モジモジ君の日記。みたいな。 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-01-10

本気でイスラエルがかわいそうだと思うなら

 「イスラエルがかわいそうになってきたよ」@増田

 本気でイスラエルがかわいそうだと思うなら、どのように考えることになるのか。


犠牲を分けない

 イスラエルによる今回のガザ侵攻以前から、多くのパレスチナ人が殺されている。暗殺攻撃によって、あるいは、経済封鎖に起因する食料・医療等の不足によって。また、多くの人が、イスラエルによって逮捕(=事実上の拉致)されている。イスラエルによるパレスチナ人への人権侵害は枚挙に暇がないほどだ。

 そこに、今回のガザ侵攻によって、既に700名余の死者と数千人の負傷者が生み出された。今回の攻撃がもたらしたものは、平穏だった日々の破壊ではない。既に悲惨すぎるほどだった状況がさらに悲惨なものになった、つまり、追い撃ちだ。

 今回の攻撃のきっかけとなったとされている、ハマスのロケット砲の攻撃によって、聞くところでは、4名のイスラエル兵士が死亡し、30名余の負傷者が出たとされている。言うまでもなく、これら一人一人の犠牲は重い。ガザ侵攻以前のパレスチナ人の犠牲者一人一人の命や尊厳と同じように。ガザ侵攻以後の犠牲者一人一人の命や尊厳と同じように。それは当たり前のことだ。

 これらの死者をパレスチナ側、イスラエル側、と分けて、数えてみるならば、その犠牲がパレスチナ側に偏っていることは明白だ。イスラエル側の相対的に少数の犠牲者に対し、犠牲者の圧倒的多数はパレスチナ側にある。ただし、奪われた一人一人の命と尊厳に、どちら側、ということは関係がない。どちら側の犠牲者も、一人一人の命と尊厳において、同じように重い。それは当たり前のことだ。


占領を問う

 その上で、パレスチナ側の犠牲者はイスラエル側の攻撃によるものであり、イスラエル側の犠牲者はパレスチナ側の攻撃によるものである、という理解は、根本的にまちがっている。事実として違う、というのではない。問題の正しい把握ではない、ということだ。これらはまったく関係のない事象ではなく、一つの構造の中で起こっている連鎖であるからだ。もし、すべての犠牲を痛ましいものと思い、それらのすべてをなくすべきだと考えるならば、これらすべての犠牲の根本原因を考えなければならない。

 それはすなわち、イスラエルによるパレスチナの占領である。すべての犠牲者を生み出しているのは、まずは、この一点にある。

 他人を踏みつけにするならば、踏みつけにするだけでなく、息の根を止めなければならない。でなければ、踏みつけにされた側は、必ずやその足を払いのけようとするだろうから。だから、他人を踏みつけにする人々は、息の根を止めるまで、安心することができない。だから、息の根を止めなければならない。息の根を止めるつもりがないのならば、他人を踏みつけにしないところに、自らの生を根付かせなければならない。

 もし、占領を是とするならば、今回行われているガザ虐殺もまた、是としなければならない。その先にあるであろう、パレスチナ版の「ホロコースト」まで含めて。さらには、それらすべての所業を、厚顔な「「永遠の嘘」で塗り固めておかねばならない。

 そこまでの覚悟ができないのであれば、そもそもの占領を否としなければならない。それが現実にどれほど難しくみえたとしても、論理的に考えるならば、それしかありえない。

※勘違いする人があると良くないので、明記しておく。「占領の停止」とは、「イスラエルを消滅させること」ではない。パレスチナ問題において最初に目指されるべきは、イスラエル人とパレスチナ人がともに暮らす一つの国を作ることだ。


シオニズムの袋小路

 では、どうしてイスラエルは占領政策を手放せないのだろうか。その思想的基盤は、シオニズムにある。シオニズムがどういうものであるかは、ここでは詳述しない*1

 必要な範囲で簡単に特徴を抜き出せば、シオニズムとは、人間を「われわれ」と「やつら」に分けて、「やつら」を外に追い出そうとするような類の政治思想の一種だ*2。「イスラエルは「ユダヤ人」*3の国家である」。裏返せば、「ユダヤ人」以外は追い出さなくてはならない。イスラエルはそうした考え方に基づいて、「ユダヤ人」以外の人間が住んでいた場所に建国された。

