年程前、ちょうど世紀の変わり目に書いた『二人の高利貸しの21世紀』という戯曲を題材に、イキウメ俳優陣が二人ずつ4つのチームに分かれ、俳優たちが自ら演出も考えて作り上げた作品を競演するというプログラム。


ほんとうは全部みたいと思ったのだけど、お財布と相談して今回は1つだけ観ようと思って、前回の『見えざるモノの生き残り』で成長が著しかった窪田道聡さんといぶし銀の演技をする森下創さんが組んだCチームを選んだ。が、今日は特別にAチーム、Bチームの公演もみせて頂きました。ありがとうございました。





   《感想文:役者でみる演劇》


いきなり核心的な感想を言いますが、今回はBチームの伊勢佳世さんがダントツによかったです。びっくりしました。伊勢さんはかわいいとかそういうことじゃなくて、純粋に俳優として素晴らしい演技でした。まず目で訴えかけてくる力がすごくて、目だけ観てても作品が理解できます。それに声も表情も豊かで、観ていてぐぐっと引き込まれました。これぐらい演じられるならば、もう主役に抜擢してもいいんじゃないか。伊勢さんを中心にした作品を書いてみても面白い、そんな作品も今後作れると作家に思わせるぐらいの熱演でした。


また窪田道聡さんも力が安定してきたので、大きな役目を任せてもいいのではないかという手応えがありました。イケメンだし(笑)。いままで浜田信也さんというエースが務めねばならなかった役を窪田さんができるようになったことで、浜田さんにもっと思い切ったことをやらせるなんてことも可能でしょう。楽しみです。


そのエースの浜田信也さんも観客の期待に応える名演でした。表情がさらに豊かになったというか、今まで以上に演技の幅の広さを感じました。


エースが浜田さんなら、盛隆二さんはなんだ? う〜ん、表現が難しいのですが、1つのポジションにすんなり収まらないタイプで、豪快にホームランをかっ飛ばしたかと思うと、次の打席はど真ん中のストレートを空振り三振!というような、ああ、そうそう、長嶋茂雄だな(笑)。まさに役者。ちなみに今日はミスターレディでした(笑)。


岩本幸子さんは劇団を包み込むお母さんのような人で、そんなこと言ったら「冗談じゃないわよ。まだまだ若いわよ!」って怒られるかもしれないけど、演じているからか、演じなくてもそうなのか、とにかく語りに妙な説得力があるんですね。今日演じていた矢口というのは胡散臭いヤツなんですけどね、岩本さんが演じるとなぜか成立してしまうという...... 役者ってスゴイね。


その胡散臭い矢口をCチームで演じていたのが森下創さんなのですが、こちらはそのまんま胡散臭かったです。はい(笑)。でも、このキーで歌えるというか、このキーで演じられるのが森下さんの強みで、他の俳優がヒットにこだわるところをうまいことバントで駒を進めるという小技が使えるんですね。今日もそのバントが絶妙でした。

どうです? この感想おかしいでしょ。演劇の感想でこれほど役者に特化した感想ってなかなか聞かないでしょ。役者について書こうと思えばいくらでも書けるんです。でも、なかなかそういう作品がない。これ如何に?


感想のなかでもふれていますが、役者にはいろんなタイプがいます。野球に例えれば、松井のようなホームランバッターがいて、イチローのようなヒットメーカーがいて、川相のようなバントがうまい選手がいて、赤星のような俊足の選手がいてというように、劇団も様々な個性を持った役者が集まって1つのチームができています。


おそらくどの劇団もこのことを自覚していると思います。しかし、そういった役者の個性を見抜いて育成していくシステムがとれている劇団はなかなかありません。それぞれの劇団の方針もあるでしょうし、なによりも運営上そこまで手が回らないというのが実情ではないでしょうか。


例えば、僕が好きでよく観ている劇団に平田オリザさんが率いる青年団があります。作品の質、俳優の質、運営面、いろんな角度からみても高く評価できる劇団です。ただ1つ言えば、俳優のポテンシャルを充分に引き出せてないという不満を感じます。


