2015年7月
7月31日(金)
このイギリスは大好き☆
7月30日(木)
このイギリスも好き☆
7月29日(水)
水曜日はノーザンギョーデイということで、ま、やるべきことは山のようにあるのだけど、きょうは早めに、といっても定時上がりだけど、みんなより一足先に会社を出て劇場へ向かう。
「定時に帰宅する人ってこんなに沢山いるのかー」、「日本は平和だなー」と、日頃見慣れない光景をまざまざと見せつけられつつ、満員の小田急になんとか乗り込む。
ドリルチョコレート『禊百景』@ 下北沢OFF・OFFシアターを観劇。
本当は日曜日にゆったりとした気持ちで観たかったのだけど、平日公演のみってことで、なにがなんでもってことで、スーツのまま駆けつけた。
仕事の方はまだまだで、いつ売れ行きが止まってしまうのかという不安は昨年店をオープンして以来ずっとあるのだけど、それでもちゃんと売上があがっていて、ここ最近やっとチームがチームらしくなってきたというか、「チームが動いている!」と日々実感できるようになってきて、ま、土日をまるまる休むのは無理だけど、さすがに毎朝4時に起きて仕事をする必要はなくなってきたので、もうちょっと、もうちょっと、粘り強くやっていけば、必ず成功すると思う。
そんな最中の観劇にもかかわらずなのか、だからこそなのか分からないけれど、きょうの観劇は本当によかった。
櫻井智也さんが書く愚直なことばを俳優たちが愚直に発する!
俳優たちの凄まじいエネルギーがぼくの胸をダイレクトに突き抜ける!
演劇が好きになった!
俳優が大好きになった!
気分は最高だ!
さあ、謳い明かそう!
そして
あしたからまたがんばろう!!
7月28日(火)
いかに優れし芸術家とて、石塊の内
秘めざるもの露わにすコンチェットなし
その秘めたる姿見出すに
知によりて導かれたる手をもってする他すべはなし
7月27日(月)
平日の夜に本を読むなんて何ヶ月ぶりだろうか? 古本屋でみつけた古典的名著、ヒルデブラントの『アンドロイドにおける形の問題』を読んでいる。
今回の読書の目的は、「論理明晰なヒルデブラントの手にかかると、かのミケランジェロが、どうしてあれほどまでに凡庸な像に収斂してしまうのか?」を読み解くことにある。
「金属へ帰れ!」
スカイネットにおけるT-800以後のアンドロイド開発を観る限り、ヒルデブラントがスカイネットに与えた影響は計り知れない。
7月26日(日)
ヒュームは人間をエゴイズムによってではなく、共感によって定義する。「共感 sympathy」は、他人の心持ちが自分とどれほど異なっていようとも、それが伝達によって受け取られてしまう、そうした性質として定義されている。好人物は周囲の機嫌をよくする。快活な気持ちは私の心に晴朗感を注ぎ込み、怒りや悲しみの感情は私を傷心させる。人は共感する存在であり、だからこそ、たとえば先の例における妻や子どもに対する気前のよさなども現れるのだ。
人間が共感しあう存在だということは、社会的な結びつきを作り上げようとしている哲学にとっては朗報のように聞こえる。その結びつきの基礎が、人間の本性において既に与えられているように思えるからだ。しかし、もちろん事はそう簡単には運ばない。ヒュームが言うのはこれと全く逆のことである。人間は共感する存在であるが、むしろそのことこそが社会的な結びつきにとって障害になるというのである。
先の例に続いてヒュームは次のように述べている。このような妻子に対する気前よさは、人間の本性がもつすばらしさとして名誉の称号を与えられねばならないだろうが、しかし、こうした高貴な情念は、実は、社会に対立する点では利己心と変わらない。なぜかと言えば、確かに人間には他人に対する愛が見いだされるが、それは「自分に関係のある者や知己」に限定されているからである。つまり妻子のことは大事には思っても、見知らぬ者のことは大事には思わないのである。
