「成功」とは何か(定義の問題)

何をもって「成功」というのか

前エントリは、いつになくたくさん読まれたようで、それはどうやらアルファルファモザイクに紹介されたからのようだ。こんなことならエイプリルフールのネタをこっちにすればよかった。

閑話休題

コメントその他で、反論をいただいたが、そのいくつかは、そもそも「成功とは何か」「進歩とは何か」といった言葉の定義にあると思う。たとえば、音楽配信ビジネスについて、「日本の携帯は囲い込みビジネスに過ぎず、日本の中で閉じている。これが成功(進歩)と言えるのか」という類のものだ。前エントリでは省略してしまったが、そもそも「成功」「進歩」とは何かということを定義しなければならない。そして、出版社やレコード会社といった企業にとっては、売上が高められることこそが「成功」の定義ということになるだろう。

企業は営業的に成功する可能性があると思えば、そのビジネスに目を向けるだろうし、営業的に成功しそうにないと思えば手を出さない。既得権を守ることで、自分たちのビジネスが守れるのならば、当然そうするだろう。それを叩いてみたところで、彼らの考えを変えることはできない。逆に、営業的に利益になると納得できれば、そこに取り組んでいくだろう。

AppleiTunes Storeにしても、FairPlayというDRMで囲い込みをしてきた。そして、AppleSteve Jobs)は、FairPlayを他社にライセンスするのを拒む理由として「レコード会社のためだ」と言った。だが、レコード会社は「FairPlayを他社にライセンスしてもかまわない」(archive.orgによるYahoo! Newsの記録)と答えたにも関わらず、FairPlayがライセンスされることはなかった。他の音楽プレーヤーの入り込む余地がなくなった頃になって、ようやくDRMフリーという形が出てきただけである。Appleのビジネスの是非については触れないが、既得権を守り、やすやすと解放しないことで営業的に成功した事例であるといえる。

その「予測」は何を言っているのか

かつてセールスフォースのCOO、Phill Robinson氏が「3年後にWindowsはなくなっているだろう」と発言したとき、それに便乗して「3年後にWindowsはなくなっている?」というエントリを書いた人がいた。「ワープロ表計算のようなビジネスソフトは、確かに1-2年後には、完全にWeb型が主流になる」というので、その定義を確認したら「ローカルな Office の増加率から SaaS 型 Office の増加率が上回る」とのことだった。たしかに利用者が1億から1.1億になるより(10%増)、1万人から2万人になるほうが(100%増)、増加“率”は高い。しかし、これは「主流になる」という予測に対する妥当な定義と言えるだろうか。

Kindle/iPadの時代がくる」「電子書籍は紙を抜く」「出版業界は壊滅的な打撃を受ける」など、いろいろな予測は出てくるのだが、具体的にはどのような予測なのか。「時代がくる」とは、どれくらいの普及率を考えているのか。iPadの出荷台数は600万台とも1000万台とも予想されているが、日本でどれだけ売れると予想しているのか。それは電子書籍分野で、どれだけの市場規模が生まれると予想できるのか。電子書籍が紙を抜くとは、どの分野の書籍について言っているのか。2兆円の書籍・雑誌を指して言っているのか、あるいはAmazonの印刷物・電子書籍の売り上げ比率を言っているのか。電子ブックデバイス向けのビジネスを出版社に説得したいのであれば、そうした考察をした上で、具体的な数字を挙げるべきではないだろうか。そうした根拠なしに説得しようとしても、結局は「信じてくれ」という宗教的な話になってしまう。もちろん、信じる人が増えていけば、結果的に成功につながることもあるだろう。だが、「信じてくれ」を超えた話をしないなら、信じない人を責めることはできない。