 では、どうして「われわれ」と「やつら」を分けなければならないのか。その根底にあるものは、人間に対する根源的な不信、シニシズムである。一般的な意味では、人間など信用できない。そういう連中に近くにいてもらっては危険なのだ。そういう思い込みが、排除を動機付ける。しかし、排除しても安心はできない。排除しても、「やつら」はそこにいるからだ。むしろ、排除したのだから、それを恨みに思って舞い戻ってくるかもしれない。こうして、排除は「ほどほど」でとどめておくことができない。暴力はエスカレートする。相手が反撃しなければ「それをいいことに」、反撃するならば「それを理由に」して。この種のシニシズムは、失敗を運命づけられている。

 ゆえに、「われわれ」と「やつら」を分けるわけにはいかない。では、「やつら」は信頼に値するのか。そんなことはわからない。単に、排除が確実に破滅にしか行き着かないならば、信頼の道をゆくしかない、ということである。かくして、人は、人が信頼に値するから、信頼するのではない。人が人を信頼することに賭ける、その先でしか、人が人として生きる世界が可能ではないからである。

シオニズムについてつっこんで考えるには、たとえば、次の本とか。

ユダヤとイスラエルのあいだ―民族/国民のアポリア

ユダヤとイスラエルのあいだ―民族/国民のアポリア


それでも袋小路に突き進む理由

 しかし、どうして引き返せないのだろうか。しかも、ユダヤ人とは、「あのホロコースト」を経験した、その痛みを知っている者たちのはずではなかったか。そう不思議にも思う。「ホロコーストを体験したユダヤ人がなぜパレスチナ人に同じことを繰り返すのか」。よく聞かれる、というこの質問について、岡真理氏が次のように述べている(らしい。以下、「ホロコーストとシニシズム。」より孫引き)。

 ホロコーストはそれを体験した人間たちに何を教えたのか?ホロコーストという出来事とは、実は人間とは他者の命全般に対して限りなく無関心である、という身も蓋もない事実を、言い換えれば「人間の命の大切さ」などという普遍的な命題がいかにおためごかしかということを否定しがたいまでに証明してしまった出来事ではないのだろうか。それはかつて起こったのだから、また起こるかもしれない。人間にとって他者の命などどうでもよいのだから。そのことをとりかえしのつかない形で体験してしまった者たちにとって、同じことが二度と繰り返されないためには、人間の命の大切さなどという普遍的命題をおめでたく信じることではなく、それがいかに虚構であるかを肝に銘じることのほうがはるかに現実的と思われたとしてなんの不思議があろう。*4

 そして、「ホロコーストを経験したユダヤ人「にもかかわらず」ではなく、むしろホロコーストを経験したユダヤ人「だからこそ」なのだということを物語っているように思えてならない」と結論している。なるほど、と思う。

アラブ、祈りとしての文学

アラブ、祈りとしての文学


袋小路から「ともに」引き返す

 つまり、イスラエルにも言い分はある。しかし、繰り返すが、その道は袋小路でしかない。「ホロコースト、ふたたび」の恐怖があろうとなんであろうと、それは袋小路でしかない。別の道を行かねばならない。そして、それはもう一つの道しかない。人が人を信頼することの上に世界を作る、その道である。

 ただし、必要なことは、イスラエルに対して「その道を引き返せ」ということではない。少なくとも、それだけではない。その道を「ともに」引き返すことである。それはつまり、人が人を信頼することの上に世界を作る、その道を自らがゆくことであり、それを広げていくことである。


