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「青色青光」:神戸マネースクール森本泰プライベートBlog このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-08-24

なんだか、ふと、「日本国憲法前文」を読みたくなった。

| 15:55 | なんだか、ふと、「日本国憲法前文」を読みたくなった。を含むブックマーク なんだか、ふと、「日本国憲法前文」を読みたくなった。のブックマークコメント


日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威国民に由来し、その権力国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法法令及び詔勅を排除する。


日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐ国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。


日本国民は、国家名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

2011-10-26

30年の思いは、とにかく天晴れだと思う。

| 14:11 | 30年の思いは、とにかく天晴れだと思う。を含むブックマーク 30年の思いは、とにかく天晴れだと思う。のブックマークコメント

急に秋も深まってきましたね。


例年、朝の空気がピンと引き締まるこの季節になると、夏の暑い時期よりは頭もさえ、年末、あわよくば来年にむけての動きを腰を据えて模索する意欲も湧き出てくるのですが、今年は次々と世界中で起こる天変地異のせいなのか、いまだになんだか落ち着かない気分です。


さらに近頃落ち着いた気がしないのは、模試スケジュールと出題予想の範囲のプリントアウトを頼んで足早に出て行った長男受験が控えているからなのだと、秋も深まる今頃になってよやく気が付いたり、ああぁ、一応これでも親なのに、いずれにしても、なんだか落ち着かない気分ではあります。


先日、日経新聞を斜め読みしているとふとチャールズ・エリス氏の名前が目にとまりました。インデックス投信の有効性を指摘した「敗者のゲーム」の著者。いまとなってはすっかり陳腐な常識の1つとも思える運用指針だったりするのですが、この本が出版されたのは1985年。アメリカ日本からの輸出におされて低迷期、一方、日本では円高不況後のバブル初期。当時はまだ個人向けのまともなインデックスファンドすら設定されていませんでした。


なぜ? いまごろになってチャールズ・エリス氏のインタビューが載っているのか気になったので、検索してみると、ちょうどセミナーのために来日されてたんですね。73歳、いまだに健在なのですね。セミナー内容も紹介されていましたので、気になる方は全文ご参照ください。【チャールズ・エリス氏が語る「敗者のゲーム」を勝ち抜く方法


この記事から一部抜粋させていただくと・・・


運用プロであるファンドマネジャー運用成績に関連したもので、どれだけのプロが、ベンチマークを上回るリターンを上げられたのかを示したデータです。

それによると、過去12ヵ月で見た場合、何と全体の60%ものファンドマネジャーが、ベンチマークを超える実績を上げることが出来ませんでした。過去10年だと70%のファンドマネジャーが、過去20年だと80%のファンドマネジャーが、やはりベンチマークを超えるリターンを残すことができなかった、という結果が出ています。


・・・という定番の内容。それでも30年近く同じこといい続けるというのは、ある意味かなり偉大なことだなぁと素直に感動しました。さらにもう1つ、「資産運用で大切な6つのこと」について


資産運用で大切な6つのこと

第一に自分自身を知ること。投資スキルを把握するとともに、不透明さにどれだけ耐えられるのかということを把握しておかなければなりません。

第二に、投資目標を明確に定めること。

第三に、戦略ポートフォリオ設計すること。これについては、10年スパン、あるいは30年スパンという長期の運用に耐えられるポートフォリオ設計するということです。

第四は、選択すること。特に運用会社の選択に際しては、データに注意すること。データというものは、いくらでも自分たちに都合の良いように作り直すことができます。あるいは、あまり多くの運用会社と付き合うというのも、賢明な選択ではありません。

第五は、みだりに方針を変えないこと。これはとても大事です。目先、マーケットが揺らいでいるからといって、いちいちポートフォリオを入れ替えたり、あるいはポジションを清算したりしたとしても、それらが常に正しい判断だとは限りません。逆に間違った判断を積み重ねてしまい、傷口を広げてしまう恐れすらあります。

第六は、自らを認め、自分に合った投資を行うことです。マーケットにおいて、すべての投資家は平等ですが、皆、一様ではありません。残された時間資産保有状況、収入多寡家族構成など、それぞれ皆、異なります。このように、自分が今置かれている状況をきちっと把握して、自分に合った資産運用をすることが大切なのです。


こちらもお約束な内容なのですが、30年近く同じこといい続けることができるというのは、やはり偉大な感じがします。


あらゆる方面、あらゆる意味言葉がすっかり軽くなり、コロコロ趣旨変えするのがライフハックかのような昨今、30年という時間の思いはとにかく天晴れだと思います。


久々の秋晴れだし、「それってつまり、飛行機が苦手な僕がシンガポールカナダにも1人で行って確認してこいという意味?」などとぐずぐず言わず、さっさと、眼の前の企画をまとめることにします。

