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2019-01-04 移転します このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 新年になりました。

 長年この hatena diary を利用させて頂いてきましたが、間もなく「ダイアリー」が閉鎖になりますので、同じ名前の「風日好」名で、「ブログ」の方に移転いたします。→(こちらです)

 昨秋から書いていませんが、いずれいくつかの内容を移転しつつ、新記事も再開するつもりですので、よろしければご訪問ください。

2018-09-12

 ボランティア学徒動員

 

 九州を襲い西日本を襲った台風が三度上陸して関空を沈めたかと思えば、北では地震地すべりを引き起こし、生命を奪い家を壊しなお広範囲の電気を止めたままです。

 

 招致の際に申し上げました通り、日本の夏は晴天温暖で、オリンピックに最適です。猛暑が心配だとか、ケチを付ける非国民もいるようですが、暑さ対策には万全を期すよう、関係省庁にしかるべき指示をしております。

 なお、私の支持率は高く、私がしかるべき指示をしたといえば、何事によらず、国民はそれで納得するのであります。

 もちろん、大震災による原発事故は完全に収束し、津波被害地も完全に復興して、何の問題もありません。

 従って、復興費は大幅に縮小し、財政的に何ら問題はありませんが、大会の開催費を抑制するために、市民ボランティアだけでなく、大学や学校を休みにして、学徒ボランティアに、無給手弁当でオモテナシさせることにしております。

 学徒のボランティアは、もとより強制ではなく自発的でありますが、それを拒む者はいないと確信しております。必ずやわが学徒は、学業を中止して、祖国のために一身を抛ち、自ら志願して、勇躍五輪の特別任務に挺身すること間違いありません。

 

 先日、けしからぬ新聞の書評ページで、鴻上尚史『不死身の特攻兵−軍神はなぜ上官に反抗したか』講談社現代新書が取り上げられました。これは昨年11月に出たものですが、そのきっかけとなった大貫健一郎/渡辺考『特攻隊振武寮−証言、帰還兵は地獄を見た』講談社も、先月文庫化朝日文庫されました。

 これらは、実にけしからぬ本であります。特攻隊については、私のオトモダチである百田氏の『永遠の0』だけを読むべきであって、こういう特攻隊を貶めるような本は、できることなら禁書にしたいのであります。例えば鴻上は、特攻を命じた当時の上官たちが戦後一切反省することなく、中には航空自衛隊の高官として上り詰めた者もいる、などと指弾しておりますが、帝国陸海軍と自衛隊が連続して、どこが悪いのですか。そういうけしからぬ言いがかりを出させないためにも、ぜひとも改憲をして、自衛隊を帝国軍隊の誇りある歴史にきちんと接続すべきであります。

 ただ、しかし、鴻上らの本にも、ひとつだけ学ぶべきことがあります。それは、死んでいった特攻隊員たちに事実上「命令」した上官たちが、戦後、「彼らは自発的に死んだのだ」といい張ることで、責任逃れを全うした、という点であります。

 五輪のオモテナシに当たる多数の人々に、せめて交通費くらいは支給すべきではないか、などと、思慮の浅いことをいう輩もおりますが、問題は金ではないのです。市民や学徒を動員して働かせるに当たっては、まるきりの「ボランティア」で働かせることが重要なのです。そうすれば、たとえ熱中症で死んでも疲労で倒れても、「ボランティア」だから、関連団体も都も国も、責任を取る必要が生じないのです。

 市民のみまさん、特に学徒の諸君、ボランティアとして、奮って一大国家事業に参加しようではありませんか。

2018-08-30

 観光の横道(終わりの始まり)

 

 総裁選対立候補が「正直、公正」をキャッチフレーズにしようとしたところ、「個人攻撃はまずい」という声が党内から(支持者からも)あがったようで、「正直の反対は、嘘つきにゴマカシ。公正の反対は、身内優先にお友達優遇。誰のことか、すぐ分かってしまうじゃないか。不愉快だ」。

 といわれて「正直、公正」を撤回しそうになったのですが、諸般の事情忖度したのか、結局撤回を撤回するという、何が何やら。

 

 「リテラ」(→ここ)によれば、Twitter上には、「正直、公正」を撤回するのならと、「#石破氏の新キャッチフレーズ」なるハッシュタグが登場し、次のような新フレーズが提案されて、いわゆる大喜利状態となったそうです。

 「憲法違反はしません!」 「お友だちを優遇しません」 「国民を“こんな人達”と呼びません!」 「強行採決を繰り返しません」 「災害時に宴会はしません」 「自分のフェイスブックへの差別的書き込みを放置しません」 「ネトウヨ作家をNHK経営委員にしません」 「ヤクザに汚れ仕事は依頼しません!!」 「公文書改竄せずに保存しておきます!」 「聞かれたことに答えます」 「約束を守ります」 「自由と民主主義」

