仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

他にこういうブログも書いてます。

2015-01-17

悲しくなって、ちょっと前向きになって、そして高円寺に行きたくなる。―「活字と自活」荻原魚雷

前に「冬の本」を読んだ時に荻原魚雷という人の書いた文に魅せられ尾崎一雄の本を読んだんだけど、荻原魚雷という名前にも妙に惹かれて、読みたくなって図書館で借りた。

活字と自活

活字と自活

どういう人なのかまったく予備知識なく読んだら、古本を読み、探し、音楽を聞き、妻はいるらしいけど、フリーライターだけでは生活できず、アルバイトをしている。そういう人らしい。なんだか自分と重なる。

大学を卒業してからずっと、荻原さんはライターをしているらしい。高円寺という駄目っぽい人がたくさん住んでいる町が気に入って暮らしている。「文壇高円寺」 というブログ*1も書いていて、本の一部はそれの加筆修正だそうだ。最初の章は「高円寺ぐらし」。荻原さんは何度も引っ越しをしているが、もちろん家なんて買えるはずもなく、安いアパートを転々として、ときには立退きにあい、ひたすら古本屋をめぐり、文を書き、飲みに行き、アルバイトをし、昼に寝て夜に活動。

真ん中の章「わたしの本棚」は、本の紹介。本のジャンルは古いものから新しいものまで、マンガも文学詩集も、なんでもかんでもある。

ほんとうに本が好きで、本をなんでも大量に読める人は、こんな文を書けるんだなぁ。本が好きという気持ちが伝わってくる。本の中の一番のエッセンスを引用して、しみじみとした心の動きを添えて。著者と著書について、時代背景、文壇の横の繋がりなども紹介して語る。ただその本を読んだだけではわからないことまでわかるから、よりいっそう惹かれるわけだ。ブックレビューはかくあるべきだと思う。もっとも私には真似できない。これだけ書けるためには、どんだけの知識が必要なんだろうと思う。

でも、いくら豊富な知識があっても、ライターは、稼げない。というか、荻原さんは稼ぐ生活を目指していない。

表題の「活字と自活」を含む最後の章「夜型生活入門」は、主にこの食えない生活周辺のエッセイだ。読んでいると悲しくなっていたたまれなくなってズキズキ刺さる。

私は文章書きではないけど、ウェブ屋として自営業を9年くらいやって、自分にも覚えのあることばかりだった。道具に投資し仕事につなげようとしても、そうはいかない。やりたくない仕事は断っていたら仕事がなくなってしまった。多くの人に断られた末自分のところに来たやっつけ仕事をやっても、次に繋がらない。なんでもやりますというフットワークの軽い体力のある新人にどんどん押され、中年は居場所がなくなる。etc。

好きでやってることでは全然稼げなくて、そしてアルバイトもしている。そんな生き方は、まっとうな経営者や勤め人からは眉をひそめられるだろう。荻原さんはそれでもいいとは書いていないけど、なんだか私は初めて肯定されたと思ってちょっと今の生活を前向きにとらえらることができた。ただ、私は「養われている」という点で、さらに肩身が狭い。良い悪いじゃなく、これは私自身が嫌なだけだけど。

ほとんど最後に書かれた、荻原さん40歳の時のこの言葉が、沁みる。

「三十歳まで続けることができればどうにかなる」という言葉の意味はわかるようになった。そのくらいの齢まで続けていると、他の選択肢がどんどんなくなってくる。

 どんな仕事にも、向き不向きがある。

 やりたいことを考えるのもいいが、やりたくないことを考えるのもいいのではないかとおもう。

 冷静に自分の欠陥、欠点を見つめれば、できないことの範囲が定まってくる。

 おそらく好きな仕事に就くことよりも、自分のやっている仕事を好きになることのほうが簡単である。

 そのことを昔の自分に教えてやりたい。

もう、泣けてくる。自分は何も持っていないことを、否が応でも実感する40代。私は好きだと思って10年以上やっていたIT系が実はそんなに好きじゃないことを最近知って、でも他のことができなくなってしまっていて、呆然としている。荻原さんのように、積み重なった読み続けた本の知識をいかすようなことは、IT関係ではないのだ。ここ数年、コワーキング関係にどうしようもなく惹かれて首をつっこみ、そしてやっぱり自分が好きなようにやってるから、稼げない。どうしたらいいんだよう。

荻原さんは夜型生活だが私はどうしても「朝方生活」の人で夜はさっさと寝てしまう。稼げない自営業のわりに健全っぽくて悔しい。

高円寺で飲みながら、そんなどうしようもない愚痴を、誰かにしてみたい。

高円寺ってこけむさズの所在地としてしか知らなかったけど、こけむさズ訪問時に感じた町の雰囲気はたしかにすごく私好みだった。深夜でも夜明けでもお店が空いていて、飲めるそうだ。

