30. 枯野という船(2)


長いので、二、三回に分けようかと思ったけど、分けると前後を参照しにくくなり、又ひとまとまりであるほうが分かり易いところでもあるので、このままで出すことにするね。


「枯野(からの)」という船のことは、日本書紀では「応神(おうじん)天皇」の巻に書かれているけど、古事記では「仁徳(にんとく)天皇」の話の中にある、という違いがあるけど、云われているのは同じ船のこと。


古事記の話ではこうある。


  この(仁徳天皇の)御世(みよ)に、或る所に高い樹(き)が

  あって、その樹を伐って船を作った。船足がとても速いので、

  名付けて「枯野(からの)」と呼んだ


とある。原文では、


  ・・この樹を切りて船を作りしに、いと捷(はや)く行く船

  なりき。時にその船を号(なづ)けて枯野(からの)と

  謂(い)ひき。


速い船であるとなぜ「枯野(からの)」なの、と、ここでもう分からなくなる。


日本書紀は、同じようなことを書いているけれども、「軽く浮かびて」を加えている。でも、それは、あとで述べる「注」と同じ考え方でもって、その名「枯野」に無理があると考えられ、それで付け加えられた風な様子がある。日本書紀によると次のようになっている。


  すなはち軽(かろ)く泛(うか)びて疾(と)く行くこと

  馳(はし)るが如し。故(かれ)、その船を名(なづ)けて

  枯野(からの)といふ。


日本書紀はそのすぐ後に注を入れ、


  船が軽くて速い、ということで「枯野」と名付けるのは、

  意味が通らない。もしかして、もと「軽野」と言ったのを、

  後の人が訛(なま)って「枯野」と言ったものか。


  「原文」: 

    船の軽(かろ)く疾(と)きに由(よ)りて枯野と

    名(なづ)くるは、是(これ)義(ことはり)違へり。

    若(も)しは軽野(かるの)と謂(い)へるを、

    後人(のちのひと)訛(よこなば)れるか。


としている。


古事記の話を続けると、


  船足が速いので、朝夕に淡道島(あはぢしま、=淡路島)

  の寒泉(しみづ)を酌(く)んで、「大御水(おほみもひ*)」

  を運び、たてまつる船とした。

    (*=天皇がお飲みになる水。「もひ」は「水」のこと。)


  でも、その船も(年が経つと)傷みが激しく、壊れてしまい、

  (それで、その材(き、=廃材)で以て)塩を焼き、(そして)

  焼け残った木を取り、(それで以て)琴を作ったところ、

  その音は七里(ななさと)に響きわたった、


と、そう書かれているけれども、こういうあたりがやはり分からない。つまり、


  その船は傷みが激しく、壊れてしまい、(それで、

  その材で以て)塩を焼き、(そして)焼け残った木

  を取り、(それで以て)琴を作ったところ、その音は

  七里に響きわたった


  「原文」 :

    この船、破(や)れ壊(こぼ)れて塩を焼き、

    その焼け遺(のこ)りし木を取りて琴に作りしに、

    その音、七里(ななさと)に響(とよ)みき、           


という、ここが分からない。傷みがひどくなったので、その材(き)でもって「塩を焼き」、「焼け残った木を取り、(それで以て)琴を作り」、「その琴の音(ね)が七里(ななさと)に響きわたった」、と云うことだけれども、どうしてそういうことになるのだろうか。


日本書紀では、「枯野(からの)」は伊豆の国から献上されたものである旨しるされている。その船が働きに耐えなくなった時、天皇から、その船が長年おおやけのものとして働いたその功績を忘れてはいけない、どうしたらその「名」を後世に伝えることができるだろうか、とお尋ねがあった。


