日記

どうにも落ち着かなくて書くけど、それは自分の体調なのかもしれない。自分の日常の一部だったように思うからかな。ECDの不在でこんなに動揺すると思えなかった。ただのファンだった。いつからか勝手に石田さんと呼んでいた、多分石田さんの本を読んでからだと思う。初めて聴いたのは何でいつだったか覚えてない。10年以上前、デモとか円ジャンとか、ロンリーガールとか、ぽつぽつと情報が入ってきて、そしたらいつのまにか聴いていていつのまにかライブに足を運んでいていつのまにか本を読んでいて、いつも自分の聴く音楽の近くにもいて、音楽以外でもいて、きっと初めて聴いたときから今までずっとそう。
何をして飯を食ったらいいか分からなかったときにとにかくずっと聴いていて、当時ちっとも”一般的に正しく”は駒を進められなかったけど自殺するよりマシだからとりあえず働いて生きて、生きてたらレスザンまわりの音楽聴くようになってメテオナイト行くようになって、クラブにも行くようになって石田さんを観る機会が増えた。石田さんのツイッターから粗悪ビーツとdekishiを知って、そっからgrimeを知ってベースミュージックも聴くようになった。ベースミュージックは今まさに聴いている最中。
大雪の日の池袋の真夜中、石田さんとツボイさんはほんとにかっこよくておもしろくて熱くて、あんなにすごいパーティーは二度とないと思う。
めちゃくちゃにへこんでたときに聴いた160or80のfar from chicago beatにはかっこよすぎて笑ってしまった。
安保法案にとめるためにはとなんかしなきゃと思ってデモ行ったら石田さんの声が響いていて、ちょっと安心した。
強く意識して石田さんを追っかけていたわけではないのに、どこかいこうとすると大体石田さんが近くにいるのだ。行く先々で石田さんの名前を聞くし、なんやかんや石田さんの話をした。ついこないだも他愛ない会話でその名を出したばかりだった。
まだ喪失感とかよくわからないし、知り合いでもないひとへこんな気持ちになるのは初めてでうろたえてしまっているけど、新しい曲が出なくて、またライブが観れなくて、その声をどこかで聴くことができなくなったと考えたら悲しくてたまらない。私が一番最後に聴いた石田さんの生の声はメテオナイトのときのストラグルの前のそれだ。強くて厚い声、不意打ちだった。そのときはまたいつかビートの上で聴ける気がしていたから、ただただびっくりだった。今でもびっくりしてる。
彼からどう影響をうけたかなんてちゃんと言葉にはできない。ただ自分の生活のなかに確かにいて、今でも。