一神教学会からのお知らせ

 

2018-05-22 一神教学会は設立十二周年を迎えました

2006年5月22日設立された弊会は、本日、めでたく十二周年の佳節を迎えました。12年の長きにわたって弊会が活動を続けることができましたのは、弊会を生温かく見守ってくださっているすべての皆様のおかげです。ここに、改めまして皆様に厚く御礼申し上げます

4月16日のエントリーでお知らせしましたように、弊会は、「大黒学会」(Society for Daikokulogy)という機関設立を十二周年記念事業とすることを決定いたしました。

大黒学会とはいかなる機関であるかということにつきまして、4月16日エントリーでは、

大黒学会は、弊会が布教している宗教の一つである大黒教(Daikokism)の信徒に対しまして、「大黒曼荼羅」(Daikoku mandala)と呼ばれるものを授与する機関です。

とお伝えしましたが、その後、この説明は正確なものではなくなりました。現状におきましては、

大黒学会は、大黒教信徒に対する大黒曼荼羅の授与を副次的機能として持つ、大黒学(daikokulogy)の研究目的とする機関です。

というのが、より正確な説明です。大黒学(daikokulogy)というのは、大黒教において定義されている「大黒」(Daikoku)という神を研究対象とする神学の一分野のことです。

大黒学会は、4月12日(木)に発足いたしました。その時点から現在までに、次のような課題がすでに解決済みとなっております

しかしながら、大黒学会は現状ではまだ、すでに軌道に乗ったと言える状態には至っておりません。この機関軌道に乗せるために残されている課題しましては、次のようなものがあります

弊会は今後、十二周年記念事業といたしまして、これらの課題解決して参る所存でございますので、皆様から意見を頂戴いたしますことを心待ちにいたしております

2018-04-16 大黒学会の設立について

来月の22日、弊会は設立十二周年を迎えます。弊会は例年、「n周年記念事業」と称しまして、設立n周年を記念する事業実施いたしております。この度、弊会は、「大黒学会」(The Society for Daikokulogy)という機関設立を十二周年記念事業とすることを決定いたしました。

大黒学会は、弊会が布教している宗教の一つである大黒教(Daikokism)の信徒に対しまして、「大黒曼荼羅」(Daikoku mandala)と呼ばれるものを授与する機関です。

大黒学会は、4日前、すなわち4月12日(木)に発足いたしました。Twitter公式アカウントおよび公式ブログにつきましては、すでに開設され、運用が開始されております公式サイトにつきましては、建設予定地はすでに確保されておりますが、建設はこれから課題です。

大黒学会大黒教信徒に授与する「大黒曼荼羅」と呼ばれるものがどのようなものになるかということにつきましては、現時点では、「大黒曼荼羅」というはてなキーワードの項目が、それについての最も詳細な説明です。

大黒教正典である大黒書」は、現在はまだ一神教学会管理しておりますが、この経典管理は、近日中大黒学会移管することになる予定です。移管に伴いましてURLが変更されますので、ご注意願います。また、「大黒書」の改訂についてのお知らせは、今後は大黒学会公式ブログ実施されることになります

現状では、大黒学会は、大黒曼荼羅大黒教信徒に授与することができる体制を、まだ整えてはおりません。今後、その体制の整備を進めて参る所存でございますので、皆様から意見を頂戴いたしますことを心待ちにしております

2017-11-13 「浄土真宗ゾーエー派の教理問答・第零版alpha00」を公開しました

5月22日のエントリーですでにお知らせしておりますように、弊会は現在設立一周年を記念する事業といたしまして、「ゾーエー派」(Zoeha)という宗教布教計画いたしております*1。これは、「浄土真宗」(Jodo Shinshu)と総称される、本願寺派大谷派高田派、仏光寺派などの宗派群に新たに加わることになる宗派です。