2011-10-14

乱世に低姿勢だけが取り柄のリーダーなんて必要ない。

| 10:11 | 乱世に低姿勢だけが取り柄のリーダーなんて必要ない。を含むブックマーク 乱世に低姿勢だけが取り柄のリーダーなんて必要ない。のブックマークコメント

先週は、スティーブン・ジョブズ氏の訃報と同時に、判で押したように、スタンフォード大学卒業式でのスピーチ言葉が何度も何度も流れてくるので、Macの真似wwから生れたWindows派で、彼の偉業からは少し距離をおきながら過ごしてきた僕には、なんだか居場所がなくて落ち着かない気分でした。


オバマ大統領まで「世界中で多くの人々が彼の死を知ったのは、まさに彼が世に送り出した機器を通じてであるという事実こそ、スティーブの業績に対する最高の賛辞だろう」と述べたそうですが、残念ながら僕にはiPhoneもピンときていません。


もちろん、彼は幾度も困難を克服し、傑出した起業家であり、偉大な経営者であることは間違いないと思います。実際、MP3プレーヤーは「iPod touch」以外は考えられない、しかも、特に何をする必要性もないのに「MacBook Air」を手になでなでニヤニヤしてる14歳の長男の様子を見る限り、それらは音楽再生したり、作業に必要なPCという、ガジェットとしての「製品」ではなく、「iPod touch」 「MacBook Air」という特定の文化を共有している1つの芸術「作品」なんだろうなとは感じていました。ただ同時に特定の文化というのはある種の排他性も内包しているようにも感じていました。


そんなか、『もしかすると、その騒々しい人生は、ずっと親を求める大きな泣き声ではなかったか。』とする極東ブログさんの記事を読むことで、ジョブズ氏の偉業が僕にもスッと腑に落ちた感じです。


ジョブズ氏が、これだけの賞賛の声を集めることができたのは、一人の人間として、環境やおかれた状況をものともせず、自分自身のあり方だけに(まるで親を求めて大きな泣き声をあげる赤ちゃんのように)フォーカスし続けることができたその姿勢にあったということなのかもしれません。それはある意味芸術家」の領域。残念ながら、憧れを起点にいくらジョブズ氏のスピーチ再生し注意深く観ても再現可能なヒントを得ることはできないということなのでしょう。スピーチの最後に登場する“Stay hungry, Stay foolish."というメッセージ も状態を表す「Be」ではなく「Stay」なんですよね。


そういえば、織田信長坂本龍馬アインシュタイン・ベートベン・レナオルドダヴィンチエジソンゴッホなど歴史上輝かしい成果を挙げた偉人の方々のなかには、アスペルガー症候群ではなかったかとする説もあるそうで、このように解釈されているのも、卓越したレベルの集中力とこだわりを特定の分野で発揮できたからなのかもしれません。


僕が大学生だったころは、ちょうどアングラとも呼ばれていた小劇場ブームの後半で、「状況劇場」「天井桟敷」も観ることができたし(赤テントはいまも現役かぁ)、つかこうへい野田秀樹鴻上尚史三谷幸喜と、現在でも表舞台で躍している多くの成功者もまだ身近に観ることができた時代(まるでAKBをかつて身近に観ていたファンのようにw)。


そのなかには「バンスキング」という奇妙な言葉吉田日出子さんの独特なキャラで圧倒的な存在感を放つ「上海バンスキング」(オンシアター自由劇場)がありました。日中戦争が開戦する1年前の上海舞台劇団四季のような完成された華やかさもなく、学生ブラスバンドのような初々しい華やかさもないのに、自然と引き込まれてしまう微妙な演奏が繰りひろげらるミュージカル。芝居のキャッチは「あの街には、人を不幸にする夢が多すぎた…」。


なんとなく小劇場活動に憧れをいだいてた青二才の僕は、気軽に「バンス(前借のこと)」が出来るくらいじゃないと、大物にはなれないんだろうなぁと無邪気に感動していました。当時の小劇場ブームの影には、彼らに憧れを抱き活動を始めたものの、泣かず飛ばずのまま消えていった多くの学生たちも身近にいたことが影響していたのかもしれません。昨日は、その原作者斎藤憐さんの訃報


そして、今朝、PCを開けたら、あの頃よく聴いていた柳ジョージさんの訃報。なんだかね。

D

最近、世界中で、政治家だけではなく、経営者起業家にもリーダーシップが必要だと声高に叫ぶ文化がある一方、リーダー聖人君主を求める文化もある様子。でも、立て続けに聞くことになってしまった哀しい訃報からは、乱世に低姿勢だけが取り柄のリーダーなんて必要はないというメッセージも聞こえている気がします。