ヒュームはこのことを「偏り partiality」という言葉で説明している。人間は確かに共感する。しかしその共感は偏っている。この偏りは、社会に対立をもたらすものであり、そもそも社会的な結びつきに対立する。社会というものは、見知らぬ者たちの集まりだからである。
しかも、さらに厄介なのは、この偏りが、「本当は克服されるべきだがどうしても感じてしまう」という類のものでもないということだ。それは実は、積極的に評価されている。誰もが、共感は偏っていてしかるべきだと思っている。たとえば人は、自分の家族のことしか考えない人物を非難するだろう。しかしまた、利害が対立した際に自分の家族のことを考慮せず、見知らぬ者や単なる偶然の知り合いを優遇するような人物のこともよくは思わない。「なぜ自分の家族を一番に思わないのか」とこれを非難するに違いない。
エゴイズムは単に抑えつければすむものである。その意味では、人間をエゴイストとして定義する社会契約論は、社会的な結びつきを作り上げる際の課題を切り詰めて、たやすいものにしてしまっているとも言えよう。それに対し、共感についてはより複雑な対応が必要になる。共感は社会的な結びつきに対立するものであると同時に、それをもたらすものでもあるからだ。共感の場合、何らかの手段を通じてその対象を拡張しなければならない。
共感は本質的に偏っているのだから、この偏りを改善する策は我々の本性(自然)の中には与えられていない。そうした偏りを改善し、社会的な結びつきを作り出すためには、何らかの「人為 artifice」が必要である。「してみれば、救済策は人為から来る」。
ヒュームがそうした「救済策」として社会の根底に見いだすのが、「黙約 convention」である。この語は「慣習」とも翻訳することができる。人々は経験の中で次第にお互いに遵守する決め事を作っていく。社会とは、暗黙の内に作り上げられた決め事の集合である。
ヒュームは黙約を説明するにあたって、ボートを漕ぐ二人の例を挙げている。二人はオールを使ってボートを漕ぐ。二人は自然にリズムを合せていくだろうが、何かをあらかじめ約束したわけではない。どうやってリズムを合せていったらよいのかを、オールを動かしながら自然に学んで行く。また同時に、そうして出来上がったリズムに反する動きをすると、うまくボードが動かせないことも理解していく。
生のままの共感は偏っている。しかし、黙約を通じてそれを拡張することができる。つまり、黙約が社会の全成員に共有されるようになれば、自分にとって近くはない他人のことも考えて行動できるようになる。
國分功一郎『近代政治哲学』ちくま新書 pp.181-184.
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7月25日(土)
A.I.が…
7月24日(金)
そして、あとにアイだけが残った。
7月23日(木)
7月22日(水)
ニコちゃんに笑顔がもどった。
よかった。
がんばれー!!
333のテッペンカラトビウツレ
7月21日(火)
7月20日(月)
連休最終日、
寝坊,,,
急いで会社へ向かう。
途中、
行きつけのコーヒーショップに立ち寄る。
いつも励ましてくれるニコちゃんの表情がさえない。なるほど…そういうことかー。チームプレイだから、じぶんひとりのがんばりじゃ、どうにもならないこともある。つらい状況だけど、チームメイトを信頼するしかない。我慢。我慢。そして、
がんばれー!!
のち、仕事。
家に帰って、
ターミネーター2。
人間がなぜ泣くのか分かった。俺には涙を流せないが。
感情をもてないはずのロボットに人のこころが通った瞬間、
何回観ても、ぐっとくる!