ゾーエー派と、浄土真宗の他の宗派との最大の相違点は、阿弥陀はいかなる存在者であると考えるか、というところにあります。ゾーエー派においては、阿弥陀というのは、「ゾーエー」と呼ばれる命の集合体であると考えられています。すべての衆生は、誕生した時点では二種類の命を持っています。一つは「ビオス」と呼ばれる肉体的な命で、もう一つは「ゾーエー」と呼ばれる霊的な命です。衆生が肉体的に死亡したとき、ビオスの活動は終了しますが、ゾーエーはそののちも活動を続けます阿弥陀は、肉体的に死亡した衆生のゾーエーを収集して、それを自分の一部分にします。ゾーエー派においては、「衆生極楽に往生する」というのは、ゾーエーが阿弥陀の一部分になることだと考えられています

5月22日エントリーにも書かれておりますように、ゾーエー派においては、「念仏」という言葉は「生きること」を意味していると考えられています阿弥陀は、いかなる衆生であっても、その肉体が死亡したのち、そのゾーエーを自分の一部分にします。ですから、ゾーエー派においては、阿弥陀名号を唱えることは、衆生極楽に往生するために必要なことではありません。そのために必要なことは、ただ単に生きることだけです。

浄土真宗においては、極楽に往生した衆生が、再び穢土に戻って、まだ往生していない衆生に対して極楽への往生という功徳を与えることを、「還相廻向」(げんそうえこう)と呼びます。還相廻向は、ゾーエー派の教義にも含まれていますしかし、ゾーエー派における還相廻向は、浄土真宗の他の宗派とは少し異なっています。ゾーエー派においては、まだ往生していない衆生に対して「アタラクシア」と呼ばれる功徳阿弥陀が与えることを、「還相廻向」と呼びます

アタラクシア」というのは、煩悩を持たない阿弥陀によって幸福と考えられているもののことです。幸福という概念を持っている衆生人間だけですが、まだ往生していない人間は、アタラクシア幸福として認識することができません。その理由は、まだ往生していない人間煩悩を持っていますので、煩悩を満足させることによって得られるもの以外の幸福を、幸福として認識することができないからです。

まだ往生していない人間は、アタラクシア幸福として認識することができないのですが、しかし、それを滋味として味わう、ということは可能です。衆生は、そのビオスの本性のままに生きているとき阿弥陀から与えられたアタラクシアを、滋味として味わうことができます人間場合、そのビオスの本性は、「思考するものである」ということです。したがって、人間は、思考することによって、アタラクシアを滋味として味わうことができます。その場合の滋味の強弱は、思考の「深さ」に比例します。思考の深さが深ければ深いほど、味わうことのできる滋味は濃厚なものとなります

弊会は本日浄土真宗ゾーエー派について解説する、「浄土真宗ゾーエー派の教理問答」という経典公開しました。ただし、この経典は、現在はまだアルファ版です。今後も改良を進めて参る所存でございますので、ぜひ皆様よりご意見を賜りたいと願っております。またご意見のみならず、誤字脱字につきましても、お気づきの方がいらっしゃいましたらご指摘くださいますようお願い申し上げます

*15月22日エントリーでは、ゾーエー派の英語名Zoe-haと表記していましたが、ハイフンを除去して、Zoehaとすることにいたしました。

2017-05-22 一神教学会は設立十一周年を迎えました

2006年5月22日設立された弊会は、本日、めでたく十一周年の佳節を迎えました。弊会がこれまで活動を続けることができましたのは、弊会を生温かく見守ってくださっているすべての皆様のおかげです。ここに、改めまして皆様に厚く御礼申し上げます

弊会は現在設立一周年を記念する事業といたしまして、「ゾーエー派」(Zoe-ha)と称する宗教布教計画いたしております。この宗教は、浄土真宗構成している、本願寺派大谷派高田派、仏光寺派などの宗派群に新たに加わることになる宗派で、その名称は、ギリシア語で命を意味する「ゾーエー」という名詞に由来しています

