ガタカ

「私の特別な映画」として挙げている人が周囲にたくさんいて、前々から観たいなーと思っていた作品。画質のあまりよくないDVD観賞だけど、映画の魅力は伝わる!

舞台は科学が発展した近未来の世界。出生前の遺伝子操作により優れた知能や体力をもって生まれる「適正者」と自然出産のため何かしら欠陥をもつ可能性のある「不適正者」の間に厳格な差別が存在している。そこでは、人生は生まれる前にほぼ決定されてしまうのだ。

この近未来の世界でとにかく深刻な問題であるのは、「夢がない」こと。自分の肉体的限界や寿命さえも生まれる前にわかってしまうため、人々は未知の領域に挑むことをしない。科学技術が大きく進歩し、宇宙開発が盛んに行われ、可能性は広がったように見えるけれど、実際は限界や諦念といった閉塞的なムードが世界全体を覆っている。

ところが「不適正者」である主人公ヴィンセントは、宇宙飛行士になるという実現の可能性が限りなく低い夢に挑戦する。不適正者のほうが適正者よりも可能性の幅が狭い。事実としてはそうである。しかし適正者は優秀な自分を受け入れると同時に、「それ以上」は望めないこと=「限界」をも受け入れなくてはならない。不適正者は逆に、持っている駒が少ないぶん、失うものが何もないぶん、制約もない。ヴィンセントが夢をもつことができるのは、「不適正者」だからと言うこともできる。

そんなディストピアとさえいえるシビアな世界に射し込んだ「夢」という光の眩しさに、私達は心揺さぶられる。そしてこの一つの夢はヴィンセント個人の物語から出発して、次第に周囲の人々をも巻き込み、彼らの思いを露にし、夢の光へと引き寄せていく。

しかしそこには、光へと向かう希望だけが存在するのではない。暗闇に射し込む光は明るすぎるため、私達は立ち眩みをおこしそうになりもする。それでも光に引き寄せられ近づいていく姿の眩しさに、胸が苦しくなりもする。閉じた世界の残酷さを踏まえつつ夢を描くということは、そこに希望と同じくらい切なさや苦みもあるということで、それらは混じりあい、一つの言葉で表現できない、ただ「眩しさ」として存在するものになるのだけど、そうした言葉にならない複雑な感覚を表現する上で、映画にしか見せられないものをこの作品はたくさん見せてくれた。数々の名台詞、数々の名シーン。「夢を与えてくれてありがとう」。やっぱり映画はキマってなくちゃ。

近未来が舞台でありながらレトロな雰囲気の美術やセットが素敵だった。あのクラシカルなヴィジュアルは「月に囚われた男」にも通じる。世界観もどこか小じまんりとして箱庭のようで、その箱庭っぽさが、閉じた世界と、その向こうに広がる宇宙の広大さ、無限の可能性を感じさせる。ロケットが発射された空を眺めるシーンの圧倒的な美しさ。閉塞的な地上と宇宙とを隔てる長い長い距離に胸が締め付けられる。

適正者として身元を偽り、宇宙飛行士になろうとしたヴィンセントは、適正者の中でも超級のエリートであるジェロームの身元を借りる。ジェロームは非常に大きな期待をされた水泳選手であったが、銀メダルしか獲得できず、交通事故によって下半身不随になっていた。身元をヴィンセントに貸すかわりに、生活の面倒を見てもらう。

この作品の素晴らしいところは――いろいろあるけれど、私が特に素晴らしいと思うところは、ヴィンセント個人の物語に終始せず、周囲の人々、特にジェロームについて丁寧に描いたところ。ヴィンセントとジェローム、互いに自分がいなければ相手は生きていけないことを知っており、逆に相手がいなければ自分も生きていけない。そんな不完全な二人の補い合い。ジェロームは夢へ突き進もうとするヴィンセントに憧れを抱いている。彼もまた光に引き寄せられているのだ。適正者のエリートが既に予想寿命を過ぎた不適正者に夢を託す。そんな倒錯した関係が抑制をきかせた演出によってジリジリと描き出される。また、アイリーンという女性が間に入ることで、二人の関係はよりくっきりと浮かび上がる。アイリーンは適正者でありながら心臓に爆弾を抱えており、宇宙へ行くことができない。それ故、宇宙への憧れを強く抱いている。彼女も、光に引き寄せられる人間だ。

希望と同じだけ苦みや切なさもあると言ったように、この作品はただすっきりと笑顔になるようなラストは用意していない。あのラストに何を感じるかはきっと人それぞれだろう。それぞれの思い、行動の意味、それらを判断し特定することはできない。それでもこれは、確実に先へ、一歩前へ進む話であって、そこが私はすごく好きだ。宇宙に憧れるのは、たぶん人間の(生物の)本能的な行動である。同様に、夢をもち可能性に挑戦することも、人間の本能なのだと思う。射し込む光に立ち眩みをおこしそうになろうとも前に進む、そのそれぞれの姿に胸うたれた。

ガタカ [DVD]

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