Long and Winding Road
ブログというもの、もう随分長く続けているので、
先に利用していて、既にサービスを停止されたのを含めると、性懲りもなく15年以上書き続けているので、
繰り返しになって恐縮なのですけれど、
ボクは、小学校の頃、いわゆるひとつの「軍国少年」でした。バリバリの。
戦闘機や戦艦が大好物で、軍歌なんてなものも好んでいて、
とりわけ、「特攻隊」というものに「男の美学」を感じている少年でした。
それが、どこでどう変わったのか、自身でも判然としないのですが、
きっとそれは、中学に上がってから、「文学」というものに親しんだことによるのだと思います。
誰かのために、国のために、命を賭して闘い、死んでいくということが、
「格好いい」こととは思わなくなりました。思えなくなりました。そして、そんな風に転向したことは、
今でも、間違っていないと思っています。
武力を以て、暴力というものを以て、何かを守る。などいうのは、誰かを幸せにする以上に、誰かを決定的に不幸にすることでしかないと思います。
かつての戦争で、この国のために死んでいった多くの人たちがいたから、今がある。などとは、決して思いません、思えません。
戦争は、死なずともいい命を、死なせてしまっただけの茶番だったと思います。
ボクのオヤジは、「人間魚雷」で、お国のために命を散らし損ねた人間です。
にもかかわらず、オヤジはボクが大学を目指そうというその時に、
「どうしてオマエは、防衛大学を受験しない?授業料もなく、給与まで頂ける大学になぜ行かない?それ以上の親孝行はないだろう?」
と、言いました。
わからなさの、その距離の遠さに、茫然としました、愕然としました。
戦闘機も、戦車も、戦艦も、軍隊もいらねー。核の力もまた然り、
それがあることで、いいことなんて、何にもねーよ。
誰かに勝つとか、誰かを出し抜くなんてこと続けても、誰もシアワセになんてならねーよ。
「だろ?」と、いうことを伝えるために、
ボクは、「文学」というものを、教壇のあたりをうろうろしながら、時に、二日酔いのアタマで、よろよろ語っています。
時代がどう変わろうが、それを続けるのが、ボクの仕事だと思っています。
どうしても伝わらない人というのがいることを知りながら、
それを、もう少し続けようと思っています。
それは、
数式や化学式の解法や、加速度や浸透圧やDNAの構造や、外国語の文法構造を教え、何が書いてあるのかを教える仕事や、
過去、この世界で何が行われたのかを単なる史実として伝えたり、
この世界のどこに何があって、そこで、どんな人たちがどんな生活をしているのかを、ただ教えるのとは、
どうすれば日々の衣食を健全に過ごせるかや、スポーツの楽しさや、正しいカラダの使い方を伝えるのとは、
少し異なる仕事だと思っています。
音楽について言えば、絵について言えば、彫刻について言えば、
歌唱法や演奏法、筆や絵の具の使い方、彫刻刀や鑿の使い方だけを教えるのではなく、
何を歌うのか、奏でるのか、何を描くのか、彫るのか、
ということを共に考えるのに近いかも知れません。
或いは、
途方もなく広い宇宙の中、この地球という天体は、途轍もなくちっぽけなものなのだ。
ということを共に考えるのに近いかも知れません。
ニンゲン、くたばり方はさまざまだけど、
どこかの誰かに、くたばることを強要もしないし、されもしない。
そのために、何を思うことが大切なのかを、目の前にいる連中と、「文学」というのを足がかりに、共に考えながら、
そして、「音楽」というのを足がかりに、
いろんな人たちの奏でる、自身の奏でる、メロディーとリズムとハーモニーに、身を委ねながら、
くたばる時を待ちたいな。
と、休日の職場の部屋に、ひとりいて、
今日も、思った。
のでした。