Hatena::ブログ(Diary)

moeka-kanoの日記

2013-07-29

『ある放浪者の半生』V.S.ナイポール

| 00:40

 

ある放浪者の半生

ある放浪者の半生

 26にして2社目の会社を1年に満たずして職。もちろん次の会社は未定。

 お昼過ぎに起きて、「あーーーまだ1時か。。みんな仕事してるなーーーもっかい寝よ。」「あーーもう3時かーーーまだみんな仕事してるなーーーカフェでもいこ。」そこから何時間もスタバに居座り、本を読む。隣には図書館。とっかえひっかえで本を読む幸せ。そんな人生の休暇を楽しんでいた時この本に出会った。

 昔から何をするにも飽き性で、やることなすこと全然続かない。そんな自分に半ばうんざりし、いつまでこの休暇が続くのか、本当は怖かった。人一倍頑張ってきたのに、なんでこんなことに。。。??確かにみんな、自分のそれなりに大変な人生を精一杯生きているのだろう。だから、大変なのは自分だけじゃない。それを理由に仕事ができないなんて、甘えでありわがままだ。そんな風なまなざしで、社会が自分のことをみているような気がした。そんな社会とはおそらく自分の内なる声なのだろうが。。。だけど、誰がなんと言おうと、「私は」人生に疲れたのだ。もうなにもしたくないと思ってた。

 ここには私が描かれていたと言っても過言ではない。訳者が、原題「ハーフアライフ」を、半々の人生、もとい、中途半端な人生という意味ではないかと言う通り、主人公サマセットモームと周りを取り巻く人々は皆、中途半端な人生を送っている、というより送らざるをえなくなっている。登場人物は、皆それなりに精一杯生きている。だが、本人たちが精一杯生きているのとは裏腹に、人生はその努力を100パーセント報いてくれるわけではない。(そして日常の生活のなかで、常に100パーセントの努力をするのはかなり難しい)頑張っているのに、不器用であったり、方向性が間違っていたり、それこそ運がなかったために、結果的に中途半端な人生になってしまっているのだ。

 モームインドでの生活が嫌になり、ロンドンに渡り、いざロンドンにいるとなんとはなしに日々が過ぎ卒業。その後の所作など考えていなかった彼は、これまた気まぐれで彼女の実家のあるアフリカへと移住する。気づけば18年。

 いまや僕の人生の最良の部分は終わってしまった。そして、僕は何もしていない。


当初は様々な文化の軋轢のある社会で、確固たる居場所がモテない者たちの苦悩かと思ったが、どこにでもある、それこそ日本でも、まさに今となりの人の顔に確認できるような現代人の苦悩が凝縮された本だった。気がつけば、自分の人生とも言えない、言いたくないような人生を生きてきてしまった。絶対思いたくないが、どこかで思っている自分がいる。

 ああ、だけどそうか。そうやって試行錯誤して積み上げて行くことに意味があるのか。たとえ、20年後、まだ何もしていない!!と叫んでいても、その時気づけたら幸せだ。

 また仕事しよう!!!!!

2013-06-10

『何者』朝井リョウ

23:29

 

[asin:B00CL6MVA8:detail]

  就職活動まっただ中の大学3年生。

「将来何をやっていきたいのか」、働いていなのに答えを出さなければならないとはなんて非情な世の中か。そんなにリアルな未来を描けないなかで、精一杯の想像力で挑むしかない面接。就職するために、やりたいかどうかわからない仕事にむけて、様々な武器をまとった自己PRで挑むものの、落選。わたしにもあった過去だ。落選が続くと自分への信頼が揺らぎ、他人への猜疑心が強くなる。そんな就職活動における心理戦を丁寧に見事に!!描いた本。

 

 この本は就職活動という人生でも特異な経験をした多くの人が共感できる話ではなかろうか。わたしはまさに、自分の実体験を読んでいるような錯覚に陥った。この本の中には私がいたし、私の友人がいた。だから、就職活動は終わっても、そんな心理戦は全然終わりじゃないのだと彼らは知ることになる。その先の未来を少しずつ垣間見ている今の方が、この就活模様は息苦しい。

 あれから数年がたち、実際の社会人をやってみると、「何者」かになるのは相当に難しいと気づく。それでも、昔と変わらず、もしかしたら年ととればとるぶんだけ、「何者」かになりたいという欲求と焦りは募るばかりかもしれない。


 自分の想像の中のアイディアはいつでも傑作で、それに点数をつけられることを恐れ、永遠に夢を見続ける。人生のどの地点で、点数をつけられる勇気を持てるかが、その人の人生を決定づけるような気がしてならない。

 自分の心の深いところをえぐる良本。自分への戒めも含めて。かっこわるいことを恐れずに生きて行きたいと切に思う。

2013-05-13

『ファウスト』ゲーテ

| 00:13

ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫)

ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫)


 言わずと知れた名作『ファウスト』。

 ドストエフスキー(と言わず多くの文豪)に影響を与えた本ということで、読んでみた。

 地上の学問全てを修めたものの何にも満足することができなかったファウストが、悪魔と契約を交わし地上での満足に至る過程を辿る本。最初は快楽を、次は美を、最後は創造的活動を追求していく。

