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日本の神様

2012-04-19

錚吾神道

九回 須佐之男命(すさのおのみこと)
 「すさのおのみこと」は、「いざなぎのみこと」が白銅の鏡をもっていながら、鏡に正対しないで横を向いたときにお生まれになったという。白銅鏡は、「あまてらすおおみかみ」の御神体となるべき鏡であり、古代神道から今日の神道にまで鏡の重要性は、承認されている。神武天皇が戦闘に際して鏡を日に反射させて敵を退散させたという故事は、鏡が戦いにも用いられたことを我々に教えている。かくも重要な日すなわち太陽をも表現する鏡に関係なくお生まれになったのだから、「すさのおのみこと」はそのご生誕の瞬間から「猪目の洞窟」を通って地下の国へと去っていく将来の運命を与えられているのである。「すさのおのみこと」は、幼年期には顔色も悪く、成長の途上においては多分、病弱でもあったにちがいない。鏡とは関係のない生誕は、そのようなことを彷彿させるのである。
 わあわあと泣いてばかりいて、髭が胸元に垂れるほどに成長した後に至っても泣きわめいていたと記されている。「すさのおのみこと」は、それでいて性格は凶暴であった。滄海の支配どころか、海に行こうともしなかった。海が波浪で泡だっているときは、「すさのうのみこと」がそれを鎮めるべきであったが、それには興味が無いようにふるまっていた。父たる「いざなぎのみこと」は「すさのおのみこと」を呼び出して、「なんでお前さんはなすべきことをしないで泣いてばかりいるのか」と聞いてみた。「すさのおのみこと」は、母が恋しいから泣いている、「いざなみ」のいる黄泉の国へ行きたいと言ったという。これを聴いた父神は大いに怒って、「すさのおのみこと」を「神逐らった(かむやらった)」。つまり、追放したのである。「いざなぎのみこと」にとって、黄泉の国は悪夢であり続けていたから、また「いざなみのみこと」が「あまてらすおおみかみ」として死反ったことを自覚していたから、物分かりの悪い「すさのおのみこと」を許すことが出来なかったのである。
 鏡は、ここでは白銅の鏡として登場している。この鏡の威力は、すべて「あまてらすおおみかみ」に注がれ、「つくよみのみこと」と「すさのおのみこと」には注がれていない。神話伝承者は、この鏡を「あまてらすおおみかみ」そのものとして扱ったり、その呼び方も「八尺鏡(やたのかがみ)」(八角形の鏡または大きな鏡)とか、「日鏡(ひかがみ)」(太陽の鏡)、「日形鏡(ひがたのかがみ)」(太陽の形をした鏡)など様々であるが、「あまてらすおおみかみ」のご神体として扱ってきたのである。また、「天鈿女命(あまのうずめのみこと」の日本で最も有名なダンスの舞台となった天安河(あまのやすかわ)のほとりには、日本書紀では大鏡古事記では八尺鏡がつる下げられていた。「あまてらすおおみかみ」は、常に鏡と共にあって、鏡に守られている。これとは全く対照的に「すさのおのみこと」は、鏡とは無縁の神さまである。「すさのおのみこと」は、そのために姉神とは似ても似つかぬ神さまらしさのない神さまとなってしまった。
 父神「いざなぎのみこと」に高天原から追放されたにもかかわらず、姉神「あまてらすおおみかみ」に邪心なしを証明するといって誓の子産み(うけいのこうみ)で挑戦勝ったと言って粗暴乱暴を尽くし、高天原の農業を滅茶苦茶にした挙句に、聖なる神にささげる着物を「あまてらすおおみかみ」とともに織っていた天服織女(あまのはたおりめ)の死を招いてしまうのである。そして、「あまてらすおおみかみ」の岩戸隠れを招いてしまった。これほどの大失敗は、ほとんど他には存在しないものである。「思金命(思兼神)(おもいかねのみこと・かみ)」、「天児屋命(あまのこやねのみこと)」、「太玉命(ふとたまのみこと)」、「天鈿女命」、「手力男命(てじからおのみこと)」のおこなった演出、舞台装置設定、舞踏、岩戸開きによって、日の神は再び高天原を光で満たすのである。「中臣神(なかとみのかみ)」と「忌部神(いんべのかみ)」は、注連縄(しめなわ)で結界して「あまてらすおおみかみ」が岩屋に戻れないようにした。「なかとみのかみ」とは「あまのこやねのみこと」であり、「いんべのかみ」とは「ふとたまのみこと」である。
