仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

他にこういうブログも書いてます。

2015-06-13

コワーキングスペースは受贈者的な人格を引き出す場だ―「ゆっくり、いそげ 〜カフェから始める人を手段化しない経済〜」影山知明

2冊め、CMC(コミュニティマネージャズコミュニティ)の読書会の課題図書になっていて知った本。

ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~

ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~

「クルミドコーヒー」(いきなり音出るので注意)というカフェの店主、影山知明さんが書いた本。

カフェ経営の話、かと思ったら、コミュニティと経済の話がメインなんですね。

いやー面白かったですねぇ。いい本を紹介してもらった。

あまりに面白かったので、読んだあとたまらなくなって、カフェっぽい気分を味わいたくなり、ケーキを焼いてしまったほどだ。


私が一番ポイントだと思ったのが、「消費者的な人格」、そしてそれに対立する「受贈者的な人格」という概念。

この二つの対立概念で、いろんなことが説明できて、自分がノラヤを運営する上でもやもやしながら悩んでいたことに、光が射したように思えた。


「消費者的な人格」とは、なるべく少ないお金や負担で、一番多くのもの、リターンを得よう、という意識。

普段私たちはほとんど、消費者的人格に支配されて生きている。少しでもお買い得なものを求めて安いスーパーに行き、ネットでは価格を比較して一番安いものを買ったりサービスを受けたりし、コスパが良いという言葉に敏感に反応し、少しでも安く仕事をしてくれる人を探し、そしてなんにもしなくても、楽にお金をかせぐ方法がないかと日々もやもやしている。

だってみんな、お金ないからね。


それに対する「受贈者的な人格」とは、字面からわかりにくいけど、値段以上のものをもらった、受け取った、感じた時の、かすかな喜びとともに「お返ししなきゃな」とか「また来よう」と思う意識。それら、もらった「贈り物」は「健全な負債感」を生んでいる。これは「負債」という言葉のマイナスイメージとはちょっと違い、感謝の気持ちを伴う「もらっちゃったなぁ、受け取っちゃったなぁ」という気持ち。

たとえば、行きつけのお店に旅行に行ったときのお土産を持っていったり、畑で取れた野菜を持って行ったり、そういう時に「いつもお世話になっているからなぁ」と、義務感ではなく受贈者的な人格が出ている。


思いついたのだけど、我々コワーキングスペース運営者が説明しなきゃいけない機会が頻繁にあって、いまいち相手に伝わらなくて歯がゆい思いをさんざんしてきているのが、シェアオフィス・場所貸しとコワーキングスペースの違い。

実は、シェアオフィスは、消費者的な人格を引き出し、コワーキングスペースは、受贈者的な人格を引き出すのではないだろうか。

シェアオフィスでは、入居者が自分の仕切りに囲まれたブースを使う。共有スペースも使える。入居者は当たり前だけど「お客様」だ。お客様はシェアオフィスをお金払っただけ、さらにはそれ以上に使い倒そうとする。自分のブースの中では何をしてもいいような気分になり、隣のブースへの配慮なんて生まれない。共有スペースは他の入居者にも配慮…ということになっているけど共有スペースもつい、使い倒そうとする。

だから、トラブルも起きる。ブースの向こうから何か…騒音、臭い、ゴミ、が他のブースに漏れてくると揉める。共有スペースでの自分勝手な振る舞いが問題になる。


一方のコワーキングスペースは……私の経験している事例に限られるのだけど。「使い倒そう」という意識の人はあまりいないように思える。

スペースは共有だし、会話もあるから、居合わせた人への配慮も当然生まれる。そして何度か来た人は、自分の得意なことやできること、役立ちそうなことを、スペースで提供しようとしてくれる。(物々交換所があるけど、それとはちょっと別の話で。)

ありがちな「私これができるんです是非ビジネスに繋げましょう(ギラギラ」的な、自己アピールではなく、自分がこういう人でこういうのが好きでこういう経験をしていてだから、こういうの提供できる、というのがじわじわと納得できる形で、置いて行かれる。

それは自分でできるイベントの提案だったり。持っている物の提供だったり。技術や知識であったり、リソースの提供の申し出であったり。イベントで、普段の利用中の雑談の中で、それは置かれて行き誰かに(そしてしばしばに、私に)受け取られて行く。


