種あってこそのスイカ

日曜に今シーズン初のスイカを食べたけど、やっぱりスイカは種があるのがいいね。


子どもの頃夏に農家やっている父の実家に行くと、スイカが食べ放題だった。もうそれが楽しみで楽しみで仕方なかった。
藁の上に座ってスイカ志村けんのようにものすごい速さで食べていた。
「スイカは逃げないからゆっくり食べな」と言われても止まらなかった。逃げるなんて思っていないし速く食べたいとも思っていなかったけど、たくさんのスイカを目にしたらもう食べる手も口も勝手に止まらなくなっていた。
たくさん食べればたくさん種も出る。そんな種は田んぼに向かってプププッと口から発射していた。この発射が楽しかった反面、食べている時に種をかじって苦さが口の中に広がって嫌だったり、発射するのがめんどくさかったりした。
タダで好きなだけ食べながら、「あー種無しスイカだったらいいなー」とか贅沢なことを考えていた。


そんな子どもの頃のスイカと種のことを思い出しながら今食べると、スイカの実の甘みの中に少しだけじわっと混ざっている種の苦みが一番スイカらしさを出していることに気付く。かじった時の苦みじゃなく、食べている時にかすかに感じるこの苦みがスイカをスイカたらしめているな〜と思う。
これを感じながらシャクシャク食べていると、やっぱり種無しスイカよりも種のあるスイカがいいなと思っちゃう。
ぜーんぶ甘いだけじゃどこかつまんない。ちょっと手間かかるくらいが楽しい。車やバイクでオートマよりマニュアルのほうが好きな人はこの気持ちがわかるかもしれない。だいぶ強引か、でも自分はわかるぞ。


イカ一つとっても子どもの頃と大人になった今では感じることが違うのね、と思った日曜。子どもの頃と違って種はきちんとお皿にプププッ。