青年団平田オリザさんの戯曲を上演することを目的とした劇団なので、特定の俳優にスポットライトを当てるような作品は作りません。平田さんの求める演技を、あるいは多田淳之介さんや松井周さんが求める演技を演じ切るのが俳優の仕事です。ただ昨年から、二人芝居がいくつか上演されて山内健司さんと兵藤久美さんの『昏睡』、端田新菜さんと多田淳之介さんの『』をみて改めて青年団俳優部のレベルの高さ、ポテンシャルを感じました。「えっ、こんなことができるの!」あるいは「ふだんは力をセーブしてるの?」とまで思いました。他にも気になっている俳優がいて、例えば山本雅幸さん、工藤倫子さん、山本裕子さん。こういった俳優の個性をとことん引き伸ばすような作品を作ってみてもいいんじゃないか。そういったチャンスは俳優にとっても必要だろうし、観客としても観てみたい。このあたりは劇団の運営方針として難しいのかもしれないけれど、うまくやればホームラン50本打つ実力があるのに、25本止まりで役者人生を終えてしまうという気がして残念でなりません。


今日はイキウメ制作部の中島隆裕さんと話す機会があったのですが、イキウメは俳優主体のこの公演を明確な意図を持ってやっているんですね。今日のような公演で俳優個々の能力を引き伸ばしつつ、本公演での作品の質を高め、また幅を広げていく。だから前回の『見えざるモノの生き残り』で、それまでほとんど記憶に残らなかった窪田道聡さんがググッと力を伸ばして出てきたり、きょうの伊勢佳世さんを観ると次の公演がいよいよ楽しみになってくるというダイナミズムが劇団内に生まれてくるのです。



いろんな意味で興味深い公演なので観劇をオススメします。ぜひ!


イキウメふたり会『二人の高利貸しの21世紀



日程:2010年2月16日〜28日



場所:明大前・キッドアイラック・アートホール


(2月20日トークレポート

■ 古谷さん×イソケンさんトーク無事終了。






■ 『文学界3月号』。いつもは図書館で読んでるのだけど、この前行ったらまだ入ってなくて面倒だから買いました。で、山下澄人が240頁で保坂和志が242頁なの。続いてるの。これが笑っちゃうぐらいつながってるの。それで今日のトークなの。そんでイソケンさんの第一声が「ショーン・ホワイトすごいよね」なの。滅茶苦茶なの。「イソケン!おまえもか!」って頭抱えたの。そしたら古谷さんが素っ気なく「知りません」って言ったの。「国母くんまで出てきたらどうしよう」ってもう冷や冷やだったからさ、古谷さん、よくぞ言った。「イエス!」って心のなかで叫んだの。が、胸をなで下ろしたのも束の間、ここからが本当に大変でした。。。



まずはトークのタイトルを確認しておきましょう。



     小説を読む歓び


   ー 作品生成の瞬間 ー

これは保坂さんが古谷さんの本に寄せたコメントからとったんです。保坂さんのコメントも確認しておきましょう。



これまで読者は批評という俯瞰の視点に捕われて作品生成の瞬間から取り残されてきた。まず 「はじめに」 を熟読してほしい。著者がここで書いていることはとても慎ましやかだが、これは読者を批評的行為でなく、純粋に読む歓びの次元に誘う宣言でもある。宣言が声高でなく呟くようになされる。これが現在だ。大向こう受けをねらわず、社会におもねらず、古谷利裕はひたすら誠実に読む。しかしこれは凄いことだ!(保坂和志