浄土真宗の各宗派は、念仏による極楽浄土への往生という教義信仰の核心に置いています。この点については、ゾーエー派も他の宗派と同様です。ただし、ゾーエー派においては、阿弥陀如来自身名前を唱えるか否かということとは無関係に一切の衆生極楽浄土に往生させる、と考えられています。ですから、ゾーエー派においては「念仏」という言葉を、一切の衆生にとって不可避である行為、すなわち「生きること」と定義しています

ゾーエー派においては、念仏による極楽浄土への往生という教義に加えて、現世を生きている人間にもたらされる阿弥陀如来光明に関する教義重要視されます阿弥陀如来人間光明をもたらす理由は、すべての人間が現世において幸福になることを如来が願っているからです。ただし、煩悩を持たない如来が考える「幸福」と、煩悩を持つ人間が考える「幸福」とは、同じものではありません。

人間は、現世を生きている間は煩悩を捨てることができませんので、現世では如来的な幸福というもの価値理解することができません。しかし、たとえ理解できなくても、人間的な幸福よりも如来的な幸福を追求するほうがよいとゾーエー派は主張します。なぜなら、もしも人間的な幸福のみを追求した場合極楽浄土に往生して煩悩消滅したときに、大きな後悔を味わうことになるからです。

現在、弊会会長は、「浄土真宗ゾーエー派の教理問答」と題するゾーエー派の経典を開発する作業を進めております。近日中にはその経典アルファテストを開始する予定でございますので、その節は、皆様の忌憚のないご意見をお聞かせいただけますとありがたく存じます

爽歌*sayaka爽歌*sayaka 2017/05/25 09:24 11周年おめでとうございます。
ゾーエー教教理問答楽しみにお待ちしております。

polynitypolynity 2017/05/25 12:05 こんにちは。浄土真宗の新しい宗派を作ろうとしている大黒です。爽歌*sayakaさん、コメントをくださいまして、ありがとうございました。ゾーエー派の経典は、すでに書き始めてはいるのですが、浄土真宗についての私自身の理解がまだ不十分なので、執筆はかなり難航するであろうと予想しています。公開までに時間がかかるかもしれませんが、皆様の期待に応えることができるように最善を尽したいと思っております。

KUSHIDAAKIKO(male,COBOLer)KUSHIDAAKIKO(male,COBOLer) 2017/07/20 00:34 御無沙汰しております。

>自身の名前を唱えるか否かということとは無関係に一切の衆生を極楽浄土に往生させる

自然な考え方だと思います。いわゆる既存の念仏により名前を唱えることと極楽浄土行きとの因果関係が正直言って理解できなかったので、いっそ無関係であるところをスタートラインにした方がスッキリするとは前から思ってました。
一応、念仏唱えるのに無理矢理因果関係持たせるなら、目的地を書いたプレートを掲げてヒッチハイクしてるようなもんなのかなとか考えたりはしましたが、自分が運転手の立場ならこっちの都合無視で目的地指定のドライブはマジで勘弁なので、やはり阿弥陀如来を指名するのはよろしくないと言う結論に達した訳です。

polynitypolynity 2017/07/20 15:06 こんにちは。浄土真宗ゾーエー派の経典を執筆中の大黒です。KUSHIDAAKIKOさん、コメントをくださいまして、ありがとうございました。

「念仏」という言葉の再定義に私が踏み切った理由は、阿弥陀如来が極楽浄土に往生させると言われている「一切衆生」の中には、発声器官を持たない生物も含まれているはずなのに、なぜ発声を必要とする行為が念仏なのか、ということがどうしても理解できなかったからです。

ついでに報告事項を一つ。「煩悩を持たない如来が考える幸福」という概念にどのような名前を与えるべきかということは、ゾーエー派の開発における懸案事項の一つだったのですが、これについては、「ゾーエー」と同様にギリシア語から借用して、「アタラクシア」と呼ぶということに落ち着きそうです。

