帝国の慰安婦:安堵の共同性24 

 確か先週、ラ・ボエシの「自発的隷従論」の文庫本が平積みされているのを見かけ、見かけただけで買わなかったのですが、今日たまたま斎藤美奈子の「文庫解説ワンダーランド」という岩波新書を買ってみると(相変わらず面白い)、ちくま学芸文庫「自発的〜」のある箇所についての西谷修解説が、「これこそ牽強付会な解説芸!」「攻めの解説」と揶揄賞賛されていました。その箇所というのは、元本のサビの部分(読んでいないので分かりませんが多分)で、
 「人はまず最初に、力によって強制されたり、打ち負かされたりして隷属する。だが、のちに現れる人々は、悔いもなく隷従するし、先人たちが強制されてなしたことを、進んで行うようになる」
 という箇所です。
 前回、眠くなって中断したのですが、書きかけていた「親日」も、まあそんな、「進んで行う」親日だといえましょう。
 朝鮮半島でも、三・一独立運動までの武断統治期があってはじめて文治期へと続くのですが、より早い台湾の場合も、抵抗を暴力で抑える武断政治期から、暴力が背景に隠れる文治期に変わってゆきます。
 ところで、いま私たちは学校で、英語という外国語を強制されますが、しかし英語でよい成績をあげれば、学校時代に留学もできれば、卒業後に外資系の会社に就職したりもできて、先ず損なことはありません。台湾について何も歴史的実状を知りませんので、いわば想像的実例でしかありませんが、ある時代になると、児童生徒が学校で強制される(母語ではない)外国語としての日本語は、教養語、進学語、出世語とでもいうべきものとして目の前にあって、父母の時代とは異なり、もちろん「強制され」るものでありながら、児童生徒が「進んで」というか「自発的に」というか、日本語を学んでゆくことも考えられます。
 というようにして、屈託少なく日本語をかなりマスターした児童生徒にとって、戦争の終結、植民地支配からの解放は、日本語の強制からの解放を意味します。もはや日本語はいわゆる就活に有利なものではなくなります。
 ところが、人によっては、日常生活語とは別に教養語として日本語を身につけてしまったことによって、何か文芸的な情緒表現をしようとすると、「日本語の俳句や短歌」がむしろしっくりすることに気づく、というようなことが起こるかもしれません(実際の台湾歌壇、台湾俳壇についてではなく、完全な想像上の事例でしかないことを、重ねてお断りしておきます)。別に短歌や俳句を作ったりする必要はありませんが、ともかく、そのようにして、文治の背後に武断強制が「隠された」時代が続いて、やがて強制から事実上「解放される」ことによって、少なくとも外からは屈託なく「進んで」日本語の俳句をひねったりするように見える「親日家」が生まれるかもしれません。
 しかし、たとえそうだとしても、強制した側の歴史を背負った私たちの方も歴史を忘れて、「屈託なく」親日を受け入れ、どうかすると日本語の短歌や俳句の「宗主国」の者のような気分になったりすることは感心できません。強制された自発性、屈託なき屈託、幸福な不幸、といったことが、世の中にはあるのです。(何か説教口調になったのはまずいですね。続くかも)