  いかでか、かの船の名を絶たずして、後葉(のちのよ)に

  伝ふることを得む


群臣がいろいろと考えた末、


  その船を解体して、その廃材を薪(たきぎ)として

  塩を焼かせ、「五百の籠(こ)の塩」を得た。

  その塩をあまねく国々に賜わり、そして船を作らせて、

  五百の船が献上された、


と記されている。日本書紀ではそれから又いろいろとあるのだけど、それはここでは省く。


つまり、その船の「名」を後の世に伝えるために、群臣が考えて、「廃材を薪として塩を焼く」ことにした、ということだけど、同じことを言い方を変えると、


  「枯野」の材(き)で以て「塩を焼く」ことが

  その「名」を「後の世に伝える」ことになる、


ということが群臣が皆で考えた末の結論、ということになる。



            −−−−−−−−−−−−
        

(「きたし」、堅塩、黒塩)
                                 

「藻塩(もしほ)焼く」とか「塩焼く」という表現が歌に出てくるけれど、乾燥した藻を焼いて灰を作り、その灰を使ってする製法など、塩の作り方はいろいろあったようだけれども、この枯野の場合の「塩を焼く」というのはどういう風にして塩を作ることを云うのだろうか。

「塩を焼く」という風に書かれているから、とにかく「薪」を燃した「火」を使うことは確か。


  「きたし」(堅塩、黒塩)


というコトバがあって、焼いて堅くなった塩のこと。「カタシホ」(堅塩)の縮まったものと云われているけど、


  「カタ・タシ」


の縮まったものである可能性もあって、そのばあい「タシ」は、


  トルコ詞 「トゥ−ズ」(tūz, ="tu:z")、=「塩」


である可能性が考えられるの。この「トゥ−ズ、塩」というコトバについては又あとで述べる。


この「きたし(堅塩)」という塩は、焼き固められた黒い塩で、燻製になっているらしい。塊(かたまり)になっているので、割って用いる。運搬や分配に便利で、神饌や朝儀にも用いられ、酒の肴にもされた。粗悪なものではなく、苦汁(にがり)を除くために焼かれたらしく、苦汁を含んだ粗塩を土器の容器に入れて窯で焼いて製する。一定の地で量産されたと見られる。−− 奈良末期から「かたしほ」とも呼ばれるようになり、この「かたしほ」や「固い塩」という言い方が一般化するにつれて、「きたし」の呼び名は古語化した。(「角川古語辞典」に拠る。)        


「枯野」の材(き)でもって焼いて造られた塩を、あまねく国々に賜った、とあることから、その塩はまちがいなく「きたし(堅塩、黒塩)」であったと考えられるの。


            −−−−−−−−−−−−


古事記の乙(オツ)で、ちょっと不親切なところ)


群臣が皆で考えた末の結論のことをすなおに考えてみると、


  「枯野(からの)」という名と、そして「材(き)で以て

  塩を焼く」ということとは何らかのつながりがある、


と見ることができる。


古事記では、日本書紀にあるような、「枯野(からの)」の「名」を後世に伝えるために、その方法を群臣に問うて、というような、そういうことに云い及ぶことなく、たださらりと、


  この船、破(や)れ壊(こぼ)れて塩を焼き


という風に、「その船体がだいぶいたんで壊れたので、それを焼いて塩を作った、・・」という風に書いている。もっと正確に云うと、「壊れたので、それで・・」ということさえ云わず、


  破(や)れ壊(こぼ)れて塩を焼き


という風に、跳ぶようにつなげている。


  この足りなすぎる書きぶりに

  古事記の大事なところがある。


つまり、古事記日本書紀にある、こうこうの経緯(いきさつ)でこういうことになった、というようなことは一切省いていて、何か変、と気が付いた人はそこに何らかの経緯なり何なりがあるのだろう、ということを自身で察して、そしてその訳(わけ)を考えてね、と云っている。


  筋が変に跳んでいるところには

  大事な含みがある。


上に書いた日本書紀の注では、船が軽くて速い、ということで「枯野」と名付けるのは、意味が通らない、もしかして、もと「軽野(カルの)」と云ったのを、後の人が訛(なま)って「枯野(カラの)」と云ったものか、とあるけれども、この場合「軽、カル」については、「身が軽い」ということが「敏捷」ということであるから、確かに速く進む船の名にふさわしいけれども、じゃ、「野」はどういうことなの?、ということになる。

