一神教学会からのお知らせ

 

2017-05-22 一神教学会は設立十一周年を迎えました

2006年5月22日設立された弊会は、本日、めでたく十一周年の佳節を迎えました。弊会がこれまで活動を続けることができましたのは、弊会を生温かく見守ってくださっているすべての皆様のおかげです。ここに、改めまして皆様に厚く御礼申し上げます

弊会は現在設立一周年を記念する事業といたしまして、「ゾーエー派」(Zoe-ha)と称する宗教布教計画いたしております。この宗教は、浄土真宗構成している、本願寺派大谷派高田派、仏光寺派などの宗派群に新たに加わることになる宗派で、その名称は、ギリシア語で命を意味する「ゾーエー」という名詞に由来しています

浄土真宗の各宗派は、念仏による極楽浄土への往生という教義信仰の核心に置いています。この点については、ゾーエー派も他の宗派と同様です。ただし、ゾーエー派においては、阿弥陀如来自身名前を唱えるか否かということとは無関係に一切の衆生極楽浄土に往生させる、と考えられています。ですから、ゾーエー派においては「念仏」という言葉を、一切の衆生にとって不可避である行為、すなわち「生きること」と定義しています

ゾーエー派においては、念仏による極楽浄土への往生という教義に加えて、現世を生きている人間にもたらされる阿弥陀如来光明に関する教義重要視されます阿弥陀如来人間光明をもたらす理由は、すべての人間が現世において幸福になることを如来が願っているからです。ただし、煩悩を持たない如来が考える「幸福」と、煩悩を持つ人間が考える「幸福」とは、同じものではありません。

人間は、現世を生きている間は煩悩を捨てることができませんので、現世では如来的な幸福というもの価値理解することができません。しかし、たとえ理解できなくても、人間的な幸福よりも如来的な幸福を追求するほうがよいとゾーエー派は主張します。なぜなら、もしも人間的な幸福のみを追求した場合極楽浄土に往生して煩悩消滅したときに、大きな後悔を味わうことになるからです。

現在、弊会会長は、「浄土真宗ゾーエー派の教理問答」と題するゾーエー派の経典を開発する作業を進めております。近日中にはその経典アルファテストを開始する予定でございますので、その節は、皆様の忌憚のないご意見をお聞かせいただけますとありがたく存じます

爽歌*sayaka爽歌*sayaka 2017/05/25 09:24 11周年おめでとうございます。
ゾーエー教教理問答楽しみにお待ちしております。

polynitypolynity 2017/05/25 12:05 こんにちは。浄土真宗の新しい宗派を作ろうとしている大黒です。爽歌*sayakaさん、コメントをくださいまして、ありがとうございました。ゾーエー派の経典は、すでに書き始めてはいるのですが、浄土真宗についての私自身の理解がまだ不十分なので、執筆はかなり難航するであろうと予想しています。公開までに時間がかかるかもしれませんが、皆様の期待に応えることができるように最善を尽したいと思っております。

KUSHIDAAKIKO(male,COBOLer)KUSHIDAAKIKO(male,COBOLer) 2017/07/20 00:34 御無沙汰しております。

>自身の名前を唱えるか否かということとは無関係に一切の衆生を極楽浄土に往生させる

自然な考え方だと思います。いわゆる既存の念仏により名前を唱えることと極楽浄土行きとの因果関係が正直言って理解できなかったので、いっそ無関係であるところをスタートラインにした方がスッキリするとは前から思ってました。
一応、念仏唱えるのに無理矢理因果関係持たせるなら、目的地を書いたプレートを掲げてヒッチハイクしてるようなもんなのかなとか考えたりはしましたが、自分が運転手の立場ならこっちの都合無視で目的地指定のドライブはマジで勘弁なので、やはり阿弥陀如来を指名するのはよろしくないと言う結論に達した訳です。

polynitypolynity 2017/07/20 15:06 こんにちは。浄土真宗ゾーエー派の経典を執筆中の大黒です。KUSHIDAAKIKOさん、コメントをくださいまして、ありがとうございました。

