ミケランジェロの暗号

ダ・ヴィンチ・コード」的な暗号ミステリーと勘違いさせる邦題と何をしているのかまったくわからない予告とでだいぶ損をしているけど、映画自体はとてもおもしろかった。いや、まさかあんなに軽やかで愉しいコメディだとは予告を観る限りでは思わないよね。まあ「絵に隠された暗号」めいたものもあるけど、重要なのはそこじゃない。

第二次大戦前夜のオーストリアミケランジェロの素描を隠し持っていると噂されるユダヤ人画商カウフマン家の息子ヴィクトルは、ある日かつての使用人の息子であり親友のルディにその素描のことを話してしまう。しかしその素描はナチスも狙う一品であり、ルディの密告からナチスが素描を求めてカウフマン家に押し入ってくる。


ナチスユダヤ」に重点を置いた映画でありながら、そこに重苦しさはなく、終始語り口はユーモラスで軽やか。これがこの映画の最大の特徴、最大の魅力。過酷な状況に置かれた人々の姿を絶妙な笑いと洒落たスイングジャズで彩っている。ストーリーは「ほんとによくできた話ねー」と言いたくなる、すべてがおもしろい方向に転がっていくもので、現実はそううまくはいかないけれど、どんな状況でも軽妙な足どりで世界を渡っていく姿勢を高く買いたい。

しかし軽いタッチのコメディと言っても、もちろんシリアスさがまったくないわけではなく、あの時代、あの場所の社会の異常性を描写する鋭さもこの映画は持ち併せていると思う。例えば、劇中で交わされるたくさんの「ハイル・ヒトラー」。ここで怖いのは、最初のうちはこの言葉の一つ一つにインパクトがあるのだけれど、次第にこれを言うことにも、聞くことにも慣れていってしまうこと。「ヒトラー万歳!」と言うことが、普通の挨拶として当たり前の光景になってしまう。繰り返し口にするうちに、その意味を考える暇すらなくなっていく。あるいは、親衛隊の制服を着ているだけで信用を得られること。こうしたことをナチスの杜撰さや愚かさと併せて描き、滑稽さに転じさせていくのがこの映画のとても巧いところだと思う。


俳優さんたちはみんな個性的な顔の持ち主。特に主要キャストの3人(モーリッツ・ブライプトロイ、ゲオルク・フリードリヒ、ウーズラ・シュトラウス)は、美男美女ではないけれど、それぞれ見れば見るほど魅力の増す顔をしている。この3人が一堂に会す場面はそれだけで頬が緩む。しかし私が最も注目したのは、モーリッツ役のメラーブ・ニニッゼ。

出番は多くないのだが、渋いイケメンさんだったので見逃さなかった。こんなふうに自分のお気に入りの顔を見つけるのも、この映画の楽しみ方の一つかと。


ナチスを描いた映画としては軽すぎるくらいかもしれないけれど、こういうふうに「ナチス」を一つの要素として消化し笑いに転化していく映画がかつてナチスに占領された国=オーストリアで生まれたというのはすごく重要なことだし、それは喜ばしいことなんだと思う。長い時間を経て、その禍々しい歴史が忘れ去られることなく、しかし確実に記憶として受容しやすいものに変化しているということだから。それに何より、置かれた状況の過酷さよりも、それを打破する痛快さに焦点を当てた心意気が私は好きなんだな。