 第一部は恋愛の話で、誰にでも読める平易なものだが、第二部は恐らくギリシャ神話などの知識がないと堪能はできないだろうと思われる。私もそういった知識は皆無であったため、WIKIPEDIA先生にご助力頂いた。(これによって、理解度が格段と深くなった。)確かに、詩や古文調の文章が難易度を高めているようにも思うけれど、これはそんな小難しい場所を飛ばし読みしてでも一読に値する。さすが、ゲーテが24歳から書き始め、82歳まで書き続けた本で、彼の人生が詰まっているのだろう。

 要は「仕事」というのは快楽や美といった一時的なものと違い、永遠に残るものであり、それを極めることこそが人生の幸せである、又、「自由も生活も日ごとにこれを闘いとってこそ、これを享受するに値する人間といえるのだ」と。

今の自分には本当に胸に刺さる。

最後は盲目となり、自分の墓を掘る音が、民衆の田畑を耕す音だと勘違いし、その状況が人生において何よりも「最高の瞬間」であると至上の幸福を感じながら死に至る。

なぜ、ゲーテが最後の瞬間をこんな風にしたのか未だに意図が掴めない。

自分の墓を掘る音が、民衆が一歩一歩田畑を耕す前向きな桑の音だとなぜ勘違いできるのか。

そして、勘違いして死ぬことができたファウストは幸せだが、なぜ読者にその舞台裏を明かしたのか。

私も80になったら理解できるようになっているのだろうか。

人生と共に読み進めたい1冊。

2013-04-16

『鉄の時代』クッツェー

| 21:15


 アパルトヘイト下の南アフリカが舞台。ある女性が死を間近に、自分の人生とその人生につきまとわれた南アフリカを問い直すという本。

クッツェーは、少し前に『恥辱』を読んだ。正直、世間で賞賛されている理由が見えず、そうなるとますますその理由を知りたい!とこちらも読んでみた。


黒人と白人、その差別が根深い国で、両者の溝を埋めることはできない。黒人は黒人として生まれ、白人は白人として生まれる。生まれた時点で、その配役を割り当てられた人々は、そうあるべきものとして生きるしかない。そんな無限のループに脱力した。クッツェーの『人は生まれる国を選ぶことができない』という言葉が胸にささる。

が、そんなこの本。南アフリカの社会がどうというより、このおばあちゃんの偏屈さ、頑強さ、愛嬌のなさが半端なくて、最初とても不快だった。こんな女性、男だけでなく、女からもモテない!!娘が逃げた気持ちもわかる。同居人ファーカイルをこんな風に描写する箇所がある。

『ときどき彼はこういうことをするーーーわたしに逆らい、挑発し、わたしの神経を逆撫でして、苛立ちの徴候があらわれるのを観察するのだ。それは彼なりのからかい方だ。なんて不器用で、なんて魅力に欠けるやり方、気の毒になるくらい。』


ファーカイルは、元は浮浪者で居候だが、同居していくうちに、おばあちゃんにとってなくてはならない存在になっていく。それは、日々の生活の介護をしてもらうという意味でもあるし、なにより娘=次世代の人々に自分の人生を通して南アフリカという国の現状を伝達してもらうメッセンジャーの役割を担う重要人物。その意味で二人の関係は対等に思える。

のにも関わらず、彼女にとって思いやりとは「受けて当然 」なのだ。自分は彼に対して屁理屈ばかり。それは、病気のわたし、かわいそう!病気なのに娘がこないわたし、かわいそう!南アフリカで生きてきたのに、白人だからという理由で意見を聞いてもらえないわたし、かわいそう!!って自分への憐憫で溢れている。もちろん、クッツェーは明確に彼女に語らせるわけではないのだけれど、そういう思いが見え隠れする。まさに魅力に欠けるやり方で、周囲の人に接しているのだ。これが彼女に感情移入できない理由だろう。

そして、その感情移入のできなさがそのまま南アフリカ社会の溝であり、ひいてはどこの社会でもある溝となって迫る。黒人社会は、彼女の意見を受け入れることができなかったが、わたしもまた、一人の人間として、彼女のむきだしの感情を、同情こそすれ、受けいれることはできなかった。でも、それは彼女が南アフリカに住んでいる白人だからではないのだろう。これを読んで、彼女がわたしの隣人にみえた。世の中の多くの人は自分の感情を押し殺して生きてるのだろうが、わたしの隣人もまた自分に正直で素直だ。もしかして、どんな人でも、その人のありのままの感情に向き合うと受け入れることができないものなのかもしれない。そう思うと、大嫌いな彼女のこともなんとなく、温かい目で見ることができるようになる。この小説の受け入れがたさを突き詰めたら、そんな気持ちになった。

『自由の牢獄』ミヒャエル・エンデ

| 21:12

自由の牢獄 (岩波現代文庫)

自由の牢獄 (岩波現代文庫)