「念仏」という言葉の再定義に私が踏み切った理由は、阿弥陀如来が極楽浄土に往生させると言われている「一切衆生」の中には、発声器官を持たない生物も含まれているはずなのに、なぜ発声を必要とする行為が念仏なのか、ということがどうしても理解できなかったからです。

ついでに報告事項を一つ。「煩悩を持たない如来が考える幸福」という概念にどのような名前を与えるべきかということは、ゾーエー派の開発における懸案事項の一つだったのですが、これについては、「ゾーエー」と同様にギリシア語から借用して、「アタラクシア」と呼ぶということに落ち着きそうです。

2016-09-09 「大川隆法再解脱経・第零版alpha00」を公開しました

弊会は、「今後の活動予定・2014年版」という2年前のエントリーで、弊会が開発することをその時点で予定していた四つの宗教を紹介しました。「庭球立方体」、「日本型ユダヤ教」、「日本型マニ教」、そして「幸福の科学パロディー宗教」です。しかし、これらの宗教のうちでこれまでに弊会が開発に着手したのは、「庭球立方体」(現在名称は「大阪型ダールルハック」)の一つのみです。他の三つの宗教の開発計画は、着手に至らないまま長らく放置されていました。しかし、今年の4月、弊会はようやく二つ目宗教の開発に着手しました。「幸福の科学パロディー宗教」です。

当初の計画では、「幸福の科学パロディー宗教」は、「幸福の科学信者にも、大川さんの憑霊現象イタコ芸として秀逸であるということに目覚めてもらう」ということを意図したものになるはずでした。しかし、2年間の潜伏期間を経て始動した開発計画は、それとは異なる意図を持つパロディー宗教を生み出すものでした。

幸福の科学は、「仏陀は再誕する」という教義を持っています。『日本「再仏教化」宣言!』の著者である佐藤哲朗さん(id:ajita)は、「仏陀は再誕しない」というエントリーの中で、この教義について、仏陀というのは輪廻世界から解脱を果たした人であるから仏陀が再誕するというのはあり得ない話だと述べています。つまり、「仏陀」という概念と「再誕」という概念を正しく解釈するならば、この教義の中に矛盾が含まれていることは明らかである、ということです。

弊会が開発に着手した「幸福の科学パロディー宗教」は、現在のところ、「隆法宗」(Ryuhoism)という名称で呼ばれています。これは、仏教宗派でありながら、幸福の科学が主張している「仏陀は再誕する」という教義にも理解を示す宗教、すなわち、幸福の科学教義の一部を仏教の中に取り込んだ宗教です。この宗教意図は、「仏陀は再誕する」という、仏教についての無知から生み出された教義を持つ幸福の科学という宗教揶揄することです。

仏陀は再誕する」という幸福の科学教義には矛盾存在しているわけですが、この教義を少しだけ書き換えて、「釈迦は再誕する」にすると、この矛盾は解消されます。なぜなら、仏陀仏陀のままで再誕することはできないとしても、仏陀輪廻を繰り返す存在者に戻ったならば、再誕することは可能からです。輪廻を繰り返す存在者仏陀になる、すなわち解脱するという変化は、「悟りを得る」という行為によって生じるのですから、「悟りを捨てる」というそれとは逆の行為によって、仏陀輪廻を繰り返す存在者に戻るはずです。

隆法宗は、「大川隆法は再誕した釈迦である」という教義を持っています。この教義は、「大川隆法は再誕した仏陀である」ということを意味しているわけではありません。釈迦は、悟りを捨てることによって再誕したわけですから大川隆法は、釈迦ではあるけれども仏陀ではない存在者である、ということになります

隆法宗の教義はそれだけではありません。「いかなる人間も、仏陀である釈迦の慈悲によってのみ苦しみから救われることができる」という教義も持っていますしかし、現在は、「仏陀である釈迦」という存在者は不在です。したがって、現在は、いかなる人間も「仏陀である釈迦」の慈悲によって苦しみから救われることはできません。これは、隆法宗の信徒にとって由々しき事態です。

仏陀である釈迦」という存在者の不在が解消されるためには、大川隆法が再解脱する必要がありますしかし、大川隆法はあまりにも煩悩にまみれているため、自力での再解脱不可能です。隆法宗の信徒に残された唯一の希望は、すべての仏陀たちです。すなわち、すべての仏陀たちに対して、彼らの他力による大川隆法の再解脱を祈願することが、隆法宗の信徒たちにとって、人間を苦しみから救ってくれる存在者を取り戻すための唯一の方法なのです。