本の中に、クルミドコーヒーのことを良く知らないのにチラシ置かせてくださいと言ってくる人は、断るという記述がある。それは、自分の得意なことやできることを提供していくのとは、違う。自分だけお店のリソースを使って、メリットを得ようとする行為。もし「チラシばんばん置きますよ!」と言えばやはり消費者的な人格を刺激して「使い倒そう」という人がたくさん湧いて来て対応に時間がとられてしまうことだろう。(紙って処分するのめんどくさい)

うちでも「コワーキングスペースだから起業に興味があるだろう」と勝手にスタートアップ系イベントのチラシが送りつけられてくる。ノラヤのことを知ってる人ならそんなん持ってくるはずがない。(本気で起業したい人ならチラシより早く別のルートで情報は仕入れてるはずだしね)

でもノラヤのことを良く知っててこういうのやりたい、置かせて欲しい、と持ってくる場合は違う。全力で応援したいし広めたいと思う。


私はノラヤで管理人をしてるけど一番ノラヤにいるから一番「贈り物」を受け取っていると思う。それは「健全な負債感」を生んでいる。

内田樹先生がよく言う贈与の話で、そのままもらった相手に返すのは、よろしくなくて、どこかにパスしてやらなきゃいけない、というのがある。この本の音の葉コンサートのエピソードにもあるけど、価格以上のものを提供し「交換を不等価にすることで次なる交換を呼び込みむことができる」とあるのは、多分そういうことなんじゃないかと思う。

昨日もコワーキングスペース勉強会の方々がいらっしゃったけど、私はほとんどの時間をいろんな人の置いて行った「贈り物」の説明(どんな人、どういう経緯でこんなことをやってくれた)に費やしてた気がする。コワーキングスペース運営者として必要な素質は、誰かの置いてった「贈り物」を他の人に伝える、パスできるというのもあるかもしれない。

では、コミュニティにおいて、消費者的人格を刺激せず、受贈者的人格を引き出すにはどうしたらいいのか。

本文中では、消費者的人格を刺激するものとして、割引チケット、ポイントカードが挙げられている。ぐるなびなどのサイトも、そうだろう。お得に利用できるなら、もっともっとお得に、お手軽に……という思いが強められていく。だからクルミドコーヒーではそういうのをやらないのだそうだ。

スペースの場合は……やはり「壁」なんじゃないかなと思う。仕切られて自分だけの空間を作ってしまう時点で、壁の向こうへの思いは至らず。そして「孤独」。セキュリティに守られた受付を通ってしまえば挨拶する人も雑談する人もいない状態。

一方、受贈者的な人格を引き出すものとして、クルミドコーヒーの場合は、「マゾ企画」と称した、ものすごく手間のかかる「くるみ餅」。そして、さきほども触れた「音の葉コンサート」。

スペースの場合は。なんだろう、やっぱり距離を近くし「孤独じゃない状態」にすることだろうか。うちみたいに狭さがそういうメリットを出すところもあれば、定期的に集まってもらって顔を突き合わせるのでも可能だろう。

ノラヤの場合、運営者が経営が厳しいアピールをやたらしているので、みんななんとかしなきゃと思ってくれているというのもあるかも。まったく自慢できないけど。

というわけで「消費者的な人格」「受贈者的な人格」という二つの言葉に着目して、コワーキングスペースのコミュニティを中心に考えてみたんだけど、

「そうか、ノラヤでは消費者的な人格に基づいて行動する人が少なくて、受贈者的な人格を引き出すことができていて、すごくいいコミュニティができているんだなぁ……」と、実感することができて、非常に励みになり、今後ともがんばっていこうかと思えたのだった。

受け取った贈り物はまだまだ、いっぱいあるし、ね。

ぼんやりと確信。

「消費者的な人格」に基づいて行動するメンバーが多くなると、コミュニティは崩壊する。

これは、職場でも学校でも友人でも家庭でも、どんなコミュニティでもあてはまる気がする。いろんなケースを頭に思い浮かべて、「ああ、そうか」と納得が行った私である。

他にもこの本には触れたいポイントがたくさんあった。

  • セキュリテ被災地応援ファンド(知り合いコミュニティが関わってるし私も少額ながら買ったので)
  • 地域通貨(多くは続かない理由がばっさりあって痛快)
  • コンビニとの比較(ちょっとモヤモヤ)

