原作

例によって愛・蔵太の少し調べて書く日記の、2006-08-17付け記事「映画『ゲド戦記』に原作者様がお怒りの様子」経由(未来日付の経由地に合わせてというわけでもないのだが、一日未来日記で)。

移譲記章 ゲド戦記原作者がお怒りの模様より引用

Of course a movie shouldn't try to follow a novel exactly
― they're different arts, very different forms of narrative.
There may have to be massive changes. But it is reasonable to expect
some fidelity to the characters and general story in a film named for
and said to be based on books that have been in print for 40 years.

もちろん、映画が小説の筋を正確にたどる必要などありません。
映画と小説は別々の芸術であって、「語り」の形式がまったく異なるわけですから、
小説の映画化においては、大々的に手直しせざるをえないのかもしれません。
けれども、40年も版を重ねた原作と同じタイトルをうたい、
それを映画化したものであるというからには、
登場人物の性格や全体的なストーリーに対して、ある忠実さが
みられてしかるべきではないでしょうか。

ゲド戦記について語るつもりはない。原作も未読だし、映画も見るつもりはない。
ただ単に、原作というものの扱いについての見解に、同感の意を述べたいだけである。

小説→漫画、小説→映画(動画)、漫画→映画(動画)。
いずれにおいても、両者の『「語り」の形式』が異なる以上、『手直し』は不可欠であろう。特に「小説→」のケースでは、そぎ落とすべきものがあまりにも多すぎて、別作品にならざるを得ないところがある*1
基本的には、上記3ケースのいずれにおいても*2、世界観をきちんと踏襲できていない場合は「原作」と称するのが間違っているように思う。せいぜい「原案」。同じタイトルや、同じキャラクター名を使用していても、ある意味パロディというかオマージュの世界である。そして往々にして、単独で名作となりうるのは「翻案」だったりもするのだ*3

*1:もしくは単なる挿絵集に堕すか。ハリー・ポッターシリーズの第1・2作のように。

*2:逆に→小説の場合、作家の能力次第では原作の世界観を見事に踏襲し、むしろ深めているケースもあるように思う。具体例は思いつかないが。もちろん逆の事例(失敗例)が数多くあるのは承知の上で。文章を絵/映像の上位におく類いの偏見だろうか。

*3:近々ではブリジット・ジョーンズとPride and Prejudiceの関係なんかは例としてどうだろう。

特異点

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20060802(なんか削除されている。残念。)

特異点」とは大げさな。「超時空世紀オーガス」って今の若い人は知ってるかな。このアニメで有名になった言葉です。 

なんじゃそりゃ。もっとSF嫁。自分の狭い経験を一般論のように語るなよ*1

*1:ちなみに1983年ごろのアニメのようだから、それが有名になった後で物心ついたから経緯を知らないんだろという突っ込みは却下。プロフィールを見ると、サイト主は1962年生まれとか。1983年といえば21歳。おいおい。そもそもSF以前に、お勉強の方でその言葉に親しんでいても不思議でもなかろうに。ちなみにホーキングとペンローズの「特異点定理」の発表も1967年〜1970年といったころ。