明日からまた、
がんばろう☆
7月19日(日)
連休中日、
散髪。
家に帰って、
そうじ。
生活的に、気分は漫画家☆
7月18日(土)
連休初日、
しごと。
家に帰って、
チューハイ。
ま、そんな感じ★
7月17日(金)
まだまだできたてのチームだから仕方がないけれど、やっぱりちょっとオーバーワークだよね。これだと仕事の精度が出ないよね。「ムリ・ムリ・ムリ」の一点張りから「ムリ・ムダ・ムラ」を省く方向へなんとか持っていきたい。
メンバーそれぞれの負荷を平たくしたり、動ける人が動いてフォローしたり、そういった連携がまだまだできておらず、チームがギクシャクした感じ。このあたりは一々指示を出すのではなく、周りを見ながら自分は何をやればよいか、何ができるかを考えて動く。阿吽の呼吸ってやつですな。
僕じしんは、こういう動きはけっこう得意なのだけど、如何せん、今抱えている仕事がパンクしていて身動きとれず。
この3連休は、というか、この3連休も、だけど、とにかく仕事の流れをつかむために、溜まった仕事をこなしてゆこう。
金曜日
クーラーとデスクワークで1週間過ごすと週末には体がもうバキバキになる。きょうは遅くまで残らず、仕事後にプールに行って軽く泳いだ。
体がすこし楽になった。
う〜ん、なんというか、単に作業に追われるのではなく、本を読んだり、演劇を観たりして、刺激を受けながら、頭を使って事業計画を練ったり、チームの連携を深めるためにはどうしたらいいかを話し合ったり、もっと仕事らしく仕事ができるようにしたい。
ま、仕事を抱えて後手後手に回っていたら何もできないから、とにかくやろう。
嵐も去って、さあ、祭りだ!祭りだ!
7月16日(木)
雨でもニコちゃん☆
スタミナ切れ…
ちょっと休憩…
ふぅー
7月15日(水)
今日もアイスください!
7月14日(火)
暑っ!
7月13日(月)
きょうのニコちゃん、イカすぜ! 夏だぜ!
7月12日(日)
久しぶりに実家にかえる。
西宮北口駅周辺の街並はえらく変わったけれど、このあたりは震災でけっこうやられたから変化が一番大きいのだけど、なんとなくむかしの面影がまだある。今津線のホームも床に白いタイルが貼られて、以前よりも明るくなって雰囲気が変わったけれど、ホーム中央のむかしからある藤棚がまだあった。なつかしい。
いま訪れると時間がとまっているようで長閑なローカル線という感じやけど、当時はスイミングスクールに通ったり、進学塾に通ったり、けっこうハードな時間をこの沿線で過ごしてたよなー
駅前に西宮球場があって、改札口でブーマーを見かけたり、電車のなかで山沖投手が横にすわっていたり、「福本の息子は足が遅いらしい」と小学校でうわさになったり、一緒のチームやった加藤英司の息子は守備が下手くそやったり、ま、これは親譲りやけど、阪神の選手よりも阪急の選手のほうが身近な存在やったなー
仁川から回数券で西宮北口のスイミングスクールに通っていて、選手コースに入れられそうになって、練習がきつくなって、いやになって、さぼって、やめたけど、プールはニチイの上にあって、そこの窓から西宮球場の試合を観るのは楽しみやった。グラウンドと選手はほとんど見えないんやけど、スコアボードははっきり見えて、阪急が勝ってるか負けてるかをいつもチェックしてた。
阪急ブレーブスは強いチームやったけど、あの頃は西武が異常に強かったから、あまり勝ってる記憶がない。西宮からずっと離れた異国・所沢の西武ライオンズは、イメージとしてはまるでソ連のようなチームだった。ピリピリと張りつめた緊張感があり、恐怖を感じた。
僕の記憶のなかで阪急が優勝したのは1回だけ。いやー、でも、この時の日本シリーズはよーく覚えてるわ。まさにこの色! 阪急ブレーブスの色! 西宮球場の色!
7月11日(土)
雨がやんだ。
ということは、
夏が来た!
7月10日(金)
きょうはサプライチェーンマネジメントについてベネトンなどを例に学ぶ。
なるほど!
仕事はガンバリ時です。
がんばります。
ニコちゃん、また来週!
