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montymonty5の日記 Twitter

2014-01-26 「ひらがなで話す技術」を読みました

この本を読む前は、「話し上手になる」スキルを身につけるための本だろうと思っていたのですが、実はそこが本当のメッセージではないようです。そもそも話をするのは、何か相手に伝えたいことがあるということ。そして、話ができるのは、自分の話を聞いてくれる相手がいるからということ。この当たり前だけど、日々の生活では忘れがちなことを思い出すことが出来ました。自分だけが、上手に話せるようになるのを目指すのではなく、聞き手の立場に立ち寄り添う姿勢が大事なんですよね。授業などでも、「伝えなくてはいけなから」ではなく「伝えたいから」話すのだということ、そして話しを聞いている相手の頭の中を想像するのを忘れずにいたいものです。



「四角い言葉」から「丸い言葉」へ
「丸い言葉」=感じがすぐに思い浮かぶ言葉、あるいは、漢字にしなくてもわかる言葉。
丸い言葉は、耳で聞いてすぐ分かるので、聞き手も分かりやすいと感じる。
四角い言葉(漢字)は意味がぎゅっと詰まっているので、それを「ひらく」のに時間がかかる。一方、丸い言葉は意味が「ひらかれて」いて、分かりやすい感じがする。人は「ひらがな」で話を聞いている。


「言葉の粒の大きさを変える」
目には見えない心の動きを、目に見える文字の大きさで表すと、声の大きさは自然に変わる。伝えたい言葉ほど、目の前にひらがなが飛び出すくらい大きな粒をイメージして話してみる。そうすれば、必ずその言葉の音量は大きくなる。


「流暢」に話そうとしてはいけない
「話がうまい」には「表面的な技術を持っているにすぎない」というマイナスイメージがある。話している本人が、誰よりも感動している。聞いている人を感動させてやろう、なんて思っていない。何回、何十回繰り返しても、本人の心が毎回動くから、聞いている人の心も動く。


「 」(かぎかっこ)を使うと感動が伝わりやすくなる
論理的に話せる人は、「」のある話が苦手。
自分の頭の中で話をすぐまとめられるので、途中のプロセスを省いて結果だけ言ってしまう。(まさに私)確かに、ムダのないよく整理された話かもしれない。でも、整理されすぎた話では人の心が動かない。「」を入れて、具体的に経験したことを交えながら話す。「 」を入れて話そうとすると、エピソードを登場させやすくなる。

2014-01-14

iPad mini RetinaからiPad Airへ機種変更しました

昨年11月に、miniからmini Retinaに乗り換えた際の感想をブログに書かせてもらいましたが、この度mini RetinaからAirに乗り換えて10日だったので、(A)乗り換えた理由、(B)iPadのサイズ選択のポイントについてまとめてみます。
※ちなみに、mini Retinaモデルは、1ヶ月の返却可能期間があったので、既に返却済みです。
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(A)乗り換えた理由
(1)画面のより大きなモデルが欲しくなった
mini初代では、コンパクトで持ち運びのしやすさに感動し、iPadの利用頻度は大きく増えました。昨年の11月にRetinaモデルが発売されたその日に即注文しました。一月ほど使ってみて、若干の重みと厚みが増したことには、当初の違和感もなくなり快適に使用していました。ただ使用していくうちに、「Airだったらもっと画面が大きくては見やすいだろうな」、とか「もっと文字入力がはかどるだろうな」とかいった気持ちが大きくなってきました。
私は段々とiPadに「たくさん文字を読む」、「たくさん文字を入力する」この2点を求めるようになり、より画面が大きなモデルが欲くなったのです。

(2)文字入力もできるだけiPadで行いたい
私はMacBook Airも使っているのですが、それよりもiPadを使いたいという思いが強いです。
この理由はただ一つで、スクリーンの解像度です。すっかりRetinaスクリーンに慣れてしまったので、iPadを使った後、MacBookの画面を見るとその違いに驚きます。もし、私がMacBook proRetinaモデルを持っていたなら、iPadよりそちらを使っていたと思います。いつかはRetinaモデルのMacBookといきたいところなのですが(笑)

