錚吾労働法

七二回 原子炉事故と労働⑦
ドイツのマスコミは、福島原発事故をかなりセンセイショナルに報じている。「派遣労働者(Leiharbeiter)」の苦闘を、現代版の奴隷であると断定するものもあるようである。そんな論調であると、ひょっとしたら、「兄ちゃんいい仕事あるよ、マイクロに乗りなよ」てな具合に、現場に着いてはじめて、「えらい所にきてしまったわ」と気付くような者もいないわけではなかろう。誰もが原発事故を知っているとは限らず、知っていてもその内容を知らないということもあろう。そんな者が現場で働いてよいということには、ならない。内容の説明と説明に対する理解の確認は、不可欠である。理解出来ていないことを確認したときには、働いていただくわけにはいかない。
 こんな当たり前のことは、東電、東電協力会社、下請け会社などのレヴェルにおいて、確実に実施されねばならない。特に、作業内容が極危険であることを告知せねばならない。無論、そんな心配など無用な使命感ある者の申し出によって、作業がなされていると思いますが。それでも、250ミリ・シーベルトへの引き上げに誰が責任を有するのかという点が、曖昧にされたままである。「経産省」からの要望があって、「厚労省」がそうしたということらしい。
 厚労省は、「過去の労災記録」を十分に検討してそうしたのだろうか。それとも、経産省が示した数次をそのまま認めたのだろうか。放射線被曝から、癌(白血病、骨癌など)、失明、激しい過労の全身症状などが、原発労働の種類と経過、被曝総量などの記録に徴して、250ミリ・シーベルトを決定したのであろうか。安全・保安院原子力委員会は、この決定の関わっていたのかどうか。学校の20ミリ・シーベルト問題では、その決定過程が杜撰極まりないことが判っている。250ミリ・シーベルト問題も、誰がどのようにして決定したのか。政府は、責任を持ってこの点を明らかにしないといけない。
労安衛法が100ミリ・シーベルトとしているので、当面確保している労働者数から逆算して250ミリ・シーベルトとしたのではないのか。これまでに労災認定された労働者は、どの程度の被曝をして骨癌などの疾病を発症したのか。厚労省には、記録があるはずである。きちんと検証したのかを、問いたい。経産省及び厚労省は、この決定手続に参与した者と決定に至る議論の状況について、労働者と国民とに説明すべきであろう。
 危険な作業たることは、最初から分かっている。「危険の引き受け」理論などを持ち出すならば、それは労災理論としては最悪である。この理論は、「危険を引き受けた者は、後日、責任を問うことが出来ない」というものである。いかなることがあっても、この理論が使用されてはならない。作業員に対する健康管理は、徹底してなされるべきである。
 「線量計が足らなかったが、現在は足りている」という説明には、誰であれ唖然としたに違いない。原子炉建屋にはまだ作業員は入っていない。高濃度汚染の程度は、タービン建屋とは比較出来ないほどに高濃度である。炉心シャワーを動かすためには、「安全配慮義務」を
履行するという前提が満たされなければならない。鉛管チューブを建屋内に伸ばし、その中を通って作業員が移動するなど、やろうとすれば出来ることは、建屋内空気の清浄化と同様にすべきであろう。