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長く休みましたが、再開いたしました。

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14-02-16 プロフィール

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 築島 渉 (つきしま わたる)



両親が映画好きなのと、有楽町界隈の育ちだったため、子供のころから映画は空気のようなもの

元来の専門は、アメリカ現代文学思想

批評理論思想特に現象学から文学を読んでいたのを、手を伸ばし映画批評を書くにいたる。

映画意図を汲み取る、がコンセプト。


ちなみに、idは飼い猫の名から

原稿のご依頼、および批評リクエスト

mailto: driedfish@hotmail.co.jp

まで



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09-10-31 お知らせです

 このサイトに今まで来てくださっていた方々へのお知らせです

もしも私めの書きものに まだ興味をお持ちでしたらどうぞmixiのほうに来ていただけたらと思います。

http://mixi.jp/show_friend.pl?id=22197177

こちらではニュースからのエッセイをかいております。

また、もしいらっしゃいましたら どうぞ映画観覚から来たとひとことおっしゃってください。歓待いたします。

お知らせでした。

ごめんごめん 2011/07/25 09:01 おはよう。
いろいろあって
携帯禁止令がでて・・・
家で謹慎というか
自宅療養中です。
世の中との関わりはほとんどないです。
鍼灸にいくくらいかな・・・。
調子ずっと悪いんだ。
連絡してなくてごめんなさい。
申し訳ないです。
私も先生にとっても感謝しています。

暑いのでからだ気をつけて☆
ありがとう。

MM 2013/02/19 21:44 もうこちらには書いて下さらないのですか?だとしたら残念..
青惟さんの映画批評とても参考になります。ありがとうございました。

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07-02-06 レディ・イン・ザ・ウォーター

 私はシャマランに甘い。それは、彼が短編小説として映画を扱っているからだ。

 「短編小説とは、暗闇でのキスのようなものだ。」−ホラーの帝王スティーブン・キングは、いくつものすばらしい短編を発表しているが、その彼の言葉である。暗闇でのキスはもちろん驚くものであるのと同時に、その暗闇の中に誰がいるのかを探り当てていかねばならない。

シャマラン映画はいわゆるラストでのどんでん返し(暗闇のキス)で知られ、それを期待した観客や批評家と、そこにとらわれながら抜け出そうとあがくシャマランの姿勢がどうにもかみ合わず、前作「ヴィレッジ」でも賛否両論を、その前作「サイン」ではとりわけ期待を裏切ったと言われてきた。

 さてではこの新作はどうかといえば、「シックス・センス」のシャラマンという目から抜けきらない観客には、まさにとるにたらない作品に見えるだろう。少なくとも「ヴィレッジ」や不評作「サイン」にすらあった「どんでん返し」はほとんど無く、物語おとぎ話の色が濃い。

しかし、暗闇の中にいる何か、を探らずにキスだけを楽しもうとするのは間違いというものだ。この映画にはいくつかの暗闇の層がある。

第一の層は、レディ・イン・ザ・ウォーターとして現れる彼女の名が「ストーリー」ということに現れている。もちろんその意味は「物語」だ。

これはクリエーターの中から湧き出たストーリー物語昇華物語である。

ストーリー物語」はプールサイドに残された様々なものを水の中に蓄えながら、姿を現す「そのとき」を待ち、そして空からの迎えを仰ぐ。物語をつむぐものは、心の中に様々な日常を取り込み、それを暖める。そしてそれはやがて一つの美しいストーリー物語となり心の泉からおずおずと顔を覗かせる。

 さて作品中の水の精ナーフ・ストーリーが空へ飛び立つために必要とするのは記号論者(シンボリスト)・守護者(ガーディアン)・職人(ギルド)・治癒者(ヒーラー)・器であるが、ストーリー物語にとって最初に必要となるのは言葉という記号だ。心を物語にするにはまず言葉へと変換せねばならないからである。

 シンボリストがストーリー物語言葉にし、傷を受けるたび(それは校正のようなものを表しているのかもしれない)ギルド技術を持つ人々)の手助けのもとヒーラー(主人公であり、このプールの管理者、つまり物語をつむぐもの本人)が癒すことで、ストーリー物語は本来の、ないしそれ以上のものへと再生していく。

