ココにいるよ! (1)
なかよしにも Web2.0 の波が!
工学の流れは文学に湧くと言う*1。えーと、つまり「文明の利器」が社会にどの程度浸透しているかは大衆小説を読めばわかる、と言いたい。小説に限らず、映画でも漫画でもいい。私の専門は漫画だ。漫画の世界にもケータイは広く行き渡り、日常の一部として描かれている。一方、ギークたちを飲み込んだ Web2.0 の津波はまだ漫画界には押し寄せていないようだ*2。
ところで、20代より10代の方がパソコンのリテラシが高いという噂がある*3 *4 *5。今20代の人の親はまだ紙世代で、子供のころはパソコンのない家が多かった。今10代の人の親はマイコン世代で、パソコンは家にもあるし学校でも習う*6。結果、20代はケータイ中心に、10代は両刀遣いになっているという説だ。私の職場にはここで言う親世代の人たちがウヨウヨいるわけだが、だいたい1965年生まれを境として「紙文化圏」と「ネット文化圏」にはっきり分かれていると感じる。そして、ネット文化圏で育った人の子供が今のローティーンなのだ。
書評に戻ろう。本作は
わたし 隅乃ひかげ 中学二年生
存在感 0 の女…
が主人公。あまりの存在感のなさに誰にも気づいてもらえず、クラスメイトとも全くコミュニケーションがとれない。そんな主人公の趣味は、植物を育てることと、パソコンでブログを書くこと。いつもコメントをくれる2人の常連さんが主人公の存在を認め、励ましてくれる。
ネットの中の人で おたがいハンドルネームしか知らなくって 現実だったらぜったいにこんなふうに話せないけど
「わたし」をちゃんと見てくれる 大事な心のささえです
てな具合に、「パソコン+インターネット+ブログ」が主人公の内面に通じる重要な小道具として使われている。これって少女漫画界では先駆的な事例じゃないだろうか*7。作者自身がネット文化に深く根ざしている*8という背景があるにせよ、ローティーン向けの作品にこうした新しい舞台装置が導入されたことは、ネット文化圏に「2世」が広く育っていることを示す確かな証拠と言えるだろう。おお、なんと頼もしいことだ! きみたちは情報化社会の屍を乗り越えて真の知識社会を創造してほしい。がんばれローティーンズ!
あー、主人公が 仲根るい にしか見えないのは公然の秘密ということで?