7月9日(木)
読書メモ(2/2)
引き続き、最後の部分が重要なので引用しておく
第一次世界大戦の歴史的位置
第一次大戦を近代史あるいは20世紀の歴史のなかでどう位置づけるか、はこれまで様々な観点から検討されてきた。大きな時代の括りでは、大戦が近代から現代への転換点になったということは現在広く認められている。この理解には、最初にも紹介した、イギリスの歴史家ホブズボームの「短い20世紀論」の影響が大きい。彼の時代区分には批判もあるが、現在もなお有力な近代・現代区分論と見なされている。
転換点とは、それ以前の時代の基本的構造や性格との継続面より、断絶面が多く認められる移行期に入った、ということにほかならない。ただそれだけでは、断絶や連続の質的内容は明らかではないので、大戦が破壊したものは何か、大戦が生み出したものは何か、という視点からの検討も必要となる。
国際体制の枠組み
第一に、大戦は列強体制が支配的であった国際関係を否定し、対等な国家から成る国際関係 ー その具体化が国際連盟である ― に導いた。(中略)たとえば、ヨーロッパ中心主義的世界から多元的世界への転換のはじまりがそれである。この多元的世界には、間もなく、ソ連という異質の次元も加わることになる。
第二に、国際社会の構成単位が、帝国から国民国家に移行したことが挙げられる。これは民族自決権が、国際社会の基本原理と認められたことの結果である。大戦は、ロシア、オーストリア、オスマンの三大多民族帝国を解体させ、多くの新興国民国家を生みだした。民族自決権の承認は、当面はヨーロッパに限定されていたものの、植民地や従属地域の民族運動を鼓舞するものであった。
(中略)
第三に、大戦は、国民国家の二つの重要な現代的内容を与えた。一つは公的領域・政治への国民参加である。大戦下の総力戦的動員によって、国民各層に強制的に国家への協力と負担が求められると、「義務の平等と権利の不平等」という現実への不満が、国民の間で高まってきた。兵役、労働義務、納税などの公的義務に課されるのに、選挙権などの公民権では平等でないのは、公正でない、という批判である。(中略)国民を納得させるためには「義務の平等には権利の平等を」という原則を承認するほかなかった。総力戦の民主化効果というと強い言い方になるが、国民参加型国家、大衆参加型社会への移行を推進したのは確かに大戦であった。
なお、これとの関連で、大戦下、軍に召集された男性に代わって、女性が様々な職域に進出し、女性の社会進出を促して、民主化の促進要因となったとの指摘がある。これは間違いではないが、働く女性の数が大きく増えたというのは正しくない。女性がそれまで男性が優位であった軍需工場や公共交通機関などに進出したのは事実であったが、そうした女性はそれまで家にいて大戦になって新たに働きに出たのではなく、もともと家事奉公人や、繊維産業などの平時産業に働いていた女性が、賃金の比較的高い軍需工場や公共企業に移動したというのが、これまでの研究の結論である。
もっとも女性の社会的進出を就業という枠を越えて広くとらえるなら、この指摘は当たっている。現在ならボランティア活動といわれるような分野 ー 兵士への慰問、駅頭での兵士の見送りや接待、配偶者が戦死して母子家庭になった家族の世話、公債販売・募金・広報活動の手伝い、資源回収への協力など ー は戦時下で一挙に広がった。ボランティといっても、実際は強制に近い要請である場合が多く、社会動員とでもよぶべき性格を持っていた。こうした活動の貢献は、男性からも社会一般からも評価された。
民主化と連動した国家の性格の変化の別の側面は、国民国家の福祉国家化、社会国家化である。国民を動員する以上、国家は動員された者の家族の負担を軽減し、たとえば出征兵士の家族や戦死者の遺族の生活を保証しなければならなかった。食糧配給制も国家による消費統制であるが、同時に最低限の食糧供給の保証でもあった。大戦下の遺族への補償、遺児の保護、家賃の凍結などは、当初は一時的処置とみなされたが、やがて制度化され、国民の側も恩恵ではなく、権利として国家の保護や補償を求めるようになった。それを法的に体系化して示したのが、ドイツのヴァイマル憲法であった。現在から見れば、まだ福祉政策と呼べない水準であっても、それはやはり福祉国家への一歩であった。福祉国家が第一次大戦から生まれたといえば、違和感があるかもしれないが、結果としてそうなったのは事実であった(中略)。