古谷さんの本のタイトルも確認しておきましょう。


人はある日突然小説家になる

人はある日とつぜん小説家になる

人はある日とつぜん小説家になる



それで仕切り直しのイソケンさんからのファーストコンタクトがまさにこれ。ちょっと長くなるけど引用します。



人はある日突然小説家になる。これは驚くべきことではないだろうか。あるいは、あまりにも理不尽で暴力的なことだと言えないだろうか。例えば磯崎憲一郎は『肝心の子供』で文藝賞を受賞して小説家になった。それは、ある日、何人かの人たちが集まって協議し、その結果、その作品を受賞作としたことによる。そしてその結果が確定した瞬間、受賞者は、小説を書いている人から小説家になる、あるいは、小説家は芥川賞作家になる。本当は、その人は、受賞作を書いているその過程をつうじて、あるいは、それ以前に書いたすべての小説を書いている時間のすべてのなかで、少しずつ小説家となっていったはずなのだ。いや、そうではなくて、人生の時間のすべてをかけて、少しずつ小説家になってゆくと言うべきかもしれない。あるいは、受賞より前にもう既に充分に小説家であったとさえ言えるのかもしれない。しかし、そうであるのと同時に、それとはまったく別の次元で、デビューが確定したその瞬間に、あるいは、それを受賞者が知った瞬間、その人はとうとつに「小説家」へと変質する。その瞬間に、その人自身に特別な物理的な変化があったというわけでもないのに、ある決定的な変化が、外側から訪れ、その人に貼り付き、それは非常に強い力として作用するのだ。そんな変化は、たんに社会的、対人関係的な変化に過ぎず、そんなことで人間の本質が変化するわけではない、あるいは、小説を書くという時間のあり様そのものが変化するわけではない、と言うことも出来るし、それは絶対正しい。しかし、「その人の本質が変化するわけではない」ということとは切り離された別の次元で、何かが決定的に変化し、何かが動く。宿命というのは、おそらくそういうものなのだ。人は、すぐれた小説を書くから小説家になるのではなく、小説家になるという宿命によって小説家になる。それは他人に、あるいはもっと大きな何ものかの力に、ゆだねられている。理不尽に外側から訪れるとうとつな変化の暴力性は、人をこのような認識に導くだろう。(古谷利裕『人はある日とつぜん小説家になる』pp.17〜19.)

また『人はある日とつぜん小説家になる』に所収されている「とちゅうで」というテキストも配られて、これはすごくいいテキストなので全部引用したいけど、全部読みたい場合は買って読んで欲しいので、一部だけ引用します。



わたしは「わたし」という素材しか持っていない。作品に触れる時、その貧しさが露呈する。作品は、その貧しさのなかにしか現れない。(中略)


わたしの見る夢において、わたしがする経験の強さは、その夢そのもの以外の外的な要因によって保証されず、その夢の経験以外の場所に着地点をもたない。今朝方の夢にあの人が出てきたのは、昨日その人にあったからかもしれないし、夢のなかで凍えていたのは、部屋が寒かったからかも知れない。しかしそのようにして外側からの説明によって原因が分かったところで、その夢の質そのものは説明されない。部屋が寒かったから凍える夢を見たという言い方は、夢のなかで凍えていたその寒さの感触、その経験を少しも解明していない。昨日あの人に会ったから夢に出てきたという言い方は、夢のなかであの人に会うことの出来た喜びを、少しも説明しない。


だがここで重要なのは「わたし」ではなく、夢や作品からわたしを通して結像された「何か」であり、わたしが夢や作品を通過することで経験した「何か」の方である。そうだとしても「わたし」がついて回らざるを得ないのは、わたしが「わたし」という素材しか持たないからであり、夢や作品の経験という、夢や作品それ自体にしか根拠や着地点をもたないものが、わたしという貧しい限定を通して顕在化されないからだ。


わたしが作品を読むのではなく、作品を読むわたしは、作品を結像させ、作品を立体化させるいくつもの装置の一つでしかない。「生きられる」のは私ではなく作品であるが、作品はそれが誰にしろ「わたし」を通すことによってしか生きられない。わたしにおいても、わたしという限定された、限界をもつ装置によってしか、作品は立ち上がらない。「わたしにとってのこの作品」と言わざるを得ないのは、「わたし」が大切だからではなく、わたしが「わたし」という位置に限定されているという、わたしが必然的にもつ貧しさによってだ。(pp.153-155.)

このあたりが今日のトークのポイントですね。大変でしょ。こんな内容をあれやこれや語り合ったのですよ。ホワイトボードまで使って!





もう難しすぎてトークショーでやるのに相応しいか?と問われれば、NOかもしれないのですが、特筆すべきは今日は会場から活発に質問があったこと、そしていずれもが的確な質問であったこと。例えばこんな質問。



人がある日とつぜん小説家になるということは、物でも同じことが起こりうるのか? 例えばラスコーの壁画がある日とつぜん作品になった、その瞬間というのがやはりあったのか?

みんなとは言えませんが、会場のお客さんもちゃんと話についてきてるじゃありませんか!


