テイトメー 父よ母よ/はやまみゃ/飛蝗

父よ母よ/はやまみゃ/飛蝗



あらすじ

 葉山真心は自己紹介が大嫌いだ。元より自分の名前が大嫌いだ。高校入学直後の自己紹介では「はやままごころ」と「ま」が二度続いてしまうせいで噛んでしまい、「はやまみゃ」と云って笑われた。
 ある日、彼女に里見江利子という同級生が声をかけてくる。真心は江利子と友人になるが、江利子は向坂直弼という男子に思いを寄せていた。真心は上辺だけで応援の言葉を吐くが、これが後悔を誘うことになる……




テイトメー

 本作は、先日のねとらじに於いてムラムラオ氏にお薦め頂いた作品である。とりあえず「はやまみゃ」は読んでおいたほうがいいとのことなので失敬した。


 なんとなく雰囲気はわかった。
 書き慣れている人間の文章であり、無駄が省かれている。要点を絞って書かれているので、あまりブレがない。サブタイトルが最初は意味がわからないが、一読すれば自ずと理解できる。そして暗に示されている真心の後悔というのが、おそらく直弼に対する恋慕がかかわってくるだろうことも想像に難くない。巧みなリードである。




オンヌ


 さて、本作は三人称視点を取り入れているが、そのなかでもいわば「神視点」とも云われる「作中世界の過現未や登場人物の心理の微細に至るまで、すべて理解把握している全能の視点」が選択されている。これはヨーロッパの哲学者が書いた小説や三島由紀夫の小説などにも用いられているようで、物語の作者が作中世界においての神であることをおおっぴらに露見させている。哲学者や三島の小説には、おそらく作者の思想を説明せんがためのツールとして小説が使われていて、そのために仮想世界をつくりだしているのであり、文学のなかでも堅苦しくなる印象が強い。本作もその例に洩れず、真心の未来を暗示するという神の視点によって、どうも掌の上で転がされているという「遊ばれている感触」に苛まれることになる。僕の得意な形態ではない。


 そして真心の言葉の堅さも、おそらくは彼女自身の心の壁の具現ではあるんだろうけれども、少しくストレスを感じる。彼女は自己紹介のときに「死すべし」と呟く。江利子に好きな人はいないか尋ねられて「一切皆無」と云う。このキャラに慣れるのは難しいかもしれない。
 だがこれは真心だけに限らず、他のキャラにも云えるかもしれない。向坂直弼は真心の自己紹介で彼女がとちったのを笑い、先生に叱られ、過ちを認め、激励され、自ら罰を受けに校庭へ走りに行く。爽やか系を上回る素直系とでも云おうか、そういった記号的キャラを感じた。もちろん1話であるから、キャラをキレイに定着させるのは難しい。話が進む上で、キャラをいかに定着させていくのかが要点とも云えるだろう。