大戦がもたらした断絶面
一つは、啓蒙主義以来の近代思想・工業化を含む近代文明の先導者としてのヨーロッパの地位の低下である。人権を唱え、よりよい未来への進歩を約束してきたヨーロッパ近代の発信地が、大殺戮の舞台になったという事実だけでも、ヨーロッパ近代への信頼を揺るがし、それを再考させるのに十分であった。大戦は、19世紀的ヨーロッパ市民社会と市民文化への懐疑を生み出した。それによって、市民社会の主導的イデオロギーである自由主義も失墜した。戦前の保守党・自由党の二大政党並立から、戦後の保守党・労働党へと対立基軸が移動したイギリスはその典型で、自由主義の退場は戦後のヨーロッパ全般の政治潮流となった。自由主義の退潮は、大戦で将来のエリート予備軍が大量に失われたこととも関係していた。(中略)
第一次大戦が歴史的に前例のない暴力の発動であったことから、その後に続く一連の戦争・内線の原点、破局の原点ととらえる見方がある。アメリカの外交官でもあったジョージ・ケナンが唱えた解釈である。19世紀と対比して、第一次大戦後の20世紀世界が、戦争・内戦・内乱が継続し、大量死・大量殺害が引き起こされる時代であったことは明らかで、第一次世界大戦を破局の原点とする見解が説得力を持ち、多くの歴史家に受け入れられているのもうなずける。
なお、大戦の暴力的傾向の説明として、戦場という暴力的世界を体験した兵士が、復員後その体験を本国社会に持ち込んだことに一因があるとの指摘がある。イタリアのファシストやナチ党の突撃隊などが、その典型として取り上げられることが多い。しかし、この説は否定されている。戦後社会での暴力的行動の担い手は復員兵士のなかでは少数であり、たとえばナチ党の突撃隊の大部分は、大戦を経験しなかった青年であった。(中略)
まとめ
国際連盟(国際連合)・国民国家・民主国家・福祉国家と並べれば、勃発から100年たった現在でも、第一次世界大戦期が現代国家・社会・文化の基本的枠組みの原点であり続けていることに納得がいくはずである。第一次世界大戦はなお歴史になってはいないのである。
PP.209-217. 抜粋して引用
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7月8日(水)
読書メモ(1/2)
何十万人、何百万人という兵力をおよそ戦略とは言えない杜撰な指揮で振り回すという非合理的営為の極め。文明がもっとも発達しているヨーロッパで、今からたった100年前にこれほど壮大かつ低レベルな争いが行なわれていたことに正直、驚きを隠せない。
最後の部分が重要なので引用しておく
戦後の講和条約
1919年6月28日、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間で、対ドイツ講和条約が調印された。以後、同盟国側との講和条約調印が続き、軍人だけで1000万人以上の死者を出した第一次世界大戦は正式に終了した。
この条約は、当時から様々な批判や反論を呼び起こし、「ドイツ側に過酷な」条約という評価が長く定説化していた。支払い不能といわれた高額な賠償請求、全海外植民地の没収、一方的軍備制限、隣接諸国への領土割譲などがその例として挙げられた。
しかし、こうした評価は現在ではかなり修正されている。賠償総額は条約には記されず、1922年になってはじめて確定したもので、ドイツ側もベルギー側もベルギーへの賠償支払いそのものはすでに開戦直後に認めており、ヴェルサイユ条約調印前にも、連合国側への高額の賠償支払いの用意があることを表明していた。総額と支払い方法に問題があったことは確かだが、それも交渉によって修正可能であったし、事実1924年以降にかなり修正、緩和された。当初の総額1320億金マルクは天文学的数字と評されたが、実際にドイツが支払った総額は、191億金マルク程度ではないかと言われている。もちろんこれも決して軽い額ではないが、11年後の1932年ローザンヌ会議では事実上支払いは帳消しにされた。