 さらに、こんなのも。

 〈自由、民主主義、寛容、報道の自由、地方分権、開かれた政治、国民第一、弱者にやさしい政治、格差是正、公金の適正支出、討論・対話重視、誠実、三権分立、権力を私物化しない…

 ダメだ。何を言っても安倍への個人攻撃になってしまう。〉

 

 「リテラ」は、次のようにコメントしています。

 「このままではマスコミや市民が「ウソで国民をごまかす政治はやめろ」「えこひいきのない公正な政治を求める」と、民主主義国家としてごく当然ことを言っただけで、誰もが「安倍首相への個人攻撃」なるレッテルを貼られ、政権から弾圧されてしまう。」〜 「冗談ではなく、こんなディストピアめいた状況が、安倍首相のもとで現実化しているのである。」

 

 今回の事態で明らかになったのは、しかし、アベ首相が、 「さんざんウソやごまかしを重ね、果ては国民の疑問に答えずに逆ギレを繰り返しながら遁走を続けるという」、「正直、公正」とはとてもいえない人物だ、と、少なからぬ国民が批判している、というだけのことではありません。

  「そもそも「正直、公正」って、別に政治家として当たり前の志だろう。それを自民党は「安倍首相への個人攻撃」になると騒いでいるのだから、コレ、裏を返せば、安倍首相は「正直、公正」ではなく「嘘つき、不正」と自民党が認めてしまったということではないのか(笑)」。

 

 『永続敗戦論』(文庫版=「講談社+α文庫」)で衝撃を与えた白井聡氏は、『国体論ー菊と星条旗(「集英社新書」)で、「国体の反復」という図式を提示されました。かつての「国体」は、いわゆる明治維新に始まり、77年後、1945年にこの国を徹底的に破滅させて終わりましたが、にもかかわらず、戦後、姿を変えた第二の国体が、同じ轍を踏んで進行中だ、と白井氏はいうのです。

 ここでは氏の議論に立ち入ることはしませんが、仮にその図式を借りるなら、今年は戦後73年め、第一の国体でいえば1941年に当たります。中国侵略の泥沼が抜き差しならないまま遂にナチス・ドイツと組んで米英と開戦する年、明確な「終わりの始まり」の年です。(そういえば、6月の首脳会談で、トランプがアベに、「真珠湾を忘れていないぞ」といったと、アメリカでは報道されています。こちらの政府ややっきになって否定していますが)。

 それまでは、援蒋ルートを断ち切れば国民党政府は手をあげる筈だとか、ヨーロッパ戦線ではドイツが圧勝するだろうとか、アメリカは参戦しないだろうとか、南方を押さえれば石油も資源も心配ないだろうとか、その他の夢想がまだあったのですが、あの年になると、もはや夢想は消え、いよいよ諸矛盾が煮詰まって、どうにもならなくなっていました。御前会議で、国体を案じる天皇から、「勝てるのか」と聞かれても、居並ぶ歴々は、「初戦は暴れてみせますが」としかいえなくなったのです。

 「東条首相はこの国を破滅に導く。しかし他に人なく、他に道はない」。当時の為政者たち自身がそう思い知った、終わりの始まりの年、明治から73年めの1941年。

 そして戦後73年めの今年、「首相は不正直、不公正でどうしようもない。しかし他に人なく、他に道はない」、と当の自民党諸氏が認めたのでした。

2018-08-17

 観光の島11

 

 ● 私たちの音・・

 

 西洋音楽に、正確にいうと西洋音楽特有の鍵盤楽器調律に、かつて、「平均律」という波が押し寄せたが、少なくともそれは、近代という新しい社会様式を生み出した西洋人が、新しい楽器の発明とともに自らの手で生み出した、実用の波であった。それでも、新しい波である以上、それは旧い音を破壊する。こうして、例えばいま、失われた西洋の<伝統の音>を求めて、古典調律復興を提唱する人々がいる。

 だが、つとに西洋の壁を越えた「近代」の侵食作用は、あらゆる場所で、あらゆる場面で、いまなお進行中である。ガムラン音階もまた、その侵食作用によって、いずれ例えば<平均律化>傾向を結果することになるのであろうか。そしていつか、ここでも、あるいはもしかすると例えば日本の研究者たちの間に、「ガムラン古典調律復興運動」が起るのだろうか。

 次第に拡がりつつある西洋近代音楽の相対化という時代傾向。エスニック音楽への関心の高さは、西洋音楽の支配を脱し、それを相対化しようという指向を反映している。こうして私たちは、近代化とともに平均律的に整序されていった西洋音楽の支配に抗して、例えばガムランに、非西洋・非近代の契機を聞き取ろうとすることができる。だが私たちは、ここでも、間違いなく世界的な(流行りのことばでいえばグローバルな)音の平準化の波に危うくさらされているであろう「現代ガムラン」の現状に立ち会うことしかできない。