さて、「文字を読む」に関しては、MacBookよりもiPadが適していると思うのですが、文字入力に関してMacBookが適しているのは明らかです。でも、文字入力にもiPadを使いたいのです。テキスト入力などのちょっとした入力に関しては全部iPadで済ませられないかと考えてみました。物理キーボードのないiPadですが、iPadには入力を快適にするアプリがあります。
iPad2の頃から使用している、ATOK Padを活用してみることにしました。
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ランドスケープモードの、キーボードサイズなら、MacBookキーボードとそんなに大きさの差はありません。もちろん、キーボードタッチの感覚はないですから、ミスタッチは多くなりがちです。でも、予測変換や学習機能によって、MacBookの「ことえり」より、変換効率については良い気がします。何より、このアプリのいいところは、作った文章をそのままEvernoteのノートとして保存できるところですね。最近、ほとんどのメモはEvernoteに集めているので、私にはもってこいのアプリです。ノート作成時には、タグもこのアプリからつけることができるので、ノート整理の点からも安心です。もちろん、このアプリで作った文章は、MacBookATOK padアプリiPhoneアプリでも編集可能です。

(B)iPadサイズ選択のポイント
(1)持ち運び方
私の場合は、バックパックでいつも移動をするので、iPad Airでも、mini Retina でも、常に鞄には入れられる状況です。今回、Retinaがこれだけ重量ダウンしてくれたおかげで、鞄に入れて持ち運ぶ限り、mini Retina との違いはほとんど感じられませんね。

(2)使用する場所
私は電車で通勤しているのですが、これまで電車の中でiPad(mini Retina) を使ったのはGoodreaderPDFファイルを読むぐらいでした。そもそもiPadを電車内で使うには、miniだろうがAirだろうが、ゆったり座れる状況があるときのみで、混雑した車内ではなかなか取り出しにくいものです。今回、Airに変更しましたが、ゆったりと座席に座れる状況があれば、同じことはAirでも十分可能です。私は、ほとんどの場合iPadを職場や自宅などの机があるところで使います。ゆったり使える状況があるなら、当然mini RetinaよりもAirの方が見やすいですし、作業をする場合もはかどりますね。今回のAirは、iPadを「使う場所」まで持ち運ぶ負担を大幅に減らしてくれたところに大きな価値があると感じました。

ということで、機種変更して10日後の機種変更にまつわるまとめでした。

2013-12-24

Macアプリ4つで年賀状が簡単に作れました

今年もMac年賀状を作ったのですが、いつも以上に手をかけず(それでいいのか?)、簡単に作ることが出来ました。毎年手順を忘れてしまうので、備忘録も兼ねて書いてみます。

使用するアプリ4つ

(1)Fotor(写真編集アプリ
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 https://itunes.apple.com/jp/app/fotor-hua-xiang-chu-li-photo/id503039729?mt=12 
(2)Pixelmator(ペイントアプリ
 f:id:montymonty5:20131224223647p:image
 https://itunes.apple.com/jp/app/pixelmator/id407963104?mt=12
(3)宛名はがき(宛名面の印刷用アプリ
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 https://itunes.apple.com/jp/app/wan-minghagaki/id474457915?mt=12
(4)アドレスブック(Mac純正アプリ

手順
(1)Macアプリの"Fotor"で、写真の明るさ、サイズを調整→jpegで書き出す
(2)Macアプリの"Pixelmator"で、真っ白なデータを新規作成
 ちなみに、はがきサイズは1181ピクセル×1748ピクセル(300dpi)でやってみました
(3)その白いデータ上に、(1)で編集した写真を自分の好きなサイズにして並べていきます
(4)"Happy New Year"などの文字もPixelmatorで写真の上にもきれいに入力できます
(5)出来上がったものは、Pixelmatorから印刷ができますし、jpegに書き出して、previewからでも印刷可能
(6)宛名面の印刷は、「宛名はがき」で。「アドレスブック」と連携しているのでとても便利
 前もって、アドレスブック内に、「年賀状2014」などと名前を付けて、年賀状を出す人のアドレスをまとめておくと自動で「宛名はがき」にデータが入ってきます!

 今年は、使いたい写真がたくさんあったので、特に(2)の写真編集アプリ"Fotor"にはお世話になりました。これは、Macで使った今までの写真編集アプリで一番簡単で、しかもかなりの編集もでき、とてもオススメです。(しかも無料!)
 ちなみに、今日現在で有料アプリの1位になっているは、「宛名はがき」ですね。年の瀬も迫り、皆さん年賀状作成に大忙しなのでしょうねぇ。

2013-12-20

「あるかもしれない、ないかもしれないもの」に備えてコミュニケーション活動?