また、彼女を受け入れる「器」を演じているのが監督本人であることも興味深い。物語が生まれる泉の器を、シャマラン本人が演じているのだ。そしてストーリー物語を守る者の目の前で、ストーリーに傷を負わせたものは、他の同じ側の者に捕食され消え、ストーリー物語は鷹とともに飛翔していくのである。

 一方、主人公クリーブランドアパート内での「役割」の人物を探す際、彼は初め自称「映画評論家」の男にアドバイスをうける。が、それぞれの役割の「映画の展開的」ステレオタイプに凝り固まったこのアドバイスは、後に全くの決めつけにしかすぎないことが明らかになり、この「映画評論家」は「映画的展開」に目を曇らせたまま、作品唯一の犠牲者になる。彼のにごった目では、ストーリー物語真実を見極めることはできなかったのである。

映画評論家」のくだりに関しては実にまっすぐではあるものの、「ストーリー」がつむがれ、出来上がっていく過程をおとぎ話として描き出すというのは、まさに「短編小説」さながらである。

 この映画の第二の層、それは主人公過去にヒントがある。クリーブランドは妻子を強盗に殺されたという過去を抱えた元医師(=ヒーラー)であるが、その彼を中心として、ストーリーを空へと「帰す」ためにアパートの住人全体が共同体を作っていく。住人たちがお互いを知り、協力し合うことでまるで子供のように弱く純粋なナーフ・ストーリーは守られ、元の世界へと帰っていくことができる。それは、クリーブランドの妻子が彼の留守中に惨殺されたのとはまさに対照的だ。

共同体が作られることで、子供(のような存在)は守られ、癒され、受け入れられ、そして汚されること無く帰り着くことができる―多種多様人種、年齢の住民たちの共同体の中で純真無垢な存在が守られるという構図は、言わずもがな現代に必要とされている最も理想的な社会である。

ガーディアンが半身のみの力を蓄えているのは、残りの半身に弱者を理解する力を同時に持っていることを象徴しているからなのかもしれない。共同体の外の小さな草むらにさえ、狼たちは潜んでいるのだ。

 このストーリーという名の水の精を住民たちが空の(妖精の)世界へ帰す、という単純なおとぎ話の中で、シャマランは「物語の創造と昇華」というクリエイターとしての内面を描き、同時に彼の住んでいる現代社会への小さな提案をしてみせている。

 アジアの老女が語る民話は、ユングが語る全ての人類に共通する普遍無意識であり、創造はそこから湧き上がる。そしてその無意識の中で、人は皆つながっているのだ。

 

無明無明 2007/03/17 18:48 以前、失礼なお願いでお邪魔した無明です・・
いや、素晴らしい・・
一度この映画見たのですが・・ちんぷんかんぷんだったのに・・
もう一度、貴方の解説を元に見直しました。
とてもよく判ります。
時折覗いては、一覧からの映画を借りて来ていますが、さらに深みを増して楽しむ事が出来ます。
感謝・感謝。
ミリオンダラー・ベイビーの批評を是非見てみたいと思います・・・
お願い・お願い・・・

王道名無し王道名無し 2007/05/21 11:11 私はシャマランに甘い。
  ↑
甘すぎます(笑)
女優さんもポスターは美人そうだったのになあ。
襲われるべきは映画評論家でなくて、愚作を作った監督では?

momochikimomochiki 2009/03/04 15:10 無明さま

もうご覧になってはおられないでしょうか。再開まで何年もあいてしまいました。ミリオンダラーベイビー、ごらんになることはなくても お約束は果たさせていただきます。遅くなってしまいすいません。

>王道さま

お元気ですか。「大衆的」映画としては間違いなく愚作でしょうね。ただ、私はそこで切り捨てず、こういうことをいいたかったのだよ、と理解してもらうのが使命のように勝手に思っています。
クリエイターの目でご覧になれば 王道さんにもおわかりいただけるかもしれません。