 

 勿論、だが、私たちは、それをただ嘆いているのではない。

 あらゆる変化は、伝統破壊であり雑種化である。旧いものの中から、絶えず多くのものが失われてゆく。そして引き換えに、絶えず多くのものが他から取り入れられ、また力強く新たに創り出されてゆく。音楽が、芸術が、芸能が、<生き続ける>とは、まさにそういう意味でしかありえない。またそういう意味に他ならない。

 だが、いま、そうして作り出され創り直されてゆくて新たな音とは何か。

 西洋音楽の不当な権威を打破し、全ての音楽を相対化することを生涯の仕事とした小泉文夫は、「時代と階層を越えた」<民族の音>を信じ、それらを追い求めた。だが、もともと民族の音それ自身が、民族固有の生産と生活のありようから生まれ、そこに<根>をもつものである以上、益々加速度を高める近代化の波は、それらを、いわば<根なし草>にしてゆき、それぞれの固有性を、単なる「エスニック」という商標的な個性に変えてしまおうとする。

 文化のグローバル時代に生きて、さまざまメディアでさまざまな音の海を浮遊しながら、「私の好きな音」を自由に探し出す中で、私たちは例えば、バリのガムランのような「地域の生活に根ざした」芸能に感動することもできる。だがそうしながら、私たちは、自分の村にもかつて確かにあった、隣村とさえ異なる独自な歌や遊びを、すっかり忘れてしまっている。否、そんなものがあったという記憶さえとうに失くしている。

 それでもなお、私たちの耳に、私たちの音は聞こえているのだろうか。 いま、「私たちの音」とは、何をいうのであろうか。(転載は終わり)

2018-08-16

 観光の島10

 

● 音階の平準化・・

 

 そこで興味深いのは、ガムランの音階である。

 ガムラン音楽では、音楽の種類に応じた多数の音階が用いられるらしいが、それらは基本的に、7音列のペログと、5音列のスレンドロという、二種類に分類されるという。勿論、それらの音階が西洋長短音階と異なっているのは当然として、その差異は、音階の構成原理そのものに及んでいる(ペログ、スレンドロはジャワ語であり、バリでは別の名もあるが、ここではその名を用いておく)。

f:id:monduhr:20180816141224j:image:right

 例えばある研究者は、採譜したバリの5音スレンドロ音階を五線譜の「ドレミソラ」で表しつつも、「本来五線譜には表記できるとは限らないが、ここでは一応の目安として」五線譜に採譜した、と注記をつけている(直川礼緒)。だが「表記しがたい」という意味は、単に、ガムランの音階が、五線譜には書き記すことのできない微妙な音程によって構成されているというにとどまらない。小泉文夫は、二つのガムラン音階がもっているある<幅>を、オクタ−ヴの5分割と7分割の間に引かれた線分で判りやすく説明している(右図)。ただ、図でも分かるように、正確に記述しようとすると、「一般論としてこの2つの音階を決定的に定義することはできない。少なくとも明らかなことは、最大限6オクタ−ヴにまたがる音程伸縮によりさまざまな音程が音階構成要素としてつくり出されていること・・」しかいえない(川口修)、といったところらしい。つまりは、西洋音楽物差しでは、何もいえないというのが実情らしいのだ。

 

 このような、西洋音楽の五線譜では決して表せない微妙なゆらぎのある音階は、ジャワやバリのガムラン楽器群で、勿論いまはなお使われているのであろう。だが、多分起こりつつあるだろうことだが、観光客用の見世物ガムランを演奏し終わった若者が、ウォークマン(古いですねえ:転載者)で流行のロックを聴きながらバイクで帰っていくとしても不思議ではない。音楽が、舞踊が、劇が、いまなお決して「専門家」の手に独占されないで、生活者によって担われ続けているのがバリの音楽の素晴らしいところだろうが、そうであるからこそ、生活の変化は、じかに音楽を侵してゆくだろう。誰にも止められない時代の流れによって、いつの日か、彼らの<演奏する>音楽と、彼らの<体感する>音楽の乖離に気付いたとき、否それに気付かないまま、彼らが、実際にも、五線譜で表されるような音階で演奏する日が来ないという保証はない。音楽が島を越えて広く鑑賞されるようになってゆくに従い、またそれを記譜しようという研究者たちの試みが重ねられてゆくに従い、音程もまた多分、次第に整序されてゆく運命を免れないだろう。