今年は高円寺行くぞって心に決めたので、愚痴はともかく、この本を読んでいっそう行きたくなった。

ぶらぶらとひたすら歩いてみたい。

*1:本嫌いのくせに本を読んだらなんだか気が大きくなって、仙台×ミシマ社プロジェクトの方にtwitterで話しかけたときに、こちらのブログを教えていただいた

2015-01-15

なんだってんだ起業家支援

仙台市の某部局より、ノラヤ宛に、起業家むけイベントのチラシとポスターが送られてくるため、今後は不要ですと電話を入れた。メールアドレスが書いてなかったから電話するしかなかった。不要の場合は電話くださいとも書いてなかったんだけど、もったいないじゃない、紙と送料が。我々の税金が使われているんだから。

ノラヤに出入りする人が関係するチラシ等なら置きますよ。でも、そうじゃなく、担当者がノラヤにきたわけでもなく、うちのウェブも見たことがなく、ただコワーキングスペースというだけで起業家がいるだろうと、送ってきたらしい。

ノラヤがだだっ広くてチラシ置きコーナーが充実しているなら置きますよ。いまそういう余裕はありません。

契約して事業ゴミを捨てられるならまぁ断らず捨ててたかもしれません。たかがA4封筒と思うかもしれないけど、ゴミはいつもバイクor自転車のうしろに括りつけて自宅まで持って行って捨ててるんです、少しでも負担は減らしたい。

ノラヤに起業家がたくさん来るなら、置きますよ。でも、多分来ないし、起業家はチラシじゃなく別の手段で既に情報を仕入れていると思います。実際私は既に知っている情報がわざわざ紙になって送られてくるんだもの。

紙じゃなくてメールだったらまだ、そんなに負担に感じることはなかったと思います。「不要です」のメールは送るかもしれないけど。

とにかく、「起業家」というキーワードと、印刷物を送りつけてくるという行為のアンバランスが、なんだかなぁと思った出来事でした。

2015-01-12

「豚キムチにジンクスはあるのか」絲山秋子

豚キムチにジンクスはあるのか―絲的炊事記

豚キムチにジンクスはあるのか―絲的炊事記

清々しい、空間を薙ぎ払って進むような文体に、親近感を感じていつも読む、絲山秋子。女性らしさにまといつく、ねとっとした、めんどくささと、妙な柔らかさがないのが、好き。(好きだというブログを昔書いたなと思ってみたら、あった。なんだこの甘ったるい文、私が書いたんでしょうか…)

そんな絲山秋子の連載グルメエッセイ。やっぱりバッサバッサしていてすごく気持ちのいい楽しいエッセイでした。

タイトルからして「豚キムチ」。豚キムチといえば、「センセイの鞄」でツキコさんとセンセイが公園で豚キムチ弁当をつつくシーンを読むと突発的に食べたくなるんですが、こっちはぼっち自炊の豚キムチですから、そういう異性の存在とか押し倒すパワーが半端ないです。

冒頭の「力パスタ(読み方はkapasutaじゃないよ、chikara-pasutaだよ)」でやられてしまって、どうしてもその危険なビジュアルと味の組み合わせを試したくて、生協で餅とイカスミパスタソースをこっそり買おうと思ったらイカスミがなかった。近日中にどこかで調達して実行してみようと思う。


鬱病持ちで、体調が悪くなると食えなくなって、年に20〜30kgは体重が上下するという絲山さんなんだけど、この連載のためにすごく食ったみたいだ。さらに連載のために体を張って実験的にいろんなことをやる(冬に冷やし中華4食連続、エスニック食い倒れツアー&後日自炊エスニック、サーモンづくしetc)。やたら食っている回は、読んでるこっちも辛くなってくるけど、楽しそうに自炊してる回は、真似したくなる。ビールとかワインとか飲みながら料理するの楽しいよなー、とか、新鮮な野菜が大量に手に入る群馬に私も行ってみたいなーとか、キャンプの料理の豪華さが羨ましくなったりとか。

良質な食材をふんだんに使ったすき焼きも鍋も楽しそうだけど、インスタントも駆使し栄養バランスとかカロリーとか気にしないで一人で作る、冒頭の「力パスタ」みたいな料理のほうが惹きつけられる。

だってさ。家族を持ってしまうと自炊ぼっち飯ってそんな自由にできないじゃない。いつだって家族のことを考えて飯を作らなきゃいけないし、経済的栄養価的いろいろを考えつつ、日持ちもバランスも考えつつ。ときどきめんどくさくなる。夕飯の炊事の時間は、1日で一番イライラしてる時間だ。

だから、密かに思った。私も、昼飯は、自由でいようと。

主婦の昼飯には、普通好きなものなんて食べられない。あまりもの食材の処分のことしか考えてない。カビそう、腐りそうな食材を家族に食べされられないから、自分で炒めて食べちゃったりとかね。

(ママ友と優雅にランチ?それどこの国の話ですか?)