でもだらだらと長く書いてしまいそうになったのでこのへんでやめる。

あまりにも書きたいことが多すぎて、書いては消し書いては消し、して、3日以上もかかってしまったよ……

2015-06-09

持ってしまって持てない私の感想「持たない幸福論」phaさん

滅茶苦茶対称的のような、2冊の本を読んだ。

1冊め、phaさんの最新刊。

最初の3つの章が、まず、こんなんだ。

1. 働きたくない

2. 家族を作らない

3. お金に縛られない

しょーじき、「いいなぁ……」である。そうやって生きたい。

私は家族を作ってしまい、仕事もある。しかも仕事はコワーキングスペース運営という収益のない事業と、ほんのすこしの自営と、アルバイト。3つかけもちし、ひーこらひーこらと、時間をやりくりして、毎日バタバタと過ごし、疲れ果て、それなのに、100万も稼げない。

できるだけ働かずに生きていたい」とずっと思ってはいるんだけど、やっぱり現金が完全になくなると生きていけなくなるので…(中略)…細かい小遣いかせぎをちょこちょこやっているという感じだ。

でもまぁ、あんまり働く気がないので収入は低い。年収は大体毎年百万前後くらいだ。

(p.108)

あまり仕事をしたくなくて小遣い稼ぎで100万稼げるphaさんと、毎日へろへろになっても100万稼げない私。

この本の冒頭で「生きるのが辛そう」と言われてしまうような、家族を作り、仕事を持ち、お金を稼ぎ……のうち「お金を稼ぎ」が既に欠けてしまっていていっそう幸せじゃないのが私なのだ。


そう。幸せってなんだろう。私は何をしていると幸せなんだろう。

この本の裏表紙にも書いてあるけど、

自分が何を好きか、何をしているときに一番充実や幸せを感じられるかをちゃんと把握すること

「何を好きか、何をしているときに一番充実や幸せを感じられるか」は、人によって全然違うし、それが当たり前だから、誰かも価値観に合わせる必要なんてないのだ。

そしてそれが多少外れていても昔みたいに村八分になったり通報されたりするのは少なくなってきた。だからちゃんと把握して生きようよ。そして幸せになろう!これがこの本のテーマなんだと思う。


現実は難しい。一度レールに乗った人生は外れづらい。いい高校行っていい大学行っていい会社に入って、というレールを外れるのはずいぶん簡単になったけど、家族を作ったあとのレールを外れるのは、ものすごく大変だ。特に子どもがいると、よっぽどの理由がないと難しい。家族は紙切れ一枚でやめられない。

家族を作ってしまうと、「働きたくない」もできないし、「お金に縛られない」も、できない。そりゃ配偶者も子どもも同じ考えどうしなら可能かもしれないけど。なかなかそういうレアケースに自分がラッキーにも該当するわけじゃないので。自分だけ外れて生きるわけにはいかないのだ。

だから、独身のみなさまにおかれましては。家族を作る前に「何を好きか、何をしているときに一番充実や幸せを感じられるか」を考えておいたほうがいいと思う。

と、言ったって、私も昔は、子どもを産んで育児と家事に専念して専業主婦をするのが幸せなことだと思い込んでいたので、その立場になってみないとわからないんだけど。


改めて、自分は「何を好きか、何をしているときに一番充実や幸せを感じられるか」を考えると、バイク乗って旅するとか、温泉に入るとか、ふわふわのお布団で寝るとか、一人でふらっとしんみり飲める店に行って飲むとか、テントの中で一人寝袋に入って缶ビール飲んでるとか、焚き火してるとか……私は、一人で且つふらふらと動きまわっている状態が好きなんだと思う。


もしも、そんなことをしながら、基本一人で生きられるとしたら。やっぱり孤立しないための「つながり」は大事なんだとおもう。

そのへんから、

4. 居場所の作り方

につながっていく。

この4章は、これはコミュニティの関わり方全般にすごく参考になると思ったので、列挙しておこう。

1.複数の場所に顔を出す

2.合わない人とは棲み分けをする

3.人の流動性を保つ

4.ゆるさを保つ

5.自分が主催者になる

6.空間(ハコ)をキープする

7.用がなくても気軽に集まれる

8.みんなで一緒にすることがあるといい

9.人の悪口はほどほどにする

10.滅びたらまた新しいのを作ればいい

なんだか字面を眺めているだけでアルカリ性の温泉に浸かっているようなゆるい心地よさを感じてしまうのは、phaさんが好きすぎるからだろうか…


1.を「囲い込まない」、2.を「去るものは追わない」、と書き換えてあとはそのままで、コワーキングスペースのようなコミュニティ運営者心得にもなると思う。

ところで、話は前に戻るが、働かず、お金にも執着せず、それでいてどうすればphaさんみたいに年収100万も得られるようになるのだろう。これにたいする答えが「本を読む」ことなのだろう。帯の見返し側に、ひっそりと大事なことばが書いてある。