いま家に帰ってきてぼーっとしながら今日のトークを振り変えると《作品生成の瞬間》についてあらゆる角度から話されたトークだったんだなーって実感しました。実感というのがミソです。頭では理解できなかったけど感触がちゃんと残ってるんです。

(2月19日)トークレポート



新城カズマさんはジュンク新宿初登場だったのですが来てもらって本当によかったって思います。


「すみません。ライトノベルなめてました。」(平謝り)


「洋書コーナーは“ヤングアダルト”やら“ジュブナイル”っていうジャンルがあるけどなんで日本では和製英語の“ライトノベル”って言うのか」、皆さんちゃんと説明できます? できない人は 『ライトノベル「超」入門』を読んでください。





そして思うんです。「純文学離れも問題だけど、こっちの方がもっと重要だと。ライトノベルを書ける作家がちゃんといて、ライトノベルを読める読者を育てることが!(マンガがあるからいいじゃんという話ではない)」



さよなら、ジンジャー・エンジェル

さよなら、ジンジャー・エンジェル



そして新刊『さよなら、ジンジャー・エンジェル』を読んで、書店員が出てくるからというのもありますけど、すごくうれしかったです。隅々まで気配りが行き届いているというか物語が丁寧に作られていて、これだと中高生も読めるし、これを読んで育つ中高生っていいなって思うし、こういう仕事ができる新城さんを改めて貴重な存在だと感じました。


そんな新城さんはSF作家、ライトノベル作家であり、また柳川房彦という架空世界製造業者でもあり、分析家でもあり、熱烈なSF、純文学の読者でもあり、そして白面では一般人でもあります。(ちなみにトーク登壇中は“黒新城”モードでした。。。)



かたや前田塁さんはこの度『紙の本が亡びるとき?』を刊行された文芸評論家であります。



紙の本が亡びるとき?

紙の本が亡びるとき?



また王様のブランチで本を紹介したり、早稲田文学を編集発行している市川真人さんでもあります。

 王様のブランチ


 早稲田文学3



 wasebunU30


前田(市川)さんは本との接し方が一様でないというか「上から目線のえらそうな批評家」ではなくて、当然批評はするけれど、自ら本を作る人でもあるので、本のデザインもするし、値段はいくらで発行部数をいくらにするかも判断するし、どうやって売るかという販売ルートも思案するというスーパーな人なんですね。ともかく本にまつわる全体が見えている人で、川上未映子さんをはじめ、多くの作家から信頼されるのもうなずけます。



はい。そしてトークのテーマ! ジャジャ〜ン!!


 紙の本と物語の未来


前田塁さんの新刊『紙の本が亡びるとき?』の刊行記念ですから避けては通れないテーマなんですね。悲しいかな、ここはリアル書店ですよ!!!


でも冒頭で紹介したようなお二方なので、非常にいいトークになりました。この手の話は広い視野で語らないといけませんし、それができるお二人に話してもらってよかったと思います。もちろん、ものすごく大きなテーマであり、時間も全然足りなくて結論はでませんでしたが、それでも充実していました。


それで、私も最後壇上に上げてもらいました。実は、数日前に私が書店での活動をまとめたレポートを発表しました。


 ハブ型書店の可能性


これは多くの方に読んで頂き、高い評価を頂いてます。ただ冷静に読むとおかしな点がいくつもあるんですね(汗)。それを前田塁さんにズバリと指摘されまして・・・


キンドル等の電子書籍の動向には無力



これはもうどうしようもない。あと5年で街中から書店が本当に消えてしまうかもしれません。今後、リアル書店をビジネスとして成立させるのはますます困難になるでしょう。すでに駅前の小さな書店はどんどん消えていって大型書店がなんとか残っているという状況です。この状況で、ネット書店、電子書籍にお客さんをさらに持っていかれたら、、、


書籍販売はただでさえ利益率が低い儲からない商売ですから、売上がさらに落ちると都心の一等地の家賃はもう払えません。「本を実際に手に取って、なかを確かめてから買いたい」というお客様は必ずいるでしょうが、絶対数を確保できなければビジネスとしては成立せず、リアル書店は消えます。