しかし、昼だけは自由になろう。よし、決めた。豚キムチW丼も食べよう。力パスタも食べよう。

私のためだけの料理を楽しく作って食べるんだ。

そう思って特売の米国産豚肉を家族に黙って味噌漬けにしている。


ついでに、夕飯作りながらビールを飲むというのを、ここ3日ほどやってみたら大変良い気分で過ごせました。

毎日は飲めないので(早朝バイトのため週に3日は飲めない)アル中になることはないと思います。


連載の最後に、絲山さんはお父さんに料理を教わる。これがまたおいしそうなのと、悔しいながらほろりとさせられるのと。爽やかな読後感でした。

2015-01-10

拡張家族 ― 内田樹・岡田斗司夫「評価と贈与の経済学」

評価と贈与の経済学 (徳間ポケット)

評価と贈与の経済学 (徳間ポケット)

※1/12追記:参加しているFacebookグループへのリンクを追記しました。

この本は、新鮮な体験とともに読んだ本。わたくし、岡村靖幸MLつながりでのお友達、堺さん(id:hito-kan)が関わっているコミュニティ関連Facebookグループ「コミュニティマネージャーズコミュニティ(CMC)」に参加しておりまして。そこでのオンライン読書会の課題本だったのだ。これについてどう思う?自分のコミュニティではどう?などと、深く考えながら何度も読みなおすことができて、非常に深い読書体験だった。

そもそも、内田樹先生も岡田斗司夫さんも好きだし、楽しく読みました。

「イワシ化」「拡張家族」っていうキーワードがあって。

イワシ化って今なら食物の異物混入でわーっと騒いでるみたいなもんかな。最初は「異物混入けしからーん、ここでもここでもあった」でわーっとみんなイワシの群れのように流れて。そのうち「そんなに騒ぐことじゃないでしょー」ってクールダウンする意見の方にわーっと群れたり、異物混入をネタにしたおもしろ系にわーっと群れたり。多分、あと数日で「異物混入」をテーマにした群れは解散するでしょう。そんなかんじ。

人の群れではあるけど、このイワシ化は「コミュニティ」ではないな、って私は思ってる。

この本の中で内田先生も岡田斗司夫さんも、持続可能性をもった新たなコミュニティに希望を託している。「拡張家族」。会社や学校の集まりでもなく、家族でもなく、友達とか仲間とか強すぎる言葉を用いては語られない。もっと束縛しないゆるいかんじ。

かつて家族が担っていたことを家族が背負いきれなくなって、会社や学校で担っていたものも背負いきれなくなって、なんかちがう、そうじゃなくて、もっといろんなことを共有できるまとまりがあったらいいよね。そういう意見は、ここんとこ頻繁に目にします。みんな、そんなまとまりを求めている。


読みながらずっと、ノラヤが拡張家族になり得たらいいのに、と思っていた。そのためにはどうしたらいいだろうと考えていた。拡張家族を目指す、なんて固い言い方をすればそれこそ拡張家族らしくないのかもしれないので、なったらいいなぁ、ぐらいで。

ある特定の志向に基づいたコミュニティは弱い、と私は常々思っている。そのテーマが色あせたり自分と関係なくなったりしたら抜けざるをえない。それに構成員の志向が同じだと長所も短所も似通ってしまって、困ったときに助け合えない可能性がある。ノラヤは仙台コワーキングスペースの中でも類を見ないくらいバラエティ豊かな人たちがが来てくれてるので、会うと刺激になるし、今まで自分の居た「IT開発者」のような世界がいかに狭かったかがわかる。

私にとってノラヤにくる人たちは既によりどころになっているし、困ったときに困ったと声をあげるとすごい高確率で助けてもらえるし、一人でメリットを享受してしまっているようなので、もっともっといろんな人がそう思えればいいなと思う。

そのためにはどうしたらいいのか。それが「コミュニティマネージャ」たる、コワーキングスペース運営者の手腕なんでしょうね。

うまくまとまらない。本を図書館にかえしてしまったので。

2015-01-04

自殺に関する本を読んだ(3)末井昭「自殺」

自殺に関する本でずっと気になってた。なにしろ「母親のダイナマイト心中から60年」なんて書いてある。買って、一気に読んだ。いろんな意味で衝撃的な本だった。2014年の読んだ本で間違いなくベスト。もっと早く読めばよかった。というわけで、レビューもめちゃくちゃ長いです……

自殺

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