お話おじさん′終活記

はや人生はラストステージ、いつのまにか年が過ぎ、いまがいちばん自由で、楽しい。

因果なわれに同情・・・

今日はミーティングに出てから、県立図書館によった。
先日梅原猛さんのコラムを新聞で読んで、数学少年だった氏が、突如文学少年に変身したきっかけとなったのが、川端康成の『十六歳の日記』だったという。踊り子といっしょに収められているその本を、ユースの棚から取り出して通読した。

中学生の時につけた際の日記をもとに書いた処女作で、寝たきりになった祖父のことが中心になっている。成人してから、たまたまこの日記を発見したときに、自身が読んでみて、あったことにほとんど覚えがない中で、祖父の死とその当日のことははっきり記憶にあったと記している。康成は幼子で両親を亡くし、祖父母に育てられたが、倒産の憂き目にあい、一人になった。過酷な運命に身を置きながらも、それを傍観している。

自分のことになるが、父を失ったのは小学二年、七歳のときで、はっきりと覚えている。その死に際にいたのは私、すぐ駆け付けたのが母だった。昼間酔って、炬燵に入ったまま昼寝し、高いびきをかいて逝った。その向かいに同じ炬燵に入って私がいた。

そして、その日の前後のことはまったく覚えがない。親戚中の者が集まって、自宅で挙げた葬式のことも写真が残っているだけで、少しも記憶にない。

過去のほとんどは、忘却の彼方に去って行ったが、いまだ去らないものがある。そのほとんどが、よい思い出ではないのが、まことに残念で、因果なわれに同情するばかり・・・