弊会は本日、隆法宗について解説する、「大川隆法再解脱経」という経典公開しました。ただし、この経典は、現在はまだアルファ版です。今後も改良を進めて参る所存でございますので、ぜひ皆様よりご意見を賜りたいと願っております。またご意見のみならず、誤字脱字につきましても、お気づきの方がいらっしゃいましたらご指摘くださいますようお願い申し上げます

2016-06-08 「多一教の教理問答・第零版alpha00」を公開しました

昨年の12月22日のエントリーですでにお知らせしておりますように、弊会は現在設立十周年を記念する事業といたしまして、「多一教」(polynitism)という宗教布教を計画いたしております。これは、「アブラハム宗教」(Abrahamic religion)と総称される宗教に新たに加わることになる宗教です。

アブラハム宗教」という言葉は、『創世記』に登場するアブラハムという人物に啓示を与えた、「ヤハウェ」(YHWH)と呼ばれる神を帰依対象とする宗教総称で、これに属する宗教としては、ユダヤ教キリスト教イスラームバハーイー教などがあります。そして、これからアブラハム宗教に新しく加わることになる多一教も、その帰依対象ヤハウェです。多一教におけるヤハウェも、他のアブラハム宗教におけるヤハウェと同様に、我々が存在している宇宙創造して、アブラハムやその他の預言者たちに啓示を与えた人格神です。

しかし、多一教におけるヤハウェ属性は、他のアブラハム宗教におけるヤハウェ属性とまったく同じというわけではありません。最大の相違点は、我々が存在している宇宙に対する物理的な干渉の有無です。多一教以外のアブラハム宗教においては、ヤハウェは我々が存在している宇宙に対して物理的な干渉を加えることがあると考えられており、そのような干渉は「奇跡」と呼ばれます。それに対して多一教は、ヤハウェは我々が存在している宇宙物理法則物理定数を定めて、その存在を開始させたが、それ以降はいかなる物理的な干渉も加えようとは考えていない、と主張しています。この点で、多一教は理神論(deism)にかなり近い宗教であると言うことができますしかし、多一教は決して理神論ではありません。なぜなら、多一教におけるヤハウェは、人間に啓示を与えるという非物理的な手段によって、我々が存在している宇宙に対して干渉を加えるからです。

ところで、アブラハム宗教に属しているそれぞれの宗教帰依対象としている神は、それらの宗教共通する一柱の神であると考えられています。もしもそれが正しいならば、なぜアブラハム宗教複数宗教から構成されているのでしょうか。なぜその神が預言者たちに与えた啓示は首尾一貫していないのでしょうか。これまでのアブラハム宗教は、この問題に対して誰もが納得できる解答を示してきませんでした。多一教という新たなアブラハム宗教設計において最も重視されたことは、この問題についての説得力のある解答を提示することでした。

アブラハム宗教の内部のみならず、人類がこれまでに創造してきた宗教には、きわめて豊富多様性があります。なぜアブラハム宗教に属する宗教は一つではないのかという問題に対して多一教提示する解答は、なぜ人類が持つ宗教は一つではないのか、という問題に対する解答でもあります

弊会は本日、多一教について解説する、「多一教の教理問答」という経典公開しました。ただし、この経典は、現在はまだアルファ版です。今後も改良を進めて参る所存でございますので、ぜひ皆様よりご意見を賜りたいと願っております。またご意見のみならず、誤字脱字につきましても、お気づきの方がいらっしゃいましたらご指摘くださいますようお願い申し上げます