 有名な国際観光地にはどこにでもあるような、巨大な免税ショッピング・センターが、ヌサドゥア地区の近くにもある。そこでは毎日、特設舞台で、バロン劇やケチャなどが実演されているが、それとは別に、エントランス・ホールでは常時、バリの雰囲気を醸し出すために、数人のガムラン楽器の演奏者が音楽を奏でている。あるとき、日本の童謡「チューリップ」が流れた。日本人の観光客が、楽器の前に坐って演奏させてもらっているのだ。上述のように、5音スレンドロ音階は、日本人になじみの深い四七抜き「ドレミソラ」音階に似ており、その童謡はちょうどその5音だけでできている。その若い日本人女性は、5音スレンドロ±と日本の5音音階の類似を知っていたのか、それともその場で気付いたのだろうか。一方、他の日本人観光客にその童謡が<普通に>聞こえたのは、特にその楽器が五線譜的音階に調律されたものであったからではなく、それを聞いた耳の方が、微妙な音程のずれに気付くことができなかったからだろう。だが、いずれ、バリの若者もまた、日本人の観光客と同じ程度の耳しか持たなくなる日が、それほど遠からず来るかもしれない。

 (注) 実は先日、どこかの博物館へ行ってきたらしい知りあいから、ガムラン楽器(5鍵鉄琴)の玩具をもらいました。それがこの長い駄文のきっかけとなったのですが、もとより玩具ですので、(ドレミソラ±α)でしたが、(±α)のズレは、音階の問題ではなく製造の問題でしょう。

2018-08-15

 観光の島9

(題名が二重になってしまって、おかしな具合だったので、修正します。)

 

 ● 伝統を守るための伝統破壊・・

  

 国家の支配意思が影を落とすのは、もちろん言語だけに限らない。

 ガムランなどを含むバリ独特の豊かな芸能や文化が、バリの伝統社会に、つまりはバリのヒンズー教に強く結び付いていることはいうまでもない。勿論バリには、イスラム教徒もいればキリスト教徒もいる。だが、伝統的な村々の生活を律しているのは、「神々の島バリ」独特の「神々の宗教」ヒンズー教である(以下は、内掘基光他による)。

 だが、インドネシアは世界最大のイスラム国家であり、つまりヒンズー教徒は、バリでは多数派であっても、インドネシア全土では少数派である。そこで、かつて、イスラム教徒を多数派とするインドネシアの中央政府は、国家の基本方針パンチャシラの第一に掲げられた「唯一神への信仰」を基に、イスラムと同根の一神教キリスト教及び仏教を公認宗教としながら、バリの伝統宗教である多神教的な混交宗教のバリ・ヒンズー教は公認せず、かくてバリにも、一神教的な宗教教育が押し付けられようとした。

 そこでバリ・ヒンズー教の聖職者たちは、1962年に、ヒンズー教を国家の公認宗教に加えさせるために、その教義を、自ら一神教的な方向へと改変整備したのだという。こうして、「神々の島」では、伝統的な<神々>と教義上の<唯一神>が交錯し、住民たちを困惑させる面もあるという。

 

 しかしもちろん、バリのヒンズー教そのものが、さらに過去の歴史をもっている。もともとヒンズー教とその文化は、この多島地域にインド勢力とともに侵入し、14世紀に最盛期を迎えていたのだが、16世紀以来のイスラム勢力の進出により、ジャワから追われ、その植民地となっていたバリへ逃れて、そこで土着の宗教と融合したものが、バリ・ヒンズー教なのだという。だとすれば、最近の事態は、繰り返される歴史的変転の何度目かの一齣に過ぎないともいえよう。だが、ここにあるのは、単なる自然変化ではない。ガムラン音楽を支えバリ語を支えて来たバリ・ヒンズー教という伝統宗教は、自らを「守る」ために、多神教という豊かな本質を自ら作り替えていったのである。

 美しい伝統に護られ、またそれを護り続ける「神々の島」というイメージ。だが、ここバリ島では、言葉も神々も、むしろドラスティックな「伝統破壊」を余儀なくされているのだ。それも、自らの手によって。

2018-08-14

 多言語の島

 

● 例えばインドネシア語・・

 

 バリの人々は、いくつもの言葉を使う。観光客に接する仕事をしている人々は英語を使えるし、世界中のどの観光地でもそうであるように、片言の日本語を話す人も増えつつあるようだ。デンパサールには、日本語学校もあるという。だが、そのような観光営業用の言葉を別にしても、彼らは全員二つのことばをもっている。母の言葉であるバリ語と、学校で学ぶインドネシア語がそれである。