知識は人を自由にする。

いろんな本を読んで、

世界にはいろんな価値観や生き方があると知ることができて、

自分の生き方にある程度自身を持てるようになった。

本を読むことで、

僕は生きるのが楽になった。

知識は武器だ、とよく言われるけど、「人を自由にする」という表現ははじめて聞いた。なんだかこの言葉だけで自由になったような気分だ。私は40歳前はほとんど本を読まない人生を送ってきたのだけど、もしも結婚前に本をもっと読んでいたとしたら、結婚して育児して専業主婦が自分に合わないことなんてもっとはやくわかっていたかもしれない。

そしてこのままだと、本を手にする時間もなく、ひたすらバタバタと働き家事に追われ…それだけで生涯を終えてしまいそうだ。だがきっと他人からすると、無駄な時間が大量にあるのだろう。そこで本を読もう。知識を得よう。まずはそこから。

相変わらず活字追うのは苦手なんだけどね……

2015-04-21

プリン日常

ふつーのプリンを作るのは簡単である。卵、砂糖、牛乳があって、うらごしとオーブンがあれば。カラメル作るのが慣れがいるぐらいで、他は混ぜて漉して型に流すだけ。一番時間がかかるのは焼き時間か。

うちではちまちま小さい型で作らず、蛇の目型に流し込んでオーブンで蒸し焼きにする。


「かーちゃんの作るプリン、ほんっと、おいしいんだよ」

と、息子に声変わりした声で言われるともう、でれでれしてしまう。なんぼでも作ったると思う。


先日もふと思い立って作り、外出した息子と夫が帰る頃に食べごろになるように冷やしといた。

帰宅した夫が持って来たのは、よりによって、仙台で最高峰のロワイヤルテラッセのプリンだった。(店でしか売ってない、なめらかプリン

なんで、私がプリン作った日に、最高級プリンが………義実家に手みやげに持って行ったが「家族で食べなさい」と戻されたんだそうだ。

普段なら嬉しいけど。

しょうがないので、まずロワイヤルテラッセのプリンを食べた。原材料にクリームチーズが入っている。卵は卵黄しか使ってない。濃厚である。あまり固まってない。このとろとろ感が良いのだ。ああ濃い。甘い。カロリー高そう。非の付けどころがない。一食食べたような満足感がある。

次の日の朝、自分の作ったプリンを食べた。

あら、おいしいじゃない。

全卵を使ってるからしっかり固まってて、底から、ほろにがいカラメルが大量に溢れ出る。「ねととろっ」としたロワイヤルテラッセプリンとは対極の、「ぷりん」としたプリン感。舌全体を濃厚な味が覆い尽くすロワイヤルテラッセと比べて、カラメルとプリンの絶妙な混ざった味わいが楽しめる。支配されるわけでなく、主導権がこっちにあるかんじ。

そうか、日常のプリンはこれがいいんじゃん。なんでも濃厚でとろとろがいいわけじゃないのよね。

しっかりごはん食べた後のデザートにロワイヤルテラッセだと「うーん多い」って感じだけど、これなら食べられる。

今日食べて、明日も明後日もまだある。ロワイヤルテラッセのプリン一個の値段で、蛇の目型一個分できるぐらいの材料費だし。

今日はついに最後になったので、息子はごはん食べる前にも後にも食べました。さらに私が食べているのを見て物欲しそうにしているので分けてあげました。

そうかそうか。そんなにうまいか。

またつくってやるからな。

なんて素敵な主婦っぽいことを書いてみたけど、もしプリンを作るのが面倒だったら、どんなに息子が喜ぼうと私は作らないだろう。超面倒くさがりなので、その程度だ。でもプリンは、死ぬ程簡単だ。