それでは「速く走る野原」ということになって却って変になってしまわないだろうか。


日本書紀の注はわたしたちが抱く疑問と同じで、もっともなところがあると同時に、又必ずしもその理が通るというわけでもない。「枯野(カラノ)」ならば、それはそれで「名」として意味が通り、しかも料亭の名のように響きがよく、いい味がある。


端的に云うと、少なくともこの「枯野」の話のところに関する限り、日本書紀を編んでいる人たちと、古事記を編んでいる人たちの間で「やまとことば」についての造詣の違いが大きくある。年代的にそう離れているわけでもないのに、日本書紀のグル−プと古事記のグル−プとは何か全く違う脈に生きているような観があるの。


            −−−−−−−−−−−−



(「名を絶たずして、後葉(のちのよ)に伝ふ」)                             

日本書紀に記されている経緯に沿って見て、「枯野」の「材(き)」でもって「塩を焼く」ことがなぜその「枯野」の名を絶たずして後の世に伝えることになるのだろうかを考えてみる。


それは、つまりこういうことなの。「塩」を「焼く」こと、「琴」の音が「七里(ななさと)」に響きわたったことは、「枯野」のその「名」の導くところであって、「枯野」はその「名」に導かれて、「塩」を「焼く」こととなり、そして「きたし(堅塩、黒塩)」ができた。その「きたし」というものは、その作り方が特に「焼く」ということが大事なことであることが、上の「きたし」についての説明で分かると思う。


  「塩を焼く」というそのこと、


それが、「枯野」という「名」、ということはもっと正確に云うと、こういう場合、「枯野」のその「名」のことだま「KRN」かその一部である「KR」に係わることであり、したがって、「塩を焼く」ということが、


  「枯野」の名を、絶たずして遺(のこ)す


ということになる。


「塩が焼かれ、塩ができた」、そして、古事記では「焼け残った木があった」。それは更に「琴の音」という余波を起こして「七里(ななさと)に伝わり」、そうやって「枯野」の名は後の世に語り伝えられることになった。


「枯野」のその「名」の「ことだま(の一部)」は、役目を終え命を終えた「枯野という船」の「たましい」を託されて、その「名」を後の世に伝えた、ということ。


と云われても、これだけではどういうことか分からないと思う。こういうことである、というその子細、訳を、あとの方に書いておくね。


それはヤマトタケルの話しの筋で「NG」や「TK」に導かれて事が起こるけど、そうやって起こることに「NG」、「TK」の影がある、という、そのことと並ぶところがあるのだけど、この「枯野」の話のばあいは、話そのものが長いものではなく、筋ということよりも、「カラノ、枯野」の「ことだま」に関わる「エコー」の働きが大きい。



            −−−−−−−−−−−−



(「枯野(カラノ): KRN,KR」のエコー)


トヨタの「カリ−ナ」という名の車種があった。「セリカ」と同じ車台だったのだそうだけど、その「カリ−ナ」(carina)は天文の「竜骨座」のことを云うとのこと。(「carina」は英語では「カライナ」の発音。)
                       

「カリ−ナ」(carina)は、その車の名では「竜骨座」ということではあるけど、もともと船の「竜骨」(りゅうこつ)のこと。つまり「船」で船底の真ん中を船首から船尾までずうっと通っている「構造材」のこと。


  以下、

    「Lat.」, 「 ラテン詞」、

    「Gk.」, 「ギリシア詞」、

    「Tk.」, 「トルコ詞」、

    「Pers.」, 「ペルシア詞」、

    「Arab.」, 「アラビア詞」、

    「Hebr.」, 「ヘブライ詞」
   

     ◎印は「エコー」を示す。


                    

「枯野(カラノ)、KRN,KR」 :