 バリ語の会話はカーストを無視しては成立しないという。初対面の者は、相手のカーストを尋ねてから、適切な話し方を選ぶのであるらしい。もっともバリ人のカーストは、それを「カースト」制度と呼ぶこと自体が誤解のもとになるという研究者もいる位、いくつかの重要な点でインドのそれとは異なる、ゆるやかな社会制度であるようだ。それにしても、外部の者には単なる煩瑣な習癖にしかみえない多すぎる敬語をもった言語社会にあっては、会話は単なる伝達の場ではなく、むしろ重要な社交や儀礼の場なのだろう。こうしてバリの人々は、例えば聖なる階層に所属する者に対しては、何より畏敬の気持ちが伝わることを第一義として話さなければならない。生活することが、聖/俗の軸を中心とするコスモロジーに生きることと同義である人々にとっては、ことばの使い分けは重要な意味をもっているのであろう。

 だが、容易に想像できるように、バリでも、生活空間の世俗化と平準化に応じて、そのようなコスモロジーを背景にもつバリ語は、次第に使われなくなりつつあるらしい。嘆かわしいことだ、と、勿論ある人々はいう。いまやバリの若者どうしが、バリ語ではなくインドネシア語で語り合うような時代であるというのは、と。

 

 だが、インドネシア語とは、どういう言語か(以下、Wikipedia、崎山理、小川忠他による)。

 現在のインドネシアを構成する数千の島々は、それぞれ言語や文化を異にする歴史をもっていたが、重要な通商路となったマラッカ海峡沿岸地域で、早くから商人たちの間に、通商交易のための共通言語マレ−語が流布していた。それを整備して作りあげられたのが、インドネシア語バハサ・インドネシアであるのだという。

 西洋列強アジア侵略とともに、この通商要地はオランダ植民地となるが、独立運動の中から、1928年、「一つの祖国、一つの民族、一つの統一言語」という基本方針が確認される。オランダ支配に抵抗する民族主義者青年たちは、「統一言語」として、例えば多数派住民の母語であるジャワ語を選ばず、敢えて、どの島の人々の母語でもない共通のマレ−語を選んだ。

 その後、日本統治を経て、戦後ようやくインドネシアは、250とも400ともいわれる言語をもつ旧オランダ植民地のまとまりを受け継いで独立を勝ち取る。そして、宗教や地域の対立を越えた統一インドネシアをスタートさせるに際して、人々は、インドネシア語を、新生インドネシアの公用語とした。

 

 多数派住民の言語を少数派住民に強制するという仕方で「近代共通国語」を制度的に作り出す政策が、様々な政治的文化的軋轢を生み出す例の多いことことを、私たちは知っている。また例えば、永年の植民地支配から脱して独立したアフリカ新興国のように、独立後もなお、自分たちを支配してきた宗主国の言語の他に、新しい国家語とするに足る共通語をもたない、というような事例をも知っている。その点、特定地域の伝統文化の支えの薄い広域的な雑交言語を共通言語として整備して用いることにしたことが、独立後のインドネシアの政治的社会的な統一のために小さからぬ役割を果たしただろうことは、一定の好意をもって理解はできる。

 例えば多くのバリ出身の人々がジャワ島などで活躍するといった傾向が益々大きくなりつつある現在、ジャワ語文化を伝統とする人々とバリ語文化を伝統とする人々は、カーストにも宗教にも関係がないという意味では伝統破壊的な、ひとつの共通言語によって、互いに自由に語り合うことができる。

 一方、バリの若者たちが、バリ語の面倒な敬語を敬遠したい気持ちの中に、伝統という名の因習から解放されたいという願いのあるだろうことも理解できよう。前述のように、バリ語と切り離し難いバリのカーストは、インドのそれのような、極端な貧富の差を支える支配収奪制度でもないし、不可触賤民を最下層とする壁の厚い隔離差別制度でもない。もっとも、インドのそれにしても、はじめから<富/貧>や<貴/賤>を軸とする制度ではなく、バリのそれと同じく<聖/俗>を軸とする宗教社会秩序であったのだろう。

 

 とはいえ勿論、国家統一によって制度的に生み出された公用語であるインドネシア語は、インドネシアの<国家語>となることで、国家支配の貫徹と伝統文化の破壊と抑圧という側面を、言語文化の面でおそらく担っている。 

 東ティモールについては後にまわすが(後注)、バリでも、このような国家主導の人工語であるインドネシア語は共通言語が必要な限られた場に留め、日常の社会や文化にあっては、豊かな文化史をもつバリ語を大事にすべきだという声も当然あるようだ。前述のプトゥ・スティアもそうであるように、バリ語の乱れを嘆き、バリ語文学の衰退を嘆く声が聞こえるのも、実にもっともなことだろう。

