公開授業の後の協議会にちょっと違和感

先日、県内随一の進学校であったコミュニケーション英語の公開授業に参加しました。オールイングリッシュで授業が進行され、QAやディクテーション活動などで英文理解をした後、「アウトプット活動としてのリテリング」が提案された授業でした。ちなみに教科書の題材は「ガリバー旅行記」でした。どの生徒も、先生の話す英語を1語も聞き漏らすまいと英語に聞き入っていましたが、時おり先生が生徒にが英語で質問をすると笑いが起きたりするなど、心地よい緊張感の中にも和やかな雰囲気のあるで授業でした。
リテリング活動の前に、自分でキーワードをワークシートに書き出すのですが、ただ単語を抜き出すだけでなく「フローチャート」を意識して、イラストや図解も入れるように生徒達は指導されていました。ペア活動では、スピーカーがフローチャートのメモを見ながら大きな声でリテリングをし、リスナーはしっかり相手に反応を返していました。

そんな心地よい雰囲気の授業を見た後、協議会が行われそちらにも参加しました。参加者からの質問は、「生徒が教科書本文の内容理解をどのように行っているか」、「とてもレベルの高い予習を要求されていますね」など、教師の指導法や授業の進行順序に関する質問、コメントが中心でした。今回の授業の提案は、内容理解を済ませた後の「アウトプット活動としてのリテリング」だったのに、それについてはほとんど触れられませんでした。
どの先生も、自分の知りたい事をとりあえず教えてもらいたいというのが前面に出ていて、その先生に何かフィードバックをしようという意識は見られませんでした。私が、発言しようかなと思っているうちに協議会は時間切れで終了してしまいました。もちろん、協議会後には個別にその先生のところにお話には行きました。
協議の内容が指導方法に集中するのは分かるんですが、どんな無駄のない緻密な手順で指導を行ったとしても、活動をし学習するのは生徒だから、もっと授業を受けている生徒について話をする雰囲気があってもいいのになぁ。
そして、協議会自体が「この授業」をきっかけに授業者も参加者も互いに伸ばし合いましょうというスタンスで行われればいいのになぁ。
とにかく、違和感はあったけれど新たな気づきが得られた協議会でした。