武装解除 紛争屋が見た世界

武装解除  -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)

武装解除 -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)

とんでもない本である。読めとしか書きようがない。
それ以外のことを書き出すとちょっと止まらないのだがなんとかまとめてみよう。
著者はインドの現地NGOを振り出しに、国際NGO活動の道に入った人だが、日本人がNGOと聞いて連想するようなベタベタな人物からはほど遠い。なにせアフガニスタンを扱った章の冒頭に「アフガニスタン。まったく興味はなかった」と書いてしまうのだ。実務家であり、戦争や平和、あるいは紛争当事国への過剰な思い入れは皆無である。自分の活動がworkであるという認識が徹底している。
そういう著者が辿った経歴もまたユニークで、東チモールでは暫定政府県知事としてインドネシア国軍および併合派民兵と対峙する。シエラレオネでは国連派遣団の幹部、アフガニスタンでは国際軍事監視団の団長として民兵組織の武装解除にあたる。本人は政治家的なところはないが政治的能力がないとつとまらない。
そして本の題名の武装解除。紛争当事者から武器を取り上げ兵士を民間人に戻す作業である。これが容易ではない。長年にわたって武力紛争が続いてきた地域では、地域の指導者の権力の大きさは抱えている民兵武装勢力の大きさで計られる。したがって民兵を解体することは地域ボスの権力や独立性を削減することに他ならない。また兵士にとっても長年に渡って続けてきた兵士という職を放棄するのは抵抗がある。紛争地域には他にロクな仕事がない。長年に渡る紛争でインフラが破壊され困窮状態に陥っている。それでも大人はまだいい。悲惨なの幼いうちに武装組織に狩り集められ、戦うこと以外は何も教わらなかった少年兵士である。
そこから見えてくる世界もまた悲惨である。シエラレオネ。この国は長年に渡る内戦の末、世界が100人の村だったら、50人が暴力行為の被害者で残りの50人が暴力行為の加害者であるという状況に陥ってしまった。人口500万の国で50万人が犠牲となれば当然そうなる。被害者と加害者は和解するより他はない。恩赦である。この国では過去の戦争犯罪の責任は問わないと決まった。
この恩赦の象徴と言える人物が反政府組織のリーダーで大規模な虐殺行為及び暴力行為の責任者、フォディ・サンコウである。この暴力行為には数千人の子供の手足を切断したということも含まれる。しかもその暴力行為を担ったのが、彼がかき集めた少年兵で以下胸くそ悪いので略。とにかくそのフォディ・サンコウは和平交渉の末、めでたくシエラレオネの副大統領になってしまった。もちろんその地位は長続きしなかったが。プッシュしたのはあの国、アメリカである。シエラレオネを扱った章の冒頭に、911で始まったテロ戦争を終わらせるには、オサマ・ビンラディンアメリカの副大統領にすればよいのだというシエラレオネ人のジョークが出てくる。まったくもってその通りであろう。
まあこの辺でやめときます。とにかく読めとしか書きようがない。