ああ〜、今日は、雨ですね。

2011-09-21

出雲大社へ行ってきました。

| 12:31 | 出雲大社へ行ってきました。を含むブックマーク 出雲大社へ行ってきました。のブックマークコメント

この夏は、本当にバタバタとしておりました。とにかく一番手間がかかっているのが、昨年リニューアルしたCHES。Proud-Companyを設立したときも、たちまち地震さわぎで慌てたり、景気後退で慌てたり、金融業界再編などと、確かにバタバタさせられて、落ち着くのには随分と時間がかかったものですが、このCHESだけは、本当に手間がかかる末っ子のようです。


すごく順調なのかなぁと感じていると、途端にいくつかの障害に遭遇したり、はたまた障害に遭遇したかなぁと感じていると、結構順調だったりと、僕がプロデューサーのような立場にいるからなのか、外国人先生方の価値観が混在しているからなのか、あるいはそういう時代なのか、とにかく評価が難しく落ち着かない感じです。


先日、ふるいお付き合いの司法書士先生からも「長い人生のなかで、こんなに努力が実らない感覚ははじめてかも」と、ため息まじりの愚痴をお聞きしたばかりで、本当にそんな時代なのかもしれませんね。あれッ、ところで先生っておいくつになられたのかなぁ。80越えたのかなぁ? 


それにしても、2011年。ほんとうに凄まじいくらいにいろいろなことが起こっていて、しかもどれもこれもが、これまでのごく日常的に当たり前だと感じていた価値観を揺るがしかねないような出来事ばかり。数十年来の制度疲労だと、簡単に片付けるわけにはいかないような出来事に立て続けに遭遇するということ自体が、まさに時代の変わり目というものなのでしょうか。


こんな夏の日々も過ぎ去り、秋風をかすかに感じることができるようになった週末あたりから、ようやく一息つくことができました。そいうえば、連休というのもあまりとっていなかったので、丸1日かけて、出かけてみることにしました。行き先は、突然思いついた出雲大社


昨年は、熊野あたりを散策してみないなぁと、ずっと感じていたのですが、この時期はさすがに難しそう。なので、この思い付きに従うことに。思い立ったら吉日。地図を検索してみると、神戸から片道300km。日帰り日程では厳しかなぁ。一瞬でくじけそうに。でも、よく見てみると、ほぼ高速ばかりなので、強行することに。子ども達はバスケの練習と塾なので、長男曰く「クルマに載ったらいつも寝ている」妻を助手席に2人で出発。


かんかん照りというわけでもなく適度な天気の中、ドライブは順調でした。久しく遠出をしていなかったので気づかなかったのですが、日本インフラもずいぶん発達していて、ほぼ高速だけで到着。幼い頃に連れて行ってもらったことがある鳥取への道中と比較しても、この楽さ加減はまるで夢のよう。しかも、連休中日ということもあってか、高速道路料金上限廃止の影響なのか、渋滞することもなくナビが指し示す予定時間どおり。本当にお気楽に到着してしまいました。


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ただ、出雲大社は現在「平成の御遷宮」という、ある意味住まい中。そこは少し残念だったのですが、なにも考えずぼおぉ〜とした気分でお参りさせていただくことに。


歴史はあまり得意ではないのですが、「大國主大神(おおくにぬしのおおかみ)」という神様はなんだかとても不思議な方のように感じます。


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出雲大社サイトには次のようにあります。


日本書紀』の記録によると、大国主大神はこの国づくりの大業が完成すると、日本民族の大親神である天照大御神に、その豊葦原の瑞穂国をお譲りされたとあります。


「国譲り」なんですよね。せっかく創ったのにね。不思議。そしてご自身は現世ではなく、あちらの世界に行かれたということなのでしょうか。


大国主大神は、幽冥主宰大神として、この幽冥をおさめられ、人々の霊魂をもおさめられる神さまです。


太陽が昇る伊勢神宮が「陽」だとすると、太陽が沈む出雲大社が「陰」ということになるのでしょうか。なんだか歴史ミステリーはたくさんありそうなのですが、ここでも「時代の変わり目」を体験できたような気分です。


欲張りな僕は、出雲の「神在月」10月にお参りさせていただくのも良かったのかもかもしれないなどと、若干気にしながらも、9月に思いついたのもなにかのご縁。来年の長男受験、CHESの立ち上げなど取り急ぎご報告させていただきました。


この「縁結び」ということは、単に男女の仲を結ぶことだけでなく、人間が立派に生長するように、社会が明るく楽しいものであるように、すべてのものが幸福であるようにと、お互いの発展のためのつながりが結ばれることです。