 まず、イスラエルの占領政策は批判しなければならない。実のところ、イスラエルの占領政策を不問にすることの意味は両義的である。それはつまり、イスラエルの利益を擁護するのみならず、もう一つ、「世界は信頼に値しない」という不信を実証しているのである。彼らがガザに対してやっていることは、アメリカその他の世界から追認されているのだ。だとすれば、同じことをされたくないとしても、「それをしてはいけない」と世界に訴えても、何の期待もできないことになる。もし、同じことをされたくないのであれば、「する側」に回るしかない。

 イスラエルの占領政策を批判することの意味は、一つではない。パレスチナの人々を擁護することだけではない。イスラエルを破滅の道から救うことでもある。本当にイスラエルがかわいそうだと思うならば、その占領政策は批判しなければならない。

 そして、世界中のあらゆる抑圧、不正と戦わねばならない。パレスチナ問題に限らない。また、現在の問題に限らない。「ホロコースト」に限らず、過去の悲惨な歴史を否定したり隠蔽したりするふるまいは、「悪夢が再び繰り返す」ことへの道を開くものである。あらゆる抑圧と不正の問題が、一つの問題系をなしている。私たちは、それらの問題群にしがみついて、戦わなければならない。蟻のように。

 たくさんの問題がある。しかし、一人が同時にすべてを相手にすることはできなくとも、一人が一つ、二つを相手にすることはできる。それらの一つ一つの努力がより合わされること。個々の人間の固有性を徹底的に守ること、つまり、すべての人間の命と尊厳を普遍的な意味において守ること、そこに向けた努力が積み重ねられること。現にある問題が「まだ」解決されないとしても、その解決のための努力が、信頼に値するほどの規模でなされていることが必要である。

 本気でイスラエルがかわいそうだと思う、ということは、そういうことだ。

 それは決して大仰なことではない。知ること、語ること、街頭に出ること、その他諸々のこと、敵対性を恐れずに、あらゆる場所で、あらゆる瞬間に、一つ一つの小さな努力を積み重ねること、つまりは、誰にでもできることの積み重ねでしかない。

 その上で、結局のところ自らがどのようにふるまうかは、徹頭徹尾、その人自身の自由だ。


※ イスラエルの占領を問題にすると、「そんなことを言っても無理に決まっているだろう」と、考えることなく否定する人がある。あるというか、きわめて多い。本人は現実的なつもりなのだろう。しかし、それは単に、既に示したような論理的帰結から目をそらしているだけであり、真の意味での「現実逃避」である。そして、その現実逃避は、現実主義者の自意識、「一方だけが悪いはずがない」という空虚な一般論、そうしたものによって補強される。そうして、自己欺瞞として完成する。

※関連して、デリダより、いつもの引用。

私たちは夢想家ではありません。この観点からすれば、どんな政府や国民国家も、その境界を完全に開くつもりがないことは承知していますし、正直なところ、私たち自身もそうしていないことも承知しています。家を、扉もなく、鍵もかけず、等々の状態に放っておきはしないでしょう。自分の身は自分で守る、そうですよね? 正直なところ、これを否定できる人がいるでしょうか?しかし私たちはこの完成可能性への欲望をもっており、この欲望は純粋な歓待という無限の極によって統制されています。もしも条件つきの歓待の概念が私たちにあるとしたら、それは、純粋な歓待の観念、無条件の歓待の観念もあるからです。(『デリダ脱構築を語る』、p.123)

デリダ、脱構築を語る シドニー・セミナーの記録

デリダ、脱構築を語る シドニー・セミナーの記録

*1:ちなみに、Wikipediaの「シオニズム」は参考にならない。

*2:そして、こういう類の政治思想はありふれていて、私たちにとっても他人事ではない。

*3:しかし、そもそもユダヤ人ってなんなんだろうね。その定義も、きわめて恣意的なものだ。僕は「ユダヤ人」であるとする人々が、「ユダヤ人」という概念によって何を守ろうとしているのか、さっぱりわからない。