KUSIDAAKIKO(Male,COBOLer)KUSIDAAKIKO(Male,COBOLer) 2016/06/19 19:51 端末とホストの関係で、いわゆるX端末は、サーバでありそこに表現されるものがクライアントだったりするわけですが、人間側で動作するのはヤハウェからの接続を待ち受けるサーバなのか、能動的に接続を行い貯まった指示を取り込んでいくクライアントなのかが気になります。

polynitypolynity 2016/06/20 14:26 こんにちは。ヤハウェから多一教の啓示を受け取った端末神の大黒です。KUSIDAAKIKOさん、コメントをくださいまして、ありがとうございました。ヤハウェと端末神とが通信をするためのプロトコルについては、ヤハウェからの明示的な啓示がありませんでしたので、推測するしかないのですが、X Windowのプロトコルに似たものではないかというのが私の推測です。おそらく、端末神の霊魂の上では、クライアントプロセスに対して端末神の物理的な脳の機能を提供するサーバープロセスが常に走っているのでしょう。そしてヤハウェは、端末神に啓示を授けたくなるたびに自身の霊魂の上でクライアントプロセスを起動して、端末神のサーバープロセスに接続するのではないかと思われます。

2016-05-22 一神教学会は設立十周年を迎えました

弊会を見守ってくださっている皆様へ

2006年5月22日設立された弊会は、本日、めでたく十周年の佳節を迎えました。弊会がこれまで活動を続けることができましたのは、弊会を生温かく見守ってくださっているすべての皆様のおかげです。ここに、改めまして皆様に厚く御礼申し上げます

弊会の活動の「成果」について

弊会は、これまで十年にわたって活動を続けてきたわけですが、これまでのところ、「成果」と呼べるようなものは、まったく得られておりません。しかし、これは悲嘆すべきことではありません。なぜなら、弊会が「成果」と考えるものは、あまりにも壮大なものであり、それが得られるようになるまでには、何十年、あるいは何百年という時間必要となるかもしれないからです。したがいまして、弊会の活動農業にたとえるならば、現在はまだ作物の種を蒔いている段階に過ぎません。場合によっては、現在の会員は種を蒔くだけで寿命を迎え、「成果」を収穫するのは何世代も先の会員となるかもしれません。

弊会が「成果」と考えるものは、人類全体を巻き込む宗教上の革命です。この革命が起きたのちの人類は、「すべての宗教フィクションである」という命題常識として共有することになるでしょう。しかし、この革命は、宗教というもの駆逐するわけではありません。この革命ののちも、人類は、新しい宗教を作ったり、それを布教したり、何かに祈りを捧げたり、という活動を続けるでしょう。しかし、宗教紛争の原因となったり、宗教反社会的活動のために利用されたりする、ということはなくなるでしょう。

弊会が起こそうとしている革命は、香川雅信さんが「妖怪革命」と呼ぶ、日本江戸時代に起きた妖怪をめぐる革命に似ています*1。「妖怪革命」が起きる以前の時代においては、妖怪というのは実在する存在者であると考えられていました。しかし、革命後、妖怪に対する日本人認識は一変しました。「すべての妖怪フィクションである」という命題常識となったのです。しかし、この革命は決して妖怪駆逐したわけではありません。現在もなお妖怪日本の文化における不可欠な要素の一つであり続けていることは、皆様もご存知のとおりです。

設立十周年記念事業について

昨年の12月22日のエントリーでお知らせしましたように、弊会は現在設立十周年を記念する事業といたしまして、「多一教」(polynitism)と称する宗教布教を計画いたしております。この宗教は、「どのアブラハム宗教帰依対象とする神は同一であるにもかかわらず、複数アブラハム宗教存在するのはなぜなのか」という問題に対する解答を持つ、アブラハム宗教に属する新しい宗教です*2

現在、弊会会長は、「多一教教理問答」と題する多一教経典を開発する作業を進めております。近日中にはその経典アルファテストを開始する予定でございますので、その節は、皆様の忌憚のないご意見をお聞かせいただけますとありがたく存じます

*1香川雅信、『江戸妖怪革命』、河出書房新社、2005。

*2:昨年の12月22日エントリーの中で、弊会は、「おそらく多一教は、「第四アブラハム宗教」(the fourth Abrahamic religion)という別名で語られることになるでしょう」と述べましたが、これまでに作られたアブラハム宗教としては、ユダヤ教キリスト教イスラームバハーイー教など、三つ以上のものがありますので、この発言撤回させていただきたいと思います