 ◎ 1. Lat. 「カリ−ナ」(carīna, KRN)、=「竜骨」、「船」


この「カリ−ナ」が「KRN」の三音に通って以下の幾つかのエコ−の軸のようになっている。この「carīna」と同根のコトバがある。そり上がって先が尖っているものを云う。
 

 ◎ 2. Lat. 「コルヌ−」 (cornū, KRN), =「角(つの)」


「角(つの)」は船先の形状を想う。英詞「コ−ナ−」(corner)は「机のカド(角)」とか、先端が尖っているところで、この「コルヌ−」と同根。英詞「ホ−ン」(horn,=「角(ツノ)」)も、印欧語内の「k / h」変化で同根。



 ◎ 3. Gk. 「カ−ロン」 (kālon, KLN / KRN), =「材木」、(特に)「船材」


 ◎ 4. Gk. 「ケレ−ス」 (kelēs, KL- /KR-),

               =「(詩語)駿馬(しゅんめ)」、「早く走る帆船」


 ◎ 5. Lat. 「ケレル」 (celer, KL- / KR-), =「敏速」、「敏捷」


 ◎ 6. Lat. 「クルスス」 (cursus, KR-), =「走行」、「航海」 

                    ( >> 淡路島の清水を運んだこと)



上の(3)から(6)のコトバはみな同根の親類詞。

その中心的な動詞を挙げておくと :


 ◎ 7. Lat. 「クロ−」(currō, KR),

        =(動詞)「(足で、馬で、船が)速く走る」、「急がせる」、

        「走る気充分の馬に更に拍車をかける」、つまり「駆(か)る」、

             「(海を)渡る」、「行ったり来たりする」 

                 ( >> 淡路島の清水を運んだこと)



英詞「hurry」(=急ぐ)、同じく「horse」(馬)は、上の「クロ−」(currō)、「クルスス」(cursus)と同根。印欧語内での「k / h」の変化による。

やまとことば「かる(駆る)」は、上の「currō」から来ている可能性がある。


又、次のコトバにも留意。


 ◎ 8. Hebr. 「カル」 (qal, KR)、 =「敏速」、「敏捷」
 

「身が軽い」と云う時の、その「カルい」の義。ヘブライ詞の「q」は「k」よりも口の奥から出る。わたしたちには「q= k」で大丈夫。



            −−−−−−−




(「枯野(カラノ)」から「塩を焼く」へのエコー)



「いかの塩辛(しおから)」というその「カラ」があるけれども、云うまでもなく「しょっぱい」と云うこと。アイヌ語で「塩」は「シッポ」。「shippo」と「sippo」の二つの表記がある。アイヌ語で「さけ、酒」はやはり「サケ」。これは「やまとことば」に由来するものかも。「塩」の場合は、アイヌ語からやまとことばに入った可能性がある。昔のやまとことばの「ハ行」は、「ph」で表わされる音で「シホ、塩」ならば「シプォ」のような感じ。




  ○「カラの(枯野)」(KR) >> 「カラし」(=「塩辛い」) >> 「塩」

    (やまと詞「シホ」、アイヌ詞「シッポ」(shippo,sippo)、=「塩」)




「アル・カリ」の「カリ」はアラビア詞の「qalī」(=qaly, カリ−)で、もともとある種の植物を焼いてできる「ソ−ダ灰」を意味する。「ソ−ダ灰」はガラスを作る原料になったりする。

英詞「カリウム」(kalium)の「カリ」(kali-)はアラビア詞の「qalī」(=qaly, カリ−)から来ている。



その「qalī」(=qaly, カリ−)は以下の動詞の名詞形。

 

  ◎ Arab. 「カラ」(qala, QL)、=「焼く」、「いる(焙、炒)」、「あぶる(炙)」 


    (この場合の「焼く」は「芋を焼く」という風な「焼く」で、家を焼く、
     てがみを焼きすてる、というような、そのものの形が無くなって
     しまうような「焼く」では無い。)


