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night and sundial diary

1月14日 (金), 2011年

日本でFacebookの普及を妨げているのは、実名主義ではない、かもしれない

ちょっと前からFacebookについて感じていたことを脳科学者の茂木さんがいみじくも語ってくれていた。ブクマコメントでもそれに賛同する意見が多数寄せられているので、合わせてリンクを貼っておく。

おそらく話のポイントはココだとおもう。茂木さんのブログ引用する

日本でFacebookが伸びない理由を、日本のウェブ匿名文化と結びつけて論じる人もいる。しかし、私には、それが本質だとは思えない。

Facebookのインターフェイスが、まず私にはよくわからない。一時期のウィンドウズに対して抱いていた違和感と同じように、「ごみごみした」「整理されてない」印象を受ける。

前半はまさに同意見だ。匿名/実名は実はそれほど大した問題ではない。Facebookをしばらくやっていればわかるが、実名主義を徹底して主張しているのは、つまり際限のない匿名主義に陥るのを防ぐための方便だろう(これについては書いてると長くなるので今回は割愛する)。

問題は、後半部分だ。茂木さんのように、Facebookのインターフェイスが「整理されてない」だとか、ゴチャゴチャしてる、分かりにくい、という意見をぼくはいろんな人から聞いた。それがネットリテラシーの高い低い、ネット歴の長い短い、ギークなのかオタクなのかサブカルなのか、属性経験に関係なく、FacebookのUIを「使いづらい」と感じるひとは遍在しているようなのだ。

日本でFacebookの普及を妨げる要因があるとすれば、匿名・実名よりもむしろこの点、インターフェイスに対する違和感なのではないだろうか。実は、このあと説明するように、Facebookのインターフェイスは実に良く出来ている。ただ、その方向性が、日本人には向いてないのかもしれない、とおもわないではないのだ。

それは、Facebookは適度に混乱したままになっている代わりに、むしろスピードリアルタイム性と、操作の簡単さを手に入れているからなのだが、そのちょっとした混乱を、整理整頓好きな日本人は許せないのではないかという気がしているのです(仮説)

決してただ「混乱」しているわけではないFacebookのインターフェイス

繰り返しになるが、個人的には、Facebookのインターフェイスはとても優れていると感じている。設計思想も新しいし、技術的にもかなり高度なことをやっているとおもう。少なくともほかのサービスでこんな設計をこれほど上手く実装してるところは見たことがない。

では、その設計思想とはなんなのか。それは

ニュースフィードだけ見てればなんとかなる

ってことが徹底されてるということだ。

Facebookとよく比較されるのはmixiだが、たとえばmixiで新着のつぶやきを眺めて「いいね!」をつけたいときには、こういう動線になる。まずトップになん件か表示されているボイスのボックスの「もっと読む」をクリックして、ボイスのページに行き、そして「いいね!」する。続いて写真を見たいなら、いったんトップに戻って、写真のページに行き、という手順を繰り返す。

ところが、Facebookはそれほどあちこちのボックスを移動して回る必要はない。ぜんぶがニュースフィードに流れてくるので、「いいね!」もコメントもページ遷移なく、トップページでぜんぶ済ますことができる。しかも自動更新してくれるのでF5を押す必要もないし、過去ログもセミオートページャライズされるのでどこまででも遡ることができる。貼り込んだYouTube動画もそのまま再生できる。さすがに写真を大きく見ようとおもったらアルバムに行かないといけないけど。

これはつまり、Twitterのようにタイムラインでぜんぶ解決するということだ。Facebookではニュースフィードというけど、とにかく自分の友だちのすべての行動はタイムライン(ニュースフィード)にすべて流れ込んでくる。写真も動画もつぶやきもブログ更新もアプリの進捗もすべてが。

それはむしろ、TwitterというよりTumblrに近いかもしれない。いろんな種類のアップデイトが刻々と流れこんでくるという世界。つまり、既存のサービスを挙げてFacebookを説明するなら、Tumblr化したmixiということもできるかもしれない。

さて、そんなにいろいろなものが流れ込んでくると、とてもじゃないが読みきれないんじゃないか? とおもうひともいるだろう。Twitterでも読みきるのを諦めたひとも多いとおもう。

そこが、Facebookは実に上手い。Facebookの実装が上手いとぼくがおもうのはここだ。ストリームが読めないほどただ流れていってしまわないように、実にあれこれを手を打ち、世話をやいてくれる。たとえばこんな感じだ

  • デフォルトで250人分しか表示しない(表示するひとを選出するアルゴリズムがある)
  • 表示しない人、を簡単に設定できる(×をクリックするだけ!)
  • 表示しないアプリ、も同じように簡単に設定できる
  • 似たものはまとめる。「☓×さんとほか〇人がリンクを共有しました」
  • 新着情報では流れてしまった過去ログの「ハイライト」が見れる

こうやってアレコレとシステム側で手を回してくれるおかげで、ユーザーはただ、ニュースフィードだけを表示していれば、ほかにとりたてて何もしないでも、最新情報を次々と入手することができる。気に入ったアップデイトがあれば、ときおり「いいね!」すればいいだけ、という状態になっている。

つまり、最新情報がどこにあるかを、いろいろなボックスを開いて回ったり、検索して探したりする必要はない。ということだ。Facebookはトップページを開けば、そこが常に最新情報であり、それがリアルタイムの世界なのだ。リアルタイムウェブという言葉があるが、リアルタイムウェブをソーシャルネットワークと上手く融合するために、Facebookは実にいろいろな工夫をし、ユーザーに負担をかけないように黒子として立ち回っている。

Facebookでは、じぶんの友だちが今考えていること、今やっていること、今見ていること、がリアルタイムで流れこんでくる。テキスト140字だけという制限もなく、画像も動画もリンクもツイートもブログ更新もなんでも含んだリッチな情報が、適当フィルタリングされて適度な見やすさで続々とアップデイトされる。

ユーザーは余計なことをする必要がない。ただニュースフィードを表示して、最新の情報を摂取することに専念すればいいのだ。実に良く出来たインターフェイスではないかとぼくなんかは思うのだけど、どうだろうか。

さて、茂木さんがFacebookでの体験が「良質なものとは思えない」と書いていたが、残念なことを申し上げれば、それは茂木さんの友だちが「良質なもの」ではない、と言っているも同じではないだろうか。Facebookはシステムは情報を享受しやすくするための黒子、ただのハコであり、そこでの経験は、すべて友だちが放りこんでくれる写真やらツイートやらリンクやらにある。Facebookでの体験は友だちがすべてなのだ。