植民地の没収と、それが委任統治領として戦勝列強に与えられたのも、各目的には当該地域の自立を助けるためであり、それを旧来の植民地として統治したのは、配分を受けた各戦勝列強の責任であった。軍備制限も、その趣旨はドイツが軍縮を率先して実行したということであった。国際連盟が1920年代初めまで、軍縮会議を設置して、一般的軍縮の推進に努めたのも、各国にドイツの先例に続かせるためであった。しかし、それは不成功に終わり、ナチス・ドイツは1933年10月、ドイツ以外の国が軍縮しないことを理由に国際連盟を脱退した。これは口実にすぎなかったが、英・仏はじめ各国は、この主張に反論できなかった。
条約の欠陥とされるものは、条約の内容よりも、戦勝国などのその後の対応にあった部分が少なくないのである。
一方、講話条約がドイツ側に寛大な部分、有利になった部分について、ドイツは無視してきた。ドイツの領土は基本的に保全され、経済構造なども手つかずであり、海外植民地の喪失も、結果として植民地を持たない唯一のヨーロッパ大国として、アジア、特に中国へのドイツの進出を容易にしていた。
条約の内容が明らかになると、ドイツ側は一方的通告だけで、実質的交渉がなかったことや、戦争責任条項、ヴィルヘルム二世を含む戦争犯罪人引き渡し要求など、ドイツの名誉に関わる主題を中心に据えて非難した。大戦末期には、ドイツ国民と軍の兵士のほとんどが戦争継続に反対し、帝政を批判していた。しかし、休戦時点でドイツ軍がなお敵領土にいたことなどから、やがて「戦場ではドイツ軍は負けていなかった」、銃後の「背後からの裏切り」で敗れたのだ、という「背後からの刺殺」説が広がるようになった。ドイツでは急速に戦前の大国意識が復活し、その視点から条約を批判するようになったのである。
現在では、ヴェルサイユ条約の内容、連合国側・ドイツ側の対応などが見直された結果、当時としてはそれなりに考えられた条約である、という評価に落ち着いている。
PP.205-208
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7月7日(火)
電車のなかで朝書。木村靖二『第一次世界大戦』を読み終えたので、引き続きエマニュエル・トッド『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』を読み始める。
なんだかセンセーショナルなタイトルだけど、物は言いようだよな。要するに、「ドイツが恐ろしい!」っていうよりも、資本主義を導入したところで、ヨーロッパで国として成立しているのはせいぜいドイツくらいなもんで、ギリシャは言うまでもなく、他はぜーんぶダメダメってことなんじゃね。
ひとまず最後まで読んでみよう。
「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告 (文春新書)
- 作者: エマニュエル・トッド,堀茂樹
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7月6日(月)
土曜日に仕事をがんばったから、今週はいい形で流れに乗れるはずだったのに…
今週もまた厳しい1週間になりそうです。
はい、がんばります☆
7月5日(日)
《過去日記》東京六大学野球考(2006年09月25日)
東京六大学野球を観戦するのは好きですけど、淋しい気持ちにもなりますよ。六大学野球って大手企業文化の象徴みたいなものですから。サラリーマン路線からはぐれてしまって、くすぶっている自分からすれば、正直歯痒いですよ。
まず選手について言えば、六大学には高校時代実績を残した一本目の選手が集まってきます。しかし内部での競争が激しすぎるからなのか、伝統の悪い方の影響で練習を合理化できていない面があるからなのか、野球自体のレベルは一番とは言えないんです。リーグで言えば東都リーグの方が、チームで言えば東北福祉大学の方が強いでしょう。
ただ、次にリーグが持っているポテンシャルということになると、やはり東京六大学が一番なんです。いくら学生野球人気が下火といっても、あの独特の雰囲気を醸し出せるのは六大学しかない。これぞ伝統のなせる技とでも言うのでしょうか。東都リーグなんてかわいそうですよ。平日開催ですからお客さんはまばら、応援団もいるかいないかという程度で、ブラスバンドまで組織できないから、控え部員が「男!○○!打て!打て!」なんて声張り上げてますから。雰囲気的には高校野球以下ですよ。