 勿論、以上は、あくまで推定に過ぎない。バリの若者たちが、二つの言葉に、それぞれどのような思いをもっているのかは、勿論よそ者の旅行者などにはわからない。また、彼らの中には英語や日本語を学ぶ者が少なくないようだが、彼らがそれらの外国語に、どのような気持ちで接近しようとしているのかもわからない。ただ、述べてきた文脈で興味深いのは、インドネシア語という言語が、いわば意識的な伝統破壊言語であり「雑種言語」であるという、そのことである。勿論、多かれ少なかれ同様の事態は、「日本語」も含め、近代共通語の成立に際して、どこでも起こっている(イ・ヨンスク他)。けれども、インドネシア語の場合には、ひとつの<共通国語>が、そっくり、伝統的なバリ母語やジャワ母語などなどの上に、その「対立者」として出現したのであるらしい。もしかすると、私たちの未来には、もっと大きな規模で、似たような事態が待っているのかもしれないが。

 

 (注) オランダからの新生インドネシアの<国家としての>独立に当たっては、統一と融和と平等の言葉であったインドネシア語は、インドネシアからの東ティモールの独立運動への弾圧に当たっては、<国家としての>支配と強圧の言葉として東ティモールの人々を押しつぶす機能をもった。激しい抵抗、苛酷な軍事弾圧、武装闘争をへてようやくインドネシアからの独立を勝ち取った東ティモールの言語状況は、いまなお、難しい課題に直面しているようだ。

2018-08-13

 見世物の島

 

● 見世物芸能・・

 

 だが、古代や中世がひとつの歴史的時代であるならば、近代や現代もまた、逃れられないひとつの時代ではある。かつて、インド・ヒンズー文化の流入によって、より古いバリの文化があるいは破壊され、あるいは変容させられて、独特のバリ・ヒンズー文化が作り上げられたのだとするなら、西洋からはじまる観光客の流入が、伝統的なバリの芸能をあるいは破壊し、あるいは変容させ、その結果が現代のバリ美術や現代のガムランなどとなっているという、そのことだけを嘆くには及ばないというべきなのであろう。

 多分、全土の人々が例えば「ゴン・クビヤール」のような「伝統破壊」的な芸能を迎えたのは、それがもつ強い<鑑賞娯楽>性であったであろう。必然的な現代の文化変容の中で、バリの人々は、「タリ・ワリ(儀式芸能)」「タリ・ブバリ(奉納芸能)」とは区別される、「タリ・バリー・バリアン(見世物芸能)」を、どう見、どう聞いているのであろうか。

 

 例えば、デンパサール周辺の劇場などでは毎日ガムランと共に演じられているバロン舞踊劇は、基本的に、かつて中村雄二郎が取り上げ書名にも用いた魔女神ランダと、聖獣神バロンとの、終わりなき戦いを軸としてストーリーが組み立てられているが、その劇の最後に、舞台にひろがった若者たちが、いっせいに短剣でわが胸を突き刺しはじめる。それも、それまで登場したキャラクターたちの象徴的で舞踊的な演技とは全く違って、若者たちは、怪我をするのではないかと思われる程真剣に、自分の胸に短剣を突き立てるのだ。思うに、もともとバリの音楽や舞踊劇に伴っていた「聖なるトランス状態」が、そこで再現されているのである。おそらく、かつては、バロン劇の宗教的クライマックスとともに、演じる者であり観る者でもある村人の中から、実際にトランス状態になる者が次々と出現したのでもあろう。

 勿論いまでは、彼らは観光客のために、短剣をわが身に「突き刺す振りをしているだけである」(プトゥ・スティア)。だが、そのようにしてトランス状態が再現され、それを僧が浄めて劇全体が終わるということのうちに、バロン劇が宗教的芸能であるという本来の意味が、いまなお表されているということは間違いない。

 

 けれども、見世物として舞踊劇を観る観光客には、本来の宗教的意味は分かり難い。例えば観光案内書では、その場面は「兵士たちがランダに魔法をかけられ」た場面だといった、<合理的>解説だけがなされている。あるいは将来、この場面は、劇がより見世物として「洗練」されてゆく過程で、より非宗教的で象徴的な場面に変ってゆくかもしれない。

 重要なことは、実際のトランス状態からその「ふりをする」仕草へ、というこのような変化が、単に、観光芸能と祭礼芸能の分離という形でのみ現れている事態である筈がないだろう、ということである。観光用の劇場ではない村々の広場にあっても、かつては年に一度の祭礼で音楽や舞踊劇が多くの村人たちの間に引き起こした深い宗教的トランスを、非近代的な共同催眠現象と見るような醒めた若者が、老人たちの嘆きをよそに増えていっているであろうことが、十分想像できる。「ガムランは」、とある研究者は書いている。「近年民族音楽学の発展とともに世界的関心を集めるようになったが、一方現地では近代化の波とともに「古いもの」になりつつある」(川口昭子)。

