錚吾労働法

七九回 配置転換③
 配置転換は、労働者に思わぬ負担を強いる結果になることがあります。思わぬというのは、使用者が労働者の家庭の状況などを知らないで、配転命令を発する場合があるからです。
 労働者が、会社の転勤打診に、父母が長い患いで入院しており、妻がその看病で体調を崩している旨を申告したのに、配転を強行するというのでは、誰であれ、会社の非常識を謗るに相違ない。そんな配転命令は、「信義則違犯」または「権利濫用」の故に無効と判断されることになるだろう。
 子供が幼稚園を変わらなければならなくなると妻が言ってるから行かないとかの理由で、配転を拒否した事例もあった。会社が配転先近くの幼稚園を紹介しても、駄目だった。会社もそれなりの配慮をしたのだから、「配転無効の訴え」は、退けられた。反動で「ゆとり教育」を生み出すこととなった「教育ブーム」時代では、配転が子供の教育のためにならないという考え方も勢いを持っていた。「家族同伴の転勤」が主流だった時代の話でもある。それで、大企業は、「単身赴任」へと舵をきって、この批判を封じ込めたのだった。
 新婚早々だから駄目だという配転拒否は、共働き夫婦の配転拒否と同様に、「夫婦別居」を齎す場合に、問題だと考えられた。夫婦別居は、好ましいことではない。「夫婦同居の権利」、「家族同居の権利」を軽視しなければ、月に何度会社経費で帰宅することができるかなどを会社も配慮出来るはずである。そのような配慮をしたのに、それでも行かないというのは、通らないだろう。
 同一職場内の配転は、比較的容易であると言うことは出来る。しかし、数メートル移動するだけの配転であっても、紛争になることがある。職人仕事で会社が非の打ちどころがないと評価している労働者を数メートル移動させて、鋼鉄箱作りから螺旋数えの仕事に換えた。楽な仕事をさせてあげようと、会社は、慰労のつもりだった。労働者の怒りは、怒髪天を衝くほどだった。「医者に事務させたらいけないように、鉄箱作りの名人に螺旋数えさせちゃあいかんよ」という助言で、会社が悪かったと謝って元に戻した例もありました。
 フランス料理のシェフに、レジ係への配転命令をしてはいけません。料理人は、日々の研鑚を自分の舌でしているので、調理場から久しく離れると味覚が鈍感になってしまう。かくては、シェフの職業的利益が害される結果となるだろう。和食調理人の調理場から帳場への配転命令も、同様である。しかし、物事は、程度問題である。オーナーや女将との対立がその背景にあって、辞めてくれと言いたいのが本心だが、この業界では紹介人との関係でそうは言い難いという事情もあるらしい。高級食材を使いすぎるとか、その上料理を客が食べきれないくらい出してしまうために、経営上困ってそうしたという場合もあるだろう。そのような場合にまで、駄目だとはいえないだろう。
 医師を事務職に配置転換してはいけない。これは、常識的なことです。しかし、その医師がリピーターだったらどうなのか。配置転換できないということが、非常識となってしまう。だから、状況をよく理解してでないと、原則論ばかり言っても駄目です。電話交換手の事務職への配置転換を無効だという論は、交換機を取り外してダイレクトインを進める過程で生じました。資格労働だったからでもありました。しかし、今や、電話の無線化が進んだだけでなく、コンピューターの通信機能は固定電話を駆逐しつつあります。電話交換手は、いまや殆どの企業にいません。
 逆に、適当に配置転換しながら仕事を進めないと、体を壊しかねない職場もあります。老人介護の領域では、介護師が事務職にまわったり、介護師に復帰したりを繰り返すのが望ましいのです。年休では、体をいたわることが出来ないくらいの重労働だからです。資格労働の場合だからといって、以前のようにのみ考えるのは、どうかと思いますよ。
 法律によって禁止されている配置転換が、あります。不当労働行為としての配置転換、労働審判申立を理由とする報復としての配置転換などです。禁止されている配転命令が、有効だと判断される余地はありません。法律の定めを探してみて下さい。