武士道について13:殉死願

 一部上場記念パーティーの会場で、突如一人の暴漢が社長を襲い刃物を突きつけます。近くにいた役員連中はもちろん駆け寄った警備員も下手な手出しができずに一瞬躊躇したその時、一人の女性がつかつかと近づくと、社長と男の間に入って刃物を自分の身体で受け止めます。社長を抱きとめる役員たち、折り重なる警備員たち。「すごいわ、自分の生命と引き換えに社長を守って、会社を救ったのね」「昔愛人だったというけど、ずっと社長のこと想ってたのね」・・・というようなことはもちろん起こりません。常朝にとって殉死とは、いってみればそういう究極の愛社行為の象徴演技といったものだったのかもしれません。といってもホントに死んじゃうわけですが。
 山本常朝は、主君光茂の死に際して殉死を願って叶わず出家した、ということになっているようですが、本当にそうだったのでしょうか。幕藩体制のもと、仇討ちと並んで殉死は禁止されてゆきますが、先駆けて殉死をやめたのが鍋島カンパニーの社長光茂だったといわれています。もしも常朝が、社長の側近として日々仕えていたのだとすれば、社長の意向を知っていた筈ですから、殉死申し出は、不許可が分かった上での嫌がらせかスタンドプレーです。またもし、側近でなかったが故に光茂社長の意向を知らず、本気で殉死を願ったのだとすれば、無謀な思い上がりでしょう。
 鴎外の「安倍一族」、おっとそれは森友事件の方でした。こちらも自滅への道を歩みつつありますが、鴎外の「阿部一族」は、結局屋敷に立てこもって死闘の末に全滅します。元はと言えば、殉死を願って許されなかったことが発端でした。
 (ちょっと忙しい用が入ったので、ここで中断し、1週間か10日ほどお休みさせて頂きます。というほどのものでは全くありませんが。)