2016-09-09 「大川隆法再解脱経・第零版alpha00」を公開しました

弊会は、「今後の活動予定・2014年版」という2年前のエントリーで、弊会が開発することをその時点で予定していた四つの宗教を紹介しました。「庭球立方体」、「日本型ユダヤ教」、「日本型マニ教」、そして「幸福の科学パロディー宗教」です。しかし、これらの宗教のうちでこれまでに弊会が開発に着手したのは、「庭球立方体」(現在名称は「大阪型ダールルハック」)の一つのみです。他の三つの宗教の開発計画は、着手に至らないまま長らく放置されていました。しかし、今年の4月、弊会はようやく二つ目宗教の開発に着手しました。「幸福の科学パロディー宗教」です。

当初の計画では、「幸福の科学パロディー宗教」は、「幸福の科学信者にも、大川さんの憑霊現象イタコ芸として秀逸であるということに目覚めてもらう」ということを意図したものになるはずでした。しかし、2年間の潜伏期間を経て始動した開発計画は、それとは異なる意図を持つパロディー宗教を生み出すものでした。

幸福の科学は、「仏陀は再誕する」という教義を持っています。『日本「再仏教化」宣言!』の著者である佐藤哲朗さん(id:ajita)は、「仏陀は再誕しない」というエントリーの中で、この教義について、仏陀というのは輪廻世界から解脱を果たした人であるから仏陀が再誕するというのはあり得ない話だと述べています。つまり、「仏陀」という概念と「再誕」という概念を正しく解釈するならば、この教義の中に矛盾が含まれていることは明らかである、ということです。

弊会が開発に着手した「幸福の科学パロディー宗教」は、現在のところ、「隆法宗」(Ryuhoism)という名称で呼ばれています。これは、仏教宗派でありながら、幸福の科学が主張している「仏陀は再誕する」という教義にも理解を示す宗教、すなわち、幸福の科学教義の一部を仏教の中に取り込んだ宗教です。この宗教意図は、「仏陀は再誕する」という、仏教についての無知から生み出された教義を持つ幸福の科学という宗教揶揄することです。

仏陀は再誕する」という幸福の科学教義には矛盾存在しているわけですが、この教義を少しだけ書き換えて、「釈迦は再誕する」にすると、この矛盾は解消されます。なぜなら、仏陀仏陀のままで再誕することはできないとしても、仏陀輪廻を繰り返す存在者に戻ったならば、再誕することは可能からです。輪廻を繰り返す存在者仏陀になる、すなわち解脱するという変化は、「悟りを得る」という行為によって生じるのですから、「悟りを捨てる」というそれとは逆の行為によって、仏陀輪廻を繰り返す存在者に戻るはずです。

隆法宗は、「大川隆法は再誕した釈迦である」という教義を持っています。この教義は、「大川隆法は再誕した仏陀である」ということを意味しているわけではありません。釈迦は、悟りを捨てることによって再誕したわけですから大川隆法は、釈迦ではあるけれども仏陀ではない存在者である、ということになります

隆法宗の教義はそれだけではありません。「いかなる人間も、仏陀である釈迦の慈悲によってのみ苦しみから救われることができる」という教義も持っていますしかし、現在は、「仏陀である釈迦」という存在者は不在です。したがって、現在は、いかなる人間も「仏陀である釈迦」の慈悲によって苦しみから救われることはできません。これは、隆法宗の信徒にとって由々しき事態です。

仏陀である釈迦」という存在者の不在が解消されるためには、大川隆法が再解脱する必要がありますしかし、大川隆法はあまりにも煩悩にまみれているため、自力での再解脱不可能です。隆法宗の信徒に残された唯一の希望は、すべての仏陀たちです。すなわち、すべての仏陀たちに対して、彼らの他力による大川隆法の再解脱を祈願することが、隆法宗の信徒たちにとって、人間を苦しみから救ってくれる存在者を取り戻すための唯一の方法なのです。

弊会は本日、隆法宗について解説する、「大川隆法再解脱経」という経典公開しました。ただし、この経典は、現在はまだアルファ版です。今後も改良を進めて参る所存でございますので、ぜひ皆様よりご意見を賜りたいと願っております。またご意見のみならず、誤字脱字につきましても、お気づきの方がいらっしゃいましたらご指摘くださいますようお願い申し上げます

 
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