時代の変わり目と表現されるこれからの数年間、つつがなく生長していくためにも、特に「ご縁」が本当に大切なのでしょうね。


朝8時に出発して、夜の8時に到着するという強行日程でしたが、道中、定番の蒜山ヨーグルトお土産にして、それそれは楽しかったです。


これからも良いご縁がありますように。

2011-07-14

炎天下、2つの「夢の生活」という白昼夢。

| 14:59 | 炎天下、2つの「夢の生活」という白昼夢。を含むブックマーク 炎天下、2つの「夢の生活」という白昼夢。のブックマークコメント


「まさに夢の生活!」というタイトルで、とても興味深い記事があったので、メモしておきました。


この記事の主人公は、ドイツのとある女性。彼女はこれまで15年間、お金を一切使わずに生活しているのだとか。彼女はホームレスではなく、衣食住に不自由なく暮らしているそうです。


【まさに夢の生活! 15年間お金を使わずに生活するとても豊かな生き方

http://rocketnews24.com/2011/07/11/111350/

そんな彼女の人生に大きな変化が訪れる。1989年、2人の子どもを連れてドルトムント市に引っ越したときのこと、彼女は多くのホームレスの姿を目の当たりにし、衝撃を受けた。彼らのために何かできないかと思案した末に、1994年「譲り合いセンター(Give and take central)」を設立する。

これは、お金を使わずに価値を交換する施設である。たとえば、古着を台所用品と交換できたり、車に関するサービス提供する見返りに、配管サービスを受けられたりなど、価値価値を交換することができるのだ。この施設は、数多くの失業者の助けとなり、彼女のアイディアを真似した施設が、ドイツに多数誕生した。

お金にはならなくても、知恵や技術を持ち合わせた人が集まることにより、お互いを助け合うコミュニティが形成されたのだ。


それぞれが持っているモノ・サービスを「お金」を介さずに相互利用していた、ある種の原始コミュニティを限定的に確立している様子。この様子は、最近の「エコ」や「もったいない」系の流れからも十分に理解できるし、しっかりとした「しくみ」として確立し実践している彼女の勇気には、心から敬意を表したい気持ちで一杯。


でも、なぜ、ここまで「お金」にこだわるのでしょう。少し疑問を感じてしまいます。ここまでお金に一切関わりたくない明確な理由でもあるのでしょうか。これでは、外の世界から完全に孤立した小さな村のなかで「掟」に異常にこだわる様子を描いていたナイト・シャマラン監督の「ヴィレッジ」を彷彿してしまいそう。


そんな彼女は普段、スーツケース1個で生活している。必要なものはそれだけ。緊急時のために200ポンド(約2万2000円)を蓄えている以外は、すべてのお金寄付している。著書やドキュメンタリー映画の売り上げもすべて寄付しているそうだ。


ヴィレッジ [DVD]

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一方、われらニッポンでは・・・、違う視点での「お金」にこだわりがある様子。


生活保護受給 働き世代急増、就労支援の強化急務(産経ニュース 2011.6)】

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110614/trd11061421450024-n2.htm 

就労先の面接を紹介しても受給者側から断るケースもあり、「『働くのは大変なこと』ということから教えなければいけない」(東京都内自治体担当者)という悩みもあるという。


それはそうでしょうと、思わず納得しそうになってしまいます。「生活保護」も、ある種の「夢の生活」なのかもしれません。現実は、非常に厳しいぃのですから。


最低賃金:9都道府県生活保護以下(毎日新聞 2011年7月14日)】

http://mainichi.jp/select/biz/news/20110714ddm008020056000c.html

都道府県ごとに決められている最低賃金について厚生労働省は13日、9都道府県が現時点で生活保護水準(生活扶助住宅扶助の合計額)を下回っていると発表した。


はたらけど

はたらけど猶わが生活楽にならざり

ぢつと手を見る


こちらは、浅草娼妓と遊んでいたという噂の琢木の詩。そして、前述のドイツのとある女性は・・・


自分が働けば働くほど、喜ぶ人が増え、欲しいものが手に入る。そうして彼女は、お金を稼ぐことでは味わえなかった豊かさを得たのだ。


なんだかやはり、この文脈には、若干違和感を覚えてしまいます。


もともと「お金」は、人が生きていくための「目的」ではなく「手段」だったはず。お金を稼ぐことや稼げないこと自体は最初から前提条件でもなんでもなくて、『自分が働けば働くほど、喜ぶ人が増え、欲しいものが手に入る』という前提条件自体が大切なのでは? 


そしてこの前提条件こそが、マズローが言う人間の基本的欲求の最終段階へのプロセス、「所属と愛の欲求」→「承認の欲求」→「自己実現の欲求」なのでしょう。


つまり、「豊かさ」を協調するために、あえて「お金を稼ぐことでは味わえなかった」という形容詞を選択しているようでは、まだ心のどこかに「お金」に関する妙なひっかかりがある裏返しじゃないのかなぁ。果たして「夢の生活」とは如何なものだろうか? などと炎天下の中でぼんやりと考え込んでしまいました。