みんなも作ろう日常プリン。レシピはクックパッドで見つけた、これです。砂糖はレシピより控えて作ってます。バニラエッセンスはないので入れてない。

参考レシピ: http://cookpad.com/recipe/247795

※注:このレシピは私が考案したわけではないです。「日常プリン」も正式名称ではありません。このブログを書くにあたってそんなことばをつけてみただけ。

2015-04-20

絲山秋子「離陸」高田郁「八朔の雪」(みをつくし料理帖シリーズ)川端裕人「雲の王」

八朔の雪―みをつくし料理帖 (ハルキ文庫 た 19-1 時代小説文庫)

八朔の雪―みをつくし料理帖 (ハルキ文庫 た 19-1 時代小説文庫)

ノラヤに弟が置いた本。表紙の、なんとも気の抜けたお世辞にも美人といえない女性の絵に惹かれ読み始め、気がついたらこの「みをつくし料理帖」シリーズの本を、次々図書館で借りて読んでいる。はまった。

面白い!

主人公は、江戸時代に生きる女料理人。作る料理がおいしそうだし、次々登場人物に襲い掛かる不幸にも、くじけそうになるも、信念を貫いていく。ときおり楽なほうへ、幸せな方へ誘惑が来るけれど…なんとも読んでいて心が痛くなるエピソードが多いけど、でも料理をからめたエピソードが、食材に染み込んだ出汁を味わうようにしんみりとこちらの身にも染み入ってきて、読後感は決して悪くない。だから続きが気になる。

そして料理を作りたくなるのですよ。

離陸

離陸

すごい本だった。長い時間をじわじわ進んで世界をめぐる物語。過去から始まり、いつのまにか今生きている私らより未来にいる。じっくり読みたい気持ちと早く読みたい気持ちが拮抗した。

絲山秋子は男性が主人公のほうがすんなり読めるなぁ。私みたいなおとこおんな向きなのだろう。あと、働く人への目線が常に暖かいなと思った。いろんな仕事をする人が出てくるのだけど、その描き方に愛があるという印象。「沖で待つ」の帯には「すべての働く人へ」だった、たしか。

雲の王

雲の王

気象の仕事をしている女性が主人公で、子持ちバツイチながらも伸びやかに生き、自分に受け継がれた能力に向き合い、苦悶や困難に当たりつつも才能を発揮する姿が、まるで宮駿のアニメの主人公みたいで読んでて気持ちよかった。後のほうがラピュタを思い出してしまった。

最初いけすかない奴がだんだん憎めない面白い奴になっていくのも面白い。

絲山秋子「妻の超然」乾ルカ「てふてふ荘へようこそ」佐伯一麦「鉄塔家族」

またも図書館でいっぱい本を借りて読んでる。本の虫の皆様に比べたら少ないけどね。

妻の超然

妻の超然

この妻はなんで働かないのかなぁと思った。それと、夫婦別に部屋があってうらやましい。

てふてふ荘へようこそ

てふてふ荘へようこそ

本を借りるカウンターの近くに「あ」から始まる作家の棚があって、「い」でなんとなく見つけたので借りた本。ほっこり読める軽い本。

鉄塔家族

鉄塔家族

仙台市民必読書らしいから読んだ。いやーこれは。長い。長かった。

若林区太白区のあたりの、自分の知ってる場所がたくさん出てきて、実際にほとんどの場所をイメージしながら読むことができたので、とても楽しかった。主人公の二人や周辺の人が仙台という土地を愛で、仙台の住民の人となりを愛でて、淡々と時間が過ぎる。次第に主人公の過去が明らかになっていく。佐伯と斎木。主人公の名前が著者と似すぎているので、いろいろ著者とも重なるんだろうなと思う。でも、仙台市民ってこんなにいいひとばっかりだろうか。後の方で元妻のほうがやたら酷い人に描かれているのがちょっと気分悪かった。そして現妻もあまりにあたりさわりのない良い人なので女性像として理想的すぎていまいち好きになれない。

2015-02-12

仙台市太白区長町 鶴の湯

仙台市内からどんどん無くなっていく、銭湯。ノラヤの近所にも昔は、2,3軒あった。

先日、Facebookに「青葉湯」の写真を載せたら惜しむ声が多く寄せられた。(ストリートビュー

銭湯にかぎらず、無くなってから、惜しいなぁ、行けばよかったなぁ、っていうお店や場所、けっこうあるじゃないですか。

でもね、人って足を運ばないのですよ。どうしても必要でなければ。いくら良い場所だと思っても。いくら好きだと思っても。そして無くなったのを後から知って、寂しさを感じる。

