続・素晴らしきお盆休み

地震かよ!
震度5だそうな。
やたら派手に揺れたが、幸い周辺では被害はなし。ただ消防車が数台サイレンを鳴らしてどこかに走って行った。
問題は特別報道体制に入ったNHK仙台によると新幹線が止まってしまったことで、僕の乗る新幹線は5時台だからそのころには事態は収拾されているとは思うが、余震のでかいのが来たらどうなるかわかったものではない。
明日無事に会社に出社できるだろうか。地震を口実にもう一日休む手もあるけど。

仙台駅

マグニチュード7の大地震に襲われた都市の避難所のような状況である。床に座り込んで呆然としている人が大勢。もちろん彼らは帰るべき家を失ったわけではない。家に帰るための手段を失った人たちである。僕も避難民の仲間入りをした。
これまた大震災直後にふさわしい光景だがマスコミがウザい。仙台駅にはかつてサザエさんのオープニングにも取り上げられたこともある有名なペデストリアンデッキがあるのだが、そこの手摺にパラボラが一輪咲いていた。パッと見にはその辺の衛星放送のパラボラと同じに見えるのだが、NHKのロゴが入ったそいつは同族とは逆に映像を全国に送っているのだろう。
駅前にはTBC,東北放送のロゴが入った車も停まっている。
駅構内の床のあちこちに太いケーブルがうねっている。歩くのに邪魔だし、キャスター付きのバックにとってはもっと邪魔だ。このケーブルの先は当然テレビカメラに繋がっている。
仙台駅三階の新幹線コンコース。今日本で一番マスコミ露出度が高い場所だと思うが、三脚に載せられたり、肩に担がれたりしているテレビカメラが数台、常に周囲をヲチしている。僕の顔も抜かれたかもしれない。
テレビカメラとマイクを持ったリポーターに捕まった人がちらほら。たまにテレビカメラの前で何かの打ち合わせが始まる。仙台駅はテレビの公開収録の現場と化してしまった。足りないのはバラドルと吉本系のお笑い芸人くらいか。

腹が立つのは疲れ果てて床に大の字になっているお子様に肉薄するテレビカメラ。とぼとぼ歩いていく家族連れの後ろ姿をカメラで捉える新聞記者。フラミンゴ、じゃなくて禿げ鷹に襲われた少女を撮ったカメラマンのことを思い出した。彼は自殺したんだっけ。
駅の外でも座り込んでいる人をみかけた。この日差しの強い午後に外で座らなくてもいいだろうと思うのだが、駅の中の座れそうな場所は既に占有者がいる。階段の端には人が上から下まで数珠繋ぎになって座っている。太い柱の回りには新聞紙が敷かれ、人が寝転がっている。まるでホームレスのような有り様だが、事実彼らは今日一日だけは帰る当てのないホームレスの身の上であった。

続・仙台駅


JRの対応は合格点にはほど遠かった。情報の告知の体制がなっていない。乗客達は半ば放っておかれた。
情報を得るための手段は三つしかなかった。

  1. 「復旧の見通しは立っていません」という、たまーに流れるアナウンス
  2. 「復旧の見通しは立っていません」という、いつ見ても代わり映えのしない掲示
  3. 駅員を捕まえて聞く。でもやっぱり「復旧の見通しは立っていません」という返事が返ってくる。

この「復旧の見通しは立っていません」一点張りの返事がとても困った。とりあえず1時間かそこらで復旧しそうにないというのは雰囲気的に分かる。ではいつごろ復旧するのかというのが全く分からない。2時間後なのか、5時間後なのか、あるいは今日中には復旧しないのか。まったく見当が付かない。「15時45分より白石-福島間で架線の修理を開始しました」という妙にビビッドな情報は流れてくるのだが、そんなもん聞かされたって鉄道の運行手順に精通しているわけでもない人間にとっては何の参考にもならない。Winodowsのわけのわからないエラーメッセージと同じだ。そういうわけで「もう少ししたら復旧するかもしれない」という希望と「このまま待っていても無駄なんじゃないか」という不安に囚われて乗客達は駅周辺に張り付いていた。
こんな状況にはいつまでも付き合っては居られないので、デッドラインを7時に決め、この時刻を過ぎても復旧の見通しが立たないようなら今日の帰還はあきらめる事にした。そしてあっという間に7時が過ぎて、でもやっぱり復旧の見通しが立たないので今日の特急券を明日のものに差し替えてもらうためにみどりの窓口に直行し、長い行列の末尾に加わった。そのとたんいやーなアナウンスが流れてきた。


「指定席は明日の20時台まで満席です」


「この門をくぐる者、全ての望みを捨てよ」と聞こえた。こういうアナウンスだけは妙に手際がよい。
このアナウンスを何十回も聞かされた後、窓口にたどり着いた僕は、一応聞いてはみたが、想定内の返事が返ってきたので、仕方なく今日の指定席特急券を明日の自由席特急券に変更してもらった。払い戻された差額は710円。まあ晩飯代の足しにはなるか。
僕は帰省だからもう一晩実家に泊めてもらえばよい。だが駅の宿泊案内所の前にはこれまた長い行列が出来ていた。彼らにとって今日の宿代は痛い臨時出費になったに違いない。
僕も臨時出費をした。3760円。内訳は鮨上2500円。秋刀魚刺身680円。浦霞本醸造辛口580円。名目は憂さ晴らしである。
こうして昭和二十年の八月十五日と並んで長く語り継がれるに違いない、平成十七年の八月十六日という日は終わった。翌平成十七年八月十七日という日も語り継がれるに値しそうな予感がビンビンとした。