無明無明 2009/10/30 00:46 本当に久しぶりに参りました。
再開なされましたね。
早速・お気に入りに登録・・・これからが楽しみです。

わたるわたる 2009/10/31 18:45 あーーー無明さん!!!
なかなか映画を見てかくことが時間がとれず、現在ミクシーのほうでなんやらかんやら書いておりまして、連絡がつけばぜひ無明さんに読んでいただければと思っていました。一応URLをのせておきます!もしも入っていらっしゃらなかったらおっしゃってください。

無明無明 2009/10/31 21:18 おこんにちわ・・わたる様。
時々批評を覗いては、レンタルの参考とさせて頂いておりました。
ミクシーは全くやっておりませんので、お邪魔させて頂ければ幸いです。

わたるわたる 2009/11/01 01:24 ちなみに携帯がありますか?ここ数年以内に買った携帯があれば認証ができるみたいです。
とりあえずここに出たアドレスにメールください!

わたるわたる 2009/11/01 01:26 driedfish@hotmail.co.jpです

まさまさ 2013/01/14 17:18 主人公が内面の葛藤を乗り越える場面と、住人たちの無垢な暖かさに、私は素直に感動しました。
映画は娯楽なので、大衆に伝わらないとどうしても評価が悪くなります。
たしかにこの作品は登場人物たちの心の動きが読めないとつまらないかもしれませんね。
でも私はこの作品をみている間、いい時間を過ごすことができたと思っています。

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07-02-05 インサイド・マン

インサイドマン

かのスパイク・リー監督のもと、「クローサー」での名演が印象深いクライブオーウェンを筆頭に、ジョディ・フォスターデンゼル・ワシントンといった演技派が名前を連ね、話題となった作品である。


 ニューヨーク。ある大手銀行の本店で銀行強盗が発生した。人質をいとも簡単に拘束、まさに計画通りといった動きを見せる犯人グループたちに対して、交渉人として呼ばれたのは市警の敏腕刑事フレイザーデンゼル・ワシントン)。が、リーダー格の男(クライブオーウェン)と会話を取り付けるも、男は冷静沈着で何を考えているのか読むことができない。

 一方銀行の取締役会長ケイス(クリストファー・プラマー)は、極秘裏に凄腕と名高い弁護士ホワイトジョディ・フォスター)にある依頼をしていた・・・。


 「インサイド・マン」は明らかに、俳優陣の演技と、脚本から来る小粋な会話を楽しむ映画である。この映画を「クライムアクション」であるとか「あっと驚く大どんでんがえしが・・」といった説明を鵜呑みにしてしまうと、無いとは言い切れないストーリーの粗のせいで逆にこの映画の面白みは半減してしまうし、作品に見え隠れする意図は汲み取れない。

 

 最大のおもしろみはその「銀行強奪の様子と顛末」ではなく、犯人交渉人犯人と弁護士、弁護士と交渉人、といった芸達者同士の会話(英語で言わせてもらえるのなら、verbal fencing match 会話でのフェンシングの試合 という表現が最も適切だと思う)と、演技合戦である。

 話し方から「インテリ」のイメージの強いデンゼル・ワシントンが、この映画ではまさに「ブラザー」を地で行くしゃべりと演技でたたき上げの刑事をリアルに演じているし、一方ジョディ・フォスターは高慢で頭の切れる弁護士という設定を、ただスーツを着て歩いている姿だけで観客に印象付ける。クライブオーウェンは表情を崩さない冷静な役柄だが、人質子供との絡みや刑事との会話などで表情の見えない中に人情味を出すのに成功している。

 三者の会話は駆け引きに継ぐ駆け引きで、いわゆる「狐と狸の化かしあい」の知的なバージョンだし、時節はさまれる犯人特定のための、人質を含む容疑者たちへの尋問シーンはなんともニヤリとさせる。脚本はまさにどこをとっても「粋」の一言に尽きる。(特に犯人が出すなぞなぞの場面は必見!)