*4:岡真理『アラブ、祈りとしての文学』より、pp.30-31あたり。

nyamairenyamaire 2009/01/10 20:57 インド辺りが
「イギリスが根本的に悪いんじゃねーかよ」
って突っ込んで欲しいもんですね
突っ込んだ所で解決も何も無いけど

nyamairenyamaire 2009/01/11 03:11 第三次中東戦争以降のガザ地区支配は直接関係ないけど、
(関係なくもねーか?)大本の建国まで遡ったらとかって意味す

でも今更そんな事持ち出してもしょうがねーか

munyuumunyuu 2009/01/11 13:45 >イスラエル人とパレスチナ人がともに暮らす一つの国を作ることだ。

イスラエル国民には、パレスチナ人も含まれていますよ。

イスラエルの抑圧を批判するなら、ハマスによるパレスチナ人への抑圧も批判するべきでしょうね。

mojimojimojimoji 2009/01/11 15:54 >nyamaireさん
イスラエル・パレスチナ以外の当事国の関わりは、もちろん、問題にされるべきです。イスラエルの二枚舌外交がなければ、イスラエル建国時に行われた虐殺は行われなかったかもしれません。アメリカの容認がなければ、60年にわたる抑圧も、今回の攻撃も、なかったかもしれません。

しかし、第三国がどのような態度であったとしても、そこで目の前の人々を虐殺するのかしないのかは、その実行者が選んだことでしかありません。イギリスに騙されたシオニストたちは、パレスチナ人を虐殺する代わりに、イギリスに抗議しつつ共生の道を探ることもできた。しかし、しなかった。アメリカが容認しようとも、自分たちの占領政策を見直すことはやろうと思えばできた。しかし、しなかった。これもイスラエルの人々が選択したことです。ゆえに、イスラエルという国家の責任、その社会に主権者として暮らす人々の責任が厳然とあることは、やはり、ハッキリさせておくべきことだと思います。

>hasse19さん
ガザでなされているような仕打ちを受けることは、それを受けているのがどこの誰であろうとも、そもそも不条理、だと僕は思います。あのような仕打ちを他の誰かに実際にした人であったとしても、です。

mojimojimojimoji 2009/01/11 15:58 >munyuuさん
ナチスによるフランス侵略を批判するならば、フランスのレジスタンスによるナチ軍人殺害も同じように批判すべきだ、ということでしょうか?ご冗談を。

そこで失われた命を、等しく痛ましいものと考えはします。殺されたナチ軍人の命も、罪なく殺された人々の命と同じ命です。だから、すべての犠牲をもたらした原因としての侵略戦争を批判します。

……というようなことをここでは書いていますので。一度戸外に出て、深呼吸でもして、可能なら42.195kmくらい散歩して戻ってきてから、もう一度読まれることをオススメします。

m_debuggerm_debugger 2009/01/11 23:01 mojimojiさん、こんばんは。

「ガザの虐殺をとめられるのは誰か」というエントリーを書いていて、まとまらなくなってきたところで読みにきました。このエントリーは、まさに自分が考えようとしていたこと(のさらにその先まで)が書いてあるような文章で、うまく表現できないのですが、胸がざわざわ?しました。

これからもよろしくお願いします。

imotanimotan 2009/01/11 23:05 飛ばし読みだけども、
日本人の杉なんとか千畝だとか
各国赤十字だとか
ユダヤ人を助けるために何かした人も確かにいたのに、
って思いました。
飛ばし読みなんだけども・・・

ssfsssfs 2009/01/12 09:27 ここ100年程の話じゃなくて
紀元前から聖地を争う宗教戦争なのだから
どちらかが絶滅するまで終わりませんよ。

どちらも原始キリスト教が起源なのに。

poormanpoorman 2009/01/12 10:12 鍵をかけない日本の田舎って、すばらしいと感じますね。

mojimojimojimoji 2009/01/12 11:59 >m_debuggerさん
僕の方も、m_debuggerさんの記事をはじめ、いろんな記事に触発されて文章がまとまっていく感じで書いています。今回の記事の批判先の「イスラエルがかわいそう」の記事も含めて。それぞれで考えられることを書いていきましょう。これからもよろしくお願いします。

mojimojimojimoji 2009/01/12 12:00 >imotanさん
形としては、日本国内にも存在する排外主義と同じものですよ。で、日本の排外主義者はもっと些細な理由でも同様の人間不信に陥ってたりしますから(正直に言えば、僕にもあります)、そういう感情自体は決して珍しいものではないです。排外主義が誰の心にもあるとしても、それとどう向き合うか、というところが違う、ということだと思います。

