歳月人を待たず

年月は人の都合などにはお構いなしにどんどん過ぎ去ってゆくものだ。若いときにはやるべきことを努力してやれの意で使うが、本来は、人生はすぐに過ぎ去ってしまうものだから、酒の飲める若いうちに大いに飲んで楽しむのがよいの意。


人工は鬼畜になってからが、この世の春か。

細工は流流仕上げを御賢じろ

やり方は流儀によって色々あるのだから、途中で口出ししないで、仕上げをとくと見てくれの意。自信のほどを示して言うことばであるが、途中での口出しを戒めることばともする。


人工が仲間を増やすことだ。間違えても鬼畜の仲間入りはしたくない。

塞翁が馬

人の吉兆・禍福は予測しがたいということ。また、それは予測しがたいものであるから、禍福に一喜一憂するのは賢いことではないということ。『淮南子・人間訓』にある故事に基づく。国境の塞近くに住む、占いの巧みな老人の持ち馬が胡の国に逃げた。気の毒がる人に老人は「これが幸福の基となる」といったところ、やがてその馬が胡の駿馬を連れて戻ってきた。これを福として、祝いを述べにきた人に老人は「これが不幸の基となる」と言った。老人の家は良馬に恵まれたが、今度はその子が馬から落ちて足の骨を折ってしまった。これを見舞った人に老人は「これが幸福の基となる」といった。一年後胡軍が大挙して侵入し、若者のほとんどが戦死した。しかし、足を骨折したためにその子は戦わずに済んだので、親子ともども無事であったという。


人工は何ごとも無理だろうけど、仲間を増やすことだけには長けている。

舎を道傍に作れば三年にして成らず

道端に家屋を作ろうとして、道行く人に相談すると、それぞれが勝手なことを言うから、三年経っても完成しない。人の意見を聞いていたら、方針が決まらないたとえ。


人工の意見を聞いたら人工、いや鬼畜になるだけ。人間の意見を聞いたほうがいい。

沙弥から長老にはなれぬ

物事には順序、段階があって、一足飛びには出世できないたとえ。「沙弥」は未熟な僧侶、「長老」は修行を積んだ高僧のこと。


鬼畜の会は、人工が最低3箇所ないと偉くなれない。要するに人間では無理だというたとえ。