 伝統芸能は、その一部が見世物芸能になることを伴いながら、時代と共に大きな変容を蒙り続ける。それも、本質的な変容を。だがそのような変化は、「本当の」姿が失われて行くことであるのだろうか。それとも、芸能や芸術にとっては、絶えざる変化こそが「本当の」姿であるというべきなのであろうか。

2018-08-12

 芸能の島

 

● 伝統と観光・・

 

 とはいえ、私はここで、観光客はリゾート地で見世物を観るだけの謙虚な自制心をもつべきか、それとも文化汚染などは恐れず村々を訪れ、祭礼にも参加して積極的な交流をはかるべきか、といったことを考えようとしているのではない。「本当の」ガムランを聞くためには村々を訪れるべきだ、といういい方も、逆に、そのような態度こそが「本来の」伝統芸能を汚染してしまうのだ、といういい方も、共に、リゾート地で日々演じられる観光用の見世物芸能と村々で祭礼として演じられる伝統芸能を対立させ、後者こそが「本来の」バリの芸能なのだと認めている点では同根である。だが、おそらく、<祭礼>と<見世物>は、そのように単純な対立関係にあるのではない。

 伝統的な「本来の」バリの芸能が、観光化の波によって汚染されようとしているということは、間違ってはいまい。だが、「村々に残る本来の」バリ芸能とは何か。

 既に何世紀にもわたるインドネシア宗教的・文化的な混交変化の重なりを自らの上に体験してきたガムラン音楽ではあるが、それまで王宮音楽であったガムランが「村々」へと流出したのは、19世紀オランダ支配による大きな社会変化によってであったという。

 

 ここで、ガムランの全般的な歴史と現状について触れる能力は全くない。ただ、かなり広い分布をもつガムランの、ジャワ、スンダと並ぶ代表的な様式のひとつであるバリのそれについて、乏しい一瞥を試みるのみである。

 特に、現在大別16種を数える多様なバリのガムランの中で、現在最も多く演奏される「ゴン・クビヤール」は、今述べた激しい動きを経て、1915年頃に出来た<新しい>ガムランであるらしい。その表現が過激というほど新しかったので、伝統的なバリの音楽を破壊するものだと非難されたが、全土へと広がり、今日ではバリを代表する音楽・舞踊となったものだという(中川真)。

 また、今日バリの代表的な芸能として有名なケチャは更に新しく、それは1930年代に見世物芸能として作られ、観光向けのものに改良されてでき上がったものであるらしい。しかも、その元となった伝統芸能サンギャンから秘儀的宗教性を抜き去り、代わりに見世物的な演劇性を入れることを提案したのは、他ならぬドイツ人の画家W.シュピースであった。観光ツアー客が案内される「絵画村」などで外国人観光客が喜んで買って行くバリ絵画の代表的な様式が、第一次のバリ観光ブームを象徴する、この島をこよなく愛した外国人である彼の眼で描かれた、<いかにもバリ風>な表現様式を受け継いでいることは分からないことではない。だが、バリの「伝統美術」を作り出したことで名を知られるこのドイツ人が、同時にバリの「伝統芸能」をもまた作り出したことを知って、複雑な気持ちにならない者があろうか。

 

 * 横道です。

 この文は誰がいつ書いたのかは分かりませんが(本当は、転載を渋った筆者に名前無しということで許可してもらったのですが)、ガムランについての上の記述の後に、(中川真)という名前が挙げられていました。書名などがありませんでしたので、名前を検索したところ、中川氏は、大阪市大の特任教授でマルガサリという音楽団体を主宰している人のようです。ところが、この人については、「中川真氏のセクシャルハラスメントについての経過報告」(→ここ)というブログが立っていました。ご本人の言い分もあるのでしょうが、どうやらまともな対応をされていないようです。レイプセクハラに大変甘い日本ですので、名誉毀損で訴えるよりは、むしろうやむやにしたままの方が、体面にも名誉にも傷がつかないという判断なのでしょうか。ご本人だけでなく、その音楽団体も大阪市大も、調査などせず無視したままでも、社会的責任を追求されることはない、と高をくくっているのかもしれません。だとすれば、告発者の無念が想像できます。もちろん、告発者だけでなく社会の問題です。

2018-08-11

 告発される島

 

● 民族学と観光破壊・・

 

 「神々の島バリ」。だが、美しい海岸を含む広大な土地は、ゆったりとしたバカンスを楽しむ外国人観光客によって占められ、他方、州都デンパサールの通りには、車とバイクが溢れている。