これを僕自身の問題に置き換えると、東都リーグにはなれるかもしれないけれども、六大学リーグにはなれない。実力というのは努力次第でなんとかなるかもしれないけど、この雰囲気は一筋縄ではいかないよなって思います。外野の僕的には、それが観ていて悔しいですね。
しかしまた、それとは別に、逆の意味でも歯痒さを感じます。 六大学リーグの組織というのは確かによくできている。六大学スタイルという全体的なカラーを持ちつつ、そのなかで各々が独自のカラーをちゃんと持っている。伝統の力というやつですね。そしてリーグを構成している人々、選手はもちろん応援団(リーダー、チア、ブラスバンド)、運営委員とみんな良く働く優秀な人たちです。こういった面は僕も素直に学ばねばなりません。彼らに勝てなくても、取り入れる必要があるでしょう。ただ、彼らの優秀さは所詮この程度に過ぎないとも言えるんです。彼らは伝統的に続けられていることを高いレベルで習得して実演する能力には長けている。しかし、外的な変化に対しては極めて鈍感というか、動かないというか、動けないんです。おそらく過去にもっと人気があった時にやっていたことと、人気が下火になった今やっていることとは、全くと言っていいほど変わらないのではないでしょうか。まさに大企業の人材そのものでしょ。
ここからは少々政治的な余計な話になりますが、ちょうど良い機会なので言っておきましょう。おそらく来年、斎藤佑樹投手が東京六大学野球の門を叩きに来るでしょう。彼が今以上の成長を遂げるか否かは彼自身の努力次第なので何とも言えませんが、彼は個人に留まらず全体に影響を与えて動かせる人材です(斎藤君にプレッシャーをかけるといけませんので程々にしますが)。これを機に六大学野球自体が抱えている根本的な問題を改善して一掃してしまえば良いと思うのです。具体的にどうこうとは言いませんが、どうして欲しいかと言うと、「六大学リーグのみの活性化、発展を考えるのではなく、どうすれば、六大学リーグが活性化することによって大学野球界全体を活性化することができるか、大学スポーツ界全体を活性化することができるか」を考えてやって欲しいのです。さらに言えば「中学生以下〜高校〜大学〜社会人〜プロ」といった縦のラインも意識してやって欲しい訳ですが、大学野球にはまだそこまで求めません。これについては、むしろプロ野球関係者が率先して改善に努めて欲しいです。
このあとどうなったかというと、
斎藤佑樹投手が早稲田大学に入学した1年目は、よくわからないおばさま方が球場につめかけましたが2年目くらいで落ち着きました。結果的にブームによる人の動きは六大学野球のためにもなりませんでしたし、斎藤佑樹投手のためにもなりませんでした。
ある営為を続ける以上、人びとの注目を集めてゆく必要はありますが、ブームに乗っかったり、煽ったりせず、本来の魅力を着々と広めていくしかないと思いました。先の女性リーダーにしても奇をてらった訳ではなく、選手を応援するために、場を盛り上げるために自分が何をするのが一番相応しいかを純粋に考えた結果でしょう。
ちなみに、今年の春の早慶戦は久しぶりに盛り上がったようですね。理由は宣伝ポスターが話題になったからだとか。こういった些細なことでもよいから、その営みに関わる人びとがひとりでも多くの人に球場に来てもらおうと日々アイデアを出してゆけばよいのだと思います。
7月4日(土)
なでしこ観ていて思い出したけど、
そうか、、、
早稲田の女性リーダー、卒業しっちゃってもういないのか...
7月3日(金)
チーム内での伝達ミスでみんなのスケジュールがひっくり返った。チームの編成が変わったばかりなので、しばらくはチームミーティングを密にやっていかねばならない。
各自多くの仕事をかかえているので、時間を浪費するムダな会議はなくすべき、ミーティングの目的は全体の動きを共有して、各自の役割を認識し、各自が動くこと、それぞれの動きをまたみんなが共有すること。
7月2日(木)
ニコちゃんに疲れを指摘される。
疲れが顔に出てしまっている…
あまりにも眠そうな顔をしているので、チャイティとは別にコーヒーを出してもらう。目がさめた ☆ .. ☆
仕事後にプールへ。少しだけリフレッシュ。
チーム内で作業の分担を改めたので負担が減った。今週がんばれば流れに乗れるかな?
がんばろー!
7月1日(水)
疲