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梅田望夫のModernShogiダイアリー

2010-04-14

「変わりゆく現代将棋」(羽生善治著、上下巻) 4月23日発売!!!

06:03 | 「変わりゆく現代将棋」(羽生善治著、上下巻) 4月23日発売!!!を含むブックマーク

とうとうこの日が来たか、と言えば大仰に過ぎるかもしれないが、羽生さんの未刊の名著「変わりゆく現代将棋」がついに発売される。自分の本が出たときと同じくらい嬉しい。そして、これほど重要な作品の誕生に貢献することができた(ひいては将棋の世界に貢献できた)という意味で、僕はいまとても興奮している。

本書刊行については、版元の毎日コミュニケーションズからニュースリリースが出ている。

http://www.mycom.co.jp/news/2010/04/_423.html

4月21日に毎日新聞で開催される名人戦第2局大盤解説会の開始時に「『変わりゆく現代将棋(上・下)』先行発売&出版記念イベント」が開かれるとのことだ。

「変わりゆく現代将棋」下巻には、羽生さんとの対談「現代将棋と歩んだ十年」が収録されている。「対談」というよりも、僕が聞き手になって、羽生さんの「現代将棋と歩んだ十年」についての話を聞いているといったほうが正確だ。本のページ数にして20ページ以上にわたるもの。「将棋世界」4月号にそのほんの一部が掲載されたので、ご覧になられた方もいらっしゃるかもしれない。

話は昨年9月、京都で行われた王座戦第二局終了後の打ち上げ会場にさかのぼる。羽生さんと山崎さんによる長い長い感想戦が終ったあと、打ち上げは深夜0時30分から始まった。

そのとき、打ち上げ会場で羽生さんに会ったときの彼の第一声が、

「「変わりゆく現代将棋」、とうとう本になることが決まりましたよ!」

だったのだ。そのときの羽生さんは本当に嬉しそうだった。

ほどなくして「将棋世界」編集部から、この対談依頼があり、その次の来日時の11月に日程調整をして、羽生さんと対談することになったのだった。歴史に残るこの名著の中に収録される対談なので、僕のほうも責任重大である。

ということで、それから対談までの間に、ノートを取りながら「変わりゆく現代将棋」連載全41回分を再読し、連載で語られた手順の変化はすべて盤の上で並べ、時代背景をより深く理解するために、連載が掲載された「将棋世界」1997年7月号から2000年12月号までの主要記事を読んだ。昨年の9月下旬から11月初旬までは、仕事の合間の時間をほとんどすべてこれに費やし、ノートは400字詰め60枚くらいになった。そんなふうに僕なりに準備にもベストを尽くした結果の「対談」で、羽生さんの新しい言葉をあれこれと引き出すことができたのではないかと思っている。ぜひご一読いただければと思う。

「変わりゆく現代将棋」の意義については拙著「シリコンバレーから将棋を観る」のなかで書き尽したので、その内容は繰り返さないが、対談のための再読で改めて考えたのは、「変わりゆく現代将棋」は本当に「難解」だろうか、ということだった。「変わりゆく現代将棋」は連載時に「難解」と評価され、その先入観が書籍化を遅らせたのだ。本書のニュースリリースに、

本書の特徴は1手1手の指し手が論理的につながっていることです。「なんとなく」や「おそらく」といった曖昧な記述を避け、1手1手にきちんとした理由づけがなされています。ここ十数年の将棋界は序盤戦術が飛躍的に細分化し、本書で語られている体系的な思考もごく当然なものになりましたが、この連載は10年も前に書かれたものでありながら、完成度は現在の目で見てもまったく劣ることはなく、むしろその価値を再認識できるものです。

とあるように、この本はおそろしく論理的なのである。多くの棋書よりも論理的なのに、いや論理的ゆえに、「難解」と評価された。それはどういうことなのか。

「対談」での質問で僕は、

『「変わりゆく現代将棋」は、論理性というものが徹底的に追究された作品だと思うんですね。論理で詰めるためには必ず白黒の判断をしなければいけない、それをここまで考えるのか、と。それが、この連載をたどった時に、強く感じたことなんです』

と羽生さんに問いかけたのだが、この本は、論理性を貫こうとする羽生さんが下す「白黒の判断」の背景までをすべて理解しなければ・・・と考える人にとって、特に「難解」に思えるものなのだ。「白黒の判断」の背景まですべて理解しなければ・・・と考える人とは、「将棋を指す」人である。しかもプロ棋士も含めて、将棋のおそろしく強い人たちである。

言い換えれば、この本は「将棋を指す」ために読もうと考える、将棋のおそろしく強い人にとって、特に「難解」な本なのではないか。そして逆に僕のように、「将棋を指す」ために読むのではなく、純粋に現代将棋を巡る羽生の思考の跡をたどりたいと思って読んでいた者のほうが、きっとその「難解」の罠にはまらずに読み進めることができたのだろう。

『将棋の強い人が「難解」だと言うのだから、すべての人にとって「難解」であろう』という断定(おそらくこの断定ゆえに、本書は埋もれてしまっていた)は、正しいようで正しくないのである。

この「変わりゆく現代将棋」という作品は、「将棋を指す」ために読むということを離れたときに、より深く理解できる作品なのかもしれない。このあたりが「指す将棋ファン」と「観る将棋ファン」の違いが際立つところでもあり、門外漢の僕がこの「変わりゆく現代将棋」という作品の再生に関与することができた理由は、突き詰めればそこに行きつくのではないかと思うのである。

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