>ssfsさん
その認識は、根本的にまちがっています。100年ほど前に始まる国家建設運動に、2000年の歴史が後付けされた、というようなものです。

>poormanさん
日本の田舎のことは、よくわかりません。

paroparo 2009/01/14 00:37 ガザの惨状、
私たちは十分ではないにしろ、海外ニュースのトップで見ています。
報道ステーションでもニュース23でも。

ところが、イスラエルで流されるニュースは全く違うようです。
アメリカではどうなのでしょう。

日本の近くにはならず者国家があるから、軍事力がなければ侵略される、というようなことを真顔で言う人たちがいますが、
このガザの惨状を見て同じことが言えるでしょうか?

エジプトとの間に高い塀を築かれ、白リン弾を浴びるあの悲惨な状況も、イスラエルでは、ハマスのロケット弾による攻撃ばかり繰り返し報道され、90パーセントの国民がガザ攻撃を支持しているといいます。
蟷螂の斧でもふるわずにいられない気持ちはよく分かりますが、そのささやかな武力抵抗がなければ、イスラエルの「善良な国民」の攻撃支持が、これほどにはならなかったかもしれないと思います。

琉球王国は軍隊を持たなかった。
だから島津の侵略を受けた、という人がいます。
もし琉球王国が軍隊を持っていれば侵略されなかったでしょうか?
「侵略戦争」によって、王が連れて行かれるだけでなく、国民がもっと過酷な目にあっていたかもしれません。

在日パレスチナ人が「薬も食べ物もお金もいらない。声だけください。子どもを殺すのをやめてという声だけください」といっていました。

軍事力ではなく、非暴力で抵抗することが、
世界を、何より相手国を説得する力になるのだと思います。

paroparo 2009/01/14 13:11 今私たちにできることで、一番効果のある方法は
イスラエルに住むイスラエル人に、
我々が得た情報、特に映像を、インターネットやメールで送ることだと思います。
ところが私は、イスラエル人の友人を持っていません。
アメリカ人もです。

世界の人たちとの、日頃の交友関係が大事だなと思います。

アメリカに友人がいる人、
ぜひ、メールをして欲しいです。

mojimojimojimoji 2009/01/15 10:56 僕は効果のあることもないことも、なんでもやるべきだと思っています。隣の誰かに、ガザについて話題にしてみることなども含めて、です(いつもできるわけではありませんが、いつでもチャンスをうかがってはいます)。

あと、軍隊を持たないがゆえに侵略を受けた話はもちろんあります。そのときに、「軍隊があったらもっと酷い目にあったかも」という理屈は、検証不可能でもあるし、筋のよい議論だとも思いません。

具体的な相手との間の緊張関係を念頭に置いて、それを緩めていくにはどうしたらよいか、という問いを立てることはできます。たとえば、日本が、韓国や北朝鮮や中国との間で。イスラエルが、パレスチナやシリアやイランといった国々との間で。そうすれば、当面軍隊が必要であっても、必要性を低くする方向性は考えられます。現在は、まがりなりにも国際法というものがありますし、それをどう使っていくか、その不十分さをどう補っていくか、考える必要のあることはいくらでもあると思います。

paroparo 2009/01/15 21:21
レスありがとうございました。

>あと、軍隊を持たないがゆえに侵略を受けた話はもちろんあります。そのときに、「軍隊があったらもっと酷い目にあったかも」という理屈は、検証不可能でもあるし、筋のよい議論だとも思いません。

