モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

「観客席」への補注

※ 末尾に追記あり+idトラックバックを忘れていたところを追加。(2008/04/06 09:40)
 「観客席なんかありません」の記事について、いくつかの注意と、ブクマコメントへのレスなどを書き留めておく。


 こういう話をしていると、いつも「自分のことで手いっぱい」という人のことが指摘され(これは分かる)、そういう人は「観客席」にいるしかないではないか、というような意味のことで反論されたりする(これは分からない)。「自分が生きることで手いっぱい」という人については、そのように手いっぱいであること自体が「抑圧と侵害」であり、であるなら、その人は自分が生き延びるためにいっぱいいっぱいの努力をしている(せざるをえない)ということが、つまりは「観客席にはいられない当事者」ということであり、その人自身が生き延びるということ、それ自体が、大事な戦いだと、僕は考えるのだが。それは、チベットで弾圧される誰かが「観客席にいる」とは誰も考えないのと同じである。──別のことを考える。こういう人に対して、「あなたは自分のことで手いっぱいと言うが、あなたは少なくとも死なずに生きているのだし、もっと犠牲を払えるはずだし、払うべきだ」と言う人は、どのような人か。それはむしろ、「トリアージ」だの「優先順位」だの言っている人の方だろう。


 僕自身は、チベットの問題については、知らないことが多い。それでも、チベットの肩を持ち、中国政府に対して批判をするという一点を迷いなく選んでいるのは、次のことによる。第一に、チベット実効支配しているのは、現在、中国政府であること。第二に、チベット報道の自由言論の自由、集会結社の自由を認めていないのは、その実効支配している中国政府であること。ゆえに、チベット問題に関するあらゆる情報の不確実性は、全責任を中国政府に帰責するべきだし、仮にさまざまな誇張や偽情報があるとしても、それが誇張や偽情報であるとの証明を不可能にしているのは中国政府が主体的に構築しているところのこの構造にあるのだから、そのこともまたすべて中国政府にすべて帰責すべきであると考える。

 で、僕が比較的速やかにこのように考えるに至ったのは、これがいくつかの被抑圧者‐抑圧者関係とパラレルであるからだ。従軍慰安婦南京大虐殺の犠牲者と日本政府の関係。パレスチナイスラエルの関係。等々。「わからない」ことを理由に「中立」が掲げられている限り、構造的に「わからない」を作り出している抑圧者を批判することは永久にできない。そのことを、一つ一つの個別の問題について考えてきたからこそ、自分の態度として選ぶことができている。──逆に、こういう問題に対して、似非実証主義的態度(自分の信じたくない情報についてのみ懐疑論を発動する)を取り続けている連中こそが、今回のチベット問題においてチベットの側に立つために必要な基盤を破壊しつづけてきたのだということ、そのことがすなわち、チベットの被抑圧者に対する攻撃にもなっていたのだということは自覚される必要がある。当たり前のことだ。>ネトウヨダブスタについては、次の記事をリンクしておく。>「ネトウヨってどれだけダブスタすれば気が済むんだろう」


 以下、ブクマコメントいくつか。

2008年04月05日 id:wackunnpapa 政治, これはひどい この理屈は大東亜戦争中に「非国民」を創出し,戦後「社畜」を生み出したのと同じ理屈ですよ.ストイックな殉教者はゴメンだね.

 まさに、戦争という目標を前提し、その前提を批判したり検討したりするふるまいを排除したのが「非国民」としてきたわけです。会社の利益という目標を前提し、それを疑わないふるまいが「社畜」なわけです。優先順位とか緊急度とか、きわめて曖昧(というより無内容)な根拠で、異なる立場、態度、考え方の違いを議論する土俵そのものを否定している輩にむけてこそ、そのコメントは投げつけられるべきだと思いますが。

2008年04月05日 id:Sonae-Guy 正しいが意味の無い主張。当事者意識を持てない者に「お前も当事者だ」と迫っても、責任転嫁にしか見られない。構造的な問題があると思うが、解決策が思いつかない。

 「責任転嫁であるから、責任転嫁にしか見られない」のか、「責任転嫁ではないのに責任転嫁にしか見られない」のか、そのどちらかで、対処も何もかも変わってくるだろう。だから、「責任転嫁ではない」ことを示した(はずの)今回の記事は、「意味の無い主張」ではない。
 しかし、それにしても、どうしてこのコメントは、「責任転嫁であるかどうか」を問題にせず、「責任転嫁に見られるかどうか」だけに焦点を定めたのか。実は、このような取捨選択こそが、実に興味深い振る舞いなわけだ。この人は、自分が「責任転嫁だ」と非難するのではなく、「責任転嫁だと見られるよ」という言い方で非難しているわけである。──もう、これ以上の説明は必要ないだろう。詳しくは、toled氏の一連の記事を見よ。>「和光大学YASUKUNIプリンスホテル、コケコッコーの政治と不正義のアウトソーシングについて」*1


 これから出かけるので、とりあえずこのへんで。

追記

2008年04月06日 id:wackunnpapa 政治 僕のブクマコメントへの言及,その通りですが,mojimojiさんが本来「投げつけられるべき」輩と同じ論法に陥っているように,前のエントリーが僕には読めます.mojimojiさんがロベスピエールの轍を踏みませんように.

 僕の批判対象は、議論が内容において継続しているのに、ふるまいにおいてやめることを要求しています。これに対して、僕の方は、議論を継続すること、議論が内容において終了させることを要求しています。なので「同じ論法」であるはずがありません。なので、それはwakunnpapa氏の誤読であると、僕は主張しておきます。

*1:ただし、全面的に賛成、というわけではないですけどね。