一神教学会からのお知らせ

 

2012-01-08 「宗教の作り方・第一版alpha00」を公開しました

宗教の作り方」の第一版alpha00を公開しました

第一版は、次の三つのから構成されることになる予定です。

  • 第一章「宗教
  • 第二章「霊魂
  • 第三章「異界」

今回公開したバージョン(第一版alpha00)に含まれているのは、第一章の第一節から第四節までです。これ以降の部分は、今後公開するバージョンに順次追加していく予定です。

意見や誤字脱字のご指摘などをお待ちしております

2011-12-30 「拡張可能経・第零版」のアルファテストは終了しました

拡張可能経」のアルファテストは、2011年12月28日を以って終了いたしました。

アルファテストを終了した理由は、全面的な改訂を計画しているからです。新しいバージョンの版番号は「第一版」となる予定です。

2011-11-11 一神教学会のGoogle+ページを作ってみました

一神教学会Google+ページを作ってみました。URLは次のとおりです。

日本語版: https://plus.google.com/118393655521788793253

英語版: https://plus.google.com/110033038566501074393

よろしければ、「+1」のクリックをお願いします。

2011-09-10 公式ツイッターアカウントの日本語版を開設しました

一神教学会の公式ツイッターアカウントは、これまでは英語版だけしかありませんでしたが、この度、日本語版を開設いたしました。URLは次のとおりです。

ツイートしているのは一神教学会の会員ですが、ツイートは、会としての公式見解ではない、会員の個人的な見解を含んでいる場合もあります。

2011-08-02 「宗教の作り方・第零版」のアルファテストは終了しました

宗教の作り方・第零版」のアルファテストは、2011年7月31日を以って終了いたしました。

宗教の作り方」は執筆から3年を経たわけですが、万人教祖主義をめぐる筆者の考え方は、この間に大きく変化しております。そこで、その変化をこの経典に反映させるべく、全面的な改訂を実施し、版番号を第一版とすることにいたしました。第一版のアルファテストは、今年中には開始したいと思っております

宗教学研究家宗教学研究家 2011/08/04 23:56 HPほか拝見しました。マニエリスム的な、思想的美学といったものが感じられるなあというのが印象で、また、同じような宗教創造の欲求は自分も感じたことがあるのですが、ここまで形にはできなかったのですごいと思いました。
しかし思ったのは、神への言及が多い割に、神とはなんであるのか、ということの具体的な様相がまったく分からないことでした。構造的な究極原因としての神を数学的な思考で想定し、それが他の超越的存在と同根である、同質である、と断ずるのはある意味、誰でもできると思います。ただし、超越者あるいは自己の超越の状態というのは決して、構造的概念的にのみ定義できるものではなく、それぞれの人の生き方や、伝統に基づいた多様なイメージを持っているものであり、また生活哲学から世界観までを一貫した、多様な人格的な実存を持っています。
具体的にいいますと、たとえば「多柱は一体である」、ということを概念的に納得したとして、それがそのまま「キリスト教の神と仏教の悟りの状態あるいは如来と同じである」ということと、直に繋がる議論であるとは、私にはどうしても思えない。こうした具体的な論や、神とは、では、何であるのか、われわれにどのように語りかけ、どう現出するのか、という、実感に基づいた生の言葉がない限り、言ってしまえば概念遊戯の色合いがあると感じます。
生意気を申し上げて誠に申し訳ありませんが、大変面白い取り組みだと思われまして、ついキーを叩いてしまった次第です。

大黒学大黒学 2011/08/08 22:48 >宗教学研究家様

コメントをくださいまして、ありがとうございました。「マニエリスム的な、思想的美学といったものが感じられる」というお言葉は、身に余る賛辞としてありがたく頂戴させていただきたいと存じます。

宗教学研究家さんが、「神とはなんであるのか、ということの具体的な様相がまったく分からない」、「実感に基づいた生の言葉がない限り、言ってしまえば概念遊戯の色合いがある」といった感想をお持ちになったのは、きわめて自然なことです。おそらく、常識的な宗教観を持っている人間は誰でも、私が作っている宗教に対してそのように感じるだろうと思います。万人教祖主義は、常識からかけ離れた宗教観をその背景として持っています。言い換えれば、常識的な宗教観を捨てなければ万人教祖主義を受け入れることはできないということです。

「宗教は信仰の対象である」と考えるのが常識的な宗教観であるのに対して、「宗教は言語ゲーム(宗教学研究家さんが「概念遊戯」と呼んでいるものを、私は、ウィトゲンシュタインが使っているこの言葉(Sprachspiel)で呼びたいと思います)である」と考えるのが、万人教祖主義の背景にある宗教観です(私がこのように考えるようになったのは最近のことですので、「宗教の作り方」の第零版は、この宗教観には基づいていません)。この宗教観に基づいて言えば、仏教もキリスト教も、言語ゲームがその本質であって、「伝統に基づいた多様なイメージ」、「多様な人格的な実存」、「実感に基づいた生の言葉」といったようなものは、非本質的な偶有的属性に過ぎません。

「宗教は信仰の対象である」と考える常識的な宗教観においては、宗教が価値を持つのはそれを信仰している人間だけということになってしまいます。自分が信仰していない宗教に対しては、価値を認めないどころか、逆に反感さえ感じてしまいかねません。宗教がさまざまな問題を引き起こす最大の原因はここにあります。それに対して、「宗教は言語ゲームである」と考える宗教観においては、宗教は言語ゲームとしての価値を持つものであって、その宗教を信仰している人にとっても信仰していない人にとっても等しい価値を持つことになります。つまり、人間が生み出す他の文化的生成物と同じように、人類にとっての普遍的な価値を持つということです。

私は、21世紀が宗教観の移行の世紀になることを望んでいます。つまり、人類が、信仰の対象としての宗教に価値を認める宗教観から訣別して、言語ゲームとしての宗教に価値を認める宗教観を新たな常識として受け入れることを願っているわけです。