 「すさのおのみこと」は、神さまでありながら大罪を犯したのである。意気揚々と我に邪心無しと言って誓(うけい)して神産みしたのに、何たる失態であろうか。罪を「償物(つぐないもの)」で、「爪切り」で、「髪抜き」で謝罪の上、高天原を永久追放となってしまった。「あまてらすおおみかみ」の弟神にしては、理解しがたいくらいに出来の悪い神さまである。しかし、これは、父神「いざなぎのみこと」が横を向いた(注意力散漫な)状態で産んでしまったからであって、仕方ないことであった。いくら出来が悪くても、住みやすい高天原から追放され各地を放浪し、反省したのであろう。知略をつくして良い行いをするのである。それが、「すさのおのみこと」を決して忘れ去られることのない存在へと高めた「八岐大蛇(やまたのおろち)」退治である。これがなければ、「すさのおのみこと」は単なる悪人で終わったであろう。
 追放の憂き目にあった「すさのおのみこと」は、出雲斐伊川(ひいかわ。簸川とも記す)の辺りで「脚摩乳(あしなずち)」と「手摩乳(てなずち)」の老いたる耦神が子の「奇稲田姫(くしいなたひめ)」の背をなでて泣いているその訳を尋ねた。この出雲の国の夫婦神(耦神)には八人の娘がいたが、毎年一人が八岐大蛇にのまれてしまった。最後の娘も飲まれるときが来たので悲しくて泣いていると言う。ならばと、「すさのおのみこと」は、八岐大蛇を退治するからその娘をくれんかと申し出た。八頭八尾(やつがしらやつお)の大蛇は、それ以前の「すさのおのみこと」では考えられもしない知略でもって、退治されてしまった。大蛇の尾から「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)、後の草薙剣(くさなぎのつるぎ)」を得て、それを天の神に献上した。そして、「くしいなたひめ」と清地(すがち)に赴いて交合して、「大己貴神(おおなむちのかみ)」をもうけた後に、地の国へと去って行かれたのである。
 この有名な神話は、いったい何を言おうとしているのであろうか。「すさのおのみこと」が八岐大蛇を切った「十拳剱(とつかのつるぎ)」を刃毀(はか)けさせた太刀を得たことと、「すさのおのみこと」と「くしいなたひめ」とが「おおなむちなのかみ」を産んだことの二つが、八岐大蛇退治から得られた成果であった。前者は、銅剣は鉄剣にはかなわないという話である。記紀編纂以前の稲荷山古墳の鉄剣や石上神社の七支刀(ななさやのかたな)の存在を考慮すると、金属革命とでも言うべき銅器から鉄器への変換が進行しつつあった中で、鉄をめぐっての争いは熾烈であったに相違なかろう。八岐大蛇は、鉄器の文化の化身なのであろう。「すさのおのみこと」は銅器の文化に生きてきたが、大蛇との戦いによって鉄器の文化への移行を鉄剣を得ることによって体験したのである。大蛇の八頭八尾のうねった長い姿は、斐伊川の姿を現していると言うことができるだろうが、溶けた鉄がほとばしっている様を表現しているとも言うことができるのではないか。金属加工を得意とした物部一族は、韓半島の金官伽耶国の産する鉄を出雲の国へと運びこんでいただろう。そして、斐伊川が砂鉄の川であったから、斐伊川の争奪は、激しかったでろう。出雲は、韓半島との繋がりが深いところで、新羅から島根半島を引っ張ってきた出雲にくっ付けたという出雲神話を生み出している所である。そことの船舶交易は、瀬戸内海ルートの危険(聞半島などからの海賊襲来)を考慮すれば,山陰に直接航海するのが有利であった。その一大拠点が出雲であったであろう。鉄の独占地域としての出雲における「すさのおのみこと」の活躍は、その後の国譲り神話とも大いに関係がある話なのであろう。