そうした言葉の定義、あるいは主張の前提を確認するということは、科学的な(論理的な)議論においては重要なことである。たとえば、「世界市場に進出できないものを成功と言えるのか」という指摘があったが、それは「世界市場に進出できること」を成功の定義に入れるかどうかで合意できればよい話だ。「デバイスの出荷予想台数が100万台」というときに、「100万台もの市場がある。参入しよう」という意見もあれば、「100万台の市場しかない、やめておこう」という意見もあるだろう。人それぞれ同じ条件に対して違う意見があるもので、そんなことは重要ではない。同じ前提に立てれば、意見を変えようとしても無駄だとすら思う。しかし、「市場は大きいから、参入すべきだ」「その市場って、どれくらい大きいの?」「とにかく急速に成長するんだから、参入すべきだ」「だから、どれだけなの?」「それくらい自分で考えなよ、とにかく参入すべき市場なんだ」という議論では説得できる気がしない。

定義を確認する

前エントリの都市伝説についても、定義を変えれば、必ずしも間違いとは言えない。「日本の携帯通話料金」は、比較対象が「米国の携帯通話料金」ではなく「日本の固定通話料金」であれば、意味のある比較かどうかはともかく間違いではない。「電子書籍が遅れている」についても、文学書に限定し、米国と比較した絶対数として、であれば遅れているのかもしれない(データはないが)。ただし、文学書が売れないのは印刷物でも同じことだろう。ブック検索の和解についても大反対していた小さな出版社はある。内輪の会合で文句を言っていただけで、異議申し立てしたわけではないが。だから重要なことは、その主張が、具体的に何を指示しているかということなのだ。

なお、前エントリには、「アンケート調査は信憑性に欠ける」というコメントもあった。これももっともな指摘である。アンケートは調査対象が偏ってしまうと、実態とかけ離れた結果が導かれてしまうこともある。そこではどのような形でアンケート調査をしたのか、質問文が適切であったか(誘導的な言葉はなかったか)ということが重要になる。もちろん、まっとうな調査会社(調査結果)であれば、結果を見る人にそれがわかるようになっている。そうした調査結果であれば、まったくのデタラメというほどではない。少なくとも反論するのであれば、たんに「アンケートなんて疑わしい」というだけでなく、別の論拠を必要とするだろう。

余談

電子書籍の開放を阻むべきではない」(CNetブログ、佐々木俊尚氏)にこんなことが書いてあった。

日本の出版業界の電子書籍へのとりくみは1999年以降、ほとんど進んでいない。

しつこくて申し訳ないが、このブログで何度も取り上げているとおり携帯書籍を中心に電子書籍市場は成長している(インプレスR&Dの調査より)。

さらに電子辞書という市場も成長してきた(JEITAの発表資料からの抜粋)。

広い視野を持てないジャーナリストが一部の「進んでいない」面しか見ていない間に、電子化に向いているジャンルでは、チャレンジャーは進んでやることをやってきたのである。日本では、KindleiPadなんかよりずっと前に携帯書籍という波があり、そこに取り組んできたのだし、その前には辞書の電子化というムーブメントが起きていたのだ。最近では、Nintendo DS 向けにも電子書籍と呼ぶべきソフトが登場しているし、ヒット作も生まれている*1

佐々木俊尚氏は、日本電子書籍出版社協会の動きを指して、こうも語っている。

なぜいままで放置しておいたのか?

日本の電子ブックデバイスが利益を生み出すほどの市場を持っていなかったからではないのか。だから携帯書籍や、パソコン向けに取り組んでいた(パソコン向けだけでも、すでに60億程度の市場規模)。たまたま、KindleiPadが騒がれるようになり、電子ブックデバイスが盛り上がりそうだから、そちらにも取り組もうというだけではないのか。AppleAmazonが排除されるとしたら、そこに参加しても(たいして)儲からないと思うからだろう。逆に儲かるものなら、出版社には排除する理由がない。佐々木氏の言葉を借りれば、その視点を持たずに議論することなど「ちゃんちゃら、おかしい」

*1:DS文学全集」(26万本)、「DSお料理ナビ」(100万本)など