だったら、ちゃんと存在している間にお金を落としていけばいいのに。

それで、思い立ちました。まずは自分からはじめよう。「いつか行こう」と思っていて行けていない仙台の銭湯をちゃんと全部行こう!と。 行ったことのある銭湯もこの際、巡って詳しく雰囲気を伝えよう、と。

なにしろ私、お風呂大好きですからね。手足を伸ばして入れる広いお風呂には、定期的に入りたいと思う。広い空間に立ちこめた湯気の感触、かすかな塩素の匂い、ザバーっと響く湯の流れる音、タイルやイスを置く「カコーン」という音。五感をフルに使って味わう銭湯という空間は、ただの入浴を超えて娯楽です。

以上が、前置き。


とある平日。地下鉄で行ける銭湯、長町の「鶴の湯」に行ってきた。

※以下の内容は個人の記憶と印象に頼って書いていますので実際とは異なる場合がありますご了承ください。

(絵はうろおぼえです。五角形の柱の詳細もかなりあやしいです。> < 風呂はもっと大きかったと思います)

f:id:monyakata:20150212152709j:image

北四番丁から富沢行きに乗り、長町で下車。徒歩5分くらい。

ノラヤから時間を測っていったら30分で到着した。意外と近い。

鶴の湯はビルの二階にある。

階段を上り番台でお金を払う。番台がお風呂の外にある形式。左が男湯、右が女湯。左手奥にはテレビと椅子があって、湯上がりにくつろいだり、待ち合わせしたりできるようだ。

脱衣場にカゴはなく、すべてロッカーである。脱衣所も浴場もそんなに大きくはない。先客は5,6人で結構混んでいた。4時ごろ行ったので、3時から一番風呂で入った方たちだろうか。

お風呂に入ると、大きな窓と高い天井、明るい。面白いなと思ったのが、BGMが流れていること。無難なポップスのインスト。「音楽を聞きながら入れる」と、貼り紙もあった。両側にカランが並び、真ん中に五角形の柱があって、そこに5つカランがある。こんな柱があるお風呂なんて初めて見た。

私は壁側のカランで体を洗って、湯船へ。ああ念願の至福の瞬間だ。真ん中に仕切りがあり左右に分かれている。銭湯のお湯は熱いと相場が決まっているので、湯口から遠い方に入りたかったが、そちら側には先客が2人くつろいでいるので、もう一つの方へ。

あれ、熱くない。ちょうどいい。そして驚いた。深い!!

こんな深いお風呂、温泉でも珍しいんじゃないかと思った。正確に何センチかはわからないが、机の高さぐらいだろうか。私は首までお湯に浸かるのが好きなので、とても嬉しかった。気持ちいい!深いお湯の中で腕を動かし、水圧を味わった。

こちらの湯船には、真っ黒なタイルの親分のような石が4、5個沈んでいる。「ブラックシリカ」だそうだ。多分マイナスイオンのたぐいなので、あまり気にしない。

もう片方の湯船に移動すると、こちらは浅い。というより、普通の深さだ。ブクブク泡が出ている。湯船の仕切りは穴があいていて、お湯がこちらに流れこむようになっている。温度差はほとんどなかった。

f:id:monyakata:20150212152535j:image

入浴客はすべておばちゃんで、すぐ向かいの長町病院の話をしている。常連らしく、会った人どうし挨拶を交わしている。上がるかとおもいきや、洗い場で延々と話し込む人も。至福の時間を堪能し、上がった。脱衣所から出て帰るとき、まだ脱衣場にいる人達に挨拶したものかどうしようか迷ったけど、「お先します」と言うと「はい、お気をつけて」と声が帰ってきたので、ちょっとほっとした。

鶴の湯から出て、周囲を見回すと面白そうなお店発見。

八百屋さんだ。店の表だけ「いただきコッコちゃん」で、左右と裏が大井青果店というお店なのだ。奥に入って行くとおもいのほか広く、商品がいろいろあって、秘密の場所っぽくて面白かった。

あと近くには長町二番街をはじめ飲み屋さんもあるので、風呂あがりに一杯も実現したいものである。

鶴の湯のまとめ。

  • 地下鉄で行ける銭湯。
  • 五角形の柱が面白い
  • 深い湯船が嬉しい
  • 大井青果店が面白い