 「すさのおのみこと」は、八岐大蛇の体内から取り出した鉄剣を自分ガ持つべきものではない神剱(かむつるぎ)であると言って「あまてらすおおみかみ」に献上しているのである。鞘(さや)の赤や緑の玉で美しく飾られていたであろう神剱が高天原に献上されたことにより、鉄の文化は全国へと伝播(でんぱ)されて行くのであろう。出雲の神庭荒神谷遺跡(かんばこうじんだにいせき)を敗れた銅文化の遺跡と見てもよいのではなかろうか。かくも整然と埋められてあった大量の銅剣には、それを見た者達に死者の埋葬にも似た哀悼の気持ちをさえ起こさせたに相違ないであろう。「すさのおのみこと」は、出雲の変化を引き起こした原因者、体現者として八岐大蛇を退治したのであろう。出雲の国譲り序曲の指揮者として、「すさのおのみこと」が振ったタクトは、見事なものであった。
 七人もの娘を八岐大蛇にのまれてしまっ気の毒な「あしなずち」と「てなずち」夫婦の物語は、砂鉄の暴れ川「斐伊川(ひいかわ)」の毎年の洪水の物語でもある。八岐大蛇の姿と形の記述は、真っ赤な水がうねり回転しつつ、山の土砂崩壊で樹木を飲み込んで流れ下り、里の堤を寸断する暴れ川なのである。その水に呑みこまれた七人の娘は、生死不明である。この毎年の斐伊川の洪水との関わりにおいて「すさのおのみこと」を観察すれば、「すさのおのみこと」は、出雲の地で水治めをしたことになる。「くしいなたひめ」の親神は、多産であるから男子を産んでいないとは言い切れない。すさのおのみこと」は、夫婦神の子たる土地の男神たちと共に洪水対策をして、水田耕作の女神「くしいなたひめ」に美田を献上していくのである。高天原では、水田を荒らしまわっていた「すさのおのみこと」は、出雲では、水田耕作の女神とむすばれて、水田開墾、水田経営にまい進しているのである。ここで、「すさのおのみこと」は二度とは高天原から疑いの目で見られたくはない立場にある。造ったものを守らなければならないからである。土地の男神、自分の妻たる「くしいなたひめ」、わが子の「おおなむちなのかみ」とその子孫たちを護らねばならない立場の「すさのおのみこと」がいる。高天原には決して逆らわない気持ちを表すため、「すさのおのみこと」は、神剱を「あまてらすおおみかみ」に献上し(過去の無礼を悔い改め、命令に従いますとの意思表示)、地の国へと退去して行くのである。
 「すさのおのみこと」の八岐大蛇退治の神話は、幾つもの話を重ね合わせて一つの話に纏め上げてあると考えるべきであろう。すさのおのみこと」と「くしいなたひめ」の子「おおなむちのかみ」は、「大国主命(おおくにぬしのみこと)」となる神である。この「おおなむちのかみ」は、「少彦名命(すくなひこなのみこと)」と共に出雲を富栄させていったのである。なお、「すさのおのみこと」が八岐大蛇を切った「十握剱(とつかのつるぎ)」は「「蛇の麁正(おろちのあらまさ)」とも言われて、「布都魂神社(ふつのみたまかむやしろ)」または「石上神社(いそのかみのかむやしろ)」にある。「天叢雲太刀(あまのむらくものたち)」、または「草薙太刀(くさなぎのたち)」は、尾州熱田神宮にあって、それぞれ神宝、ご神体として崇拝されている。

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