「軍隊を持たないがゆえに侵略を受けた」ということの検証も必要だろうという意味です。
喩えの、
琉球王国が軍隊を持っていたら、島津は侵略しなかったというのも検証できません。

もちろん戦争を仕掛けても100パーセント負けるというほどの強力な兵力を持つなら別です。
多分、彼らは、そういう軍事力を持とうとしているのでしょう。軍事力を背景(脅し)に、なめられない(有利な・お得な)外交(経済交渉・領土交渉)を計ろうとしているのでしょうが、その交渉相手としたら、折れて曲がって譲っても、いい気分のものではないでしょう。そして、力をつけたら反撃するでしょう。

これは、国際法などない時代の話です。

現在の
ハマスの反撃は(イスラエルと同じように非難にまわることはしないけれど)ない方が国際社会を味方につけやすい。

もちろん、個人でいえば丸腰の相手に対して発砲する無法者もいますから、軍隊を持たなければイスラエルが武力行使をしないなどとはいいません。
そのとき暴力団を取り締まる警察や、無法国家を取り締まる国際警察があればいいとは思いますが、
護身用の拳銃を持つことを良しとしない、ということです。

mojimojimojimoji 2009/01/16 10:52 >「軍隊を持たないがゆえに侵略を受けた」ということの検証も必要だろうという意味です。

侵略の利益があり、その利益を取る意思があり、実際に侵略が行われました。だから、「「軍隊を持たないがゆえに侵略を受けた」ということの検証」は、少なくとも「あれば跳ね除けられたかもしれない」くらいの話にはされてしまいますね。

だからどーの、と言いたいわけではありません。そもそも、僕はこの論点を重要なものと思っていない、ということです。軍隊があるから侵略される/されない、どちらも議論するにはあまりに一般的な話に過ぎますし、また、功利的な基準で判断すること自体も検討の余地のある話です。

僕は、まず、「支配することもされることも嫌だ」という倫理の問題への解答を明確にした上で、そのための具体的な方法を具体的な文脈の中で考える、ということをするのが、考えを進める上で実りが多い、と考えています。目的は一般的・原則的に考え、手段は個別的・具体的に考える、ということです。

「ハマスの反撃はない方が国際社会を味方につけやすい」はそのとおりでしょう。実際、パレスチナの中でもずっとそういうことは言われていますし、サイードもそうしたことを述べています。ただし、そのように述べることと、「軍隊を持たない方が得だ」という一般論までは距離がありますので、そのように述べることはできません。また、述べる必要もないだろう、ということです。

(ちなみに、パレスチナにおいて、武力使用に懐疑的なリーダーを片っ端から暗殺してきたのはほかならぬイスラエルである、ということは、もっとよく知られていいと思います。)

paroparo 2009/01/16 15:33 そうですね。
少なくとも、今、こんな話を持ち出すべきではなかったと思います。

イスラエルの「善良な人たち」に、世界が見ている実際を知ってもらうには、個人的な知人でないなら
ネットが一番有効だと思います。
その点で、このブログにも映像を載せられたこと、いいなと思います。

どんな機会をも無駄にせず、声 を上げようと・・・・

munyuumunyuu 2009/01/18 02:04 >フランスのレジスタンスによるナチ軍人殺害も同じように批判すべきだ

ナチ軍人て、なんですか?
フランスのレジスタンスが抵抗を行ったのは、ドイツ軍に対してですよ。

批判されるべきは、レジスタンスが行った軍事活動を、正義の活動のように宣伝する、あなたような人間でしょう。

また、「ホロコーストを経験したユダヤ人」という民族のステレオタイプな幻想を振りまくのも、紛争が絶えない原因のひとつですね。

paroparo 2009/01/18 10:03 munyuu さん
駄々っ子のような揚げ足取りでかき混ぜても、支持を得ません。
ドイツ軍といえば、現在のドイツの軍隊、日本軍といえば、現在の自衛隊と思われてしまう可能性があり
説明を省いて、そういう誤解を避けるために、ナチ軍、旧日本軍などということもあり、でしょう。

