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日本の神様

2012-05-31

錚吾神道

十七回 導きの神々と従う神々
 神宮(「伊勢神宮」の正式の名称は「神宮」である)の内宮のすぐ近くに「猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)」がある。この神社に鎮座する神さまは、「猿田毘古神(さるたひこのかみ)」である。「さるたひこ」は、異人の顔相のごく大柄な神さまである。下田に来航して開国を迫った「ペルー提督」の姿を江戸絵師が残してくれている。その描かれた顔相を見たことのある者ならば、この顔はどこかで見たことがある顔だと思ったであろう。どこかで見たことがある顔とは、「さるたひこ」の顔である。怪しげで恐ろしげなのである。「あまてらすおおみかみ」を伊勢五十鈴川の隣地に案内し、また「ににぎのみこと」が降臨するときに道案内をしたのも「さるたひこ」である。目が鋭く、天狗のような鼻をしているので、「さるたひこ」の印象は、はかばかしくないようである。
 しかし、「さるたひこ」の顔がかくもデフォルメされているのには、理由がある。「さるたひこ」は、「ににぎのみこと」が降臨するときに、天と地を結ぶ道の辻に天と地を照らす不思議な神が現れたとされているのである。古代の自然は、全てを与えてくれる豊かで鬱蒼とした藹々とした緑の大地の上にあった。森で迷えば、熊や狼の餌食になり、毒蛇の犠牲になるほかはなかった。昼なお暗い森の中にあっても、また月明かりのない夜であっても方向を失わず、猪や熊の臭いを嗅ぎ分ける高い能力を持っていないと、道なき道を案内するなどは、到底できることではなかった。古代には、このような特殊能力を持っている者がいたに違いない。このような者が「さるたひこ」のモデルなのであろう。「さるたひこ」は、陸のパイロットなのである。
 すでに触れたことだが、「海のパイロット」もいた。高千穂を発ち、日向の美々津海岸から船出して東征を開始したとはいえ、小型の平底船では外洋航海はほとんど困難であるばかりか、前途には速水門(はやすいのと=豊予海峡と思われる)、関門の急流、速吸門(はやすいのと=明石海峡と思われる)などの瀬戸内の激流が待っているのである。案内人なくして進めはしない船出である。速水門では国神珍彦(くにつかみのうずひこ)なる者が、また速吸門では「亀の甲に乗って釣りをしながら羽ばたきしてきた」国神で槁根津日子(さおねつひこ)の名を賜った者が、「かんやまといわれひこ」の導き手となるのである。
 困ったときの神頼みというが、記紀の世界では、現人神(あらひとかみ)の原型たる「かんやまといわれひこ」が困ったときに助けられる立場となるのである。「ににぎのみこと」が高千穂二上の峯に降ったときの様子を記している「日向国風土記」のクライマックスたる「ににぎのみこと」と「大鉗(おおくわ)子鉗(こくわ)」の出会いの像が、「高千穂町上押方の国見峠」にあるから見てもらいたい。降臨したそのとき天は暗冥くて昼夜も別れておらず、道など分かる道理もなく、物の色すら分からなかった。この状況は、天地創造に似たものであるから、容易に進退することができない状況だったのである。困っている「ににぎのみこと」の一行の前に「おおくわ・こくわ」が現れて、「尊がお持ちになっている稲千穂を抜いて籾として四方に投げ散らしたまえ」と奏言した。その通りにすると、「天開晴日月照光(あまひらきはれてひもつきもてりひかれり)」となった。この神話は、記紀には記されていない。「おおくわ・こくわ」は、親子か兄弟かであろうが、天孫を助け、まつろった最初の土蜘蛛である。 多分、人々は、「さるたひこ」と「「おおくわ・こくわ」の関係を知りたく思うであろう。叢雲をかき分け山稜の道を別けて降臨したという記述と、降臨はしたものの道を失って遭難寸前の状態だったという記述は、明らかな矛盾である。この矛盾を埋めるのが、「おおくわ・こくわ」の奏上した「籾撒きの神事」であり、「さるたひこ」の野獣以上の目利き鼻利きなのである。「さるたひこ」と「おおくわ・こくわ」は、同一人物であるに違いない。「さるたひこ」は不思議な神とされているが、「おおくわ・こくわ」から土蜘蛛たる前歴を功績大なるをもって日本書紀の編者が消し去った神なのではなかろうか。