 さてこの映画がただの銀行強盗映画でないことを最もわかりやすく示しているのは、登場する人物たちの年齢、人種国籍豊富さである。人質の中にアジア人ユダヤ人ラビ)、アラブ系(テロ以降の差別についての言及ももちろんある)、鍵となる盗聴を解き明かすのはアルメニア人(その探し方はまさに爆笑もの)、主人公たちは特権階級の白人と労働者風色合いの黒人(だが、同時に交渉人としての地位も備えている)、教育があると思われる「犯罪者」といったハリウッドステレオタイプでありながら、部下の頭の上がらない警官には白人(ウィレム・デフォー)を配するといった、脚本のもとからの意図と監督の意図−アメリカ多民族国家であり、民主主義であること―がこの多用な人種配置で表されている。

 また映画最大の秘密を知ると(ご覧になっていないかたのためにあえて伏せておくが)、「拝金教」としての資本主義を民主主義は許さない、という明確なテーマも浮かび上がる。多民族国家的民主主義を象徴する主人公たちの、刑事、弁護士、犯罪者、という構図が実はアメリカの司法・立法・行政という三権をも同時に象徴しているといえなくも無い。そしてこの「拝金教」はその三人によってしっかりと糾弾されるのである。

 かの9.11は事前に情報が入っていながら、政府と大企業、そして中東との結びつきのために公に阻止できなかった、という根も葉も「ある」噂が聞かれて久しい。そうそう、あのテロ暴落した株を尻目に、金やダイヤモンドといった現物取引投資家たちは、大もうけをしたのだったけ―。

この映画の根底は、そんな行き過ぎた資本主義国、アメリカへのスパイク・リー流の小粋な風刺なのかもしれない。

トグサトグサ 2007/08/01 20:56 こんにちわ〜♪
mixiでお世話になっているトグサです。
さすが、文芸批評なさっていただけあって深い読みですね^^
サイトも言葉、一つ一つにリンクを貼ってあり丁寧な作りですネ。
時間、掛かったでしょう^^
僕も映画が好きなのでチョクチョク見させて貰います。

トグサトグサ 2007/09/01 17:11 mixi辞められたのですね。何かあったのかなあ^^?
現代思想のコミュは、メンバー100人を超えました^^
心理学トピで心理療法課の方に反論され、僕、タジタジ:;
「インサイド・マン」観ました。難しい事は解りませんが、面白かったです^^

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07-01-20 ヒストリー・オブ・バイオレンス

ザ・フライ」で知られるカナダ監督デビッド・クローネンバーグによる、グラッフィックノベル原作クライムムービーである。


 アメリカインディアナ州平和田舎町でダイナーを営み、家族平和暮らしを営むトム(ヴィゴ・モーティセン)。彼の店に強盗が押し入るが、トムはそれをあざやかな手さばきで始末する―まるでプロの仕業のように。

 一躍英雄としてマスメディアの寵児となった彼のもとに現れたのは不気味な男、フォガティ(エド・ハリス)。町に出入りし始めるマフィアの姿と、トムの別の顔を知るというフォガティがトムの平和な毎日に影を落とし始める・・。


 「ヒストリー・オブ・バイオレンス」−このタイトルは、そもそもは犯罪前科や前歴などを示す。

舞台インディアナ州アメリカでもっとも平和アメリカ的だといわれる州であり、そして主人公の名前トム、は平凡であるのと同時に、トム・ソウヤーや「怒りの葡萄」のトムとして、アメリカの善意を示す名前である。

この「インディアナ州」の「トム」の店に訪れた「暴力」−強盗―から、新たな「ヒストリー・オブ・バイオレンス暴力の歴史と、トム本人の「前科」としての暴力の歴史が幕をあける。

 そもそもこの映画の始まりは、監督の手腕がさえる長回しによる二人の強盗(というより無情な殺人犯と呼んだほうが妥当であるが)の犯罪シーンに始まる。金を奪うための殺しよりももっと根源的なもの―水を奪う、という行為の中で小さな子供まで情け容赦なく手にかけるこの冒頭のシーンは、内容と関係がないように一見見えるが実はその全くの逆である。この冒頭の場面こそ、「ヒストリー・オブ・バイオレンス」の始まりであり終わりである。

 ダイナーで起こった強盗に対し、他者を守るための正義の鉄槌として下されたトムの暴力は、彼の「ヒストリー・オブ・バイオレンス」を呼び覚まし、ひきつける。彼がかつて究極の暴力として目玉をえぐりだした男フォガティの復讐心は、彼の家族にまで危険を及ぼすが、トムが家族を「守るため」に始めた暴力はいつのまにかたがを外し、ただの「バイオレンス」となりはてる。彼の過去の「ヒストリー」は彼の現在となったのである。

