愛は即物的・・・

ロマンチックな人は精神性を重視して、パートナーに対し、自分に精神的に尽くすことを求めたり、きちんとした生き方を求めたりする。そうしたことを求めることは、だれが聞いてもきわめて正当なのだと堂々と主張する。そして、パートナーがちゃんとしないからいけないと知らず知らずに攻撃している。ロマンチックがいけないというのではない。ロマンチックでありながら、自分も相手も、日々、消費する存在であるということを理解すべきなのだと思う。私もあなたも、彼も彼女も、夢の中で生きているのではなく、現実世界に生きている人間である。だから、愛も、やはり、即物的にならざるを得ない。

あるとき、ある裁判官は、尋問の中で、嘆息するように、ほとんどつぶやくように、質問した。
「あなたにとって、妻とは、なんなのですか」
それ以来、私も、時々、このような質問を投げかけることがある。
パートナーを非難したり攻撃したりする中で、ふと振り返ってほしいと思う。
「あなたにとって、彼女(もちろん「彼」でもいいのだけど)はいったいどういう存在なのですか」

自分が息をするように、自分がおいしいものを食べたいように、自分が気晴らしをしたいように、相手も、それが必要なのです。
あなたが疲れているとき、相手も疲れていると想像してみましょう。
「別れたくない」「大切な家族がそばにいることが仕事をする励みになる」
でも、相手の気持ちも考えてあげなければならないでしょう。
自分の気持ちを押し付けるのではなく、具体的に、相手が必要としていることを満たしていくことは、とても大事なことなのです。

この点では、仏教の「三施」という言葉が味わい深いと思うのです。三施とは、三つの布施ですが、一つは、「財施」で、財物を施すこと。食べ物の必要な人に食べ物を、衣服の必要な人に衣服を、睡眠が必要な人にはベッドを与えるということです。
二つ目は「法施」で、真理や正しいことを教え導くこと。「法施」は、大事なことだと思いますが、独りよがりなものではだめだと思います。自分勝手に正しく導いていると思ったら大間違いということはありえます。だれかが困っているときに、その人に、必要な知恵を授けて問題を解決してあげるということなのでしょう。
三つ目が一番難しく「無畏施」。人の心から畏れや不安を取り除くことだといいます。

三拍子そろえば、上出来ということになる。確かに、経済的には恵まれていても、決して幸せでないと感じる人もいるから、もちろん、愛も、ただ、即物的であれば良いというわけでもないのでしょう・・・。そばにいるだけでくつろげる、心が安まる、こんな魔法を使えるようになったら、本当に素晴らしいと思います。