常なるものを見失わないために

我が職場、


明日と、中1日挟んで、明々後日が「文化祭」


中1日挟むことになったのは、


国民の休日に学校行事を執り行うこと罷りならんという「上」からのお達しがあるからなのだそーですが、


それはそれ、


生徒の皆さま、例外はあるにせよ、総じて、楽しそうにその準備にかかっていたわけで、


自身のこと振り返るに、


半端者の烙印を余儀なくされて生きていた十代、


結構、屈折した毎日を過ごしておりましたが、


「文化祭」では、


ジェフ・ベックや、レッド・ツェッペリンや、サンタナのコピバンをやらかして、


その時は、それなりに楽しかったような気が致します。


小林の秀雄さんは、


  思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなが間違えている。
  僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである。
  思い出が、僕等を一種の動物であることから救うのだ。


と、申しておりますが、


  思い出は、強いて拵えるものではありません。できるものです。


ま、自然体で楽しめばいいのではないかと。


自身に息子や娘がいたとしても、こんなに若くはなかったであろう


ティーンズたちを眺めながら、そんなことをつらつら思うのでありました。


ニンゲンという生き物、くたばってしまうその日まで、一種の動物なのであります。


ボクも、あなた方と同様、まだまだ一種の動物なのであります。


むふふ。