語れない者語る者

その昔、


地方出身の教員志望者には、
「そこそこの大学に入って、そこで教員免許状を取得すれば、故郷に戻って教師になれるんだ」
と、真顔で語る者がいた。


実際、その言葉通り、国に戻って教師になった者を何人か知っている。


また、地方から出てきて、大阪や東京で教師をしている者は口々に、
「地元で教師になるのは至難の業」だと言う。


公務員もまた然り。


ツテやコネのない者は採用されない。ということ。


それが、教師や公務員に対する、世間の風当たりの強さと関係しているであろうことは想像に難くない。
「馬鹿の癖に、いい思いをしている連中」だと思われているのだから、


そして、実際にそういった者もいるのだから、そんな思いを全面的に否定することはできない。


ただ、ツテやコネは、公務員や教師だけに限ったことではない。


民営化され「大阪メトロ」と名を変えた「大阪市交通局」の職員採用が、ツテとコネの巣窟だったことをボクは目の当たりにしているし、某私鉄の社員採用も、似たようなものだった。
大企業であっても、縁故採用が常態化していることは、誰もが知っている。


で、当然のことだけれど、ツテやコネで職に就いた者が、


上からの通達に命令に、それがいかに「理不尽」なものであったとしても、
逆らうことはできない。できるはずがない。


ツテやコネで教師になった者が、自由や平等や人権や平和を語れるわけがない。


「理不尽」に対して「黙して語らぬ」者は、まだマシなのかもしれず、
己の来し方を棚に上げ、「人の道」などを得々と誰かに語り、恥じない者もいる。


ボクは、ツテやコネといったものから、遠く離れたところで生きてきました。


だから、「理不尽」に対しては、抵抗もすれば反抗もする。
教師として、自由や平等や人権や平和について、胸を張って語ることができる。


でも、ボクと同じような立ち位置にありながら、
「黙して語らぬ」者もいる。自身のアタマでモノを考えることを放棄している者もいる。


  黙っているうちに、世の中がどんどんヘンな方向へ流されて行く。
  そしてその結果はなにもかもすべて、黙っていた人たちの上に覆い被さってくる。(by 井上ひさし


資格があるならば、口を開こう。「理不尽」と闘おう。決して、「沈黙は金」ではない。