 8つの短編集。

「自由の牢獄」

 神の世界から離れ、自分の意志の世界へと帰依することを誓った男は、111個もの扉から自分の運命の選択を迫られる。

或る扉は、財宝を手にする扉かもしれないし、或る扉は、野獣に食べられる扉かもしれない。

ただし扉自体はどれも似ていて、選択の根拠になるようなものは何もない。

さてどうする??という話なのだが、私たちの人生は常にこの扉の連続である。開いたと思ったら、違う扉が目の前に現れ、また開いたと思ったら扉が現れる。

どうにかして正しい扉を開こうと、なんらかの「サイン」を見つけることにやっきにもなるが、実際のところ、そのサインとは自分の心落ち着ける気休めにしかならない。

結局開くまでどの扉が正しいかなど分からないのだ。

「完全な自由とは完全な不自由なのだ」と結ばれるこの本は、自由に伴う責任の大きさを感じさせる一方で、同じ結果になったとしても、その過程にいかなる思索があるかで不幸にも幸福にもなると示唆されている。

主人公は結局選ばないという選択をしたのだが、何を選ぶか人生を賭けて考え続けたからこそ、選ばないという選択が彼にとって幸福な選択となったのだろう。

自由を考える本を読むといつも、何が幸せなのかわかならくなるが、自由な人生を選択してしまった私は、人生を賭けてその責任を負い続けなければならないなと決意を新たにする。


その他、「遠い旅路の目的地」「道しるべの伝説」等、本当に自分が求めているものは人生という旅路をかけて見つけるべきだと言われているような短編が多い。

また、目的が見えてしまったら、旅せざるをえないとも。

ただ、その目的地を知っている人は幸せだ。

こちら、まだ見つける途上。

2013-04-11

『運命ではなく』 ケルテース・イムレ

| 18:03

運命ではなく

運命ではなく


 ハンガリーに住むユダヤ人の少年が、ある日突然ナチス強制収容所に連行される。収容所での日常を子供目線で描く小説。

 私たちがアウシュビッツだとかナチスという単語から連想する歴史的知識は、ほんの表層でしかなくて、どこの人がどれだけ死亡し、どれだけひどい扱いがなされたか、殺され方やバラックのしくみ、労働の種類や病人の扱い方など、記録された知識がほとんどだ。私はアウシュビッツ系の小説はこれと『夜と霧』しか読んだことないので、それもあるのだけれど。。

 これは、一人の人間が収容されてから解放されるまでの日常を負う小説であるところがいい。ラスト10ページは何度読んでも感動する。

 強制収容所に連行され、悲惨な生活を強いられる毎日は、決して運命なんかではなく、その一歩一歩に選択の自由があったのだと力説するシーンや、回りの人間が、収容所での地獄のような体験しか聞きたがらないのに対し、「まだあそこにいた時ですら、煙突のそばにだって、苦悩と苦悩の間には、幸福に似た何かがあったのだから。ーいずれ次の機会に質問されたらー強制収容所における幸せについて話す必要がある」と結ぶなど、現代の私たちの毎日勇気をくれること間違いない。

『恥辱』クッツェー

| 18:00

恥辱 (ハヤカワepi文庫)

恥辱 (ハヤカワepi文庫)


 アパルトヘイト後の南アフリカで教授をしていた彼は、自分の教え子に手を出して職を追われ、娘の営む農場へ身を寄せる〜という話。 その後の展開はさらに劇的で、現在の南アフリカにある様々な価値観の対立を垣間見せてるところがこの本の評価される所以なのだろうと思われる。

 だけどわたしが1番に感じいったのは、老いるということは、恥辱に耐えるということなのだろうということ。老いても性欲は衰えず、若く美しい女の子と寝たい!という欲求は、若い時と変わらずにある。これはきっと多くの男性にあるはず。だけど、普通の人はそれを表立って実行に移さないし、もう移せない。それは社会のルールが自分にも染み付いてるからで、その暗黙のルールを理解していながら自分が抗い難い欲求を感じている、それが恥辱に耐えるということなのだろう。だからこそ、 この主人公は、若い女の子と寝る特権は若い男性だけにあるわけじゃない!!と自分を納得させ、積極的に享受しにいく。世間にばれた結果も、別にいいじゃん!!といった強気な姿勢だが、地位も名誉も奪われ田舎に追われる姿に哀愁が漂う。


 また娘に会ったら会ったで、娘の新しい価値観は、父の古い価値観を拒絶する。価値観とは自分が生きてきた軌跡の結果のようなものだから、それを拒絶されるという恥辱。

 恥辱を読んだだけではこんな感想に至らなかったのだけど、『鉄の時代』も合わせて読んだらこんな風に思った。ただし、どちらもわたしには受け入れ難い。それは、わたしがこの本同様、初老の男性に言い寄られて身の程を知れと思った経験があるからなのか、それともわたしが新しい価値観の側に近く、老いる側の立場にたって考えることがまだできないからなのかは定かではない。

あと、老いることをテーマにした本という意味では、ドリス•レッシングの『夕映えの道』の方がはるかに好きだ。