他にも、

  ◎ Hebr. 「カ−ラ−」 (qālāh, QLH), =「いる(焙、炒)」、「あぶる      (炙)」

    (○アッシリア詞 「カル−」 (kalū, KL), =「焼く」)




             −−−−−−−−−−−−





(「塩」から「琴」と「七里(ななさと)」に至るエコー)



「塩」のことは「カラし」(KR), =「塩辛し」から導かれるけど、その「塩、シホ、シッポ(SH、SP)」から「七」が導かれる。

     

  ○ アイヌ詞「シッポ、塩」(SP), やまと詞「シホ、塩」(SH)  :



    ◎ Lat. 「セプテム」(septem, SP), =「七」


   (英詞「セプテムバ−」(September), =「第七番の月」、「今の九月」)




ユリウス暦では、「数」の名で呼ばれる「九月」以降は、実質その数よりも二ケ月先送りのことは以前話したとおり。

ラテン詞「septem」の「sep-」は英詞「seven」の「sev-」に相当。



上に述べたように、「塩」のことは、やまとことばで別名「きたし(堅塩、黒塩)」とも云う。


  ○「キタし、堅塩」(KT) :
 

     ◎ Gk. 「キタ−ラ」 (kithāra, KT-), =「リラ」、「小さな竪琴」

      このギリシャ詞は「ギタ−」の元になったコトバ。



と、そういうことなんだけど・・





初めの方で云った「キタシ(堅塩、黒塩)」は「カタ・タシ」(堅・塩)の縮まったものである可能性があると云ったけれど、その「タシ=塩」の可能性のことについては、下の赤人の歌を参照のこと。


   若の浦に、潮(しほ)満ち来れば、潟(かた)を無み、

   葦辺(あしべ)をさして、たづ(多頭)鳴き渡る   山部赤人

   (「潟を無み」、「干潟がないので」。「たづ」は「鶴」)



  ○「潮」 >> 「塩」


  ○「タヅ、鶴」 (TD) :

     ◎ Tk. 「トゥ−ズ」 (tūz, ="tu:z", TZ / TD), =「塩」


  ○「ナミ、(潟を)無み」 (NM) :

     ◎ Pers. 「ナマク」 (namak, NM), =「塩」



            −−−−−−−−−−−−    




(「(その焼け遺りし木を)取(ト)リて」)、

トルコ語辞書の「ことだま別」の見出し)



古事記のこの枯野の船の話の原文では、


  その焼け遺りし木を取(ト)リて琴に作りしに、

  その音、七里(ななさと)に響(とよ)みき


とあって、その「その・・木を取(ト)リて琴に作りしに」の

  木を取(ト)リて琴に・・

のところは、普通であるならば、

  木以(モ)テ琴に・・

とあるはずだけれど、その

  「取(ト)リて」

が気になる。


日本書紀でも、「取りて」はあるけれども、それは、「焼け遺りし木を取りて」ではなく、塩を焼くまえに「その船の材(き)を取りて、薪(たきぎ)として・・」とあって、又、書紀には、「琴」のことの記述は無く、古事記における「取りて」のような働きは見えない。

  

トルコ語が記録として現れ始めるのは紀元8世紀初頭のことで、古いトルコ語を扱っている辞書として次のものがある:


  An Etymological Dictionary of Pre-Thirteenth-Century Turkish,

    Sir G. Clauson, Oxford, 1972


    (「13世紀以前のトルコ語の詞源的辞書」、クローソン卿、

                オックスフォード、1972年)


この辞書では、


  「見出しコトバ」が「ことだま(詞魂)別」


になっていて、例えば「取りて」の「トリ」にエコ−の気配がある、と感じた場合、ことだま「TR」の見出しのところにあるコトバを見ていけばいい。その辞書では、ことだま「TR」は「DR」「DL」として表記されているので、そこを見る。