>>批判されるべきは、レジスタンスが行った軍事活動を、正義の活動のように宣伝する、あなたような人間でしょう。

>そこで失われた命を、等しく痛ましいものと考えはします。殺されたナチ軍人の命も、罪なく殺された人々の命と同じ命です。だから、すべての犠牲をもたらした原因としての侵略戦争を批判します。

と述べられています。

侵略されても、武力抵抗しない方がいいと、私は思っていますが、実際の場面に立てば、不利になるのを知っても武力抵抗に(気持ちが)駆り立てられるかも知れません。

「レジスタンスが行った軍事活動が正義の活動」であるかどうか・・・
強盗団に銃で家族を殺された時に、包丁を投げつけて犯人のひとりを殺害したことを、「正義の活動のように宣伝する、あなたような人間がいるから、強盗団が生まれるのだ」と批判されるべきでしょうか?

munyuumunyuu 2009/01/18 10:54 >強盗団に銃で家族を殺された時に、包丁を投げつけて犯人のひとりを殺害したことを、「正義の活動のように宣伝する、あなたような人間がいるから、強盗団が生まれるのだ」と批判されるべきでしょうか?

個人にふりかかる災難への対処と、国家組織的な対処とをごちゃまぜにするような、ハチャメチャな理屈には何とも答えようがありません。
そういう、駄々っ子のような理屈ばかりをこねているから、現実離れした対処しかできなくなってしまうのですよ。



>駄々っ子のような揚げ足取りでかき混ぜても、支持を得ません。

そうやっていい加減な理解ばかりしているから、イスラエル・パレスチナ紛争を理解できないのですよ。

paroparo 2009/01/18 13:04 munyuu さん
個人としての例えの方が、分かりやすいと思ったのですが
ごちゃ混ぜになって区別できなくなる人もいるんですよね。
では
国家的組織の話で言いましょう。

侵略に武力で対抗することは正義ではないというあなたは
自衛隊の存在を否定なさいますよね。

そうだとしたら、その点において私は
mojimojiさんよりmunyuuさんの方に近い意見のようです。

munyuumunyuu 2009/01/18 14:55 >侵略に武力で対抗することは

ただのルーチンワークにすぎません。
ご飯を食べたらウンコを出す。
息を吸ったら吐く。

その程度の常識であって、正義ではありませんよ。

paroparo 2009/01/18 16:24 munyuu さん
あなたが
「批判されるべきは、レジスタンスが行った軍事活動を、正義の活動のように宣伝する、あなたような人間でしょう」
この言葉で何を言わんとするのか、よく分からないのですが
「レジスタンスが行った軍事活動」は、「ルーチンワークにすぎ」ず、正義というより、飯を喰ったらウンコを出すようにごく当たりえのこと、ウンコを出さねば死んでしまうように、不可欠の行為である、
と言われるのでしょうね?

私も、そう思うんですよ。
私は自衛の為という名目にしろ、常備軍を持つことには反対ですし、ハマスのささやかな武力行使にも懐疑的ですが
隔離壁や軍隊の検問による過酷な占領政策をみると、
実際には、手作り兵器ででも活路を開こうとしてしまうのが、ウンコをするように自然なことではないか、
誰がそれを非難できようか、
とも思います。

o-tsukao-tsuka 2009/01/21 17:15 琉球王国政府は少数の鉄砲や大砲を装備した数千の正規軍を持っており、奄美大島、沖縄本島北部、さらには首府である首里・那覇で島津軍と激しい戦闘を繰り返し行っています。

琉球王国は停戦を模索しつつも、最後まで徹底的に武力で抵抗したが敗北し、首府は略奪され、炎上したとのことです。

非常にタイムリーな記事が以下にあります。
http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/tora/2009/01/

paroparo 2009/01/21 21:18 o-tsukaさん、記事の紹介ありがとうございました。
王府軍というのは、王宮の衛兵のようなものかと思っていたのですが、島津が攻め込むことにいち早く対応したということは、情報網もしっかりしていたようですね。
いい勉強になりました。

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