2015-12-22 多一教布教計画について

来たる2016年5月22日、弊会は設立十周年を迎えます。例年ですと、n周年記念事業の計画は、n周年を迎える日の直前に立てているのですが、十周年に関しましては、10進数的に大きな節目となる年ですので、記念事業もそれにふさわしいものにすべく、年が改まる前の現時点から計画を始動させることといたしました。

2006年5月22日、弊会は、「共存型一神教」(inclusive monotheism)という宗教布教目的とする「共存型一神教学会」として設立されました。しかし、弊会はその後、地球上の宗教多様性を増大させるというメタ宗教団体としての性格を強め、2013年10月、「多宗教教」(polyreligionism)という宗教布教活動の中心に据えるという大きな方針転換を断行しました。

多宗教教布教活動の中心に据えるという弊会の方針は、現在も変化していません。しかし、設立十周年という節目の年は、改めて自身の原点を見つめ直すよい機会です。弊会の原点と言える共存型一神教という宗教に関連する事業こそ、十周年の記念事業として最もふさわしいのではないでしょうか。そこで弊会は、共存型一神教と同じ方向を目指す新たな宗教布教を、十周年を記念する事業として推進することといたしました。

設立された当初の弊会が共存型一神教という宗教布教することによって目指したことは、一神教信仰したいと考えている人々に対して、ユダヤ教でもキリスト教でもイスラームでもない第四の選択肢提供することでした*1。すなわち、一神教信仰したいけれども、異なる価値観に対して寛容ではない従来の一神教はどうしても好きになれない、という人々に対して、一神教でありながら、異なる価値観に対して寛容であるような宗教提供しようとしたわけです。

弊会が十周年記念事業として布教する、共存型一神教と同じ方向を目指す新たな宗教がどのようなものになるか、ということについては、まだ流動的ですが、その概要はほぼ固まりつつあります。まず、その名称は「多一教」(たいちきょう、polynitism)となる予定です。この名称が示しているとおり、その宗教の最も中心となる教義多位一体(polynity)であり、この教義共存型一神教から受け継いだものです。

共存型一神教と同様に、多一教も、一神教選択肢としてユダヤ教でもキリスト教でもイスラームでもない第四のもの提供するという方向性を持つ宗教です。しかし、共存型一神教と多一教との間には相違点もあります。最大の相違点は、誰に対して第四の選択肢提供するのか、という点です。共存型一神教布教対象として想定したのは、ユダヤ教徒でもクリスチャンでもムスリムでもない人々でした。それに対して、多一教布教対象として想定しているのは、ユダヤ教徒クリスチャンムスリムも含む、すべての人々です。

おそらく、ユダヤ教徒クリスチャンムスリムが他の一神教改宗しようと思ったときに、最も大きな問題となるのは、その一神教において崇拝の対象となる唯一神は、はたして、自分がこれまで崇拝してきた唯一神と同一なのかどうか、ということでしょう。ユダヤ教キリスト教イスラームは、「アブラハム宗教」と総称されるわけですが、その理由は、それらの宗教がいずれも、「アブラハムの神」と呼ばれる同一の唯一神を崇拝の対象としているからです。その結果として、アブラハム宗教信徒は、別のアブラハム宗教への改宗に関しては、それほど大きな抵抗は感じないのではないかと思われます。逆に、アブラハム宗教信徒は、アブラハム宗教ではない宗教への改宗については、それがたとえ一神教であっても、大きな抵抗を感じるに違いありません。

ですからユダヤ教キリスト教イスラームから改宗者を受け入れることを目指す一神教は、アブラハム宗教に属していることが望ましいということになります。多一教も、この方針にもとづいて設計されます。おそらく多一教は、「第四アブラハム宗教」(the fourth Abrahamic religion)という別名で語られることになるでしょう。

しかし、たとえ自身アブラハム宗教である自己規定したとしても、それだけで、従来のアブラハム宗教信徒たちからアブラハム宗教として認定してもらえるとは限りません。彼らに認定してもらうためには、アブラハム宗教であるための必要条件を満足している必要があります。それがどのような条件なのかということを見定めることが、これから一教設計していく上での重要課題となるでしょう。

現在、弊会会長は、多一教経典を開発するための準備を進めております。近日中にはその経典アルファテストを開始する予定でございますので、その節は、皆様の忌憚のないご意見をお聞かせいただけますとありがたく存じます