 独立後のインドネシアの発展を牽引してきたのは、強権的な国家主導の開発であった。広大なヌサ・ドゥアの観光開発もまた、特定の一族が主導する国家プロジェクトとして押し進められた。外国人観光客たちがゆったりと身を休める美しい広大な土地の下にも、土地を追い立てられた、細民たちの前史が埋められているのだろう。あるいはまた、貸ボ−トの客引きをしている逞しいあの男も、かつては誇り高い漁労の民だったのかもしれない。

 

 だが、『バリは告発する』という刺激的な原題を持ちながら非常に控え目な本の著者プトゥ・スティアは、「バリは金もうけの島になってしまった」という友人の言葉に、同意しながらも反発する。

 彼はいう。確かにバリはもはや引き返すことのできない変化の波にさらされている。だが、神々への毎日の捧げ物をおこたらないバリの人々の生活は、この美しい島の至るところにまだまだ残っている、と。彼はその本の中で、伝統に包まれ護られた人々の日常生活の美しいひだを、変化にさらされつつあるその姿を含めて、いつくしむように書き留める。彼は変化を否定するのではない。だが、自分の生まれ育った島バリを愛するが故に、変化の中の文化破壊を「告発」するのだ。

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 だが、私は、この美しい本を読み終えて、複雑な気持ちを抱かざるをえない。この本を翻訳したのはバリ文化の研究者たちであるが、彼らは『バリは告発する』というこの本の原題を『バリ案内』(木犀社、1994)という題に変え、折角非常に良質なこの訳本が、結局は観光案内書の一種に分類されて本屋の棚に並べられてしまうことに無自覚である。訳者や出版社だけではない。著者自身もまた、かつて観光開発に沿った論文を書いたことがあり、この本の「日本人の読者へ」という巻頭の文で、「この本は、バリの観光のための本ではない」と書きながら、本当のバリを知るためには「高級ホテルに閉じこもっていないで、村々にまで足を伸ばすしかない」といい、日本人の観光客が「バリのいなかを歩きまわる」ことを、心から歓迎している。例えば、旅行業者や観光客が観光客用のガムランにあきたらないのなら、いなかの村々に行ってみれば、「ショーウィンドウではない芸術を味わうこともできる」のだ、と彼はいう。

 

 私が複雑な気持ちになるというのは、このような善意の本こそがまた、前回述べたように、観光客という文化破壊者集団を、これまで汚染を免れていた村々にまで誘引するだろうということなのだ。例えば、この本の中でプトゥ・スティアは、マイクロバスで乗り付けた観光客が、カメラを手に、素朴で信仰厚い村の火葬儀礼の場をうろつくといった現状を「告発」している。だが、バリへ来る観光客に、リゾート地での観光用芸能に満足せず、村々の「本当の」儀礼や葬儀の姿に関心を抱かせたのが、他ならぬこの類の告発本でもありうるとすればどうであろうか。車の送迎付きで葬式を見学したければ「CREMATION」という看板が出ている観光案内所へ行けばいいと教える「観光案内書」と、そのような現状を告発しつつ自分が故郷の村で体験した火葬儀礼を心をこめて描いているこの「告発本」を、同列に読んでしまうというのが観光客である。

 ある観光案内書に書かれていた「素朴な村々を訪れ、村人と交流」するというキャッチフレーズは、そのまま、プトゥ・スティアの善意に満ちた勧誘のことばともなっている。こうして、観光化されたこの島の現状を「告発」する本を読んだ<民族学・文化人類学派>の観光客が、こればかりは確かに観光用ではありえない「本当の」火葬儀礼をカメラに納めようと村々に入り込む、といったことが起りうる。アジアの現実を「告発」する本を読んだ<社会派>の観光客が、「本当の」フィリピンを知るためと称してスモーキー・マウンテンにバスで乗り付けて窓から写真を撮るように。

 僅かな期間の自分のバカンスのために訪れようという観光客は、本質的に文化の汚染源でしかない。ならばせめて、文化破壊者でもある、ある種の民族学者などに唆されて、あるいはまた善意の招待に悪乗りして、「本当」を知りたいというような有害な考えはもつべきではないのではないか。私がもしバリの音楽に関心をもったとしても、「あまり訪れる人もない・・ヌガラでは、バリで唯一、ここでしか演奏されないジュゴクという音楽が鑑賞できる」といった観光案内書は閉じたままにして、せめて、隔離されたリゾートホテルだけに留まり、「観光用の」芸能を見せてもらうだけで満足して帰るのが礼儀ではないか。

 とはいえ、そうすべきだ、というのではない。実情を知らないままそういうとすれば、それはそれでまた、「観光リゾート地」を租界化し、村々は観光産業とは無縁に「素朴な貧困」のままでいるべきだというような、傲慢な物言いになってしまうであろうから。

 注:レヴィ・ストロースが『悲しき熱帯』で述べているように、「文化破壊者でもある、ある種の民族学者」といういい方は、遠慮したいい方である。