 ただ、「おおくわ・ここわ」は、稲の効用を高天原人より広く深く知っているのである。他方、「さるたひこ」が稲の効用を詳しく知っていたという記録は見当たらない。この点からいうと、「おおくわ・ここわ」は「ににぎのみこと」に籾撒きを伝授したので、籾撒きは皇孫にとって大切な行為として子子孫孫に伝えられることとなったのであろう。また、そのことによって、「さるたひこ」は、籾に関わる仕事を免れて、パイロットとしての仕事に専念するようになったのではないかと思われるのである。稲、稲穂、籾は、現代では何の変哲もないものであるが、古代社会においては、単に食料の材料となった命の源ばかりでなく、それ以上に、呪術的な力の原泉でもあり、戦いの道具(稲城)でもあった。その一支流が「さるたひこ」が行う「道案内」なのであるが。なお「籾」は中国には存在しない漢字、つまり国字である。米を刀のように鋭い鞘(さや)が覆っているという意味なのである。皇孫は、籾撒きを大切な神事として行わねばならない。それは、天孫降臨と共に始まったことだと理解されねばならない。
 天孫降臨に際して「ににぎのみこと」につき従って降臨した神々は、「あまてらすおおみかみ」の岩戸隠れの際に活躍した七柱の神々のうちの五柱の神々であった。七柱の神々とは、次の神さまである。
 「思金神(おもいかねのかみ)」。この神様は、知恵の神さまで知恵者なのである。「あまてらすおおみかみ」を岩戸から出すための大舞台を用意したのは、この神様であった。
 「天児屋命(あめのこやねのみこと)」。この神様は、祝詞(のりと)を唱える役目の神様である。中臣氏(なかとみし)の祖親であるとされている。宮中の神事と祭事を取り仕切った。
 「天手力男神(あめのたぢからおのかみ)」。怪力無双の神様で、岩戸を開けて「あまてらすおおみかみ」を岩屋から引き出した。岩戸を信州の「戸隠神社」の地まで投げ捨てたと言われている。
 「天宇受売命(あめのうずめのみこと)」。美身も露わに舞い踊った神付きの神。神さまが神かかりになって一心不乱に舞い踊る神様で、死者を鎮魂する猿女の君(さるめのきみ)の祖神である。
 「布刀玉命(ふとたまのみこと)」。忌部氏(いみべし;いんべし)の祖親である。神社の御幣(ごへい)とその付属物を管理し、神事を行う神様である。
 「伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)」。鏡作氏(かがみつくりし)の祖親である。榊(さかき)と鏡は神事では一体のものだが、その鏡を作っていたという。
 「玉祖命(たまおやのみこと)」。この神様は、榊に懸ける勾玉(まがたま)を作っていた。玉造氏(たまつくりし)の祖親である。勾玉造りの実際は、出雲の勾玉会館を見学すると、理解することが出来る。
 天孫降臨する「ににぎのみこと」に天高原がつき従わせた神々は、上の五柱の命(五部神とも言う)、上の二柱の神と「天石門別神(あめのいわとわけのかみ)」が主な神々であった。三柱の神は、伊勢神宮内宮へと遠路行かねばならぬ神々であるから、神道の世界では、重要な神様なのである。九州天孫降臨して伊勢へと向かうまことに困難な道程は、神武東征譚とセットのなっている雄大な物語となっている。伊勢神宮外宮に行く「あまてらすおおみかみ」の妹で食の神「登由宇氣神(とゆうけのかみ)」(豊受神とも言う)などの神々もこの旅の同行者となったのである。興味のある方々は、伊勢神宮内宮外宮だけではなくその周辺の神社群を訪ねて貰いたい。あの神さまは、この神社にいらっしゃるのかという発見ができます。
 注意深い方は、一体なぜ神様の一柱が入れ替わっているのかを訝るに違いない。つまり、天の岩戸前に集まった神々の内、「ににぎのみこと」と共に伊勢に同行しなかった神様は、「あめのいわとわけのかみ」(門を護る神様である)と交代した「たまおやのみこと」である。これには、かなり重要な意味が隠されている。出雲系の「玉造氏」の祖親を伊勢に同行させるわけにはいかなかったのである。「八尺勾玉(やさかのまがたま)」は岩戸開の際に既に掌中にしたのだから、その他の勾玉を作る部神として「たまおやのみこと」を出雲に派遣しておいたほうが、何かと都合がよかったのである。ただし、この点は、さらに研究すべきである。

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