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night and sundial diary

1月31日 (火), 2017年 ぼくは愕然とする

早い時間からお酒を飲む機会があり、早々に酔っ払ったので二次会などもあったようだけどホテルの部屋に戻って2時間ほど横になっていたらなんとなく復活したのでちょっと散歩に出て、烏丸三条スターバックスでひと息ついた。そういう酔い上がりというか、頭が冴えているのかぼんやりしているのかわからないタイミングで、いろいろ企画などがうかぶことがあり、たまたま手に持っていた雑誌写真特集だったこともあり、写真が本職ではないけど独特の観察眼を持っている作家のひとに写真も撮ってもらうコラムというのがおもしろいのではないか、というような実現可能性があるのかないのかわからないような、そもそも媒体どこにあるのか、みたいな企画をぼーっと考えたりしていたのだけど、それでふと現実にもどって愕然としたのは、そのアイデアで著者候補におもいついたひとには、もう原稿を頼めないのだということだった。

亡くなったひとを惜しむ席で、ぼくは、ともに失われてしまった、彼女によって生み出されるはずであった無数のコンテンツにおもいいたって、ほんとうになにがどうしたってこれをどうすればいいのかという気持ちになったのだ。企画していたこともあったし、考えていただけのものもあった。そういった記事やらなにかいっさいがもう生み出される前に失われてしまった。ぼくはミレーオフィーリアみたいな美しい姿で横たわるひとに、そうじゃないんですよ……と小さく語りかけた。なにがそうがじゃなかったのだろう。きっと、ぼくは、これからも何かを企画したり考えたりするたびに、その著者候補にあげられたであろうひとにはもう記事を頼めないのだとおもいいたって、ずっと愕然とし続けるのだろう。

さっき予約投稿したので明日には2016年に見にいった美術展という記事がブログのほうに載るとおもうけど、そこに書こうかとかんがえてあまりに余談になるのでよしたのだけど、カラヴァッジョ展で遠くからマグダラのマリアが目にはいってきたとき、あそこに雨宮さんがいるなーとなぜかおもったのだった。それにしても、ひとの通夜とかなんどいっても、たいてい棺のなかの故人を目にして「こんなひとだっけ……」とおもうのだけど、そのときはそんなことはなかった。いつものように西洋絵画のような彼女だった。けど、いつものようには笑ってはいなかった。