今回は最近あったTwitterのまとめと、1冊の本を読んで感じたことについてです。

Twitterのまとめ:「エリート層の英語力不足
エリート層の英語力不足 - Togetter

英語と日本語のあいだ (講談社現代新書)

英語と日本語のあいだ (講談社現代新書)

こちらの本からの引用
高等学校の授業では、英語という外国語を学ぶ基礎を固めておかなくてはならない。英語でのコミュニケーションが必要とされる場合に立った際、ある英語表現について、自分の知識に照らして理解できる、知っている、という力をまず身に付けておくべき。練習は足りなくとも、必要となったときに、自分自身で運用能力を向上させてゆける素地を作っておく。コミュニケーション能力を、実際の場で磨いてゆく事が出来る土台を固める。それが、日本語の環境に生活する高校生達が、かぎられた時間の中で行っておくべき英語学習であるはずである。」とありました。

この文章を読んで2つのことを考えましたが、今回は1つ目です。

「いつかあるかもしれない(=ないかもしれない)コミュニケーションの実際の場面」に備えるという発想を転換してみることも必要なのかもかということです。現状として、学校を卒業後、英語でコミュニケーションをする場面を持つことがない人も多いのは事実でしょう。今後、より国際化が進むと考えると英語でのコミュニケーションの機会は現状よりは増えると思いますが、それでも日本人の全てが「英語でコミュニケーションをする場面」に立ち合うとはあまり思えません。英語でコミュニケーションする機会を持つ人には、現在より遥かにレベルの高い、それこそ他国のトップ達と競争できるような英語コミュニケーション力が求められることになりそうです。(上のブログのまとめよりエリート層の英語力不足 - Togetter)そして、そのような機会のない人はこれまで通りないままじゃないかと。こう考えると、「将来あるかもしれない(ないかもしれない)コミュニケーションの場面」だけに照準を当てるのは、様々な能力差のある生徒がいる教室で行う授業としては、あまり現実的ではないように思います。「ないかもしれないもの」のために、何年間も苦労して準備し続けるって、考えただけで苦しくなってきます。
それなら、「あるかもしれないし、ないかもしれないコミュニケーションの場面」を想定するという発想を止めればいいのではないかと。これまでの発想から「実際にコミュニケーションの場面を創造する」という発想へ変えてみればいいのではないかと。これは、何も私が言うまでもなく、現在多くの現場で言われている「授業自体をコミュニケーションの場」にするという取り組みのことです。
発想の転換をすることで、これまでの「最後に温存しておいたけど、結局大事にし過ぎてやってみる機会がなかった」という状態から抜け出せそうです。この発想ならば、「将来あるかも、ないかも」ではなく、今教室の中に「ある」んですから、それに向けてやることに何の不安を抱く必要が無くなるのではないでしょうか。同じ練習をするなら、不安を持ちながらするよりも、自信をもってできる授業がいいなぁと思った次第です。
コミュニケーションの場」の創造の仕方、あり方についてはいろいろな議論があり、既に多くの実践も行われていると思いますので、今回はそれば別の機会に考えてみたいと思います。

2013-12-10

『街場の教育論』から「思いが足りない?」英語教育について憂いてみる

内田樹さんの「街場の教育論」を読みました。
「国語教育について」という章が気になったので、そこから少し引用させてもらいたいと思います。
『まず、言葉のストックをどんどん増やしていく。その「私の実感によって充鎭されていない空語」が「私の実感」を富裕化させる。思いがあって言葉が足りない(言葉の貧しさ)vs言葉があまって思いが足りない(身体実感の貧しさ)子供の言語状況は言葉があまって思いが足りないというかたちで構造化されるべき。美しく、響きがよく、ロジカルな「他者の言葉」に集中豪雨的にさらされるという経験が国語教育の中心であるべき。自分の手持ちの身体実感では推し量ることができないけど、言葉だけは知っているという状態。』(引用終わり)

国語教育については全く知識がないので、どのような教育がいいのかは分かりません。ただ、言葉(日本語)のストックを増やすことで自分の中にぼんやりとしていた思いが、形をなしてくることは十分ありそうだし、言葉のストックが増えることで自分の思考を深めることも出来るようになりそうです。

さて、英語教育においては、上で理想とされた国語教育とは理由は違いますが、外国語を学ぶという点から「言葉」を身につけ増やすことが主眼となり、「思い」の部分は後からついてくる、という考え方をすることが多いような気がします。ですが、口をついて英語は出て来てたらそれで安心ではなく、肝心の「思い」が伴っているかどうかに気を配ることも、大切なことのように思います。

「街場の教育論」を読み、国語教育において、「思いがあって言葉が足りない」ではなく、「言葉があまって思いが足りない」を志向する考え方があることを知りました。そして、いつも「言葉が足りない」ことを憂いている英語教育では反対に、「思いが足りない」ことを時には憂いてみてもいいのかもしれないなと思った次第です。

街場の教育論

街場の教育論