リアル書店員がリアル書店消えるって断言しちゃってるよ!」とツッコまれて、被告人として壇上に立たされたのです。。。ウソです。温かく迎えて頂きました。


それで短い時間でしたが、書店という現場に立っていて日々感じていることを赤裸々に語らせて頂きました。電子書籍到来というビッグバン以前の問題として、人文書が読まれなくなった問題、新宿の大型書店事情。そして電子書籍到来による業界再編問題。つまり、


作家ー出版社ー取次ー書店ー読者


この構造がビッグバン後に劇的に変わるんですね。ぶっちゃけて言えば


 書き手ーアマゾン(グーグル)ー読者


になってしまう。これは果たしていいことなのか? もちろん書店、取次、出版社は生活がかかっているので否定的です。ただし、書き手や読者にとっても必ずしも良いとは言い切れない。つまり「いい本がちゃんと読者に届くのだろうか? 誰でも本が出せるのはいいことなのか? なんでもアリにならないか? マーケットの原理にまかせて良質な作品がちゃんと残るだろうか? どうしたらいいのだろうか?」


その後、宇野常寛さんにも登壇頂き、現状の出版業界への厳しい意見が述べられました。また前田塁さんからも本を発行している人間として抱える多くの問題についての報告があり、新城さんからは本をめぐる産業構造を示すダイアグラムを提示しながらの興味深い発言もありました。


最後は本当に閉店時間になってしまい打切りとなりましたが、会場には小説ファンはもちろん、書店員や編集者もたくさん詰めかけていて、終演後話してみるとみな一様になんとかせねばならないという強い危機感を持っていることが確認できました。


これは難しい問題ですが、時間に猶予のない大問題なので議論が各所で起こっていい頃だと思います。今回のトークはそのキックオフということで、これからみんなで考えていきましょう!


前田塁さん、新城カズマさん、出版社の方々、会場に詰めかけてくださったみなさま、本当にありがとうございました。





 トーク情報》


 2月25日(木)19:00スタート(会場:青山ブックセンター六本木店)



大森望×新城カズマ

 2月27日(木)19:00スタート(会場:青山ブックセンター六本木店)



市川真人(前田塁)×古川日出男

(2月18日)


■ 《前田塁×新城カズマトーク無事終了。


■ サプライズもあっていい会でした(笑)。


■ すみません。きょうはもう寝ます。


■ 感想は明朝→(寝坊のため)明晩アップします。ではでは。

(2月17日)

■ 昨日アップしたレポート(『ハブ型書店の可能性』)をツイッター経由でたくさんの方々が読んでくださったようです。



■ ありがとうございます。


■ そして、すみません。


■ えーと、ツイッターまだ登録してません。近々はじめます。


■ いまさら言うのもなんですが、フェア、トークイベント、面白い演劇の公演情報はツイッターで流した方がよいらしい。。。






■ 《トーク》2月18日(木)19:00スタート!! ぜひぜひ!!!!!


 前田塁 × 新城カズマ




■《演劇》第2回五反田団といわきから来た高校生『3000年前のかっこいいダンゴムシ



■ 第2回というのがミソです。「高校生もがんばってるね〜」ぐらいの作品なら2回目はありません。


■ プロの俳優とどっちがうまいかと言えばプロの方が当然うまいですけど、とはいっても彼女ら(男もいる!)もビックリするぐらいうまいのですが、そういうことじゃなくて、明らかに高校生の彼女らにしかできないことをやっていて、それがとにかくすごいんですよ!


■ ちなみに福島県いわき総合高校といえば箱根駅伝山登りの柏原竜二選手の母校ですよ。ごぼう抜きで優勝! すごいでしょ!


■ うん、すごい!


■ そりゃ2回目もあるよね!


■ あるある!


■ みなさまもぜひぜひ!!!


チケットこちら




(2月16日)


 ハブ型書店の可能性



(2月15日)


■ 新城ラノベヨムヨム@ファミレス


■ 平和だ。


■ むむ! これ「役に立つ/ためになる」とかじゃないけど、中高生を読者に想定していることもあって、書き手の気配りが隅々まで行き届いてますね。



さよなら、ジンジャー・エンジェル

さよなら、ジンジャー・エンジェル






トーク! 2月18日(木)19:00スタート!! ぜひぜひ!!!!!

 前田塁 × 新城カズマ