古事記日本書紀にある枯野の話の中身、特に「琴に作る」、「七里に響(とよ)みき)」、「名を絶たずして、後葉(のちのよ)に伝ふる」を思い出しながらことだま「DR」「DL」のコトバを見ていくと、次のようなコトバを拾うことができる。


 (「TR」(=TL))


  ◎ 1. Tk. 「タル」 (tal, ="tıl"),=「舌」、そこから、

       「情報を伝える人」 ( >> 「後葉(のちのよ)に伝ふ」(紀)、

                  「その音、七里に響(とよ)みき」(記))


  ◎ 2. Tk. 「ト−ル」 (tōl, ="to:l"), =「子孫」
                   ( >> 「後葉(のちのよ)」(紀))


  ◎ 3. Tk. 「ティル」 (til-, =”til-”), =「薄く切る、薄片にする」

                    ( >> 「琴(記)の側板、響板の材料」)


  ◎ 4. Tk. 「テ−ル」 (tēr, ="te:r" ), =「集める」、「組み立てる」

                        ( >>「琴に作り」(記))



    −−−−−−



又、同じ辞書でことだま「KR」、「KRN」のコトバを拾ってみる。「KR」、「KRN」はそこでは「GR」「GL」、「GRN」「GLN」と表記されている。「破(や)れ壊(こぼ)れて」(古事記)、「朽ちて用ゐるに堪へず」(崇神紀)、「名を絶たずして、後葉(のちのよ)に伝ふる」、「塩に焼く」、「焼け遺りし木を取りて」、を想いつつ。



(「KR」、「KRN」(R=L))


  ◎ 1. Tk. 「カル」(”kal-”, KR), =「残る」、「あり続ける」

          ( >>「名を絶たずして、後葉(のちのよ)に伝ふる」(紀))


  ◎ 2. Tk. 「クル」(kul, ="kül", KR ), =「灰」、「燃え残り」

                     ( >> 「焼け遺りし木」(記))


  ◎ 3. Tk. 「コルン」(kolun, ="kölün", KRN ),

              =「疲れて、負担に耐えない如きである」

                  ( >> 「破(や)れ壊(こぼ)れて」(記)、

                  「朽ちて用ゐるに堪へず」(紀))


  ◎ 4. Tk. 「カラン」(1) (kalan-, ="kılın-", KRN),
             =「作られる」、「創造される」

             ( >> 「塩に焼き」(記)、「塩を焼かしむ」(紀))


  ◎ 5. Tk. 「カラン」(2) (kalan, ="kalın", KRN ),

           =(塊(かたまり)について)「大きく重い、どっしりした」

        ( >> 「五百籠(いほこ)の塩」(紀)、「きたし(堅塩、黒塩)」)

 
という風にある。

       

            −−−−−−−−−−−−−



こうしてみると、「枯野という名の船」の話では、ラテン語ギリシャ語、トルコ語のエコーがあることがわかる。また「塩を焼く」ということではアラビア詞もしくはヘブライ詞、等のセム語のコトバが働いている様子なの。



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P.S. (1)  「背景諸言語について」


第27回目に「背景諸言語は分類の大小まぜこぜで六つくらい」ということを云った。この場合、「トルコ語」、「印欧語」、「セム語」だけを対象に考えているけれども、やまとことばは、西アジアでの揺籃・成長期間が大体300年くらいと推定され、そのあいだにほとんど形が整ったと見られるの。


エコ−の具合、又、語彙のことは、その三語族のあいだのもので手一杯なので、それを集中的に調べている。


予想として、ことエコ−のことに関する限りは、「やまとことば」において、「トルコ語」、「印欧語」、「セム語」のコトバのことが重点的であると考えられるの。


たとえそれ以外の言語のエコーがあっても、作業上の困難さから、それらについてまではとても手を広げていられないので、ここではとにかくその三語族に集中する。


「背景諸言語」の「語彙集合」、「汎やまと語彙」について云う場合にも、いろいろな言語のことを含め考えながらも、実際にここでの話が及び得る範囲として、その三語族のそれにあえて限定して話している。