 

 さて主人公が全ての「暴力」を終結させるために行うのは、全ての殺人の始まり―聖書に描かれたカインとアベルそのままの「兄弟殺し」である。ダイナーの客たちを守るために行ったあの正当防衛からは遠くかけ離れた大量殺戮の挙句、兄殺しはあっけなく完了する。主人公過去は抹殺され、彼の「バイオレンス」もまた、暴力の完全体となって終了する。正当防衛−それは許された暴力として知られている−は、もっとも許されない暴力人類最初の殺人であり最も忌まわしい肉親殺し−と形を変えて、この映画の「ヒストリー・オブ・バイオレンス」は幕を閉じるのである。

 一方家族のものたちの暴力への反応もまた、見逃してはならない。高校の悪童たちの挑発に知性で応対していた平和主義者の息子にもこの「バイオレンス」は飛び火する。「バイオレンス」はこともなげに思春期青年へと感染し、広まっていく。

 妻は夫の過去に怒りをあらわにし、夫をまっこうから拒絶しようとするが、夫からのレイプじみた性行為は受け入れてしまう。いわゆる「愛の行為」を獣じみた暴力としても受け入れてしまうのは、もちろん妻側にも潜在的なバイオレンスが眠っているからだ。クローネンバーグはこの唐突に見えるラブシーンで、妻側の暴力への反発と受容を象徴的に描き出す。

 全ての暴力を「完了」させ、食卓に戻るトムを、最も小さな娘がはじめに受けいれ(彼女にとっては暴力は小さなときからの日常となった)、暴力という新たな手段を知った息子が、そしてその潜在的な存在認識した妻が受け入れる。作品のラストは静かでありながら、実は一番恐ろしい場面であるかもしれない。家族全員が、トムという名の「バイオレンス」を、食卓という日常に受け入れてしまったのである。

 こうして暴力は当初の拒絶反応を沈静化し、日常の一部としてとして沈んでいく。

そして食卓でトムという名の暴力を受け入れた小さな娘が、また別のどこかで、水を手に入れるために何の容赦もなく撃ち殺されるのである。

それが、クローネンバーグの描いた、終わることのない「ヒストリー・オブ・バイオレンス」なのだ。

sallysally 2007/01/21 02:56 待ってました、新しい記事。
徐々にでいいです。
今後もよろしくお願いします。

susansusan 2007/02/02 23:44 はじめまして。
たまたま訪れたところとても素晴らしいサイトで、お気に入りにしていました。また、ここで新しい映画批評を読むことができて嬉しいです!
「ヒストリー・オブ・バイオレンス」、とても気になっているのですが未見です。是非見たいと思いました。

王道名無し王道名無し 2007/02/05 13:06 お久しぶりです。
クローネンバーグ作品、しばらく見てないけれど、この映画は意外に評判良いみたいですね。
数作品見てますが「デッド・ゾーン」と「ザ・フライ」が好き。

渉 2007/02/05 18:40 >sallyさん
徐々にですが、再開しました。またよろしくお願いします。

>susanさん
ようこそ。そういっていただけると励みになります。間が開いたのでどうも筆(キーボード?)の回りが悪いですが、ぼちぼち更新するつもりです。

>王道名無しさん
こんにちわ。ザ・フライもデッド・ゾーンも哀愁映画と呼んでおります。ここでは主人公の情けないラストの目つきがなんともいえません。

もんとれ〜もんとれ〜 2007/04/23 00:51 クローネンバーグ。なつかしいですね^
ここを訪れるのも。。
[mement]好きな昨年ファンのやつでした。

幻灯機幻灯機 2008/11/29 08:36 今日観ました。他のDVDに入っていた予告で、この映画が放つオーラのようなものを感じました。クローネンバーグの作品だったことは観始めてから知りました。めずらしく二回目を観ているところです。もし日本で翻案するとしたら高倉健主演だよなーとか思いながら(^^;。

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